《【書籍化・コミカライズ】手札が多めのビクトリア〜元工作員は人生をやり直し中〜》39 ハイランド伯爵と料理人デイブ

ハグル王國のノーマン・ハイランド伯爵は五十代の食家である。

「デイブ、そろそろハイデンに向かわなければならないな」

「はい、旦那様。海が荒れる前に帰ってこなければなりませんからね」

ハイデンはアシュベリー王國の港町だ。そこに大量の材木が川を使って森から運ばれ、集められる。

ノーマン伯爵の領地は木工関連の産業が盛んで、アシュベリー王國で産出される良質な木材を船で運び、高級家、建裝用の建材を作って売っている。

ハイランド伯爵は自らがアシュベリー王國のハイデンに船で通い、地元の材木商との付き合いを大切にしていた。そこに料理人のデイブを連れて行くのは味しいものを彼にも食べさせて屋敷で再現してもらうためだ。

デイブはノーマン・ハイランド伯爵家の料理人だ。

以前は侯爵家の料理人だった。その侯爵が國を欺く不正で爵位を取り上げられた時に職場を失うことになったが、すぐにノーマン・ハイランド伯爵が聲をかけて雇ってくれたのだ。

ハイランド伯爵とデイブは船旅を経てアシュベリー王國に上陸した。

伯爵は力的に働いて良質の材木をたっぷり買い付けた。

「いやぁ、ハイデンは何度來てもいい」

味しい料理もたくさんいただきまして、帰ったら作りたい料理がたくさんございますよ」

とある海鮮料理の店で二人がそう笑い合っている時だ。

「ハイランド伯爵様!ああよかった。ここにいらっしゃった!」

店にってきた中年の男が聲をかけてきた。

「おや。ヒルドさん。どうしました?」

「王都にいる兄から早馬が來ましてね。ハイランド社の家に惚れ込んだミルズ侯爵家から一括注文がったのです。なんでも侯爵家の家を全てハイランド社のものに換したいとおっしゃってるそうなんです」

貴族が使う高級路線の家を屋敷中全部換するなら大変な金額になる。

ノーマン・ハイランドは(これは自分が直接王都に行ってその方のお好みを確かめねば)と思った。高級家にもいくつかの路線があるからだ。

「アシュベリーの王都に行くのは久しぶりだ。知らない店も増えているはず。これは楽しみが増えた。デイブ、お前さんも一緒に王都の食を楽しもうじゃないか」

「はい。旦那様。喜んで!」

こうしてハグル王國に帰るのを先延ばししてノーマン・ハイランド伯爵と料理人デイブは馬車でアシュベリーの王都を目指すことになった。

やがて二人は馬車旅を終えて王都に著いた。

「アシュベリーの王都は相変わらず華やかだ。さすがは商業王國だな。人の數も店の數もハグルとは全然違う」

「本當でございますね、旦那様」

「さあ、まずは食事だ。最初はどこで食べようかね」

馬車は繁華街に向かった。その馬車の中、デイブは王都の人波の中に一瞬だけ見知った顔を見た気がして馬車の窓に顔を寄せた。

そして見つけたのは料理人のキャロルだった。

キャロルはデイブが侯爵家の料理長をしていた頃の弟子で、デイブを侯爵家に紹介してくれた貴族が連れてきた娘だった。

「悪いがこの娘も一緒に侯爵家に連れて行ってくれ。この子の父親はいい料理人だったんだ。実家に帰って店を再開するのが目標なんだそうだよ」

料理人の仕事は木箱に詰められた野菜を運ぶし大鍋に水や材料をれて持ち上げる。デイブは(この細っこいじゃ無理なのでは?)と心配したがキャロルは細いのどこにそんな力があるのかと驚くほど力持ちでよく働いた。その上料理の勘も良く手先は用で努力を惜しまない。

料理人は本來なら下働きから始めるのだが、デイブを侯爵家に斡旋してくれた人の依頼だったから彼を助手としてそばに置き、料理の手順を見ることを許した。駆け出しの料理人、それもに対しては破格の扱いだ。

キャロルは數ヶ月間でみるみる腕を上げていった。

以前から侯爵家にいた料理人たちは特別扱いされるキャロルをやっかんだ。ずいぶん意地悪をしたり口を叩いたりしていたようだが、キャロルは平然としていた。何かあったら助けようと思っていたが、デイブの出る幕はなかった。

キャロルはその侯爵家の若い後妻候補に気にられ、休み時間はよく話し相手をしていた。そのうち毎日そのの話し相手をさせられた。

本人は「調理場にいる方が楽しい」と言っていたが、お貴族様に「キャロルを寄こして」と言われれば誰も逆らえなかった。

キャロルは晝休憩に毎日後妻候補の話し相手をするようになった。

ある日突然、侯爵様は政治的に失腳したのだが、若い後妻候補はそれより前に自分の寶石を持って逃げ出した。なぜかキャロルも一緒に消えた。ネズミは沈む運命の船が出港する前に逃げ出すというが、二人はまさにそんなじだった。キャロルはその月の給料も手にしないで姿を消したので他の料理人たちは「キャロルはお屋敷のを盜んで逃げたんじゃないか」などと口を言い合っていた。

(挨拶もなしに姿を消すような娘じゃないと思ったが)

律儀なデイブはキャロルが突然姿を消したことを世話になった貴族に手紙で報告した。しばらくして貴族から手紙が來た。

『キャロルは後妻候補のに強引に同行させられたらしい。キャロルがどこにいるのかは不明だが無事らしいので心配は無用である』

というそっけない返事だった。

キャロルと一緒にいる男は銀髪の大男で見るからに貴族然としていた。もう一人は金髪ので、三人は楽しそうに笑いながら歩いていた。

(この國の貴族の後妻にでもったのだろうか。幸せそうでよかった)

デイブはを乗り出して見ていたがホッとして背中を背もたれに預け、前を向いた。

そういえばあの若い後妻候補はどうしているだろうか、と思い出す。ピンクのドレスが好きで微妙にの違うピンクのドレスを何著も作らせて著ていたっけ。

やがて馬車はレストランへと到著した。

デイブは懐かしい記憶を頭の片隅に押しやり、気持ちを切り替えた。

「旦那様のためにしっかり味を覚えなくては」

王都の大通り。

早めの夕食を終えたビクトリアとノンナとジェフリーが腹ごなしに歩いている。味しくて楽しい食事だった。ビクトリアはしみじみとこの國に來た日のことを思い出しながら歩いた。

ハグル王國からアシュベリーに來た時、ビクトリアは一箇所に長居するつもりはなかった。

働きながら暮らして半年くらいしたら國で移するか、他國に行こうと考えていた。半年になる前であっても何かあればすぐ引っ越しするつもりでいた。三年くらいはそうして住む場所を変えながら過ごすつもりだった。

ハグルの特務隊は三年もビクトリアを探すことはないだろうと思っていた。次々新しく隊員が育つし、ビクトリアにかけた費用よりも捜索にかける費用の方が大きくなるようなことはしないはずだ、と。

數日前、とあることでビクトリアは引っ越す覚悟を決めた。

マイルズさんの家の中の様子を見て違和じていたが、鍛錬をした時にマイルズさんがあの家の本當の住人じゃないと確信したからだ。

あの家に長く住んでいる本當の住人は左利きでもっと小柄だ。

最初は長年左手で握られ続けた真鍮製ドアノブの変の位置に違和じた。

両手利きの人もいるから、とも思ったが、確認のための対人戦ではっきりした。マイルズさんは完全な右利きだった。

更に、玄関の脇の大工道のコーナーに置かれていた道拭き用の古靴下はマイルズさんでは履けないサイズだった。家のあちこちに幾帳面に釘を打って整然とを引っかけて整頓しているが、あちこちの釘の位置がマイルズさんのちょうど目の位置だ。そんなこと、本人ならするわけがない。

『元工作員の家の裏隣(うらどなり)に腕の立つ元軍人が住んでいて、本當の住人とは別人。その別人が私が走り出して數日後に走るコースの途中で休憩している』

そんなことが偶然起きる確率はどれほど低いか。

おそらく誰かがビクトリアの向を探らせるためにマイルズさんをあの家に住まわせたのだ。

これが自分の壯大な勘違いならそれでもいい。

近日中に引っ越そう。ビクトリアの勘がそうせっついている。

(マイルズさんはあの家の本當の住人じゃない。私がそれに気づいたことをマイルズさんに気取られる前に引っ越そう)

いきなり姿を消すような最後はとてもが痛んだ。お世話になった皆さんにはお禮の言葉といきなり引っ越すことへの謝罪を手紙に書くことにした。

手紙は全部で八通になった。ビクトリアはの痛みには気づかないふりをした。

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