《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[5-24] さあ、帰ろうか
冴子は非常用電燈の弱い明かりの中で、椅子に縛り付けられた後ろ手の固さを確かめた。
「無駄な抵抗だ」
「……」
すぐ側では、中央コントロールルームのメインコンソールに向かって指を踴らせている男がいる。
男が作に行き詰まったのか、指を止めてその長い黒髪をかき上げる。その耳のあたりのが抉られて、皮がしわ寄っていた。耳だけではない。この男は目も片方が空だ。
「気になるかね」
「……」
「私の耳だよ。あと目も」
男が振り向いて、その空のをめてこちらを覗き込んできた。
冴子はぞっとした。
悪寒が背筋をせり上がってくる。何もないがこちらを覗き込んでいた。
その不気味さに目を逸らすと、周囲に立ち並んでいる背の高いたちが目にった。30人はいるだろう。彼はシャンマオのクローンであると、さっきこの男から聞いたばかりだ。
「醜いかね?」
語尾が高い質問のイントネーションは、含み笑いに変わっていく。
「醜いだろうよ。お前たちのようにしく、玩用には作られてはいないからな」
「……」
「この耳と目は伝的な形質ではない。生まれた時にえぐり取られた」
男の指が再びキーボードの上で踴り出して、男の聲には歌うような調子をわずかに含まれていた。
「共工(ゴンゴン)型が頭脳特化であり、私がその反骨であることは知っているな? 偉大なる母よ」
「……ええ」
「ようやく口を聞く気になったか? 聲までしい」
羌莫煌は上機嫌だった。
彼らは研究所のスタッフを殺しながら、首相のセキュリティーを使って中央コントロールに侵を果たした。その後、メインコンソールを作し始めて數時間が経過している。モニタから除く文字列を見るに、すでに研究所の防衛コマンドはすべて発見されている。
その後も、プログラムの解読に沒頭しているようだ。
「試しに聞いてみようか? 紅白の混モジュールはどこだ?」
「知りません」
「そうか、そうだな……」
羌莫煌の首が、ぐるりとこちらを向き、その空の眼窩をしぼめてこちらを覗き込む。
「お前を強してみてもいいのだよ?」
「結果は変わらないでしょう。私は知らないのだから」
ははっ、と羌莫煌は笑ってモニタに向かって指をかし始める。
「悪くない。運命の子の母は強くしい。そうあるべきだろう。ふむ、これかな……找到了(ジャオダオラ)!」
羌莫煌の拳がコンソールのある機の上に叩きつけられて、彼は立ち上がってこちらにモニタを向けた。
そのモニタの上には文字が走っている。
……This is HongBai program.
……Before you run this, Read the follows that tell you what this program do.
……This can change the world...
「ははっ、これだ。これに違いない! ご丁寧に実行前に意思確認だ。偉大なる母よ。こいつを読み上げてみろ」
「……」
「これがお前の子が生まれてくる意味そのものだ。興味はつきないだろう?」
羌莫煌の言い方に不快さをじながらも、確かに興味はあった。「This can change the world.」これは世界を変えるとそのプログラムには書かれている。
その後につづく英文に、視線が吸い寄せられて、私の噛みしめるようにそれを訳した。
「このプログラムを実行すると、現在、複合生中の卵に約3%に紅白の伝子が混する」
3%……。通常であれば、3%であるべきなのだ。
この子は20%だった。それが忠人さんと私の伝子が出會うことのできるギリギリの配分だったのだ。
「その対象は、現バージョンで日本全國182カ所の最適化センターと、香港、サンフランシスコ、バンガロールにある最適化センターも含まれる。本日現時刻時點で133,519の新生児に対して直ちに影響を與えることになる」
一度、目を閉じた。
約13萬人の新生児が、この子と同じような異能をもって産まれることになる。それだけの個が紅白の伝因子を持って産まれたら、世代を重ねてやがて全人類に浸していくだろう。
産まれてきた子の両目に赤と白が宿っていた時、世界はどんな反応を示すだろう。
橫で、羌莫煌が聲を楽しげに聲をあげた。
「いいぞ! 宇津々はやるべき事はやっていた、と言うことだ。最後の最後にその決斷から逃げだしたが、予想以上だよ。まさか世界中の最適化センターにも仕込んでいたとはな!」
そのコンソールに浮かぶ文字列はまるで毒蛇のようにうねって、この世界が落ちていく先をつづっている。
「……紅白は、第七世代品種改良素のサンプル7をベースに、強化個の三苗型の伝因子を配合している。複合生でこれを混した場合、92%の確率で視覚野に特異な形質を與える。その両目は赤と白に分けられ、人の善意と悪意を彩報として視覚化する。ただし、この知覚能力が発現するのは個がXX染を持つ場合に限る」
XX染。つまりにしか異能は発現しない。
そっと目を閉じる。……この子はの子だ。
「偉大なる母よ、その腹の子はどっちだ」
「関係ありますか?」
「あるさ。それが運命の子なのかどうか、私ははやく知りたいのだよ」
羌莫煌の腕がびて、私の腹を大きくなでた回した。
——嫌っ!
悲鳴になりかけたを噛み殺してのみ込む。あまりの嫌悪と屈辱に涙があふれてきた。
私の、私と忠人さんの子ども。やっとここまで來たのだ。んなものを裏切って、ようやく手にれた幸せだった。
それを、こんな男に。
「さぁ、教えろ。この子はどっちだ?」
羌莫煌の空の目が目の前まで近づいて、その妄執にった息が鼻にかかる。
「……の子よ」
きゃはっ、と羌莫煌はまるでのような甲高い奇聲を上げた。
彼は両手で自分の顔をつかんでしわくちゃにする。その拍子に、人差し指が瞳の空の中へとめり込んでいたが、この男は気にもしなかった。
「完璧だ。まさにお前は、偉大なる母(グランド・マザー)だよ」
「……」
「人類が真の意味で革新される。さぁ、最後の文を呼んでくれたまえ」
コンソールのスクロールは止まり、その末尾には最後の文字列が表示されている。
「人はその盲目から解放され真の平和の道を歩みだすだろう。……実行者の名を力せよ」
「ふふ、これが最後の認証のようだな」
羌莫煌の指がキーにびていく。
「おそらく、あの男の名だろう。確か……フツノだったか」
その指が初めのキーを押した時、
コントロールルームの扉が、音を立てて開いた。
そして、私はある種の予がして目を閉じて息をついた。に広がる安らぎはすでに確信に近い。これは希でも期待でもなく楽観でもない。
……子どもたちの、楽しげな聲が聞こえてくるのだから。
「まったく、お前はどうしてそんな肝心なことを忘れていやがるんだ」
ニィの聲はいつも大きくて、啖呵(たんか)が利いている。
「いい加減にしろ。何萬行もあるプログラムのほんの數行だ」
ロクの聲はいつももの靜かで、水時計のように規則正しくとうとうと語る。
いつもの午後七時のようだった。
臺所で鍋を煮立てて、食卓で皿を鳴らし、お腹をすかせたあの人が臭いにつられて鍋を覗き込んでくる。そんな時間と同じ調子がここにり込んでくる。
「だからって、そんな重要な部分の実裝を忘れていたなんて、らしくないじゃないか」
「いい加減にしろ。ほら、著いたぞ」
「おっ、そうだった。……ほっほ〜。見ろよ。あんなところに気の悪い男がいるぜ」
ニィがわざとらしく目の上に手の平を差して、羌莫煌のほうに大聲を出した。
「ニィ……なぜだ、どうやって、ここに?」
と、羌莫煌は立ち上がった。
「いいねぇ。その顔。こいつはロクの大ボケに謝しなけりゃならない」
「外にはドローンがいたはずだ……。音一つしなかった」
「それよ。笑えるぜ」
ニィが口元を歪めて、人差し指を橫にいるロクに向けた。
「ここにいるオートキリングを開発した奴が言うには、排他モード、つまり殺害プログラムには重大な書き忘れがあったらしい」
「……未実裝だっただけだ」
「実裝する気がなかったんだろ?」
ロクは橫目でニィを睨みつけた後、ため息をついて首を左右に振った。そして、面をあげて羌莫煌のほうに視線をむけて、目を冷たくした。
「お前が羌莫煌か?」
「どういう事だ」
「プログラムには、武を所持せず明らかに無抵抗の対象、例えばうずくまっている対象への戦行は、まだ実裝していない。その分岐先のコードは完全な空白だ」
羌莫煌は呆然として凍りついた。
「馬鹿な!」
それを見て、ニィが高らかに笑う。
「ああ、馬鹿さ。大馬鹿だ。だが、そいつをやらかした奴がいる」
「……うるさいな」
「おで、武を全部捨ててここまで芋蟲になるだけで、ドローンたちを素通りさ」
ニィは手を腰にあて、顎をあげて羌莫煌を睨みつけた。
「さぁ、莫煌。覚悟しろ」
「まだだ。このシャンマオたちがいる。丸腰のお前達ごとき……。おい、殺了他們(シャーラターメン)!」
それは周囲に展開していたクローンへ下した、殺せ、という命令だった。
しかし、彼たちは一歩もかない。
羌莫煌の命令を無視して、じっと息を噛み殺し、その白眼は大きく見開いて扉の向こうの闇を見つめている。その表もく、はわなないていた。
「どうした! 命令を」
「はっ、まさに節だな」
小さく吐き捨てて、ニィは一歩橫に道をあけた。
ロクもそれにならって、反対側へとをひきながら、さっとクローン達を眺めて中國語で言い渡す。
「いいか、絶対にくなよ。父さんは、本當は殺したくはないんだ」
すっ、とその扉の暗がりから小柄な男が姿を現した。
その姿を見た冴子の瞳に涙があふれた。彼は奧歯を噛みしめてびそうになるの堪える。
黒い髪に、曖昧な顔、手足は短いけれど良く鍛えた、るような獨特な歩き方。
私は知っていたのだ。この人は、絶対に助けに來てくれる。だから、脅されても、ずっと気丈でいられたのだ。
「……沒(メイスェ)、だというのか」
忠人さんは無言で歩(あゆみ)を止めなかった。
クローンたちはその行く道を後ろに下がって明け渡していく。その真ん中を、忠人さんは悠然と歩く。
「おい! 何をやっている! 殺せ。相手は丸腰の、単なる未調整だろ!」
羌莫煌のび聲は、しんと靜まり返った空気に吸い込まれて消え去た。
「無駄だ」ニィの聲が靜かに応えた。「貴様は節さ。張り巡らした策略のことごとくが失敗した原因。それを実際に目の前にしても理解できないでいる」
「なんっ」
羌莫煌が絶句した時には、忠人さんはその目の前に立っていた。背は羌莫煌のほうが高いが、背筋は忠人さんのほうがまっすぐにびている。
「く、來るな!」
羌莫煌が懐に手をれて引き抜いた瞬間、彼は目を見開いた。
引き抜いたばかりのその手は、握ったり開いたりしながら宙で無意味に泳いでいる。
取り出したはずのものが、そこには無かったのだ。
「なっ」
呆然とした羌莫煌が、それに気がつくのに隨分と間が必要だった。
彼が取り出そうとしたのはおそらく拳銃で、それはすでに忠人さんの手の中にあり、そして、忠人さんは後ろにそれを、ぽい、と投げ捨てたところだ。
忠人さんの背後から、ガシャリと拳銃が床に転がる音で羌莫煌は正気に戻った。
「馬鹿な……。私は、世界を」
「ねぇ」
まるで手品師のように、忠人さんの手には今度はナイフが握られていた。
羌莫煌はそのナイフがあったはずの元を押さえて呆然と立ち盡くす。
「このナイフ、借りるよ。冴子が縛られて可哀想だから」
凍り付いた羌莫煌を無視して、忠人さんはこちらに歩いてきた。
私が一杯に笑って出迎えると、彼は固めた表を崩してふにゃりと笑う。
「遅くなりました。ごめんなさい」
「いえ、赤ちゃんも無事ですよ」
「うん。……がんばったね」
忠人さんの手がびて、後ろ手に縛られた縄を切り解く。
自由になった両手はの流れを取り戻したばかりで、じんじんとしていたけど、私はそれをばして彼の背中に回して結ぶ。
「してます」
「……うん」
「貴方となら、この子を幸せにできます」
「どうかな、がんばるけど」
忠人さんの匂いをたっぷりと吸い込んだ。ぼんやりした夏の終わりのような臭い。かき寄せても取り留めないじが、いかにもこの人らしくて、ただただ暖かいのだ。
「ふざけるな!」
怒聲が鼓を揺らしたのと、忠人さんの優しい手が肩を押してを引き離したのはほぼ同時だった。
椅子に腰を戻した私は、そっと目を閉じて終わるのを待つ。
音がする。
拳を打ちつける音がして、羌莫煌の怒聲はピタリと止んだ。
それからんな音が聞こえた。
くずれおち、あがき、と骨、べちゃ、何かが砕けて、のたうち、潰れて、細い息、細く、細く、か細く。
それは、しだいに……小さくなっていく。
それは、殘酷な現実の音。
今、私の覚はお腹の中の赤ちゃんと繋がっている。
赤ちゃんは私の耳から、同じ音を聞いている。
そっと両手をお腹に添えて、ゆっくりとなでた。
いつか、この子が長して、殘酷な現実を目の當たりにする時がくるだろう。そして、それと戦わなければならないかも知れない。
でも、それは今じゃない。
今は目を閉じてもいい。
見なくていいの。
あなたが大きくなるまで、世界で一番強いお父さんが守ってくれるのだから。
……殘酷な音は、もう聞こえなくなっていた。
「冴子さん、」
優しい聲が聞こえる。
目をゆっくりと開けると、する人しかもうそこにはいない。
その人が笑う。
「さぁ、帰ろうか」
もうしだけ続きます。
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