天に浮かぶ白い総大理石の霊堂、天上宮殿（シエロ・マハル）。

正午の大水晶の間には、天窓からやわらかいが差し込む。

ユクシアは壁際の木椅子で、その溫かい日差しにをひたしなから読書に耽っていた。

をけた絹糸のような髪の周りには、キラキラとした粒子が漂っているように見える。

バルコニーから吹き込む風が、そんなユクシアの髪を優しくなびかせていた。そうして覗く端麗な橫顔に息を呑まない者はいないに等しいだろう。

ゆったりとした時間が進むその空間にいるのはユクシアだけではなかった。

ユクシアの友人、レナーテ・ベーア。ユクシアと同年代の天上生である。

彼はそのの何倍サイズもある大きな水晶の前でちょこんとあぐらをかき、泉を思わせる水晶の中を無表に覗き込んでいる。

水晶の中にはアダマス學園帝國地上の景が広がっていた。レナーテは水晶に魔力を通し、繊細な式を巧みにることで、映る景を點々と変えていく。ピンクブロンドの髪を弄りながら、小しては拡大しを繰り返し、何か面白いことがないか探していた。

新生が學してくるこの時期は毎年恒例のアクシデントが起こる。それに目星を付けていたレナーテは、適検査により、今最も人が集まっているであろう醫療センターに景を移す。

『お前に決闘を申し込む！』

するとタイミング良く、ニースに決闘を挑む霧生の姿を見つけた。

「うおぉぉっしゃ！　決闘だぁぁ！」

狙い通りの暇つぶし(エンターテイメント)が見つかり、レナーテの嬉しそうな聲が大水晶の間に響き渡った。

新生が上級生に煽られて決闘を挑むのは、レナーテやユクシアが天上りするずっと前から続く、もはやこの學園の伝統行事と言っても差し支えないイベントだった。

レナーテにとってこの地上視聴は、大衆的娯楽が忌避されがちな天上宮殿における數ない気晴らしである。彼は他の天上生のように、ただひたすら研鑽を重ねるストイックな生活を好まない。

かといって娯楽を求めて地上へ降りるのも、一度"果てしない研鑽"を決めた天上生としてのプライドが許さなかった。

そんなレナーテを目に、ユクシアはまた一つ、読了済の分厚い本を床に積み上げ、未読の本を手に取る。この天上宮殿にある大図書室の蔵書は、ユクシアが一生掛けても読み終えることが出來ない程の數だ。

しかし彼が厳選し、読んで満足することのできる図書となると、一気に數は限られてくる。ユクシアの前に積み上げられた大量の書は、彼が気まぐれに読書を始めてから経つ長すぎる時間を表していた。

「ね〜え〜、ユク〜。一緒に見よ〜」

レナーテがユクシアの稱を甘えるように呼んでみても、彼が地上の景に興味を示すことはなかった。それも仕方ない、ユクシアは最年で天上生になってからかれこれ八年は地上に降りておらず、天上宮殿にて自由気ままな研鑽の日々を送っている。

天上りする以前は地上で數多の偉業をし遂げた彼だが、あまりに姿を見せないので、今ではその存在を疑う者もいる。そんな彼ともいい加減長い付き合いになっているレナーテは、ユクシアの関心を引くことが難しいのは分かっていた。

レナーテはユクシアとの視聴を諦め、水晶に視線を戻す。

水晶の中では霧生とニースが闘技場へ移し、向かい合っている所だった。學園で高度な講義をけている上級生に新生が適うはずもない。しかしその定番の流れがまた面白いのだ。

「んん？」

ふとレナーテは霧生を見て違和を持つ。

その違和が何なのかは分からない。霧生からはどこか言いしれぬ不自然さをじる。

そしてニースが投げた小石を、霧生がけ止めた。その一挙でレナーテは目つきを変える。

「うわこいつ、めちゃくちゃ強い」

それまでバラエティ番組覚で観ていたレナーテは顎に手を添え、《技能》を扱う者としてその決闘の観戦を始める。

霧生が小石をけ止めたのを見てその実力を確信した者はその場にもなからず存在していたが、レナーテはさらに深淵を覗いていた。些細な重心移、あえて見せている絶妙な隙、気を循環させるための効率的な呼吸。彼は天上クラスの実力者だ。

「ユク見て！　やばめの新生がいる！」

水晶の式を弄り、地上の音をより鮮明に拾いながらレナーテは聲を上げた。

だがユクシアは読書に集中するため、自分の周囲の音を遮斷する魔を使っている。レナーテの聲は屆かず、涼しげにページを捲った。

『そう言えば名前を聞いていなかった。なんて言うんだ？』

ニースが名を尋ねると、霧生は空を見上げる。そしてどういうわけか、レナーテと目が合う。

レナーテは気づく。先程から霧生にじていた違和。それは、霧生が見られていることに気づいていたこと、であった。

「生意気だなぁ。ちょっと出來るからって……」

レナーテは苦笑する。

水晶の中の霧生が薄く笑い、名乗った。

『杖霧生』

『悪かったな杖。お前は、弱くは……ない！』

ニースが霧生に飛びかかる。

レナーテにしてみれば結果は分かり切っている。そしてその予想通り、あっという間にニースは無力化され勝敗は決した。

「今の、面白い式展開だな」

そんな時、レナーテの背後に長の青年がアッシュグレーの髪をかき上げながら歩み寄った。

青年の名はエルナス・キュトラ。彼もその決闘を目していた。

天上宮殿に地上から通うエルナスは、"天上候補生"のうちの一人であり、"天上生"ではないのだが、彼は己の天上りを確信し、宮殿にあしげく通っている。

そんなエルナスをレナーテは嫌っていた。この天上宮殿での振る舞いも節度がなく、まるで我が家だと言わんばかりのくつろぎよう。終いには今のうちから自室を手配しろと、宮殿の使用人に指図している。

あえて反を買うような行をしているのかと疑う程だ。

「だねー。どっかの名家の出かな、彼」

にめたエルナスに対する嫌悪を表に一切出すことなく、レナーテはよそ行きの笑顔を張り付け、適當に返事をする。

実際、霧生の式展開はレナーテにしてみても目を見張るものであった。砂埃のような不定形質の式化維持は相當な集中力を必要とするのだ。

「まあ、あんなふうに技能を見せびらかしてはしゃいでるようでは駄目だ」

霧生の式は見せびらかせた、というよりは普段からそうしているかのような自然さだとレナーテはじていた。しかし彼はあえてそれを指摘しない。

エルナスの言うとおり、相伝の技能を有しているのならば、ここ一番の時以外意識して隠し通すのが技能者としての基本だからである。その上、あれだけの実力差があったなら過剰な技能行使だと思ったのはレナーテも同様であった。

レナーテはそれ以上言葉をわすつもりはなく、水晶の景を別に移す。

そうするとエルナスも水晶の景に興味を失い、彼はのあたる壁際で読書に勤しむユクシアに視線を移し、そちらへと歩み寄った。そしてエルナスは、ユクシアが魔により纏っていた無音のベールを無作法にも引き剝がして聲をかける。

「ご機嫌よう、ユクシア」

その背後でうげぇとした顔をするレナーテ。エルナスが天上宮殿へ頻繁に通っている理由の一つ、それはユクシアへのアプローチである。

ユクシアの貌は高嶺の花とも言えるもので、大抵の者はおこがましくて目的で近寄ろうなどとはしない。だがエルナスのような自意識の高い男に限っては、羽蟲のように集ってくるのだ。

靜寂に水を差されたユクシアは、エルナスに視線を向けることなく靜かに立ち上がる。彼の髪をすくおうと手をばしたエルナスだったが、宙に浮かぶ埃のように彼のは遠のいた。

「相変わらずつれないな」

「元の場所へ」

ユクシアが言うと、床に積み上げられた本の數々はそれぞれひとりでに浮き上がり、大水晶の間から飛び出していく。本一つ一つの見返しに描かれた魔法陣式が、その言葉で発する魔となっていた。

飛び去った本を見送ると、ユクシアは夜空の外套をひるがえし、友人に一度目を向けてから大水晶の間を去っていく。

「そして相変わらず、気に食わない」

殘されたエルナスはしい絹糸を揺らす背中を眺めながら呟く。

その顔が酷く歪んでいることには、誰も気づかない。