《【書籍化】雑草聖の逃亡~出自を馬鹿にされ殺されかけたので隣國に亡命します~【コミカライズ】》月浴と闖者 01
プロローグにダグの容姿描寫を追加しました。
30代前半の妻子持ちのおじさんです。
魔蟲討伐中は、晝下がりには皆ベースキャンプの天幕に引き上げて、日が暮れる前には眠りにつく。
下手に暗闇の中で明かりをつけると、魔蟲が近付いてきて確実に襲われるからだ。
夜行の魔蟲の中には、走を持つ蛾や蝿のような奴らが存在している。
森の中に設けられたベースキャンプの中は、魔師による結界と、魔蟲が忌避するお香のおかげで一応の安全は確保されている。
一応不寢番の兵士は立てるものの、彼らは月明かりの中で息を潛めるように一夜を過ごすらしい。
普段夕食に當たるものは討伐中は晝下がりに摂る。
アベルとの早すぎる晩餐を済ませたマイアは、自分が寢泊まりしている天幕に引き上げて寢袋の中で橫になっていた。
周囲が真っ暗になり、イエルとダグの寢息が聞こえてきて、ようやくマイアはほっと息をついた。
イエルはマイアの侍だ。夫に先立たれた四十前半の未亡人で、護衛兼衛生兵のダグと一緒に常にマイアの側にいる。ちなみにダグが眠っているのは、天幕の中に置かれた衝立の向こう側だ。
ダグとイエルの二人はこういう遠征中は、不埒な下心を持って近付いてくる兵士からマイアを守る役目も帯びている。軍は男所帯なので、若いがいるというだけで変な事を考える連中が湧いて出てくるのだ。
だけど十二歳になるまで魔力が発達せず、いたって普通の庶民の娘として孤児院で育ったマイアにとって、聖として人に傅(かしず)かれたり、上流階級の作法を學ばされる生活というのは窮屈だった。
聖はいわば特殊な魔力をもつ魔力保持者の事だ。
魔力とは、大気中をたゆたう不可視のエネルギーである魔素をに取り込んで魔力に変換・貯蔵する特殊な臓の事である。
この魔力は誰もが持っているが、特に魔力が発達し、魔師になり得る者のことを魔力保持者と呼ぶ。
聖の魔力は特別だ。
通常魔力保持者が魔を使うには、特殊な羽筆(クイル)で魔式を書き、の魔力を変換させなければいけない。そのため魔師を目指すものは、膨大な數の魔式とその法則を學び、理解する必要がある。
しかし聖の治癒魔は魔式を介する必要がない。
傷を癒したいというイメージを込めて魔力を流すだけで効果が現れる。
この時のイメージが的であればあるほどない魔力で高い治療効果をあげられるので、聖認定されたは醫學を中心に學ばされる。一部の初歩の魔式も習得はするが、それよりも醫療知識を詰め込むために費やされる時間の方が圧倒的に多い。
なお、聖の魔力は病気の治療はできない。病気は悪い霊がにり込んでかかるものだから、聖の魔力を流すと、その悪い霊まで活化させてしまうのだ。
魔力は通常三、四歳で大きく発達する。そのため六歳の時點で魔力保持者の特徴が現れた子供は一般人とは區別され、首都の王立魔研究院付屬の學校に集められて魔師への道を歩むことになる。
更にの子の中で癒しの魔力を持つ者は、魔師ではなくて聖になるための教育を施される。
魔力保持者を見分けるのは簡単である。一定以上の能の魔力を持つ人間は、瞳の虹彩の外側が金に変化するからだ。
マイアも魔力が急速に発達した十二歳の時に瞳のが変わった。青い瞳の虹彩の郭が金を帯びだした時は孤児院では大騒ぎになった。
急遽首都に招かれ、魔力検査をけた結果聖の資質がある事が判明し、マイアは王立魔研究院に向かう事になった。
マイアのようなケースはかなり珍しく、魔研究院の研究員の視線はかなり恐ろしかった。死んだあとは是非解剖させてくれなんて言ってきた研究員もいたくらいだ。
魔力は伝するので付屬の學校は貴族の子供が多かった。
だけど正規學の子供たちと接する機會はほとんどなく、全ての授業が講師との一対一だったのはありがたかった。今思うと、あれは聖だからこその特別扱いだったのだろう。
魔力の発達があと一年遅かったら、マイアは恐らくお針子見習いとして働きに出ていたに違いない。
貧しい庶民の子供にとって、學校に通わせてもらえるというのは信じられないくらい贅沢な事だ。
寄りのない孤児院出の子供に対する世間の風當たりは冷たい。
マイアは七歳の時に両親を相次いで流行病で亡くして、引き取ってくれる親戚もいなかったため孤児院に預けられた。
お針子はの子にとっては唯一といっていい働き口だが、それだけで生きていける職人なんてほんの一握りである。
見習い期間は親方が住み込みで面倒を見てくれるものの、ある程度の年數働いて見習い期間が終わったら、自分一人の腕で家を借りて生きていかなければいけない。
微々たる給金だけではかなり厳しい生活になるので、小遣い稼ぎの為に街娼としてを売るの子はなくなかった。
だから魔力保持者になっていなかったらと思うとぞっとする。聖の才能が現れていなかったら、今頃は見知らぬおじさん相手にを売っていたかもしれない。
首都の學校に通い始めてからのマイアの生活は、それまでとは一変した。
いつもお腹を空かせていた孤児院時代が噓のようなお嬢様の生活だ。
住むところも食べるものも著るものも、全てが國から與えられ、大人の侍と護衛がマイアを聖様と呼び傅(かしず)くのだ。
一度こんないい生活を験したら、二度と前の生活になんて戻れない。
聖としてのお嬢様生活を手放さないために、マイアはそれはもう必死に努力した。
読み書きすらおぼつかない狀態からのスタートだったから、必死に文字を覚えた。
読み書きができるようになったら、治癒魔を行使するにあたって必要となる《浄化》の魔や醫學の知識を頭の中に叩き込んだ。
他の聖と違って六年も遅れて勉強を始めたマイアにまず最優先で施されたのは、治癒魔の使い方や魔力効率を上げるために必要な知識で、行儀作法は後回しだった。
そのツケが今回ってきていて、マイアはお嬢様らしくない事をやらかす度にアベルの冷たい視線と棘のある言葉にさらされる。
今思えば、立派な聖になるために頑張りすぎた。
気が付いたら未婚の聖の中では一番の腕利きになっていて、第二王子の有力な妃候補なんて言われていた。
もうし手を抜いて、五人の若手聖の中では三、四番目あたりに見えるように抑えておけば良かったと後悔した時にはもう手遅れだった。
平民の、しかも孤児院出のマイアに上流階級の人々が向ける視線は厳しい。
一応國王が後見人として目をらせてくれてはいるものの、聞こえよがしの口やちょっとした嫌がらせは日常茶飯事だ。
嫉妬にやっかみ、行儀作法のまずさを嘲笑う聲など、マイアに向けられる視線には悪意と棘がふんだんに含まれていた。
それで折れるほどマイアは弱くはないけれど、傷付いていない訳ではない。
侍のイエルと護衛のダグは、國王が手配してくれた人達だ。
聖を大切にするよう言い含められているらしく、貴族のようにマイアを馬鹿にしてくる事はないし、二人ともおかしな行を取るとそれとなく手助けもしてくれる。
だけど他人が常に傍にいる生活は気詰まりで、二人が眠った後のこの時間帯は唯一の安らぎだった。
マイアは枕の下に手をれると、あらかじめそこに忍ばせておいた羽筆(クイル)を取り出した。
これは、水晶孔雀という鳥の羽で作られた特殊な羽筆(クイル)で、魔師が使う魔の発である。
聖は基本的に醫學を中心に學ぶので複雑な魔は使えないが、護と治療に使える初歩の魔はいくつか心得ている。今からマイアが使うのはそのうちの一つだ。
羽筆(クイル)に魔力を流すと先端が金に発した。そして橫になったまま空中に書くのは、自分の存在を極限まで薄くする《認識阻害》の魔式だ。
これは、慣れない生活にストレスを溜め込んでいた時に、教授が見るに見兼ねて教えてくれた魔だ。
発中はしずつ魔力を消費していくが、護にも一人でこっそり抜け出したい時にも使える魔なので重寶している。
魔力で書き上げた式にれ、改めて魔力を追加で流すと魔が発する。
魔式が消滅するのを確認してから、マイアはゆっくりと起き上がった。
そしてナイトウェアの上から厚手のガウンとマントを二重に羽織り、しっかりと防寒対策をしてからこっそりと天幕を抜け出す。
外に出ると、むき出しの顔に當たる外気が刺すように冷たかった。
魔蟲討伐が霧月(ブリュメール)に行われるのは、日中の外気溫がぐっと下がって連中のきが鈍くなるからだ。
魔蟲の活量が減り、かつ雪が降る前のこの季節が討伐には最適の時期なのである。
マイアは夜目が利く方だ。だから月明かりのおかげで辺りの様子がよく見えた。
足音を立てないように細心の注意を払いながら歩きだす。目指すのは、ベースキャンプの結界ぎりぎりを流れている小川のほとりだ。
あたりには柑橘とミントが混ざった香りが立ち込めていた。
魔蟲避けのお香の匂いだ。
蟲の質を持つ連中は、ペパーミントやレモングラスといった蟲除けに使えるハーブの匂いが有効だ。
蟲が嫌うハーブを何種類も調合し、魔的作を加えた特製のお香は遠征軍の命綱である。
目的地である川のほとりへと移すると、マイアはその場に座り込んだ。
フェルン樹海はフェルン山の麓に広がるオークの森だ。
今の季節オークは紅葉して葉を落とす。地面はふかふかの落ち葉で覆われていてらかかった。
上空を見上げると、満天の星空の中に大きな満月がぽっかりと浮かんでいた。
この時期は空が澄み渡り、夜空が綺麗に見える季節だ。
月の影響を大きくける魔力保持者にとって、月浴は気持ちを落ち著かせる効果がある。
だからマイアにとっての一番のストレスの解消法は、こうしてこっそりと天幕を抜け出して、月のを浴びる事だった。
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