《【書籍化&コミカライズ】婚約者の浮気現場を見ちゃったので始まりの鐘が鳴りました》25.腹から聲を出す

笑わないで。

嬉しそうに、誇らしげに、ルネッタが微笑む顔を見て、ソフィはを噛んだ。

ルネッタの笑顔が見たかった。

それは噓じゃない。

そりゃあ、笑えば良いってもんじゃないし、笑顔じゃなきゃ駄目ってわけでもない。どんなだってルネッタはルネッタで、魔法が大好きなやさしい魔さんであることに変わりは無い。

でも、笑ったら可いだろうなあって。笑顔が見れたら嬉しいなって、ソフィは思った。ヴァイスの隣で、にこにこ笑うルネッタが見れたら嬉しいなあって。ソフィがそう思った気持ちに、噓偽りは無いのだ。

けれども今、ルネッタの綻ぶような笑顔を見て、ソフィのは酷く苦しい。そうじゃないだろうって、息苦しくて、涙が溢れる。

「ルネッタ…!」

冷たくて寒い怖い部屋。ぼろぼろの本を抱いて。こんな悲しい場所で、「王だった」なんて、笑わないでほしい。

だって、そんな、國のために、誰も恨まず呪わず、ただ己が死ぬ日だけを考えて生きてきた人たちが、「王だ(・)っ(・)た(・)」?己の幸福より誰かの幸福を願って生きた人が、王に相応しくないなどと、許されるものか。

恐ろしいのは、ルネッタがそこにちっとも疑問を抱いていない事だ。

こんな場所を部屋と呼ぶことも、ここで生きて死ぬことだけを考える事も、何一つ、何一つとしておかしいと思っていない事だ。

それが、當たり前だと思っているから。

それが、國殺しの魔だから。

それが、王だから。

それが、自分の役割だから。

「……っ」

それは、まるでソフィーリアのようだった。

誰に嗤われても誰にも認められなくても両手が空っぽでも、不思議にも思わなかったし、それは自分が無価値だからだと思っていたし、人と同じものをむなど心得違いだと。ずっとずっとソフィはそう思ってきた。

生まれた時からそうだったから?

それもそうだ。おかしいと気づいたのは、外の世界を知ってからだもんな。普(・)通(・)を知らなけりゃ、異(・)常(・)もわからん。

では、おかしいと気づいてからも、なぜ仕方が無いと諦められたんだろうか。

言っても無駄だから?自分を信じるに値する拠が無いから?

違うだろう、とソフィはルネッタの細く白い指を握る手に、力を込めた。そうだけど、そうじゃない。本が違う。もっと奧深く、眠らせた答えは、そうじゃない。

ただ、楽だったから。

自分は人と違って価値の無い生きだから、人と違っても仕方がない。人の何倍も努力をして當然。好かれるなどと思うな。好かれたいと思うな。そも好き嫌いのなんて持てる上等な生きじゃない。弁えろ。

そう言い聞かせていれば、楽だったのだ。

これが自分の役割。そう思えば、生きることを許されているようで、息ができたのだ。

誰も憎まなくて済んだのだ。

そうか、とソフィは涙を零した。

リヴィオはきっと、こんな気持ちだった。

いつもソフィを心配して、やさしく笑ってくれるあの騎士は、ソフィが普(・)通(・)でいられるようにと心を砕いてくれる。それはきっとこんな風に、ソフィが諦めたソフィを諦めていないからだ。

そうかもしれない、なあんて。言う奴はおめめかっぴらいて見てほしい。あの溶けるような笑みを。あーんなもん向けられて「彼は優しいだけよ」なんて言えるほどソフィはお綺麗でも世間知らずでもない。思い知れ、といっそ暴力的な優しさを、と呼ばずしてなんと言おう。

では、ソフィがルネッタへ抱くこれは?

ああそうさな。ソフィがルネッタを想うこれは、自分を重ねたお末でみっともない自己だ。優しさなんてモンから、徒歩數年、船數年の大冒険をするくらいに遠い場所にある、ちっちゃな島だ。水も食料もろくに手にらんようなつまらぬ島。誰も見向きしない、おもしろみもかさも無い島。

でも、羽を休めるくらいは、できる島だって思いたい。

「貴たちは、誰が何と言おうと、この國を守るために戦い続ける王ですよ」

自分に言い聞かせているだけかもしれない。

わたくしは、誰が何と言おうと、國のために生きた次期王妃だった、なんてね。

ははあ、淺ましや。いつの間にやらソフィは自惚れ屋さんになっちまったらしい。まいったねこりゃ、とっても良い気分だ。そう、気分が良い。

だって、ルネッタのために「間違っている」と、はっきりと言ってやることができるんだもの。そうだね、仕方ないねなんて、死んだって言ってやるもんか。

それを言うために自分を肯定しなきゃならないなら、私は最高って百回言ってやる。

「誰にも遠慮はいらない。を張って、自信を持って、言えばいいのよ。貴たちは、この國の王だと。だから、こんな國は捨ててやるのだと」

「……捨てる」

「そう、疲れて逃げ出して、何が悪いっていうの?だって、頑張ったんだもの」

「………がん、ばった」

「頑張ったわよ!貴たちみんな、もう十分すぎるくらいに頑張って頑張って、頑張ったのよ。だから、そう、逃げたって、休んだって、全部捨てたって良いのよ!」

笑えるよな。誰が誰に言ってんだって話。

ルネッタの事なんて、ここで死んでいった魔たちの事なんて、なーんにも知らんくせに。話を聞いて、分かった風に泣きわめているだけの、役立たずのくせにな。

でもさ、ソフィは、ルネッタの心のきが手に取るようにわかってしまうんだ。気持ちがわかります、なんて無責任なこと言いたかないけどさ、わかっちゃうんだよ。

自分なんか、がきっと口癖のルネッタの心が、だから、ソフィは腹立たしくて、ルネッタは素敵なの子なんだって、他ならぬルネッタにわかってほしい。

「…ソフィ、へーかみたい」

ふ、とルネッタは小さく息を吐くように言った。

笑ったのかな。わからない。わからないけど、張り詰めたような空気が和らいだ気がして、ソフィは笑った。

栄です」

「…噓です。ソフィの方が可いです」

「まあ」

いのはどっちだ!ソフィは涙を拭いて、握ったままのルネッタの手を離した。ほっそりとしい指は、両手で本を抱えた。り切れて、端が破れている本を、大事そうにそっと抱えて、ルネッタは目を閉じた。

壁一面にびっしりと並ぶ一冊一冊が、きっとルネッタの先生だったんだろう。ソフィは、小さな機に座るルネッタの背中を想像した。

機のずっと上の方には、到底手が屆かない場所に、四角いがある。

鉄格子が嵌められた、窓と呼べないそこから差し込むや吹き込む風を浴び、ルネッタはこの本たちと、たくさんの魔たちと過ごしてきたのだろう。

「…ソフィ」

「はい」

目を開けたルネッタは、き通った真っ黒の瞳でソフィを見上げた。

「ここには今、私が結界を壊して逃げたせいで、魔たちの想いが渦巻いています。抵抗力の無い人は、耐えられないでしょうから、これを呪いだと言うのなら、呪いなんでしょう」

なるほど。一緒に階段を下りていた魔導士が、途中で調を崩したのも、ルネッタがここに連れてこられた原因もそこにあるわけか。

「だから、みんなも外に出してあげなきゃ」

「はい。みんなで、お出かけしましょう」

「お出かけ?」

「お出かけです」

お出かけかあ、とルネッタは振り返った。壁にずらりと並ぶ本を眺め、隙間なく並ぶ背表紙をそっとでる。

「…ソフィ、手を貸してくれますか」

「わたくし?」

ソフィがもう一度手をばすと、こくん、と頷いたルネッタに手を握られる。さっきと逆ね、とソフィが首を傾げると、「回復魔法を本にかけてください」と言われた。

「え」

「本に、回復魔法をかけてほしいんです。ここには、魔の想いがたくさん渦巻いているから、ソフィのあったかい魔力をわけてください」

「え、ええ…」

ソフィの回復魔法って、あれだぞ。あれだ。あれって、その、あれだ。に浮かれ舞い踴る春の化たる、あれだぞ。

「…いいんですか…?」

「?はい。駄目ですか…?」

「駄目じゃない!」

駄目じゃない。全然ちっとも駄目じゃない。駄目じゃないンだけどさあ!まだソフィは自分の回復魔法と和解できてないわけでして。使うのはどうにも躊躇われるのだけれど、ここで斷れる人っている?いたら人間じゃないよね。ってことで。恥心など捨て置け。

「頑張ります!」

「はい、お願いします」

ソフィが頷くと、ルネッタもこくんと頷いた。

それから目を伏せると、ルネッタの黒い髪と瞳が、赤くり始める。ソフィは、ふう、と息を吐いて、自分も目を閉じた。

ルネッタの魔力の流れを意識しながら、目の前の本棚の魔導力を観察する。

重苦しい空気は、不思議と隨分落ち付いていた。

どちらかというと、こちらを窺うような、不安に揺れるような魔導力が揺らいでいる。なんだろう、迷子の様だ。

ああ、そうだ。外に行きたいんだ。本當はずっとずっと、みんな外に出たかった。そりゃあそうだ。それをむことは許されないと言い聞かせて、責任と覚悟で繋がれていただけ。でも、ねえ、大丈夫。

「…大丈夫。私が、最後の魔になってみせるから」

ね?ほら、ルネッタは最高の魔なんだもの。

「行こう」

ルネッタの聲が合図のように、ドン、と足元が揺れた。

大きな音、衝撃、発するような魔力。

ごお、と風が吹き荒れて、でも髪を揺らし頬をでる風は、とてもらかであったかい。

穏やかで不思議な空気が、ソフィの髪を揺らした。

ソフィは、そっと目を開けて、それで、驚きに目を見開いた。

まあ、なんだ。隨分と風通しが良くなった。いいな、これ。視界がさっぱりしている!

鬱屈とした壁も家も本棚も、何処にも無い。

どこまでもどこまでも広がる青空に、が空くような思いだ。

バサバサと、たくさんの紙が宙を舞う様子は、まるで紙吹雪!

「綺麗ね、ルネッタ」

「…はい」

はい、とルネッタは手に殘っていた一冊を空にかざした。

すると、ふわ、と紫がかった青いが本を包む。本は、パラパラとほどけるようにページが外れ、空に舞った。

どこに行くんだろうな。

どこまででも、どこへでも行けたらいいな。

ソフィが祈るように見つめる先で、たくさんの文字が書き込まれたページがけるように消えていく。

気付くと、ぼっこりと欠けるようにが開いた、なんだか稽な場所にソフィとルネッタは立っていた。

地下に続くような階段だったけど、そういえば天井が高かった。

上に部屋は無かったのかしら、とソフィは見上げた。わあ、空が綺麗。お天気が良い。あったかいし。まあ良いか。良いか?良いよな。

ソフィが、ふふ、と思わず笑うと、が燃えるように熱くなった。

「っ」

『主、來るぞ』

「え」

何が、と問う間も無い。

瞬きをする合間に、白くる大きな魔方陣が現れ、轟音が響き渡った。

バリバリと青白くる、これは、雷だ。

當たればきっと命は無かった。

「は、」

どくどくと心臓が音を立てる。息をそっと吐くと、ルネッタが「有難うございます」と小さく言った。

「アズウェロの防魔法ですね。見えないようにとソフィと同化してもらっていて助かりました」

「な、なるほど…」

魔法初心者のソフィにはちっとも事態が把握できん。何が起こっているのかさっぱりだが、頼りになる魔と神様が狀況を解説してくれた。

『微々たるものだったが、部屋に殘っていた結界が吹っ飛んで、怒り心頭といった様子だな』

輝く金髪を風に乗せる國王様は、確かに恐ろしい顔でこちらを見ている。

びりびりとを焼くような魔力に、ソフィの足が竦んだ。

「…陛下、一、何事ですか」

ソフィは、聲を絞り出した。

王は、「こちらのセリフだ」と、唸るようにソフィを睨む。バチッと雷が小さく弾けた。

「この場所が無くなるという事が、どういう事かわかるか…!今度こそ國を殺す気か魔共め!!」

共?わお。ソフィも魔にされた。そういえば魔の定義ってなんだろな。魔と魔導士の違いはなんだ。この言いようだと、この國の魔導士は「魔」を見下しているんだろうか。

まあなんでもいいか、とソフィは震える足に力をれて微笑んだ。

「國は死にません。ルネッタは國を救う魔になるんですから」

「……ソフィ…」

王は目を見開き、それから眉間に皺をれ、は、と口の端を上げて笑った。

人を心底馬鹿にした、嫌な笑い方だ。目に映る人間全部見下してそうだな。

「救う?それが?ありえない!何人の王が、魔導士が、魔の呪いに殺されたと思っている!それは逃がしてはならないのだ。お前に王族の自覚は無いのか。お前が勝手をすれば國は死ぬのだぞ!お前は國のために、ここで生きて、ここで死ぬのだ!!!」

「っ、」

ルネッタのがこわばったのが、繋いだ手からわかった。

こいつは、こいつらはそうやって何代も、黒い髪と目を持つ王を縛ってきたのだ。たった一人のの子を、たった一人にして、悪に仕立て上げてきたのだ。

「っルネッタ!」

怒りに震えるソフィの手が、ルネッタの手から離れる。

見えない手に握られるように、ルネッタのが持ち上がった。

「っ、は、」

苦しそうにもがくルネッタの指が、見えない何かを掻く。さすがはルネッタの父。詠唱せずに魔法を使えるんですね、なんて笑えるかくそったれ。

「アズウェロっ!」

「無駄よ。貴様、先ほどは気付かなかったが、何か飼っているな?私の前で、巫山戯た真似ができると思うなよ」

はは、と笑う顔の方がよっぽど巫山戯ているだろう。巫山戯るの見本市。みなさーん、こちらが世界で一番、巫山戯ている男。ベストオブ巫山戯男爵。あ、王様だった。ベストオブお巫山戯王様だったわ。ハイ皆さんちゅうもーくってね。の繋がった娘を吊るし上げといて、よくもまあ笑えるもんだよな。これが王?まったくお話にならない。

悔しくって、涙も出やしない。

「アズウェロ」

『…だめだ、主のから出られぬよう結界を張られたな。私の保護魔法に似せた結界などと生意気な…!』

何が悔しいって、苦しむルネッタを助けてあげるが無い事だ。

回復魔法と、防魔法。たったそれだけしかできないソフィに、何ができるだろう。アズウェロが言っている意味もわからないのに、どうしたらいい。どうすればいい。

「ルネッタを離して!」

『主っ』

愚策だ。阿呆だ。間抜けだ。無謀だ。わかってる。わかっているのに、ソフィは我慢できずに走り出した。馬鹿だなって自分でも思うのに、王に飛びかかろうとして、が固まる。

「っ、」

「どいつもこいつも、使えぬ屑ばかりだな」

足が宙に浮く。高いとこやだなあ、なんて余裕は無い。ソフィのは、ぎしりと捩じるように持ち上げられてしまう。雑巾絞りさながら。ぎりりと痛くて、苦しくて、何もできない。悔しい。悔しい。悔しい。

悔しい。

大丈夫だよって偉そうに魔たちに言ったけれど、ソフィは実際のところ世界をまだなんにも知らない。味しいも楽しいも悔しいも大好きも、全部教えてもらったばかりの、なんにもできない小娘だ。

「……そうよ」

そう、そうだ。

全部、教えてもらった。一人じゃない。しがっていい。言っていいんだって。

ソフィは、教えてもらったんじゃないか。

それで、聲の出し方ならソフィは知っている。何年も鍛え抜いた。これだってソフィの大事な武だ。なんてったって、これが全部の始まりだもの。息を吸え!さあ!大聲を!さあ!

「助けてリヴィオっ!」

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