ノエインは格がひねくれている。その理由はふたつ考えられる。

ひとつは、コミュニケーション経験の欠如。

親のを知らず、話し相手といえば伯爵家の使用人たちだけ。その使用人たちですら、表向きは丁寧な口調で接しつつも裏ではノエインを「妾の子」として蔑んでいた。ノエインもそれを早くから察していた。

9歳で離れに閉じ込められてからは、専屬の世話係として與えられた奴隷のマチルダとしかろくに話していない。これでまともな人格に育つ方が難しいだろう。

もうひとつは、。

ノエインはあの小で神経質な父と、その父を利用して妾の座に収まり、贅沢を味わって死んでいった母の子だ。生まれつき人格がひねくれるようにできていたと言われても十分に納得できる。

だが、そんな育ちと生來の気質の一方で、ノエインはごく當たり前に人間的なや優しさも持ち合わせていた。もっとも、それらのはこれまで唯一の理解者であるマチルダにしか向けられてこなかったが。

なので、彼は自分なりに真面目に領地を運営し、領民を慈しむつもりでいる。伯爵領で圧政を敷いていたあのクソ親父とは違って。

「と言っても、今のアールクヴィスト領はただの森だけど。慈しむ領民もいないし、僕たちの住む家すらない。まったく楽しいね、マチルダ」

「はい、ノエイン様」

足場の悪い森を進んで疲労困憊といった様子で座り込んだノエインは、水のった革袋を口元まで運んでくれる獻的な奴隷にそう言った。

森にってまだ30分と経っていない。距離で言えば1kmも歩いていないだろうが、これまで伯爵家の離れからほとんど出ることなく長期を過ごしたノエインにとっては過酷な道のりだった。

一方で、獣人であるマチルダには生まれ持った力があるので、この程度の移では大して疲れることはない。

「……ノエイン様、よろしければ私がノエイン様を背負いましょうか？」

「ありがとうマチルダ。だけど自分の足で歩くよ。ここは自分の領地なんだからね」

自領に踏みった初日から奴隷に擔いでもらって移していては領主失格だろう。

別にマチルダ以外の誰が見ているわけでもないが、ノエインはそんな自己満足の意地をに再び自分の足で立ち上がる。

・・・・・

それからまたゴーレムに先行させて森を進み、そう経たないうちに――なくともノエインが力の限界を迎えて倒れ込むよりは早く、一行は川にたどり著いた。

森の中を北西から南東に向かって流れているこの川は決して大きくはないが、水源として利用できる程度には水量が富で、水も澄んでいる。

「ノエイン様、この川辺に拠點を置きますか？」

「あまり川に近すぎると雨のときに危険だからね。ここよりも北側に、開拓しやすそうな場所を探そう」

「なるほど、素晴らしいご判斷です。さすがはノエイン様です」

何を言っても妄信的に肯定してくる奴隷の言葉をけながら、ノエインはゴーレムをって北へと進路を取った。

そして、川からし距離をおいて足を止める。そこには他よりもし開けた場所があった。

「ここがいいね。ここを我がアールクヴィスト領の最初の居住地にしよう」

領主自とその奴隷、そしてもの言わぬゴーレムしかいない森の中で、ノエインはそう宣言する。

・・・・・

朝に森へと踏み込み、まだ晝も回っていないとはいえ、貧弱なノエインの足腰は既に悲鳴を上げている。

本當はここの周辺の様子を調べたいところだが、今日はこれ以上くのは難しいだろう。

それならば、この場にいながらできることをするしかない。

「ノエイン様。お疲れになったでしょうから、お茶を淹れましょう」

「ああ、ありがとう。僕の力がないせいですぐに休んでしまってごめんね、マチルダ」

「ノエイン様が謝られる必要などありません。私はあなた様のお傍に付き従うのみです」

従者の鑑のような言葉を伝え、頭から生えた兎耳を揺らしながら手際よくお茶を淹れる用意をするマチルダ。

鉄製のポットに革袋から水を移し、そこに青紫の魔石がはめ込まれた棒狀の道を刺す。

魔石部分が青いを放つと……今の今までぬるい水がっていたポットから湯気が上がり、ボコボコと熱湯の沸き立つ音がする。

こうして「火魔法・沸騰」の魔道でお湯を沸かしたマチルダは、そこに王國南部産の茶葉を沈め、香りとが出たところで2つの木製のカップにお茶を注ぐ。

「どうぞ、ノエイン様」

「ありがとう。いい香りだ、マチルダが淹れるお茶はいつも味しいよ」

「お褒めいただき栄です」

他の人間には決して向けない優しい顔でノエインがそう微笑むと、マチルダもまた他の人間には決して見せない照れたような表を見せた。

季節は3月。ここが王國の北側ということもあり、まだ空気はし寒い。

香り高いお茶でを溫め、力のない自分にとってはかなり過酷な移で消耗した神を癒しながら、ノエインは目の前の景を見ていた。

その橫に自分のカップを持ったマチルダも座り、主人と同じ景を見ながらも、度の高いその耳で周囲を警戒する。ここは魔もいる森のど真ん中だ。

2のゴーレムはノエインが居住地と定めた空き地に落ちている木の枝や石を取り除き、目立った草を抜き、地面の凹凸を足で踏み慣らして平らにする。

お茶を飲み終え、休憩を終える頃には、狹いながらも平らに整った土地が出來上がっていた。

「これならテントを広げて、多の耕作地を作る程度の余裕はあるね」

次は當面の住処となるテントの設営だ。

本來なら數人がかりでやるような重労働だが、ゴーレムがいれば特に苦労はない。

支柱を立て、骨組みを組み立て、厚手の幕を張り、ノエインとマチルダが余裕を持って寢られる広さのテントが完した。

・・・・・

「テント住まいの領主様か。面白いね」

「ノエイン様は素晴らしいお方です。これはほんの始まりに過ぎません。いずれここは街となり、ノエイン様は立派な屋敷に住まわれるようになるでしょう」

「そうだね。できる限り早くそうならないとな……君にも苦労をかけるね、マチルダ」

「滅相もありません。ノエイン様のお傍が私のいるべき場所です」

完したテントの中に皮を敷き、荷馬車から類や日用品を移し、住処としての裁を整えながら、そんな言葉をわす。

荷を運び終えた後は、周囲の木々に糸を張り、そこに鉄製の棒をいくつか垂らした。

こうしておけば魔が接近しても音で気づける。耳が良く気配に敏いマチルダなら、まず聞き逃すことはないだろう。

「さて、明日からは何をしよう」

この領地にはあまりにも何もない。

畑を作る。平地を広げる。周囲の探索をする。やるべきことが多すぎる。

行の選択肢が多すぎると、かえって手がつかないものだ。

「まあいいか。まずは今日の疲れを取ることが先決だ。ゆっくり休めば頭も冴えるだろう」

時刻はもうそろそろ夕方だ。今朝発ったケーニッツ子爵領の街で買い置きしたパンと干しを齧り、またマチルダに淹れてもらったお茶を飲み、ノエインは早々に眠りにつくためにテントにった。

「おいで、マチルダ」

「はい、ノエイン様」

マチルダはノエインのの回りの世話をする家事奴隷であり、その能力を活かしてノエインを守る護衛奴隷であり、ノエインのと心を癒す玩奴隷でもある。

ノエインに優しい聲で呼ばれたマチルダは、表をほころばせて彼の橫に寄り添う。