ロクは足元に転がった大きな男に視線を落とした。

シャンマオはこの男を鯀（ガン）型だといった。不自然なまでに隆起した筋に、2mを超えるほどの大柄な男だ。筋力強化型の個だと聞いてはいたが、実際に目の前にするとその歪な軀に息をのんでしまう。

「どうした？」

「いや、なるほどな。これは……」

壽命が短くなるわけだ、と心では考えていた。

シャンマオの白眼もそうだが、強化型の鯀と驩兜（ファンドウ）は明らかに人間の規格から外れている。鯀型に近い格のほ類としてゴリラが存在するが、それよりもさらに一回りほど巨大だ。

「……シャンマオ、」

「なんだ？」

「もしかして、お前はどちらかというと小柄なのか？」

「ああ、」

シャンマオは肩をすくめて見せた。

「私は雑種（ザージャン）だからな。三苗は小柄なしか生まれないし、鯀は男型しか生まれぬように処理を施すと聞いている。他に功した雑種の個も見たことがない。実際のところ、どうなんだろうな」

シャンマオは、両手を腰にあてて自分のを観察する。

「比べるのもおかしいだろうが、普通のにしては隨分と大柄だと思うぞ」

ロクは「まぁ、いいか」と呟いて握っていたナイフ型のスタンガンに視線を落とした。「お前がいうように、スタンガンを改造しておいて良かった」

手にしたそのスタンガンは、大ぶりのナイフの形をしていた。

その刃はギザギザに切り込まれており、その隙間に高圧電流を流して、切り込んだ相手のとに直接電流を流す仕組みになっている。

非致死の武であるスタンガンの通常の用途から考えれば、それはあまりにも攻撃が過剰だ。バッテリーなどの機構を組み込むために重くなっているし、頑丈には作ることもできない。

それでも、シャンマオが鯀型と戦うなら必要になる、と言っていた代だ。

「鯀の筋は分厚いからな。斬っても骨まで屆かぬし、痛覚も鈍に出來ている。隠戦闘なら高電圧のスタンガンが良い。完全な防弾裝甲を著られると刃も通らぬゆえ、そうもいかないが」

「まぁ、お前の言うとおりだったよ」

足元に転がる鯀型も裝甲を著込んでいたが、後ろから隙間にナイフをり込まして電させたのだ。

「お二人とも凄いです。あの恐ろしい鯀をあっという間に」

そう聲を上げたのは、屋上で監視していた三苗のだった。

ロクはナイフスタンガンを脇下のホルスターにしまい込んで、連れてきた三苗のほうを振り向いた。

「ここが、反骨たちの居場所か」

「はい。危覧様はシャンマオさんとお會いできることを大変心待ちにしていました」

「……みたいだぞ、シャンマオ」

ロクはシャンマオのほうに視線を投げかける。

「知らんよ。娘ならクローンがいっぱいいるだろう」

「それは違います。危覧様がお腹を痛めたのはシャンマオさんだけですから」

「そうは言われてもな」

シャンマオは所在なさげに首の橫を掻いて口元を歪めた。その様子に三苗のは眉をしかめて問い詰める。

「シャンマオさんは、私達のことを助けてくれた」

「そうだったか？」

「三苗はげられていました。暴をふるった他の個を誅（ちゅう）していたのはシャンマオさんでしょう？　あれは母である危覧様と、同じ三苗である私たちを助けるためではなかったのですか」

「まぁ」と、に詰め寄られたシャンマオは一歩引く。「あれは危覧の指示に従っただけだよ。私はどの反骨にも屬さぬ獨立だったゆえ、そういう仕事も多かった」

「そうところです。それが、どれほど私達の支えになっていたか」

「はぁ、……そういうものか」

「はい」とは力強く頷いた。

ロクは両手を組んで、それを興味深く観察していた。

シャンマオと打ち解けてそれなりの時間が経ったつもりだが、彼はあまり過去を話すことはなかった。それでも、かつては四罪で、最強の暗殺者と呼ばれていた事は知っている。どうやら、組織部の治安を統制する特権警察のような役割も擔っていたようだ。

どの反骨にも屬さない雑種（ザージャン）で、優れた戦闘能力を有していた彼は組織でも特殊な存在だったに違いない。

「さて、」とロクはその興味深い會話を中斷させて「反骨たちはこの奧だったか」とロクは振り向いて、室を見渡す。

に案されたのは村の中で一番大きな建で、先ほどの家の質素な裝とは違い、壁に派手な刺繍を施した布をカーテンのように垂れかけて華やかに裝っていた。

「チベット仏教の寺院だな。おそらく奧は石窟（せっくつ）だろう。村の規模にしては大きいな」

「ええ、危覧様は他の反骨たちとここに逗留（とうりゅう）されています」

「それにしては靜かだな。もういないのかも知れない」

ロクは耳を澄ませた。

外からは銃聲と怒號に悲鳴が混じり始めている。ニィに任せたドローン部隊が攻撃を始めたのだろう。だとすれば、すでに反骨たちはここから逃げ出した可能はある。

今度はシャンマオがに問いかける。

「危覧は死にかけだそうだな。移くらいはできるのか」

「死にかけ……。いいえ、移されたという報告は私にも來ていません」

「確かめるしかない、か」

ロクが探査デバイスを取り出して、奧の石窟につづく扉の橫に背中をつけた。

扉をわずかに開けて、その隙間にデバイスを転がして中にれる。

「それは？」とが近づいて聞いてくる。

「それには答えられない」

この手の索敵デバイスはオートキリングの機技の一つだ。

ドローンや無人戦闘機などに比べて地味ではあるが、AIによる戦制はデータリンクこそが要（かなめ）だ。そうやすやすと教えるわけには行かない。

「ふーん、別のことを聞いてもいいかしら？」

「今は作戦中だ」

どうやら自分はこの三苗のから軽く見られているらしい事を、ロクはなんとなく察していた。

おそらく、組み伏せた際にを見られたせいだろう。

シャンマオやナナにしても同様だが、の見えるに自分は侮られる傾向にある。しかし、父さんならこうはならない。一、何が違うというのだろうか……。

「ロクさんとシャンマオさんは、その、どういった関係なんですか？」

はもはや慣れたらしく、ずけずけと聞いてくる。

「……関係があるのか」

「ありませんけど。どうなんですか？」

はぁ、とため息をつく。

「仲だ」

ロクは正直に答えることにした。

どうやら父さんにもすでにれ伝わってしまったようだし、いつの間にか結婚まで約束したことになってしまっていた。経験上、下手に否定すれば何やらと悪く評されることになるだろう。手早く認めてしまうほうが被害はない。

それを聞いた三苗のの頬が染まった。

今更だが、彼はまだ若いことに気がついた。ナナと同じくらいだろうか。このもや同が好きな類（たぐい）なのだろうか。

「素敵」とは両手を握りしめた。「シャンマオお姉さまに、こんな素敵な人ができていたなんて」

……お姉さま？

ロクは肩をすくめるしかなかった。

なんか、々ともうどうでも良くなった。勝手に妄想して勘違い拡大していくのは人の常なのだろう。

ふぅ、とため息をまた一つ。

ロクは部を確認するために攜帯端末を取り出して、それに視線を落とした。放りこんだデバイスから部の映像が転送されてくるはず……。

その時、

ロクはヒリつくような殺意が迫ってくるのをじた。悪寒が全を駆け巡り、凄まじい吐き気に顔が歪んだ時、

「ロクさん！」と同時に、背後からが覆い被さってきた。

この殺線は、銃撃だ。

ロクはに覆い被されるままに伏せた。

予した轟音が連続した、空気を引き裂き、火薬がぜる連続音。まるで世界をドラムに見立てて叩き壊すような音。しでも鮮やか布に覆われた寺院の裝をめちゃくちゃに引き裂いて、弾丸が暴れ回る。

ミキサーの部のようなその狀況は、やがて止んだ。

「さて、死んだのは……。なんだ、一人だけか」

野太い男の聲が滅茶苦茶になった扉の向こうから投げ込まれた。

しかし、それよりもロクは自分に覆い被さったの姿に眼を奪われていた。

先ほどまで、他もない勘違いをしていた馬鹿な娘。

その白い両目を宿した頭部は、すでに無い。

まるでザクロの実がはじけたように、その首下の服には赤い片が飛び散っていた。ごぼごぼ、と首の斷面から吹き上がるはの心臓がまだいていることを語っている。

「ロク！　そいつは黃豪（ファンハオ）だ」

後ろからシャンマオの聲がする。

黃豪、鯀型の反骨。シャンマオの伝子的父親。

父親？

頭を失ったのがぐらりと崩れてすぐ側に橫たわる。さっきまで笑っていたのに。楽しそうに馬鹿馬鹿しい事ばかりを問いかけていたのに。

その首の斷面にてらりとるとがのぞく。その臭いにむせかえりそうになる。

ロクは石窟の奧へと視線を上げると、そこには巨が立っていた。その手には、本來であれば車両に搭載して使う大きさの機関砲が握られている。

あれが父親？　本當に？

ロクはのそりと立ち上がった。

「ほう、もしやニィか？　それに後ろのは……山貓かよ」

黃豪と呼ばれた男は荒々しく鼻息を吐いて、ロクとシャンマオのほうを見てにやりと笑った。

「なんだ、噂の沒（メイスェ）が來たのかと思ったんだがな……。まっ、しかし、これで危覧の裏切りは確定だな。どもは男にすぐ騙されやがる。えぇ、どうよ。ニィ」

ロクの呼吸は急速に落ちて、意識を下に下に押し込んでいた。

気が細って、呼吸は落ち、覚は尖っていく。

黃豪の野な大聲よりも、足元ののから聞こえる、ぴちゃ、ぴちゃ、というの流れる音のほうがはるかに鮮明に聞こえていた。

黃豪の不快な聲などどうでも良かった。

大切なのは死んだ娘のリアリティ。

本當に大切なものだけに集中すること。

それと、一つになること。

この在り方を、父さんは和合と呼ぶ。

「どうした、ニィよ。危覧のババァをたらし込んで、こんなところまでわざわざ來たんだろう？　まさか、莫煌（ムーファン）のことがしくなったわけじゃあるまい。昔はあんなに可がってもらったじゃねぇか。あ？　男同士で夜伽（よとぎ）なんざ、俺には気が知れんがな」

深く深く、自分の奧底で、

チクリ、と沸き立つ泡がある。

この世の中は、悲しいことが溢れている。

ここでだまりになったにも、何かと嫌味を吐いてくる放癖の男にも、片腕を失ってなお強くあるにも、悪意を見抜く短命のにも。

皆、悲しみにまみれて生きてきたのに。

「ロク！」

背後から聞こえる聲と前から圧迫してくる殺意の狹間で、何かが定まっていく気がした。答えを求めた手が腰裏に差した小太刀の柄にたどりつき、それを摑み込んだ。

この刀は複製に過ぎない。

父さんもかつて、救おうとしたに庇われて死なせてしまった事があった。

その時の、怒り、後悔、絶、

……殺意。

「後ろを頼んだ」

ロクは振り返らず、シャンマオに言い放った。

「しかし、」

「大丈夫だ」

これは慢心ではない。

ニィは僕のこと揶揄して真似事に過ぎないと言う。確かに、この刀と同じで僕のは父さんの模倣に過ぎない。

でも、父さんの模倣がこんな奴に負ける訳がない。

「一つ、お前にいっておく」

ロクは一歩踏み込んで、石窟の中にった。

重心をわずかに落としたその抜き足と拍子を合わせて、腰裏の小太刀を引き抜く。

「僕はニィじゃない」

「はっ、じゃあ、お前は誰だよ」

「僕は……」

抜きの反が手元に煌めき、自分の中心にそれを據える。

いつの間にか雑念は斷ち切られていた。

ただやるべき事だけをが、この手にある。

「布津野だ」