《たとえ夜を明かすのに幾億の剣戟が必要だとしても【Web版】(書籍版タイトル:幾億もの剣戟が黎明を告げる)》36◇千尋

ヤクモが倒れたことで、権力者達の視線がミヤビへと注がれた。

あれだけ大口叩いておいてお前の弟子は負けたじゃないか。

そんな風に嘲笑う目だ。

だが、ミヤビはそんな奴らに構わない。

何か言っているが、耳にってこない。

溢れ出る笑みを、抑えられなかった。

これから先一瞬たりとも、弟子たちから目が離せない。

「……弟子がボロボロになって笑うとは、相変わらず姉さんの考えることは分かりません」

チヨの聲。し引いているような聲。

迷ったが、最の妹だ。応じる。

「あぁ? 弟子の長を喜ぶのが師匠だろ。こいつらは今まさに、長の時に差し掛かってるんだ。笑みの一つや二つ、浮かべないで何が師だっての」

自分では與えられなかったもの、教えられなかったものがある。

それを彼らは今、トルマリンによって獲得する。

その、機會を得たのだ。

長……後は敗北判定を待つのみの狀況で、ですか?」

「あいつらを初めて見た時、奇跡だと思ったね。有り得ないだろ。だってとんと才能が無い。生き殘れたのが不思議でならない。努力が報われたというには家族が喰われ過ぎてる。つまりだ、才能が無く、努力は報われず、苦難しかない常闇の世界で、それでも十年努力を続けてきたってことだ」

だが、それを奇跡で片付けるには、彼らの強さはあまりに凄まじかった。

領域守護者としてではなく、ただの剣士として魔族を狩る者。

魔力防壁などなく、剣技のみで夜を裂く者。

魂が震えた。

「……あらゆる努力が報われなかったわけではないでしょうが、確かにえぇ、驚嘆に値します」

「いつ死んでもおかしくない狀況を十年。五つと四つのガキが二人で、家族を護るなんて言って戦い抜いた。有り得ねぇよ。萬に一つの可能、その実現だ。でもな、間違っても幸運じゃあねぇ」

「……ヤマト民族に生まれ、壁の外に放り出され、いながらにして魔に立ち向かう。えぇ、この世の不運全てを詰め合わせたような境遇です」

「自殺も出來ない程臆病ってわけでもなければ、いつか報われるなんて妄想に縋る程阿呆でもない。覚えてるか? あいつらがなんて答えたか」

彼らがチャンスに乗った後、どうしても気になって尋ねたことがある。

地獄を十年生き抜いた訣があるなら、聞いてみたかった。

答えは返ってきた。

――『好きなんだ、みんなが』

「あたしは恥ずかしくなっちまったね。あぁ、そうだよ。好きな人の為なら頑張れるよな。自分の為なら折れるような苦難でも、する者の命が懸かってりゃ折れることも出來ないよな。驚くべきは、だ。五歳児がその強さを持ち、四歳児がそれを支え、十年の時も貫き続けたことだよ」

「……ですが、それも此処では通用しなかった。彼らに在るのは思いの強さと、十年を生き延びたという事実だけ」

「正確じゃない」

「……はい?」

「あいつらの想いは強いが、脆いんだよ。才能が無いのは仕方がない。覆しようのないことをぐだぐだ悩んでも無駄だからな。無いなりにどうするかってとこが重要なわけだが、あいつらは十年支え合ってきたからこそ、こじらせちまってる」

妹から困の気配が伝わってくる。

「……すみません、姉さん語はわたしのように公用語しか分からない人間にはちょっと」

「お前には失した」

「…………はぁ」

「もう付き合いきれん。お前のようなやつは捨てる。終わりだ」

「…………何の冗談ですか?」

妹は意味がわからないと首を傾げる。

「とまぁ、こんなじだ」

「公用語でお願いします」

「お前、あたしに失されるのが怖くないのか?」

応えまでには、間があった。

「そりゃあ、怖いですね。もし姉さんに要らないと思われたら、生きていけないと思います」

「じゃあ、あたしがお前に失すると思うか?」

「有り得ません」

今度は即答。自然との端が緩む。

「どうして?」

「わたしがついてないと、姉さんは生きていけないでしょう?」

「くっ。よーく分かってるじゃねぇか」

「何が言いたかったんですか?」

「あいつらは、お前やあたしとは違うのさ」

他の者には、そうは見えないだろうが。

「充分、信頼し合っているように見えますが」

「お前の表現は、いつも正確に欠けるなぁ」

「姉さんの表現は、いつも伝達に欠けます」

ミヤビに真っ向から向かってくるのは、チヨやアサヒくらいだ。

そのじが、どこか心地良い。

「あいつらは信頼し合ってる。でも、互いに自分に自信がねぇんだ。相手に全幅の信頼を寄せる一方で、自分にはそんな価値が無いという劣等を抱えている」

「そう、なんですか……わたしには、とてもそんなふうには」

「本當か? あいつらは互いに甘すぎるとは思わなかったか? 互いの良い面にばかり目を向けているとは思わなかったか? あいつらが、じゃれあい以上の喧嘩をしている場面があったか?」

「…………それは、単に仲が良いから、では」

「あたしだってお前とは仲良しのつもりさ。でも馬鹿だと思えばそう言うだろ? 今だって一々説明させんなよって面倒臭がってる」

「わたしも、姉さんの説明不足には苛々させられてま――っ」

ハッとしたチヨが、口許に手を當てる。

「気付いたか。不満はある筈なんだ。欠點はある筈なんだ。でも、互いにそこにれない。相手の側を尊いと思う反面、自分を低く見積もってるから。遠慮があるんだよ。その遠慮は、劣等から來るんだ。武は優れているのに自分には才能が無い。遣い手は優れているのに自分は能が悪い。こんな合にな。そんな狀態で強者と相対してみろ、勝てるわけがねぇだろ。自分の価値を信じてない奴にし遂げられることなんて、たかがしれてる」

「……何故事前に教えて上げなかったのです」

「なんて言う? お互い自分のことクソ雑魚だと思ってるだろうが、んなこと無いぜって? それとも兄妹で隠し事なんてよくないぜとでも? 意味無いんだよ。人は自分の納得出來る狀況でしか前に進めない。あたしが本質を突いても、それは心まで屆かない」

「そういうものでしょうか……」

ピンときていない様子のチヨ。

「あー、例えば、そこら辺の酔っぱらいがお前に『その服似合ってねぇぞ』と言う。どう思う?」

「どうもこうも……、人に何か言う前に鏡を見ろとは思うかもしれません」

「じゃあ、あたしが言ったら?」

「……どうして出かける前に言ってくれなかったのですかと気分を悪くします」

「いや、今日の服は似合ってるよ。お前はいつだって最高に可いよ」

「知ってます」

照れもしない妹だった。

「あぁ……。じゃなくてだな。ほら、同じ言葉でも誰が言うかでじ方も変わんだろ?」

「それは……えぇ、確かに」

「言葉ってのは正しけりゃいいってもんじゃないんだ。難しいよな。だから、あいつらには必要だったんだよ。同じヤマト民族の、頼れる師匠の言葉でさえ屆かない奴らの問題を、解決するような苦難が。お互いの劣等がむき出しになるような、自分でそれにれざるを得ないような、そんな狀況が。どうしても、必要だったんだ」

「それが、今なんですか?」

「あぁ、そうだ。だってあいつらは互いをしている。んで、今負けそうなわけだ。そこで生まれるはなんだ? 相手への不満? 対戦者への怒り? 悔しさ? 違うね。あいつらは馬鹿だからさ、自分を責めるんだ。相手に対して申し訳なく思うんだよ。無能でごめんってよ」

「…………わたしは姉さんが好きですが、とても格の悪い人だなと思います」

「ありのままのあたしをしてくれるお前が、あたしも大好きだぜ」

「……わたしも大概、格が悪いですから」

妹が、遠慮するように笑う。

「おっ、分かってきたじゃねぇか。そう、これは顔を背ける場面じゃねぇ。もったいなくて出來るかよ、そんなこと。笑って見屆けようぜ。弟子たちの長をよ」

この人は本當に格が悪い。

誰よりもあの二人を認めながら、笑顔で千尋の谷へ蹴り落とす。

世界で彼だけが、疑っていないのだ。

あの二人なら、深淵に落ちたとて必ず生還すると。

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