《【書籍化決定】読家、日々是好日〜慎ましく、天無に後宮を駆け抜けます〜》17.お出掛け
◾️◾️◾️◾️僑月目線
○○○○ 明渓目線 どちらも一人稱です
◇◇◇◇
冷たい五月雨の降る夜、雨を避ける様に木の下に佇む人影がある。濡れた長い髪と服を手拭いで拭いたが、その細い指先は冷たくかじかんでいた。そのままどのくらい時が過ぎただろうか、南の方から足音が聞こえてきた。背が高く肩幅のあるその影が同じ木の下に駆け込む。
細い指が男の濡れた前髪にれる。一言、二言、言葉をわすと、は懐から文を出し男にそっと渡した。男はそれを懐にれると、再び雨の中に飛び出して行った。
人知れず逢瀬を重ねる者がいても不思議ではないのが後宮だ。ただ、を隠し通すにはその閉ざされた空間は、あまりにも狹すぎる。
◾️◾️◾️◾️
新緑が眩しいくらいの季節になってきた。數日前の雨が噓のように青空が広がり、剣の稽古の後はがじっとりと汗ばむ。隣に座っている明渓(メイケイ)は汗を桜の手拭いで拭っている。普段は顔を隠すように厚く下ろしている前髪も稽古の時は邪魔なのか上にあげていて、形の良い額が汗でっている。首筋に流れる汗が艶かしく思わず目を逸らしてしまった。
自分も汗を拭こうと上掛けを大きくはだけさせ、これまた桜の手拭いでを拭く。四ヶ月の稽古の賜だろうか、板はまだ薄く頼りないが、肩や腕には筋が付いてきているのが分かる。
何か視線をじると思ったら、明渓がじっとこちらを見ていた。なんだか照れ臭い。
「あの、何か?」
「だいぶ鍛えられてきたなぁって思って」
顔ひとつ変えず照れる事なく言う。まるで弟の長を喜ぶ姉のようだ。
「なぁ、いつまで俺の事子供扱いするんだ」
「いつまでって、まだ元服してないじゃない」
それを言われたら言い返せない。確かにこの國では元服するまでは子供だ。ただ、最近二人の時は砕けた話し方ができるようになってきたのは嬉しい。
「明渓は青周様とも、こんな風に話してるのか?」
「青周様はお忙しいから、あまりゆっくり話す時間はないわ。あと、……敬意を持って話しています」
持っているのが敬意だけならいいが。自分にはないを山程持っている男を思い出す。
「ねぇ、青周(セイシュウ)様ってどんな方なの?」
「!! 何でそんな事聞くの? もしかして、あいつ……いや、あの方に興味でもあるとか、じゃないよな!?」
「ほぉ、それは嬉しい事だな」
背後からいきなり聲がして、びくっとなる。背中に寒気が走る。振り返らなくても誰がいるが明らかだ。
(何故このタイミングで現れる)
黒いを纏い腰を青い紐で縛っているだけで、特に目立つ刺繍もしていない服なのに目を惹きつける存在がこの男にはある。
「珍しいですね。貴方様がこちらにいらっしゃるなんて」
「暫く皇宮を離れるからな、それを伝えにと…」
顔に作り笑いをり付かせた俺を、何だか楽しそうに見たと思うと、いきなり隣に座っていた明渓の腕を持ち強引に立たせる。
「時間はあるだろう。し付き合え」
そう言って明渓の瞳を覗き込むと有無を言わせず、連れ去っていった。
○○○○
強引に引っ張られて屋敷の外に出ると馬車が待っていた。今度は優しく手のひらをもたれ、馬車に乗せられる。
「どこに行くのですか?」
「流石に俺でもお前を外には連れ出せない。行く場所は皇居の東の端だ」
後宮も広いが皇居も広い。後宮の北側に皇族が住む皇居があり、それらの東側に、軍部や文の集まる省―つまりこの國の中樞部がある。確か皇居の東側には庭園や果樹園があったはずだ。
(遠出ではないのはいいけど……)
馬車の中は狹い。そして何故か青周は向かい側でなく、隣に座ってきた。
先程の稽古で汗をかいているので、汗臭くないか気になり、こっそり自分で嗅いでみるがよくわからない。せめてもうし離れようとを出來るだけ窓に押し付ける。
「何してるんだ?」
「うっ、あの、稽古で汗をかきまして。臭いと思いますので向かい側に座っても宜しいですか」
「別に気にはならないが。男の汗は臭いがはそうでもないだろう」
そう言って突然、明渓の襟元に顔を近づけてきた。慌てて、後ずさる。
「お、おやめください」
たまらず席を立ち、向かい側に座る。
(いやいや、嗅ぐなよ)
不敬な事をしたかな、と青周を見るが特に気にした様子もなくこちらを見ている。それどころか形の良いの端が上がって、面白そうだ。
(からかわれている?)
「お前でも普通のなような事を気にするのだな」
(いったい人を何だと思っているのだろう)
とりあえず、冷めた目で睨め付けておく。従兄弟にその目は心臓が凍るからやめろ、とよく言われた。さらに怒りが大きい時は、呪いをかけるかのようなが宿るらしい。気をつけよう。
「俺は気にならないが、お前が気にするならこれから行く場所は丁度良いだろう。帰りは隣に座れば良い」
「いえ、匂い云々より、高貴な方の隣は落ち著きませんので帰りも向かいに座ります」
いきなり匂いを嗅ぐ男の近くに座りたくない、と遠回しに伝えておいた。
馬車は果樹園にっていく。柑の木が植えてあり、白く小さな花が咲いている。実家にいる時よくその花をとりを吸っていた。秋には実がなるだろう、頼めば貰えないかなと思っていると馬車が止まった。目的地に著いたようだ。
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