《【書籍化・コミカライズ】小國の侯爵令嬢は敵國にて覚醒する》31 芽吹く
二人は今、庁舎から近い酒場で向かい合っている。混雑している店だったが店主はセシリオに配慮したらしく奧の小部屋に案してくれた。
テーブルの上にはとろけたチーズがかかった牛の串焼き、鳥モモと野菜の煮込み、糖をかけた小さな揚げ菓子、サボテンから造られる蒸留酒が並んでいる。どれも気取らない料理だ。
蒸留酒はベルティーヌが「閣下が普段飲んでいらっしゃるものを私も飲んでみたいです」と頼んだのだ。
二人で乾杯をして蒸留酒の強さにケホケホと酷くむせるベルティーヌ。慌てたセシリオが席を立って「失禮」と聲をかけてから盛大にむせているベルティーヌの背中をさすった。涙目になってやっと咳を抑えたベルティーヌの表がいつもより可らしく見えてセシリオは思わず微笑んでしまう。
「すまん。普段これをガブガブ飲むような連中とばかり飲んでいるものだから。にはきつかったな」
「いえ、私もお酒に弱いわけではないのですが、これほどとは。が驚いてしまいました。これ、火を點けたら勢い良く燃えますね」
そう言ってクイッと小さなグラスを飲み干す。
「無理をしなくていい。もっと弱い酒を運ばせよう」
「いえ、食べながら飲めば平気です。ご心配なく」
(言うことを聞かない人だ)とセシリオは苦笑する。
「そういえば以前たくさん買い込んだ小粒な寶石は店で売るのか?」
「いいえ。とある友人に渡すつもりです。布を買ってくださったダリラ様のお嬢様です。今、気の毒な狀況にいらっしゃるので応援になればいいと思いまして」
「ダリラ夫人の娘って、皇帝の側室の?君はそんな人と友達なのか」
「私が知っているディアナ様はまだ宮殿に上がる前のでした。知的で上品で楽しげに笑う人で。皇帝陛下に見初められて、今は皇后陛下に遠慮しながら暮らしているようです」
ベルティーヌがやるせない顔になる。
「ご側室になられたばかりの彼から屆いた手紙には『嬉しい』『栄だ』『ありがたいこと』という喜びの言葉が綴られていましたが、二枚目の便箋の最後に、涙が落ちた跡がありました。きっと何か意地悪されていたんですよ。綴《つづ》られた喜びの言葉は、彼の『負けるものか』という気持ちだと思いました」
「それで?」
「白い花のような可憐な彼が、もしや今も意地悪されているのかと思うと気の毒すぎて。側室の立場だって本人がんだわけではないのに。側室を手にれた皇帝陛下は批判されず、逆らえない立場だった彼に悪意を向けるなど!理不盡の上に理不盡を積み重ねたような話ではありませんか。なので彼の勇気が増すネックレスをお渡ししたいのです。メイラさんがデザインしたあの華々しい、皆が羨ましがるようなネックレスで応援するのです」
セシリオの目が細められる。
「彼は皇帝を嫌っているのか?」
「いいえ。それが、その後の手紙を読む限りでは、ディアナ様は皇帝陛下をお慕いしているようです。彼をそんな立場に置いた相手なのに!」
ベルティーヌが顔をしかめて小さなグラスをあおる。
「無理して飲むな。水を飲みなさい」
「水は結構です。なぜディアナ様は皇帝陛下をお慕いするのか不思議でなりませんよ。顔?格?」
三十五歳のセシリオは(子を生《な》す仲になってから生まれるもあるものだ)と思うが、(そんなことをこの令嬢に言えば一気に軽蔑されそうだな)と大人の配慮をする。
「ディアナ様のお気持ちはディアナ様にしかわからんよ。君はどうなんだ。結婚直前までいった相手に會いたくはないのか?」
「あんな人。出國する私にお別れも言いに來ないようなももない人。閣下に言われる今の今まで忘れてました」
酔ってきたベルティーヌは気が緩んでいて、ドロテと二人の時のように指で糖がけの揚げパンを摘んで口に放り込む。もぐもぐしながら
「ディアナ様は皇帝陛下には大切にされているのでしょうね」
とつぶやいた。
「君も今や我が國にとっては大切な存在だぞ」
「それは……今の私にはとても嬉しいお言葉です。『誰も私を傷つけることができないくらい強く大きな存在になりたい』と改めて思っているところですので」
頬を膨らませて揚げパンを噛んでいるベルティーヌをセシリオが見る。
「最近何か強くなりたいと思うようなことがあったのか」
「父が私を連れ戻そうとして私兵を送ってきたのです。ディエゴのことです。賠償金の不足分を父が支払うから帰って來いと。でも義母がディエゴに『迎えに行くな』と言ったそうです。それに、サンルアンの王家は閣下が私との婚姻を斷ったのを知っていながら私を送り出したんです。私はあっちでもこっちでも要らないって言われたようなものです」
(ベルティーヌの聲がし震えているように聞こえたのは気のせいではないだろう。彼を要らないと言ったうちの一人は俺だ)と思う。あの時はこの國のためにそう判斷した。だが事を知れば知るほどそれがどれだけ彼を傷つけたか、と思う。
「君自は國に帰りたくはないのか?」
「私はこの國で一生を終えたいと思っております。もうあの國に帰るつもりはありません」
「……そうか」
ベルティーヌが気持ちを切り替えようとして急に明るい聲でセシリオに質問を投げかけた。
「閣下、閣下の故郷の味はどんなものがありますか?食べたいものがあったら瓶詰めにして持ち帰って參りますわ」
「故郷の味、瓶詰。難しいな、し時間を貰えるか」
「はい!」
そこまでハキハキしゃべっていたベルティーヌがゆっくり目を閉じ、椅子に座ったままわずかに頭を揺らし始めた。強い蒸留酒を立て続けに飲んで酔いが回ったらしい。
(かな國の宰相の娘だから幸せに育ったのだろうと思っていたが。思っていたより苦労していたのか)
いつもは鋭いセシリオの目が優しげな形になり、ゴツい大きな手で眠りに落ちかけているベルティーヌの頭をそっとでる。しばらくしてハッと目を覚ましたベルティーヌは
「まだ飲みますしお料理もいただきます」
と言い張った。
セシリオは優しい顔で「そうか。無理をするなよ」と見守っていたが、料理をあらかた食べ終わる頃合いを見計らってベルティーヌをなだめながら馬車に乗せ、自宅まで送り屆けた。
ドロテが恐して「お嬢様がこんなに酔われるのは滅多にないことなんです」と庇《かば》う。ディエゴも「お世話になりました」と頭を下げる。
セシリオは「水を飲ませてから寢かせてやってくれ」と伝えて馬車に乗った。
セシリオは彼の義母の話にが痛んだ。
自分の家が安住の地でなかったのなら、彼はどんな子供時代を過ごしたのだろうか。
そんな家を後にして訪れた我が屋敷でも使用人たちが彼を深く傷つけた。自分も彼にはきつい言いをした。
それでもベルティーヌは笑って「もう謝らなくていいんですよ」と言ってくれた。
強そうに見えてひっそり傷ついているベルティーヌを思いやる。
(俺の手で守ってやりたいが。今更と言われるだろうか)
連合國の未來しか考えてこなかったセシリオは、にらかな気持ちが靜かに芽生え、を張り始めたことを自覚した。
その夜、屋敷に戻ったセシリオは侍長を呼び出した。彼はセシリオが故郷にいる時からの使用人である。
「ニルダ、俺達の故郷の味と言われたら何を思い出す?」
「故郷の味でございますか?それはやはりコブでしょうか。あれを開いて半日干して、炭で焼いて手で裂いたものに柑橘のを絞って……閣下、食べたくなってしまいましたよ。この辺じゃ手にらないのに」
「コブの開きか。ああ、食べたいな」
コブはおでこにコブがある大きな魚だ。脂がのっていて焼くと白がプリプリしていて味しい。思い出話に勢いがついたのか、ニルダは遠くを見るような目になって話を続ける。
「シャコ貝のオイル煮もよろしいですねえ。刻んだシャコ貝にニンニクと香草を効かせて。塩を多めに振るとお酒の肴になりますわね」
「待て。その辺でやめてくれるか。食べたくてたまらなくなる」
「どうして故郷の味のことを?」
「ベルティーヌが瓶詰めにしたいらしいよ」
ベルティーヌの名前はニルダにチクリと痛みをもたらす。
行き違いがあったとは言え、自分たちがあのや使用人にしたことは間違いなく酷かった。セシリオ閣下にきつく叱責されて反省したものの、未だに本人には謝罪をできていない。
「閣下。わたくし、ベルティーヌ様に謝罪できていないのが心苦しいのです」
「使用人の過ちは俺の過ちだ。俺がお前たちの分まで謝罪をしてある。それ以上は相手の気持ちを無視して許しを強要することになるだろうと判斷していた。だがどうしても気になるなら謝ってくればいい。だいぶ時間が経っているが」
「お會いしてくださるでしょうか」
「彼なら會ってくれるよ。そういう人だ」
そうしよう、そうしなければ、とニルダは決意した。
「そうですね。行って參ります」
「この屋敷にいたころとは雰囲気が違っていて驚くぞ」
「どのように変わられたのでしょう?」
セシリオは笑って「會えばわかる」と言うだけだった。
二日後、ニルダは執事のカルリトと二人で刺繍とアクセサリーの店「ウルスラ」を訪れた。ベルティーヌは私服の二人がセシリオの屋敷の使用人とは気づかず、「いらっしゃいませ」と想良く対応してくれた。
ニルダもカルリトも勇気を出して「あの、実は私どもは……」と切り出した。
二人の自己紹介を聞いて驚いた顔になったベルティーヌだったが、
「わざわざここまで來てくださったのね。もうお気になさらずに。閣下からも謝罪をいただきましたから」
と笑ってお茶を出してくれた。
「お砂糖の代わりにこちらのジャムをれても味しいですよ」
そう言って並べてくれた瓶のラベルを見てニルダもカルリトも驚く。懐かしい竜の卵、星の実のジャムなどが何種類も並んでいる。
「まあ、なんて懐かしい。これはどこで手にるのでしょう」
「私が取りまとめてあちこちに卸しているんです。最深部に行った時、あまりに味しい果ばかりなので瓶と砂糖を送って作ってもらっているんです」
「それで閣下が故郷の味を私にお尋ねになったのですね。私はコブの開きの焼いたものと、シャコ貝のオイル煮がお勧めです」
その味を知っているらしいカルリトもウンウンとうなずいている。
「私、どちらも食べたことがありません。サンルアン周辺はシャコ貝は育たない海域でしたので。そうですか。コブの焼いたのとシャコ貝のオイル煮……食べたことがないのに味しそうって思ってしまうのはどうしてかしらねぇ」
クスッとニルダが笑う。
「閣下がベルティーヌ様は変わったとおっしゃってましたが、本當でした」
「あら。私、変わりましたか?」
「お屋敷にいらした時はどこから見ても帝國側の貴族のご令嬢という雰囲気でいらっしゃいましたが、今はなんというか……」
「連合國の族長の娘というじです」
「まあ。ありがとう。私、この國に夢中ですもの、そう言われるのは嬉しいわ」
ニルダとカルリトの二人は、來たときよりもずっと晴れ晴れとした顔になって店を出た。ウルスラのアクセサリーをあれこれ買い「ありがとうございました」の聲に送られて馬車に向かう。
「よかったな、ニルダ」
「ええ。の痛みがしは楽に」
二人は「買ったアクセサリーは侍たちに配ろう」と話しながら馬車に揺られて帰って行った。
の痛みが全て消えることはないだろう。それが自分のやったことへの報いだ、と二人は口に出さずに同じことを考えていた。
見送るベルティーヌも肩の荷が降りた気分だ。
正直あのときのことはあまりにも酷かったと思う。だが、あの時は雙方に思い違いと報の行き違いがあったのだ。一度の失敗も許さない生き方は、自分もまた失敗を許されないことをけれなければならない。それは息苦しく、つらい生き方だ、と思った。
「人は間違えるものよね」
小さくなっていく馬車を見送りながらそうつぶやいた。
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