ごきげんよう。佐藤家のちゃんですわよ。

さて、もうお分かりですね。わたくしがこの挨拶をするということは、つまりそういうことです。

「……最近タワマンに縁があるなあ」

私は巨大な建を見上げながら呟いた。

世の中には田舎コンプレックスという言葉があり、華やかなイメージのある東京に憧れる若者がいる。

そのイメージは間違っている。

綺麗なのは一部の高級住宅だけで、私のような庶民が生活する場所は、むしろ地方よりも汚らしい。

──きっかけは、何気ない一言。

私は華やかな場所でそわそわしながら、現実逃避っぽく回想を始めるのだった。

＊ ＊ ＊

出社！

元気よく事務所にった私とめぐみんを出迎えたのは、靜寂だった。

「……ありゃ？　誰もいない？」

定位置のソファまで歩いて荷を置く。

その間に周囲を見たけれど、やっぱり誰もいない。

「鍵開いてたよね？　トイレかな？」

相変わらず事務所にはがない。

中央に置かれたテーブル。それを挾む二つのソファ。そして窓際にあるケンちゃんの作業場所。以上。

やっぱり隠れる場所なんか無いので、鍵の閉め忘れかトイレなのだろう。私はドッキリの可能を捨てて現在の最重要タスクに意識を向ける。

「めぐみん？　いつまですみっこにいるのかな？」

出り口の近く。

ちょうどる人からは死角になるような位置。

私の黒いコートを著た天使は、その場に座って膝を抱いていた。一見すると寒くて一歩もけない人だけど、私は別の理由があると知っている。

「大丈夫、めぐみんはかわいい。かわいいよ～？」

彼が著ている暖かそうなコートの下。

実は、ほんのちょっとだけ寒そうな裝がある。

でも大丈夫。ここは屋。暖房もバッチリ。

そして私もコートの下に似たような裝を著ている。えへへ、ひとりぼっちは寂しいもんね？

「……どう、しちゃったの？」

彼の表とが珍しく一致している。

その恐怖と混がセットになった様子を見て、私はダメだと思いながらも、ときめいてしまった。

「……こんな、ほとんど、だよ？」

この表、原作で見た！

「……は、いけない人だったの？」

「うへへ、大袈裟だよ～。全年齢向けだから大丈夫」

私は彼の手前で膝をつき、コートにれた。

「ほら、ご？　ね、ご？」

「……いやっ、やめてっ」

嫌がる天使の服を引っ張る。気分は時代劇のお殿様。ぐへへ、良いではないか良いではないか。

めぐみんのリアクションが完璧過ぎて楽しい。

親友が実は敵組織のスパイだったと知った主人公。友を信じて話をした結果、機械のように冷たい目をした親友に銃を向けられて……ああ、素敵。私は普段「コス」しか見てないけれど、偶には「プレ」に目を向けてもいいかもしれない。

「楽しそうだね」

寢耳にゴルゴンゾーラ！？

私は予想外の聲を聞いて冷や汗が出た。

「……お、おはようございまーす」

「うん、おはよう」

恐る恐る顔を上げる。

にっこり微笑む翼様と目が合った。

……よっしゃ、今日はオフモードだ！

そう思った直後、彼は微笑みを解くと同時に糸目を開眼させた。

「話、いいかな？」

「……はい」

私はササササッと後退してソファに座る。

彼の目は完全にお仕事モード。逆らったらお仕置きされちゃう。されたい。待て。

「いいかな？」

「……いいよ」

私が混している間も時は止まらない。

悪漢もといちゃんから救われたヒロインと、彼を助けたヒーローの視線が重なる。それはまるで漫畫のようなワンシーンで──

「始めるよ」

「……ん」

「場所は、そこ？」

「……ん」

「そうか」

なんか違う！

もっとロマンスして！

翼様の道端で寢ている人でも見るかのような目！

めぐみんの……なんか、こう……ノーマルなアイ！

……落ち著いて、落ち著くのよ之助。

思えば二人はほぼ初対面。お互いのことが分からない狀態だと口數が減る。自然なこと。そうわね？

「……優しく、か」

出口の手前。

翼様は顎に手を當て思案する様子を見せる。

「うん、順番に潰そうか」

ほんの數秒後、彼は方針を決めた様子で呟いた。

何を潰すのだろうか。私だろうか。はい喜んで。

「恵」

彼は突然めぐみんを下の名前で呼ぶと、次に私を見て言った。

「」

……キュン。

「翼」

彼は最後に自分を指差して、また名前を口にした。どういう意味なのだろう。し考えれば分かりそうな気がするけれど、今ちょっとの振れ幅が大きくて無理。

「呼び方？」

數秒後、めぐみんが呟いた。

「そう。いい？」

「いいよ」

……ちょっと待ってハードル高い。彼は二次元的な推しに近い存在。ファーストネームで呼び合うとか無理。空飛べちゃう。

「は？」

「…………」

推しに短時間で二度も下の名前を呼ばれ全ての語彙を失った私は、親指を立てることで返事をした。

「次、タスクについて」

私が心キャッキャと騒ぐ間も、彼は淡々と話を続ける。なんだか冷たいじがするけれど、今は仕事の時間なので彼が正しい。むしろ私がおかしい。

ちょっぴり反省。

私は意識を改めて耳を傾ける。

「二人の理解度を知らない。だからゼロから話す」

彼はし移して、私とめぐみんの両方が見えるような位置に立った。そして私達を互に見ながら説明をする。

「まずは健太のプランについて。が不在の間、俺達は毎日ミーティングしていた」

「そ、その節は大変ご迷をおかけしました」

私はテーブルに頭をり付けて謝罪する。

「構わない。は恵と技を持ち帰った」

にっこり微笑む翼さ……翼。

鋭い目とらかい笑顔のギャップが反則です。

「あの度には驚いた。恵は優秀だね」

ドヤ顔めぐみんかわいい。

我慢したけどやっぱりニヤけちゃったじが最高。

「さて、その技を最も有効に使う方法は何か。まず顧客は個人か法人か。客観的に見て後者が現実的だ。既に市場がある。シンプルな上位互換としてシェアを奪えばいい。しかし健太のアイデアは違った」

ふむふむと頷きながら話を聞く。

一応、意味が分からない言葉は出ていない。社會人として最低限の教養があれば理解できる容だ。

「プラットフォーム。ビジネスモデルとしてはスマホに近い。健太は特定のサービスではなく市場を生み出そうと考えている」

なるほど、さっぱり分からない。

でも顔だけは分かってる風に頷いてみる。

「市場？」

素直に質問したのはめぐみん。大好き。天使。

「アプリケーション。ＯＳのシェアを握る二社は開発手段と配信手段を提供した。結果市場は広がり、膨大な手數料を獨占することにも功した」

「ああ、そっか、賢いね」

やばい、やばい、めぐみんは理解できたっぽい。

「他の會社は、なんで、真似しないの？」

「それは違う。真似している。しかし大手二社が早期に獲得したシェアは揺るがなかった。顧客にとって変化はデメリット。ＩＴは、強い者が勝ち続ける」

「おー、最初が大事、なんだね」

「その通り。恵は理解が早いね」

……フタリガ、トオクニ、ミエルヨ。

「、頑張ろうね」

機嫌を直しためぐみんが立ち上がる。そして私の側まで駆け寄ると、グッと両手を握りしめて言った。

かしこい。かわいい。無敵かな？

私は小さな劣等を覚えながら、微笑みを返した。

「うん、頑張ろうね」

それから目を閉じて、軽く呼吸を整える。

このまま私だけ何も理解できないのは嫌だ。

冷靜に、真剣に、二人の會話を理解するために考えて、考えて、考えて──あ、ダメ、頭から湯気が出そう。本件は持ち帰らせて頂きます。

大丈夫、結局やることは開発だ。

焦らなくてもいい。幸い私にはできることがある。

悔しいけど、今は長所を活かしながら、長い目でレベルアップすることを考えよう。

……めぐみん、今夜は寢かせないぜ？

「んー？　なんか、寒気？」

「気のせいだよ～？　それより何から始める？　私は塾もあるから、二人で話せる時に方針決めたいかも」

勘の良い天使の思考を全力で妨害する。

「いくつかアイデアがある。あくまで素人意見だが、參考までに聞いてほしい」

翼が反対側のソファに座っていた。

彼は手に持ったタブレットを私達に見せる。

私はソファの奧にを寄せて、めぐみんに場所を譲る。それから二人でタブレットに目を向けた。

私は彼のアイデアを見て思った。

やっぱり、素人意見って頭に付ける人は噓吐きだ。

世界線が移しました。

ちゃんは鈴木から「プラットフォーム」としか説明をけていません。