《ひねくれ領主の幸福譚 格が悪くても辺境開拓できますうぅ!【書籍化】》第65話 要求と懐

アールクヴィスト士爵領で盜賊団が討伐された。

その報せは、まず隣のケーニッツ子爵領へ、そしてその周囲の貴族領へと広まっていった。

報せを聞いた貴族たち、そして民衆は、人口わずか200人ほどの小領が大規模な盜賊団を倒したことに驚きつつも、「これで盜賊の脅威に怯える必要はなくなった」と安堵したのだった。

そんな中で一人、安堵よりも焦りをじていたのがアルノルド・ケーニッツ子爵である。

「アルノルド様。アールクヴィスト士爵閣下が到著されました。応接室の方でお待ちいただいております」

「ああ、すぐに向かう」

使用人の報告に、アルノルドは努めて落ち著いた聲で応える。しかし、その顔は青い。それも當然だ。

アルノルドは、盜賊団をアールクヴィスト領に逸らすためにある噂を広めた。當然アールクヴィスト士爵もそのことに気づいているだろうし、噂の出処にも察しがついているだろう。

本來の計畫では、ケーニッツ子爵領の領軍が、盜賊に襲われて弱ったアールクヴィスト領に助力するかたちで盜賊団に止めを刺すはずだった。そして「アールクヴィスト領を助けてやった」という事実を作るつもりだった。

それなのに、アールクヴィスト士爵は自領だけで盜賊団を倒してしまった。

アールクヴィスト士爵はおそらくアルノルドを恨んでいるだろう。そしてアールクヴィスト士爵は頭の切れる男である。

こちらを恨んでいる切れ者とまともに対峙したい人間がこの世のどこにいるだろうか。

アールクヴィスト士爵に面會を申し込まれ、ついにその日がやって來て、一何を言われるのかと大きな不安を抱きながらアルノルドは屋敷の応接室に向かった。

・・・・・

「お久しぶりです、ケーニッツ子爵閣下」

「……ああ、息災そうで何よりだ、アールクヴィスト卿」

「ええ、おかげさまでこの通り健在です」

そう言いながら、ノエインは好青年ぶった微笑を崩してニヤッと不敵な笑みを浮かべる。

その邪悪な笑顔を見て、アルノルドは慄いた。今まで見せられてきた穏やかな微笑みとは大違いだ。こいつは本來はこんな顔で笑うのか。

ノエインの後ろに控えるマチルダとバートも、かすかに冷たい殺気を放っている。そのせいでアルノルドの後ろに控える護衛の兵士まで張気味だ。

「ところで、盜賊団はそちらに流れていったそうだな。何でも、貴殿らが討伐したとか。とても勇ましい話で驚いたよ」

言質をとられては駄目だ。どうにかして會話のペースを握らなければ……そう思ってアルノルドは自分から話題を切り出した。

「はい。大盜賊団だったので私も焦りをじましたが……我が領で優秀な職人が開発した新兵で事なきを得ました」

「し、新兵?」

「ええ……ご覧にれましょう」

ノエインが振り向いて目で合図すると、バートは頷いて手にしていた袋を応接室のテーブルに置く。

わざと「ガシャンッ」と音を立てて置き、おまけに「新兵」と銘打っていたため、アルノルドの護衛が警戒して剣の柄に手をかけた。それをアルノルドは手で制し、袋から出てきた武を見る。

「これは……なるほど。弓を扱う筋力や技を補う武か」

「さすがはケーニッツ閣下、まさにその通りです」

アルノルドは自分の頭は悪い方ではないと自負している。木製の臺座に弓がはめ込まれたような道を見せられて、すぐにこれがどのような利點を持つのか理解できた。

「開発した職人はこれを英雄譚の登場人にちなんでクロスボウと名づけました。これは長い修練を積まずとも、誰もが弓兵になれる武です」

「誰もが弓兵に……それなら戦い慣れていない農民でも十分な戦力に転換できるだろうな。これで盜賊団に勝ったというわけか」

「仰る通りです。これが我が領には100以上あります。200人の軍勢とて敵ではありませんでした」

実際にはまだ50もないが、ノエインははったりをかました。數を盛ったところでアルノルドに本當のことを知られるはずもない。

アルノルドは揺を見せないよう表を取り繕いながらも、心で慄く。

これが100あるということは、そのままアールクヴィスト領が100人規模の弓兵部隊を有しているということだ。

おまけにノエインは「200人の軍勢とて敵ではない」と言った。これがアルノルドには「ケーニッツ子爵領の領軍とて敵ではない」と遠回しに言われたように聞こえる。

「それに、私のゴーレムもありますから」

「ああ、貴殿がよく連れているあれか」

「はい。盜賊との戦いでも役立ちました。殺した盜賊の三分の一ほどは私個人の戦果でしょうか」

ノエインのゴーレム作の異様な実力はアルノルドも見かけている。重量の塊のようなゴーレムが人間の如く暴れ回れば、白兵戦で無類の強さを発揮するのも頷ける。

こうして自領の、自分の強さを飄々と語るノエインの言葉が、アルノルドには全て脅し文句に聞こえた。

表面上は穏やかでも「アールクヴィスト領を舐めるな」と言われているようにじる。そして、この態度がノエインの思い上がりではないことは「大盜賊団を討伐した」という結果が証明している。

「ケーニッツ閣下? し顔がよろしくないようですが、もしやご気分が優れないのでは?」

「……いや、大丈夫だ」

わざとらしく心配そうな顔をしたノエインに、アルノルドは額の汗を拭いながらそう返す。

會話のペースを握るなどとんでもない。完全にコケにされていた。

「……ところでケーニッツ閣下。盜賊団の接近が噂されるのと同時に、なぜか私の領地が弱くて金持ちだ、などという噂も耳にってきたのですが、何かご存じではないですか?」

クロスボウを下げさせ、アルノルドの方に向き直ったノエインの聲がスッと冷たくなる。

「そうか。その噂なら私も聞いた。一誰が言い始めたものか……見當もつかんよ」

アルノルドは揺を押し殺し、全全霊で平靜を取り繕ってそう言った。

ここで言質を取られては負けだ。逆にここを乗り切ればどうにでもなる。狀況的にはアルノルドが噂を広めたことが明らかでも、それを決定づける証拠があるわけではないのだから。

「閣下もご存じではありませんか……まったく、こちらとしては困ったものです。この噂が盜賊を呼び寄せたようなものですから」

「災難だったな、アールクヴィスト卿」

ノエインもそれ以上深く追求する気はないのか、聲に棘を含ませるのを止めてあっけらかんと言った。その聲にアルノルドも心ほっとする。

「世間というものは噂が好きですからね……私たちが盜賊団を倒してしまったことで、その暴走や移を許した貴族領に悪い噂が立たないか心配です」

そう言われて、アルノルドはノエインの意図に気づいた。

アルノルドは卑劣な噂を広めてまで盜賊団をアールクヴィスト領にけ流した。その噂はケーニッツ子爵領を中心に、隣領にも広まった。

今はまだそれだけだ。しかしノエインがもしもこの事実を王國中に吹聴し始めたら。

世間から「盜賊を倒したアールクヴィスト士爵は勇敢だ。それに対してケーニッツ子爵はなんという臆病者だろう」と言われてもおかしくない。

アルノルドの思ではケーニッツ子爵領軍が盜賊団に止めを刺すはずだった。しかしノエインが自力で盜賊団を討ってしまった今となっては、ただ「ケーニッツ子爵は腰抜け」という醜聞の種が生まれただけだ。

「悪い噂が広まらないように、私がお力になれればいいのですが……」

困ったように笑うノエイン。その顔もまたわざとらしい。

今ではノエインにも商人にそれなりの伝手がある。「ケーニッツ子爵は盜賊に恐れをなした」という醜聞を王國に広める手段はいくらでもあるだろう。

「醜聞を広められたくなければ詫び示せ」とノエインが言っているのは、アルノルドにも分かる。

こんなはずではなかった。本來ならアールクヴィスト士爵に恩を売れるはずだった。そう思ってももう後の祭りだ。

「……アールクヴィスト卿、盜賊に襲われた後だろう。何か困っていることはないかね? 私でよければ力になろう。代わりと言っては何だが、悪い噂が広まらないように手伝ってほしい」

む詫びを示すから黙っていてほしい。今回のことは許してほしい。アルノルドが遠回しにそう言うと、ノエインは待ってましたと言わんばかりに表を輝かせて言った。

「よろしいのですか? ありがとうございます。それでは……この王國北西部の貴族の派閥に私をご紹介いただき、そのに加えていただきたい。閣下に仲介役をお願いしたく思います」

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