《6/15発売【書籍化】番外編2本完結「わたしと隣の和菓子さま」(舊「和菓子さま 剣士さま」)》嵐を呼ぶ水無月 4

閉店後、最中屋のおやじさんが「壽々喜」にやってきた。師匠と將さんだけでなく、慶子さんもその場に呼ばれた。

おやじさんが顔を顰めて謝りだす。

「悪かった。いやさ、昨日のマンションの懇親會がよ、若い人ばっかりで。和菓子が苦手なんて言うから、いろいろ熱くなっちまって。で、そこに『壽々喜』の上生菓子だよ。あれこれ言ってた人らが『紫花もち』を見て目の変えてさ。もう、寫真をバンバン撮りだすんだ。なんか俺もさ、それで天狗になっちまってつい『水無月』のことも話しちまったんだよ。俺もさ、『水無月』をなんどか試食しただろ。だから、なんていうかな、自分のことのようにあの菓子がかわいいんだ」

將さんから電話をけたおやじさんは、すぐにマンションの掲示板に「『壽々喜』での『水無月』の販売は月末です。すみませんでした』とり紙をしてくれたそうだ。

――「あの菓子がかわいい」

慶子さんもおやじさんの気持ちがよくわかる。

五月にったころから、師匠は様々な『水無月』を作り、それを慶子さんや將さん、最中屋のおやじさんに試食させた。

はじめは自分の目の前で「壽々喜」の菓子が出來上がっていく興しかなかった慶子さんだったけれど、それはいつしか責任となり、完した今ではその気持ちは著となった。

たくさんの方に食べていただきたい。

一つの菓子に対して一が生まれ、そんな思いが自然とわき上がってきたのだ。

「壽々喜」で、夏越の祓に合わせて「水無月」を販売することについては、試食メンバーと「水無月」へのお問い合わせをいただいたお客様にしか伝えていない。

もちろん、六月十六日の「嘉祥菓子」の販売を終えたあとに、店の外にも張り紙をる予定だ。

「壽々喜」は個人経営なので、今できる仕事の量との兼ね合いで優先順位を決めてかなくてはならない。だから、報の出し方にも、ちょっとした工夫が必要だったのだ。

將さんがおやじさんにお茶を勧め、話し出す。

「今日、やけに『紫花もち』が売れた理由も昨夜の懇親會に関係しているのかもしれないですね。『紫花もち』についてはありがたいですが、『水無月』。雨の中來店した男が、マンションの方だと確定はできないですけれど、おじさん、気を付けてくださいね」

おやじさんは「すまん」と言って、すすっと最中のった袋を將さんと慶子さんに渡してきた。

將さんは遠慮なくそれをけ取り、慶子さんにも貰うように言った。

「慶子ちゃんにも、迷かけたな。とんだことになったものだ」

慶子さんは首を振る。

それにしても、あの男がマンションの住人だとしたら、時間を考えるとその人は懇親會を抜け出して「壽々喜」に來たのだ。

「やっぱり、おやじさん絡みか」

驚いたことに、師匠は薄々あの懇親會が怪しいと思っていたらしい。

慶子さんが口を開く。

「今の時期でも『水無月』を買えるお店ってありますか?」

「『水無月』は、京都で広まった菓子だからな。うちでも去年までは作っていなかったように、例えば、柏餅みたいにその時期になれば多くの店で扱っている菓子とは違う。『水無月』を扱っている店の中で、さらに早い時期から売っている店を探すのは大変かもしれないな」

「……それなら、デパートにっている京都のお店なら売っているでしょうか」

「そうだな。それは十分にありだな」

慶子さんは、いくつかのデパートと京都に本店がある店を頭に浮かべた。

「そういや、三代目はどうして『水無月』を売ることにしたんだ?」

すっかり立ち直ったおやじさんが、お茶をすすりながら聞いてくる。

「『水無月』は、京都の和菓子店の人たちが努力して広めていった菓子だから、それを自分が作るのはどうなのかって思って。ただ、実としてここ十年で『水無月』の認知度が東京で広がったように思えて、それと同時にお問い合わせをいただくことも増えたんですよ。あとは、ご近所の常連の方々からの希がありましてね」

春ごろから隠居さんのお友だちの方々が「『壽々喜』の『水無月』が食べたい」と、店に來るたびに言ってくださっていたのだ。

師匠は「あれは、父の策略だ」と言っていたけれど、作り手として「『壽々喜』の『水無月』が食べたい」といった言葉は殺し文句だと、將さんがこっそり教えてくれた。

「常連さんが、そんな厄払いの菓子があるなら食べたいって。神社に行ったあとに買いたいって。孫や子どもたちと長く健康で過ごしたいって。そういった行事を「壽々喜」(うち)と一緒にやりたいって言われたら、もうね。作るしかないでしょう」

「壽々喜」の菓子が誰のためにあるのかといえば、お客さまのためだ。

そして、なぜ人がお菓子を食べるのかといえば、楽しみのためでもあるし、息抜きのためでもある。

縁起をかつぎたい思いもあるし、祈りだってあるだろう。

慶子さんだってそうだった。

手のひらほどの小さなお菓子に、人はどうしてこうも心がかされるのだろう。

「うちの三代目は、材料おたくだから。もう、試作の材料費だけで大変なことになってますよ。『嘉祥菓子』が終わったら、わたしは店のあちこちに張り紙して、小さな宣伝の紙も作ってお客さまに渡してばんばん売りますから。そのときは、おじさん、また宣伝よろしくお願いしますね」

「わかったよ。うちの店でも宣伝するよ」

おやじさんはをどんとたたくと、そのまま咳き込んだ。

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