《12ハロンのチクショー道【書籍化】》11F:TYPE=BLACK-1
「ほんと、ナンカすみません」
「お、おう」
シャンティイ滯在廄舎の一角。サタンマルッコの馬房前には頭を下げるクリスの姿と、誰だこの微妙に間違った謝罪の言葉を教えた奴は、と困気味に謝罪をけれる小箕灘、気まずそうに視線を逸らすクニオの姿があった。マルッコは馬房の奧に引っ込んでむすーっとしている。
「まあ、本番前に問題點が浮き彫りになってよかった」
「ハイ。まさか言葉が変わってスタートに反応できないとは思いませんでシタ」
マルッコは日本の競馬では「出ろー」など発走直前の掛け聲に反応してスタート勢を整えていた。スタンド前発走など、観客の聲で聞き取れるものではないのではないかと小箕灘やクニオは考えてしまうのだが、ゲートの中の話を橫田から聞くに、どうやら聞き分けていたとの事だった。聴力が人間より優れているのだろう。
海外での発走はそもそも聲を掛けずに始まる場合も多い。旗の振り下ろしなどで騎手へ合図する場合は、馬の視點からではゲートに阻まれ確認することも出來ない。アメリカ式のベルが鳴るタイプであれば反的にけた可能はあったが、そもそもいつもと同じに考え、ゲートが開いてもぽやぽやしていたマルッコが反応できたかは怪しい。
「毎度毎度、何かやらかさないと気がすまないのかコイツは……」
「けどセンセイ。マルッコってレースだと意外ときちんと走ってましたよ?」
「最近はそうだな。デビュー戦はひどいもんだったが」
「あ、あれはゴール板間違えただけですよきっと」
「そういう勘違いが怖えんだよなァ」
「タブン、今回のミスでマルッコも反省したと思います。もちろん、私も。ですので、次はもっと注意するはずデス」
「ま、信じるしかないな。俺達には見てることしか出來ないからな。それに」
小箕灘は馬房の中を覗き込む。マルッコは壁に向かって額をりつけ、足先で馬房のおがくずを掘り返していた。地面に「の」の字でも書いていそうないじけ合だ。
「一番悔しがってるのはマルッコだ。レースの後も連れて來るのが大変だっただろ?」
「それは、タシカニタシカニ」
レース後、マルッコはサンクルー競馬場の芝に四肢を踏みしめ、己が不甲斐なさとぶつけようのない怒りにぷるぷる震えていた。八つ當たり気味に勝った馬へ絡みに行かなくなった辺り、長がじられる。極めて微かつ本來不必要な長だが。
「今月から火曜日にシャンティイのコースが使える。消化不良でもあるし、強めに追って発散させてくれ」
「わかりまシタ」
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翌日。レースから數えて二日後。マルッコとクリスの姿はシャンティイ競馬場にあった。 コースやスタンドからむ淡い調のシャンティイ城は、芝生の緑と空の青とに挾まれ、幻想優に映る。
毎週火曜日を調教場として解放しているシャンティイ競馬場にはそれなりの數の競走馬が走っていた。意図的に隊列を組んでみたり、馬群を作ってみたりと個だけではない訓練を行っている集団もある。
コースとしてのシャンティイ競馬場は滴型を橫に倒した楕円形に差し込んだような形をしている。右回りを前提とした造りで、3コーナーから長い下りになり、600mの直線を向いてはゴール手前へ向かって長い上りとなる。
特筆すべきは歐州コースにありがちな自然の丘陵線を用いたが故の高低差で、最大高低差は10mにも及ぶ。中山競馬場の5mと比較すると、コースの厳しさが浮き彫りとなるだろう。高低差についてはロンシャン競馬場にも同じことが言える。吉沢がシャンティイを滯在先に選択したのには、マルッコを歐州コース特有の高低差へ慣らす為という目的もあった。
そうした外野の思をよそに、マルッコは実に快適にシャンティイの芝を走っていた。
(やはり、マルッコは坂や悪路に対して非常に強いな。踏み込みに力があるから道が悪くともなんとかしてしまうのかもな。これだけ力強い走りが出來て、坂だけ走れない理由もない、か……)
栗東や羽賀で砂場でしか走らなかったのはこうした走りを自らにつけるためだったのだろうか。クリスは騎上からご機嫌で疾走する僚馬の顔を窺う。
それほど心配はしていなかったものの、これである程度の確信を手にれるだろう。サタンマルッコは歐州コースの起伏に対して適を持つ。同じをスタンドで見守る小箕灘も得たことだろう。
故に、クリスの思考は違う方向へずれて行く。
(……似ている、というより同一をじる。サンクルーでの出遅れも、ここでの態度も、調教場での細かな癖に至るまで)
馬そのものは星以外似た特徴が無い。何と比較してか。かつての相棒ネジュセルクルとである。同じに見るのは良くないことだと頭の中では理解しつつも、これらの類似を間近でじさせられれば、嫌が応にも気になってしまう。
ネジュセルクルはデビュー戦で盛大に出遅れた。20馬はあろうかという出遅れである。あの時もゲートの中で何か考え込むような仕草をしていた。そうでなかろうともレースに対して集中はしていなかった。
違うところと言えばネジュセルクルはその不利を跳ね除けて勝利した點だが、今にして思えばあのレース後かなり消耗しており、彼の戦績の中でも屈指の激走だったのではないかと思い返す事がある。
あの時あの瞬間。マルッコは初めて見たはずのサンクルー競馬場、それにゲートを懐かしんでいなかっただろうか?
「どうなんだい、相棒」
「うーぶるる?」
し速くなったペースを宥めつつ訊ねる。「なにが?」とでも言いたげな嘶きが返された。1ハロン14秒前後のゆったりとしたペースであるとはいえ、ギャロップ中に鳴くとは用な事をする。
ネジュセルクルは故郷ロンデリー牧場のほかは競走生活の殆どをこのシャンティイ競馬場で過ごした。第二の故郷と呼んで良いだろう。では羽賀で生まれ栗東で過ごしたこのマルッコの楽しげな様子の理由はなんであろうか? 広くて大きい場所を走ってご機嫌なだけなのだろうか。とてもそれだけとは思えない。
死んだ馬の魂が別の馬に宿ったのか、魂が廻(リンカー)しマルッコとなったのか。
どちらでもいいことだ。クリスは口元に苦笑を浮かべる。
(セルクルは死に、俺はマルッコと共に戦っている。それでいい)
ロマンチズムやオカルティックに傾倒しすぎたかもしれない。クリスは己を戒めなおした。
「クリストフ!」
予定の走行を終え、小箕灘と調教のを共有し、廄舎へ戻ろうかという時だった。聲をかけられたクリスは馬上より顔を向けた。
掛けていたサングラスを取り外しながらにこやかな……つもりだと思われる強面の男だ。
「セルゲイさん」
知己の登場にクリスはひょいっと馬上から飛び降り、差し出された手をがっしりと握り合った。
「お久しぶりです」
「ああ。久しぶりだな。スタンドからも見ていたが、見違えたぞ。すっかり良くなったみたいで」
「ありがとうございます」
「よせよせ。いのは抜きにしてくれ。それで、こいつがお前のセルクルか?」
面白がった表でセルゲイと呼ばれた強面の男がマルッコを親指で示す。
セルゲイはネジュセルクルのオーナーだった男だ。
「……マルッコはマルッコだよ。俺の心を救ってくれたヒーローさ。ついでに日本のヒーローでもあるんだ」
「ははは、聞いてるぞ、その手酷く出遅れた馬で凱旋門賞に挑戦するんだろう。そんな所までセルクルの真似しなくていいだろ」
「それは彼に言ってくれよ。俺が押しても押しても出やしなかった」
「ははは……おっ、なんだなんだ、よしよし。なんかセルクルに似て憎たらしい顔してるな。よしよしいい子だ」
「ぷるる」
談笑する二人の間に顔を割らせて、マルッコがセルゲイに顔を近づけて鼻をすぴすぴと鳴らした。その後ぱかぱかと歩いたかと思うと、そのをぐるぐると巻きつけた。久方ぶりのぐるぐるだった。
「な、なんだこれ」
「気にった相手にやるみたい。良かったじゃない。マルッコに気にってもらえたみたいだよセルゲイさん」
「ワハハハ、変な馬だ。この丸い星を持って生まれた馬はみんなこんな風になるのかねぇ。本當にセルクルが蘇ったみたいだ。そんなことあるわけないのにな。
とにかく、俺が言いたかったのは一つだ。現役復帰おめでとう。
ついては月末のキングジョージに出るうちの馬なんだがな、騎手が落馬で乗れない狀態だ。お前が乗ってはくれないか?」
「はは、セルゲイさんは相変わらずいきなりだな。分かった。こっちにも事はあるけど、確認してみるよ。たぶん平気だと思う」
「おお! よし、これで何とかなる!」
それじゃあな、と片手を上げてセルゲイは去った。相変わらず颯爽とした人だ、とクリスは笑った。
遠ざかるセルゲイの姿を、マルッコは首をかしげながら見送っていた。
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7月下旬。マルッコに遅れること一月、渡歐したクエスフォールヴの歐州初戦はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスであった。ここからアイルランド開催のアイリッシュチャンピオンステークス、フランス開催の凱旋門賞と國をいで大レースを梯子する。前年度の渡歐で自信を付けたクエス陣営の日本馬としては大膽なスケジュールは現地の人間にも驚きを持って迎えれられた。
この日、羽賀にて所屬馬の予定をこなし自宅で休養していた小箕灘は、歐州と日本を行ったり來たりで疲労の溜まったに鞭打ってのそのそと起き出し、PCを起した――おじさんにとって慣れない行は勢いをつけないと出來ないのだ。
起したディスプレイから専用のツールを開き、回線を繋ぐ。コールの後表示されたのはクニオの能天気な顔と聲だった。
『あ、センセイお疲れ様です。聞こえますか?』
「ああ聞こえてるよ。全くたいしたもんだぜオーナーの奧さんも。あんなぽやぽやした見た目で電子機に詳しいなんて詐欺もいいとこだろ」
『ライブで調教中のマルッコの様子が見たいからって、機材から何から用意してくれましたもんね。おかげでこうして々やりやすくなったから助かってますけど』
「世の中進んでるんだな。まあ逆に言うといつまでも俺達がアナログなままとも言えるんだが……まぁいい。サイトは開けているか?」
『はいはい。えっと……オッケーです。なんかこうしてると、學生の時に電話しながら友達と見ていた深夜番組を思い出します』
「俺の世代は部屋まで話を持ち運べなかったぜ……よし。こっちも見えてる」
『もう乗りしてるんですかね。解説が英語だから何言ってるのかわかんないや』
「俺だってわからねえよ」
小箕灘とクニオが何をしているのか。それは本日現地時間15時過ぎ、日本時間で深夜0時過ぎに発走となるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスの観戦だった。
キングジョージでお馴染みの英國GⅠレース。世代戦であるダービーを除けば最も格式の高いレースの一つである。歐州中から名馬達が集まり、毎年高レベルの競走が繰り広げられる。
日本からはクエスフォールヴが出走する。単勝オッズは5.2倍の二番人気。凱旋門賞での結果が評価され、実力上位と目されていた。
そして、現地のオッズで10番人気の馬サンダーズ。舊知の仲であるというモンモランシー廄舎からの騎乗依頼をけ取たクリスが騎乗している。
男二人がこそこそ通話しながら観戦しているのは、チームの仲間であるクリスの応援のためでもあった。もちろん、日本馬として出走するクエスフォールヴも応援してはいるのだが。
『一番人気はやっぱりセヴンスターズですね』
「実際強いしな。凱旋門賞二年連続制覇なんて中々できることじゃない。今年の凱旋門にも出てくる訳だから、何かヒントでもあればいいんだがな」
そうして映像を眺めていると、レースが始まった。
勢い良く飛び出したのはクリスのるサンダーズ。そのまま先頭に立ち後続を引き離しにかかる。クエスフォールヴは前目の外。アウェイであるため包まれないようにという立ち回りだと推測される。その後ろ、影のように付き従う葦の馬。セヴンスターズだ。
『セヴンスターズってどういうレースする馬なんですか?』
「基本は中団待機の直線追い込み型だな。ただなんというか、ひたすら息が長い。大阪杯のキャリオンナイトを覚えているか? ああいうタイプの腳を使う馬だ」
『つまり、むちゃくちゃ強いってことですね!』
「間違っちゃいねえがそれでいいのかお前……ああ、ちょうどこんなじでマークして、追い始めからピッタリくっついていって最後に殘しておいた腳でわすってじだな。つまり今、クエスは非常にまずい狀況ってことだ」
『ダメじゃないですかぁ!』
1コーナーを曲がり、第二の直線コースへ。開催場所であるアスコット競馬場は三角形のコースをしている。二度のコーナー以外は全て直線とかなり特徴的なコースだ。
先頭は20馬程放してクリスの乗るサンダーズ。クエスの位置は変わらず、セヴンスターズは馬の影に隠れるように追走している。
「クリスの乗ってる馬は前目の競馬をするタイプじゃなかったはずなんだがな。指示があったのか、後ろが遅いと見たのか」
『ブランクがあるからペース分からないとか?』
「そんなタマじゃないだろう。第一、シャンティイで大レースにこそ乗ってないが新馬戦や條件戦に乗ってるだろ。お前の言いたいことも分かるが」
『じゃあ、案外このまま逃げ切っちゃうかも!?』
「それで勝てるならマルッコの凱旋門も簡単になりそうなんだがな」
後方集団のペースが上がり、先頭のサンダーズとの距離が詰まる。間もなく最終コーナーだ。しかし後ろとの差は20馬程のままをキープしている。おや? と心首を捻っていると、同じ気持ちなのか解説の聲にも熱が篭り始めた。
「これ、いけるんじゃないか?」
『やっぱそうですよね!? あ、違った、クエスの応援……えーいどっちも頑張れ!』
「後ろの足が鈍い。差を詰め始めた段階でサンダーズもペースを上げたな。それに釣られてペースを上げすぎたのかもしれない。こうなるとクエスにもってこいの展開だ。日本で散々マルッコ相手にやりなれている」
コーナーを曲がりきる。心なしか悲鳴のような歓聲が會場から上がっているような気がしないでもない。大変に覚えのある音だ。ダービーで聞いた。
集団から抜け出したクエスがぐんぐん差を詰める。直線で見る間に差が詰まる。
差が詰まる。だが先頭のサンダーズはまだ抜けない。
『お、お、お、お! 頑張れクリス! いけそう! いけそうこれ! 頑張れ! 俺の一萬円!』
「お前妙にクリスの肩持つと思ったらクリスの馬に賭けてたのかよ!
あーでもやっぱこれはきつそうだ。クエスに向いた展開ってことはだ、つまり……」
『あああぁぁぁ! セヴンスターズがあああぁぁ!』
葦の馬もクエスの後に付き従い先頭へ詰め寄っていた。
いよいよ決著は前三頭に絞られた。
殘り100mでもまだサンダーズが先頭。しかし明らかに腳が鈍い。差はもう3馬もない。
しかし追い上げてきたクエスフォールヴもここへきてついに腳が鈍った。その瞬間。
《Seven stars!! Seven stars!!》
名前が連呼されればさすがに分かろうというもの。一瞬でクエスフォールヴを差したセヴンスターズは3馬前のサンダーズを強襲。並びかける。
『いけ! まけんな! がんばれ! いちまんえん!』
「おっ、おっ、おっ、負けるか?」
あわや、と思われた次の剎那、糸の切れた人形のようにサンダーズの馬が後退する。そこがゴール板だった。
『あああああぁぁぁ!』
「おわー。惜しかったな。クエスは三著か」
クリス騎乗のサンダーズは1馬差の二著。GⅠでの実績の無い馬であったこと、當日の人気からすれば大健闘と言ってもよいだろう。大膽な騎乗が呼び寄せた結果だった。
クエスフォールヴは3馬が詰められず、先頭のセヴンスターズからは4馬。これもまた世界の壁だとじさせる結果だろう。
『うう……クリスが帰ってきたら文句言ってやる』
「貧乏っちいことすんな。むしろ二著を稱えるべきだろ。それにクエスも今回が歐州初戦だ。次のアイリッシュチャンピオンシップステークスはいけるかも知れねぇぞ。何せ負かされたこいつがいない」
畫面では勝者であるセヴンスターズが、観衆に稱えられながら戻ってきた所だった。
このレースは何度も見ることになりそうだ。小箕灘は指先にかかった僅かなを確かめるように、手をんだ。
いよいよ終盤戦です。
テキストデータのバイト數やテキストエディタのスクロールバーを見るたび、すごい量書いたなぁと思います。
ひとえに皆様のご聲援のおかげでございます。もう暫くお付き合いいただければ幸いです。
人類最後の発明品は超知能AGIでした
「世界最初の超知能マシンが、人類最後の発明品になるだろう。ただしそのマシンは従順で、自らの制御方法を我々に教えてくれるものでなければならない」アーヴィング・J・グッド(1965年) 日本有數のとある大企業に、人工知能(AI)システムを開発する研究所があった。 ここの研究員たちには、ある重要な任務が課せられていた。 それは「人類を凌駕する汎用人工知能(AGI)を作る」こと。 進化したAIは人類にとって救世主となるのか、破壊神となるのか。 その答えは、まだ誰にもわからない。 ※本作品はアイザック・アシモフによる「ロボット工學ハンドブック」第56版『われはロボット(I, Robot )』內の、「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」を目的とする3つの原則「ロボット工學三原則」を引用しています。 ※『暗殺一家のギフテッド』スピンオフ作品です。単體でも読めますが、ラストが物足りないと感じる方もいらっしゃるかもしれません。 本作品のあとの世界を描いたものが本編です。ローファンタジージャンルで、SFに加え、魔法世界が出てきます。 ※この作品は、ノベプラにもほとんど同じ內容で投稿しています。
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