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八歳くらいの小さなが、城らしき場所の回廊を歩いていた。

手足は細く、爪が割れていて、顔は白い。それなのに、金の髪は綺麗に手れされていて、そのしさがひどくアンバランスだった。

白いドレスを著た彼に、話し掛ける人間は誰もいない。

前後にふたりずつ、見張りのような神がついていて、誰も彼に近付かないように気を張っていた。

の顔つきは大人びているが、その表はひどく虛ろだ。

水の目は澱んでいて、何もかもが嫌でたまらないというような、そんな目をしている。

（……ここにいるのは、い私？）

シャーロットは、のし後ろから、その景を眺めていた。

はやがて、回廊の外へと目を向ける。

それは、何気ない視線の移りであるようだった。

そのはずなのに、は不意に足を止めて、回廊の先にいる人影に目を向ける。

『あれは……』

シャーロットも同様に、の見ている方角を見遣った。

するとそこには、黒髪に赤い瞳を持つ年がいるのだ。

（オズヴァルトさま……！？）

十歳ほどの年の姿だが、シャーロットが見間違えるはずもない。

年のオズヴァルトは、魔力で出來た氷の剣を手に、大人たちと打ち合いを繰り広げている。

迷いのない踏み込みと、素晴らしいのこなし。子供とは思えない剣捌きに、魔を組み合わせたしい戦い方。

何よりも、その真摯な表に、は目を奪われていたのだ。

『…………』

澱んでいたその瞳に、子供らしいきらきらとしたが宿る。

けれどもの雙眸は、神にそっと手で覆われた。

『聖シャーロットよ。我々は一刻も早く、神殿に戻らねばなりませぬ』

『……ええ。わかっているわ』

そしては歩き出す。

年のことを二度と見つめず、決して振り返ることもしないままで、その場を後にしたのだった。

（……そうだったのですね）

景を見つめるシャーロットは、自の左に手を重ねた。

そうしている間にも、目の前の景は移り変わり、さまざまな場面が流れてゆく。

『お前は奴隷も同然だ。この王家に逆らうことは許されぬと、その心によく刻むがいい』

銀髪の男に告げられたとき、十歳くらいに長したは、神殿でひどく苦しんでいた。

命令に背いた結果、全が強烈な痛みに襲われているのだ。けれども悲鳴をひとつも上げず、はただ蹲って、必死に誰かのことを思い出しているようだった。

またあるとき、十二歳くらいに長したは、玉座の前で靜かに禮をしていた。

『力の使い所を間違えるな。お前であろうとも神力は有限、一般國民に注いでどうするのだ』

気丈に聞いているように見えるが、その実はいまにも泣き出しそうだ。

けれど、それを誰にも悟られないように噛み締めて、耐え続けている。

『……思うままに、人を救うことを許されないのであれば』

またし長した姿のは、鏡の前に立つと、自にそう語りかけていた。

『せめて私は、醜悪なになりましょう。誰にも尊敬されず、讃えられず、崇められないそんな聖に。……最低最悪のとして振る舞うの、簡単でしょう？』

そしては、白い手で鏡にれるのだ。

『だって事実ですもの。……私は、力を持っていながら、人を救うことすら出來ない悪』

言い聞かせるように、信じ込ませるように、ゆっくりと言葉を紡いでいる。

そしては、こう呟いた。

『――「オズヴァルトさま」とは、大違いです』

（……やはり。記憶を失う前の、かつての私も……）

シャーロットがじた瞬間、映像はさらに、斷片的なものへと変わった。

目の前に広がるのは戦場で、たくさんの人がに手をばす。

けれどもに命じられたのは、王族と貴族を中心にした治癒だ。

たとえ重要人に負傷者がいなくとも、いざというときのため溫存するように命じられ、ささやかな治療すら許されない。一般兵を守らなければ、守りも攻勢も意味がないというのに。

戦場での名譽を求め、王子たちや貴族はみんな、自らが戦場に立つことを選んだ。

それでいて、危険な場所には出て行かない。しでも負傷すれば騒ぎ立て、を大聲で呼び付ける。そんな景が、どんどんシャーロットの周囲を流れていく。

はずっと、辛そうにしていた。

けれどもそれを顔に出さないよう、悪のふりを続けられるよう、鮮やかな笑みを浮かべ続けていたのである。

（……噓が下手である私が、夜會で『悪』として完璧に振る舞えたのは、が覚えていたからなのですね）

かつての自分が出來ていたことは、記憶を失ったあとのシャーロットにも出來るのだ。ちょっとした姿勢や所作、守護石の裝づくりまで。

そして、かつての自分が繰り返してきた悪聖としての演技も、に染み付いていたということなのだろう。

（……いま、私が見ているこの景は、あの日記帳に見せられたものとよく似ています。けれど）

は戦場を歩いていて、傷ついた人々が手をばす。

だが、決定的に違うのだ。シャーロットがいま目にしている景では、かつての自分は泣いていた。

（以前の私が笑っていた、あの景は噓。……本當は、泣きながら……）

かつてのシャーロットは、記憶を失った自分のために、偽りの記憶を見せようとしたのだ。

自分が本當の悪であると、記憶喪失後にも証明するためだろうか。

日記の映像を見ているとき、どこか他人事のようにじられた部分があったのは、その所為だったのかもしれない。

やがて、以前のシャーロットは、戦場の先にひとりの人を見つける。

出會わないようにと足を止めた。守るべき人々に囲まれ、彼らの手を握ってやっているオズヴァルトは、懸命に彼らの応急処置をしようとしている。

オズヴァルトの姿を見て、かつてのシャーロットは呟いた。

『……私は、あの人の敵です』

日記帳の一ページ目に書かれていた、『敵』という言葉を思い出す。

その獨白を聞いているだけで、シャーロットは苦しくなった。

日記帳の景を見ているときとは、け取る覚がまったく違う。これこそが、自が験した本の景なのだと、痛いほどに理解できた。

やがて景がまた変わる。

そこはもう戦場ではなくて、しい神殿の中だった。

シャーロットの元に、王族からの命令が屆き、それを聞いて耳を疑った。

――オズヴァルト・ラルフ・ラングハイムの妻になり、神力の封印へ応じるように。

國王は、シャーロットにそう命じたのだった。

『……私があの人の妻になんて、なって良いはずがありません』

かつてのシャーロットは、ひとりの部屋でそう口にして頽れた。

『私はあのとき救えませんでした……！！　あの人が守ろうとしたものも、助けたかったであろう人々も。それなのに、駄目……！！』

そして彼は、ぎゅうっとその手を握りしめるのだ。

『聖のくせに、誰ひとり救えもしません。……せめて、この記憶を消してしまえば、「あの方法」が使えるはず……』

『消してしまえ』と書かれていたのは、日記帳の二ページ目の見開きだ。

『すべて忘れて。私が忘れることで使える手段で、あの人を、逃して……』

日記帳の次の見開きには、確かに『逃して』と綴られていた。

逃したかったのは、シャーロット自ではなかったのだ。

彼はオズヴァルトを、自分の元から、この稀代の悪から逃したがっていたのである。

『……オズヴァルトさま……』

彼が口にしたその言葉は、い頃から、辛いときに心の中で呼び続けてきた名前だったのだろう。

それで、シャーロットは全てを確信した。

（……私は、記憶を失う前からずうっと、オズヴァルトさまにをしていたのですね）

そのことを、改めて実する。

（記憶を失って目覚めたあの朝、あの瞬間からの、一目惚れでは無くて）

シャーロットは、以前の自分をそっと見つめた。

（……い頃、熱心に剣を振るうお姿をお見掛けしたときから、オズヴァルトさまをお慕いしていたのです）

その記憶を取り戻したわけではない。

ただ、いまここで見せられた景が、確かに自の過去であるとじられたのだ。

（たとえ、記憶を失ったとしても）

目の前にいる、かつての自分の頰を伝う涙に、シャーロットはそうっとれてみる。

（……私は、オズヴァルトさまへの心だけは、どうしても忘れることが出來なかった……）