召喚紋の上でガタガタと震えているのは、ざんばらに切られた黒髪の、どう見ても五歳かそこらの。

……確かに聖はいつも大十代後半が多いけれど、いくらなんでも若すぎるのではなくて！？

私が説明を求めてぐりんっと視線を向けると、陛下は苦蟲をかみつぶしたような顔をしていた。

「……彼が今期の聖、らしい」

ぐりんっと、今度は神に顔を向ける。どうなってるのよ！　と目で説明を求めれば、顔に汗を浮かべた大神が進み出た。

「その、國の力そのものが弱っているせいか、どうやら召喚がうまくいかなかったようで……」

遠回しに自分たちの責任じゃないことをアピールされているけど、そんなことよりもっと気に掛けるべきことがあるでしょう！

「この子、元の世界に帰せないの？」

今まで召喚した聖たちはなぜかやたら適応力が高く、「これが異世界召喚なのね！？」と目を輝かせながらこの世界になじんでいったらしいけれど、このの子はどう見ても違う。完全に拐だ。

「殘念ながら……」

大神が汗をふきふきしながら言う。私はまた舌打ちしたくなった。

「どうやらこの子は今までの聖と違って言葉も通じないようだ……そして私が近づくと、怖がる」

言いながら陛下が一歩足を踏みだすと、聖はびくっと肩を震わせた。

……まあ無理もない。ユーリ陛下は先王に似てすらりとした長男なのだけど、わけもわからず変な場所に連れてこられたからしたら怖いだけよね。

陛下が暗い顔で言う。

「來てからずっとその調子だ。うずくまって、一歩もこうとしない」

――もうお手上げ、というわけね。とりあえず王妃だから、私も呼ばれたってところかしら。

ため息をつきながら、私は目の前の聖を眺める。

彼はを抱きかかえるようにして震えていた。ボサボサの髪に、にぴったりした風変わりなシャツとズボン。全的に薄汚れており、袖から覗く手首はずいぶんと細い。

「……あら？」

そこで私は、ふとあることに気づいた。

裾から覗く手首……のさらに奧、腕の部分に、紫の何かが見えたのだ。

私がつかつかと歩み寄ると、はまたびくりと震えて自分を守るように頭を抱えた。

……この反応、いくらなんでも怖がりすぎだわ。まるで私にぶたれると思っているみたい。

ゆっくりとしゃがんで、できるだけ優しい聲で話しかける。

「……ごめんね、しだけを見せてね」

言いながらの服をまくり上げると、予想通り、そこには紫のあざが散していた。――毆られた跡だ。

私はぐっとを噛んだ。

こんない子に、なんてひどいことを。

顔も知らない親への怒りがふつふつ湧いてくるが、今はそれをグッと抑え込む。

私は彼から離れると、陛下を見た。

「陛下。お願いがあります。どうかしばらく、私と彼を二人にしてもらえないでしょうか？　それから、りのいい布と私のスケッチ用の一式を」

ユーリ陛下の目が細められる。だが彼は私の家(・)族(・)構(・)(・)を思い出したのだろう。すぐにうなずいた。

「わかった、君に任せよう。道も用意する。他に必要なものがあったら言ってくれ」

「でしたらあたたかいスープもお願いしますわ。それとお菓子も」

私の言葉に、陛下はすぐ言う通りにしてくれた。心配顔の大臣や神たちを叩きだし、侍たちにも外に出てもらい、二人きりになる。

は相変わらず、かわいそうなぐらいガタガタと震えていた。

その姿にを痛めながら、私はそっと歩み寄る。怖がらせないようしゃがんで目線を合わせてから、細いにやさしく布を巻く。

「……大丈夫、布をかけるだけよ」

それからし離れたところに座る。私は床にキャンバスを立てて紙を広げると、には構わずチョークを走らせた。

大きな窓から夕日が差し込む中、部屋に響くのはシャッシャと言う靜かな音だけ。その音にめられるように、のからだんだん震えが消えていく。

どのくらい経ったのだろう。

気づくと彼は、布に丸まったままじっと私の手元を見つめていた。にこっと微笑むと、すぐさま顔がそむけられる。

……そろそろ、頃合いかしら。

「見る？　私、絵は上手なのよね」

言いながら、絵をトンッと立ててみせる。途端、こちらを向いたの目が丸くなった。

そこに書かれていたのは、彼の肖像畫だ。

昔から絵だけは得意で、妹たちを喜ばせるのによく使った手なのだ。ちなみに、私は四姉妹の長よ。

「ね、なかなか上手だと思わない？　そっくりでしょう」

言いながら、絵をの前に置く。

彼は何も答えなかったが、その瞳はキラキラと輝いていた。こうして見ると、聖だけあっていながらにもだわ。

それから私は、人差し指で自分の顔を指さした。

「わたしはエデリーンよ。エ・デ・リーン」

何度も指しながら名前を繰り返せば、彼も理解したらしい。次にを指さす。

「あなたの名前は？」

はしばらくためらってから、ゆっくり口を開いた。

「……アイ」

鈴のように可憐な聲。私はにっこりと微笑んだ。

「そう、アイっていうの。よろしくねアイ。私たち、仲良くしましょう」

――それから聖アイと私と、それから陛下も含めた新生活が始まった。