《6/15発売【書籍化】番外編2本完結「わたしと隣の和菓子さま」(舊「和菓子さま 剣士さま」)》青い柿、青い心 2
その翌日。
充は太一と話そうと、その機會を探っていた。
そして、太一がトイレに立ったとき、チャンスとばかりに彼のあとについていき、廊下で待った。
「太一君、あのさ、ちょっと教えてもらいたいんだけど」
トイレから出てきた太一に聲を掛ける。太一は、背が低く黒目勝ちの瞳をした、すばしこそうな男の子である。
「いいけど、なに?」
「あのさ、太一君と翔君とは同じ學校だよね。翔君って、どんな子なの?」
「翔? どんなって。うーん。がでかくて、でもなんかすごくのろくて。勉強もあんまできなくて、なにを聞いても『うん』しか言わない。ぼくと翔とは稚園からの友だちで、大先生の『寺小屋』にもぼくがったんだ。學校でもここでも、ぼくが翔の面倒を見てあげているんだよ」
あたりまえとばかりの太一の語りに、充は頭が真っ白になった。
これは、なんだ。
自分が見えている景と全く逆の景を太一は語る。
「でもさ、今はそうでも、學年が上がるにつれて翔君の方が勉強、得意になるかもよ」
呉田が揺しつつもそう問うと、太一はまさかといった顔で笑った。
「ないない。そんなの絶対ない。翔がぼくよりも頭がよくなるはずなんてないから」
妙なことを聞かないでよと太一は肩をすくめると、充の前を通り部屋に戻っていった。
太一の小さな背中を見ながら、充はけなかった。
彼の態度に、言葉に。
自分の心の奧に隠していた思いが、ひりひりと疼く。
あぁ、これか?
山田先生は充に、これを見せたかったのか?
なにが、お手伝いだ。
あぁ、本當に。
先生は優しそうな顔をして、食えないことをしてくれる。
太一は、充だ。
太一が翔をはなからできの悪い同級生と認識しているように、充も鈴木を自分よりも劣る後輩だと認定し、見下していた。
充は、初めて會ったときから鈴木學が気に食わなかった。
鈴木の剣道部の見學理由がふざけていた。きんつばがどうのって、意味がわからない。
鈴木の冷めた態度にも腹が立った。
部員全員で一致団結して強くなろうと熱くなる充を、小ばかにしたような目で見ていたのだ。
鈴木のの読めない能面のような表も、薄気味悪かった。
暑いんだか寒いんだか、嬉しいんだか、苦しんだか。
こっちはいつも汗だくで必死なのに、あいつは一人だけ蚊帳の外にいるかのような、涼しそうな顔をしていた。
顔といえば、整いすぎているのも気にらない。
……ほんと、あの顔、気にらない。
そんなふざけた奴だから、當然、剣道だってへなちょこだった。
だから充は鈴木には、いつも厳しく接していた。
たしかに、中學二年生のときに一回だけ充は鈴木に負けてしまったけれど、あれは充が前日の夜遅くまでいとこから借りた漫畫を読んで寢不足だったせいだと思っている。
まぐれだったのだ。その証拠に、それ以降充は、鈴木相手に負けなし……だった。
この間の夏合宿の試合までは。
あの日、充は鈴木にあっけなく負けた。
鈴木はちゃんと強かった。
さすがに充にもわかってしまった。あれはまぐれじゃないし、一日二日でに付いたきでもないってことが。
鈴木はずっと強かったのだ。
子どもたちが帰ったあと、呉田は大先生に太一との會話を話した。
「俺、太一を見ているのが辛くて。あいつが愚かだと思うほど、それってまんま自分だって思えてしまったから。……大先生、俺、自分が自分でいるのが嫌になる。別の人になりたいよ」
「呉田君は、どんな人になりたいのかな? もしかして、なりたい人がいるのかな?」
「……いる。太一にとっての翔みたいな奴。そいつは、いつも涼しそうな顔をして、上手に生きていて。きっと、今まで一度だって打ちのめされるような悔しい思いをしたことがないのだと思う。俺はそいつが羨ましくて、妬ましくて、嫌いで。それなのに、そいつになりたいと思ってしまうんだ」
「ほぉ、そんな子がいるのか。なるほど、世の中はままならないね」
ほんと、世の中はままならない。
いくら羨んでも、充が鈴木になれるはずがないのだから。
***
「大先生、見てよ!」
太一が寺小屋に來るなり、顔を真っ赤にして大先生に駆け寄る。
彼の手には翔の算數のドリルがある。
「ほら、翔がズルしている。自分でやらないで、全部親にやってもらった!」
太一が開いたドリルを、大先生の脇から充も見た。たしかに、殘り全てのページにある問題の答えが埋まっていた。
太一の後ろには翔が立っているが、彼は口を真一文字に結び黙ったままだ。
充は太一の手からドリルを取り、ページをめくった。勢いのある字で、問題がどんどんと解かれている。
翔を見ると、目が合った。
あぁ、そうか。
翔は、勉強がしたかったんだ。
問題が解きたかったんだ。
ここでの時間だけじゃなく、もっともっと勉強がしたかったんだ。
充のが熱くなった。
好きなことや興味のあることに集中して取り組みたい気持ちって、すごくわかる。
算數のドリルは、太一にとってはやらなければならないものだったけれど、翔にとってはやりたいものなのだ。
同じ算數のドリルだけれど、その存在は、二人にとって真逆だった。
これを言葉で説明する?
いや、他になにか。二人に合った方法が、あるはず。なにか――。
「……あのさ、翔君についての話はあとでするとして、ドリルレースをしないか?」
充の言葉に、その場にいた子どもたちが反応する。六年生のの子が「質問です」と手を挙げた。
「ドリルレースって、なんですか?」
「同じ學年の友だちと力を合わせて、何年生が速く解けるかタイムを競うんだ」
「でも、一年と六年じゃ、問題が全然違うと思うんですけど」
「ほら、どの學年のドリルにもレベル一、二、三ってあるじゃん」
ドリルの右上には、數字で難易度が書かれてあるのだ。
「そのレベルを揃えるって意味ですか?」
「そうそう。例えばさ、レベル二の問題から、國語二枚と算數二枚の四枚を選ぶから。それを學年ごとのチームになって解くんだ。『寺小屋』には、みんながやったことのない古いドリルがたくさんあるからさ。力試しの意味も込めてやってみようよ。レース用のプリントを十分、いや八分で用意するから。だからそれまで、今まで通り、宿題を続けてて」
そう言うや否や、充は問題の用意を始めた。
今日ここに來ているのは、一年生、三年生、四年生、六年生で、運よく各學年二、三人いた。
超速で問題を用意した充はプリントを配る前にルールを説明した。
複數人で一緒に一枚を解いてもよし、手分けして解いてもいい。やり方は自由。
人數が三名のところは、調整のためにタイムに二分プラスする。これといった拠なくそう決めたけれど、子どもたちはまじめな顔で充の話を聞いてくれた。
四年は、太一と翔だ。
ふたりともよそよそしいじではあるけれど、レースとなれば徐々に熱くなるだろう。そういうものだってこと、かつて小學生だった充は経験上知っているのだ。
スタートの聲とともに、子どもたちが問題を解きだす。一年生以外は、各々が一枚のプリントを解きだした。
太一と翔は、それぞれ算數と國語を一枚ずつ手元におき、まずは算數のドリルを解き始めた。
翔はまるで計算などしてないかのような速さで、すいすいと答えを書き込んでいく。
四年生は、三桁のまでの整數の割り算だ。
充は翔の速さに息を呑む。
多分、翔が問題を解く速さは充よりも速い。
翔は、太一が問題の半分も終えないうちに、プリント一枚を仕上げた。
次に漢字ドリルは、四つの漢字のうち違う読み方をする漢字に丸を付けるといった、クイズ仕様の問題だった。それも翔は、さっとすませた。
一方で、太一はまだ算數を解いている。
翔はちらちらと殘った漢字ドリルを気にしている。
「できました!」
一番のりは六年生だ。
「終わった!」
三年生もできたようだ。
殘るは一年生と四年生。
はじかれたように太一が顔を上げ、翔を見た。
「翔、漢字をやって」
太一からプリントをけ取るなり、翔はぐんぐんと問題を解いていく。
それと太一が算數のプリントを終えるのは同時だった。
「できた!!」
勢いある太一と翔の聲がそろう。
「翔、おまえ、頭いいんじゃん。なんで黙っていたんだよ」
「……うん」
「算數のドリルも自分でやったんだな。ごめんな、翔」
「うん!」
太一と翔の笑顔に、充は大きく息を吐いた。
レースが終わるのを待っていたのか、山田先生が差しれを持って部屋にってきた。
子どもたちには水羊羹、そして呉田と大先生には――。
「なんですか、山田先生。この、いかにもまずそうな青い柿は?」
「呉田君、これは和菓子で『青柿(あおがき)』という名前があるんですよ。あぁ、でもそうだった、きみはそんな子でしたね。數學はできるのに、ぼくがけ持つ國語の特に想文とかそっち方面には滅法弱くて緒もなく……」
「いやいや、先生。だって、おかしいでしょう。オレンジしたれた柿のお菓子ならわかるよ。でも、青い柿だよ? なんで、そんなまずい柿をわざわざお菓子にするのかな? 猿蟹合戦じゃないんだから。これ、ぶつけられたら死んじゃうんですから」
山田先生が「呉田君……」と頭を抱える中で、大先生だけが「青柿」を食べだした。
「うまいな。舌りがいい。白餡の甘さと香りが上品だ」
「ほら、おいしいそうですよ。さぁ、呉田君も食べましょう」
山田先生から渡された小皿には、妙な形のつま楊枝がついている。
「この変な形のつま楊枝で食べるんですか? やけに太くないですか?」
「これはね、黒文字っていうらしいですよ。和菓子を食べるための楊枝らしいですね」
「和菓子を食べる用? フォークでいいじゃん。和菓子っていちいち面倒ですね」
「呉田君、一旦話すのはやめて、とにかく食べなさい」
充はしぶしぶと、青々とした柿の菓子を半分に切って口にれた。
和菓子なんて、どうせ餡子の味しかしない食べだ……あれ?
大先生が言った舌りといった言葉が、自分の覚と繋がった。
殘りの半分をさらに半分にして、口にれる。
……なんと言えばいいのか。
殘った菓子も続けて食べる。
年をとって舌が年寄り好みになったのか、それとも長により子どものときにはわからない覚を得たのか。
つまりが、うまかった。
「……これ、もしや、鈴木の家のお菓子ですか?」
「そうですよ。鈴木君のうちで買って來たんですよ」
「鈴木はまだ、店に立てないんですか?」
「それは、ぼくにはなんとも」
充が毆ってから十二日経っていた。先生の返事に充は黙る。
「和菓子の話に戻りますけど、呉田君の言う通り、秋にはれたオレンジの柿のお菓子もでるそうですよ。『木練柿(こねりがき)』って名まえで、木でした甘い柿をそう呼ぶそうです」
「このお菓子はうまいけど、オレンジの柿を作るなら、わざわざ青い柿なんて作る必要ないですよね。なんでこんな和菓子を作るのか。その意味がさっぱりわからない」
青い柿を選ばなくても、それこそ花でも星でもいくらでもあるだろう。
「青い柿を作る意味ですか。意味は、そうですね。……人間は不思議なもので、自分以外の人や自然、天候、景に生。またはそれ以外の、質にさえ己の姿を投影することができる生きなんですよね。想像力がある」
「つまり、未な青い柿と自分の姿を重ねて……とか気持ち悪いこと言わないでよ。先生。」
「ほほぅ。つまり、呉田君は自分の姿と青い柿が重なるんですね」
同じような罠をしかけてくる山田親子に、充はを噛む。そして、思わず出てしまった本音をなかったようにしたくて口をつぐんだ。
「呉田君、ぼくはね、思うんですよ。未であるって悪いことのように言われがちですが、それだけじゃないんじゃないかなって。つまり、自分の心ひとつで、いかようにもなれるって希でもあるって」
「だから、先生。俺、そういう話は嫌なんだって」
「呉田君、言葉が間違っていますよ。嫌なんじゃなくて、わかっているからそれ以上は言うな、でしょう」
図星を指され、充は顔を顰めた。
そうなのだ。
嫌だけど、わかってしまったのだ。
小學生だろうが、大學生だろうが、先生だろうが。
今、この瞬間からどうにでも変われる。
青い柿がを変えていくように、人も自分の青さと付き合いながら、自分のを変えられる。
悩み苦しみ、もがき苛立ち、落ち込んで、自己嫌悪にも陥り。
嫌になるほど苦悩した挙句、自分が思い描く理想のにはならないかもしれない。
けれど、そう考えることに意味があるような気もするし、うっすらとではあるけれど自分の心がかになっていくような覚にもなった。
それは、充にとり思いがけない喜びでもあったし、自分が自分を生きているような実も得られた。
――「呉田君は、どんな人になりたいのかな?」
その姿は、以前大先生に愚癡ったときとは違う姿である。
次回は最終回です。慶子さん出てきます。
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