《【書籍化・コミカライズ】手札が多めのビクトリア〜元工作員は人生をやり直し中〜》37 アップルパイと侍(3)

ノンナがいない夜をすごした翌朝。

「ノンナがいないときはいないように暮らしますか」

気持ちを切り替えて朝はアレグを走らせ、食事は味よりも栄養を重視した簡単なもの。暇な時間はひたすら黒髪のカツラを作り続けた。カツラはもうすぐ出來上がる。

夕方、助手の仕事を終えてからマイルズさんの家を訪問した。確かめたいことがある。

「お?どうした」

「マイルズさん、鍛錬のお相手をお願いできますか。長いこと兄たちとの鍛錬をしていなくて」

「ああ、いいよ。得はなんだい?」

「私は刃を潰した短剣で」

「じゃあ俺は素振り用の模擬剣だな」

マイルズさんの模擬剣は重そうで、まともに當たれば骨が砕けそうな代だった。ろくに挨拶も終わらないうちにサクサクと話が進む。マイルズさんは手合わせが久しぶりらしくワクワクしているのが伝わって來る。

「よし、いつでもいいぞ」

「じゃ、行きます!」

マイルズさんに向かって走り寄り、模擬剣を構えるマイルズさんの手前で飛び上がった。くるりと回転しながらマイルズさんの左肩の後ろ側を蹴る。

蹴られたマイルズさんは勢を立て直して振り返りながら模擬剣をブン!と私に向けて振った。ギリギリで剣を避けてすぐに短剣を構えた。

私に向かって何度も振り下ろされる剣を掻(か)い潛(くぐ)り、マイルズさんの脇腹を短剣で強く薙ぎ払う。一瞬前のめりになったマイルズさんの首に後ろから飛びついて左腕を首に巻きつけ、同時に右手の短剣を額にピタリと當てた。

「はい、両眼を切り裂かれました」

「やられた!もう一回いいかい?」

「何度でも」

それからは五分と五分の対戦が続く。マイルズさんはこの年齢で引退していてこの腕前。

現役の時なら私ではとても敵わなかっただろう。

互いに息が荒くなり、汗が目にるほど流れてくる。息を整えながら構えるとマイルズさんが話しかけてきた。

「あの娘はどうした?」

「他の家に泊まりに行ってます」

私が話し終える前にマイルズさんが斬りかかってきた。それを短剣でけ止める。失敗した!右手が痺れた。

剣を全力で跳ね返しながらマイルズさんの利き足である右の関節を左足で蹴った。

「ぐっ」

うめき聲をらしたマイルズさんに私は荒い息をしながら語りかける。

「本當は間を狙うんですけどね」

「老人の関節は急所と同じだ」

「こんな時ばっかり老人て」

なんだか可笑しくなり、笑い出してしまう。

「ちょっと、待って」

「そんなの有りか?」

「笑いが止まらなくなってしまって」

「やっと元気が出たか」

「はい」

「それなら茶でも飲むか?」

「はいっ!」

マイルズさんは何も聞かなかった。お茶を飲み終えると

「またいつでも來るといい。実に楽しかった」

と笑顔で見送ってくれた。私も八割がたは元気になった。確かめたいことも確かめられた。

連日仕事に沒頭した。

クラーク様はしょんぼりしていて時折り私に非難のが滲む眼差しを向けてくる。

「おっしゃりたいことはわかりますけど、私はノンナの気持ちを大切にしてるんですよ」

と苦笑しつつ言い聞かせるように伝えた。

「僕なら絶対にノンナを行かせません」

「ありがとうございます。そんなふうにおっしゃっていただけて、ノンナが喜びます」

それでもクラーク様は納得いかないお顔だったが。

私は毎日朝の駆け足と馬の運をこなした。探せばやるべきことはたくさんある。

黒髪のカツラが完したのでカツラの長さを肩にれるくらいの長さに切り揃えることにした。髪をしずつ束にして縛り、切る。短めの髪型にしたので、切った殘りの髪で子供用のカツラを作ることにした。殘りの量では短髪の男の子の髪型しか作れないが、ノンナが黒髪の男の子に変裝したらきっと似合うだろうと思いながら作業をした。

そうこうしているうちに六日間が過ぎた。明日はノンナがの振り方を決めるという日の夜。

小さな音で目が覚めた。ベッドの裏に取り付けてある布袋からダガーを取り出す。ダガーは雙刃(もろは)の対人戦闘用の短剣だ。

ベッドから抜け出して足のままそっとドアの脇に立った。

外からゆっくりドアノブが回された。

もちろん鍵はかけてある。耳を澄ますと微かな足音は臺所の窓の方にいた。

どうしようか。

し考えてから私は寢室に行き、窓から抜け出した。臺所の窓からろうとした瞬間におを刺してやろうかと考えながらそっと煉瓦(れんが)敷きの家の周囲を回り込み、ダガーを構えて二つ目の角を回った。

するとそこには月明かりを頼りに臺所の窓をこじ開けようと苦戦しているノンナがいた。ノンナはたっぷりレースがいつけられた真っ白な夜著を著ていた。足元は華奢な絹の白い室履きだ。ダガーを腰に隠してから聲をかけた。

「何やってるの」

「うわあっ!びっくりした!」

「びっくりしたのは私よ。こんな夜中に何をやってるの?……とにかく家にりなさい」

「はぁい」

家にり、ランプを點け、私は汚れた足の裏を拭いた。ノンナは居間で著ていた夜著をぎ捨てていた。

「これ、レースがゴソゴソして嫌い」

「こんな夜中にそんな格好で一人で出歩くなんて。悪い人に襲ってくださいと言ってるようなものよ。無事に帰って來られて良かったわ。どうしてこんなことしたの?」

下著一枚になったノンナが「ちょっと待ってて」と言って自分の部屋にり、用の水のネルの寢巻きを持って來た。

「あのね」

そこまで言ってらかいネルの寢巻きを頭から被る。そしてボタンを留めながら理由を説明した。

「今日、部屋に鍵をかけられた。あと、私のこと、ドロレスって呼ぶ。あと、お父様お母様って言いなさいって。嫌だよ。ドロレスじゃないし、あの人たち、親じゃない」

男爵夫妻には申し訳ないが(やっぱりこうなったか)と思った。

「それで、こんな夜中にどうやってお屋敷を抜け出したの?部屋に鍵をかけられたんだったら玄関からじゃないんでしょう?」

「二階の窓から手すりにぶら下がって、手を離した。落ちる時にちゃんと地面で転がった。教わった通りに上手くできたよ!」

ノンナの自慢げな顔に吹き出しそうになる。それは非常事態の時だけにしろと教えた方法だった。私に向かってノンナが必死に弁解する。

「鍵は非常事態。死んだ子供の代わりも非常事態」

なんだか力した笑いが込み上げた。ミルクを溫めてし蜂れてノンナに手渡す。ノンナはふうふうと吹き冷ましながらしずつ飲んでいる。

「死んだ子供の代わりだってことはわかってたじゃない。鍵は確かに酷いと思う。でもね、最初から引きけなければいいのにって、私は思うけど」

「あの時、エバ様が困ってたから。エバ様は困るとハンカチをギュッてする。あの時もギュッてしてた。だから行ったんだよ。斷っていいって言ったもん」

ふむ。ノンナもエバ様の様子に気づいてたのか。

「エバ様が困ってるところなんて見たことあるの?」

「あるよ。クラーク様に膝蹴りしてた時、部屋にってきたエバ様がハンカチをギュッてしてた」

待て待て。

クラーク様を膝蹴り?えええ?

「ちょっと待ってよ。あなたクラーク様に膝蹴りなんてしたことあるの?」

「あるよ。どうやるのかやって見せてって言うから。ビッキー、大丈夫。『こうやってこうやってこう!』は言ってないし見せてない」

私の知らない所で君は何をやっているのかね。

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