《【書籍化】雑草聖の逃亡~出自を馬鹿にされ殺されかけたので隣國に亡命します~【コミカライズ】》街へ 01
木々の切れ目から人里が見えたのは、森の中を歩き続けて三日目の晝下がりだった。
目的地であるローウェルだ。ローウェルはホットスポットの監視の為に作られた都市の一つで、高い城壁に囲まれた城塞都市である。
城壁の外側には畑が広がっており、都市に生きる人々の食料を賄っている。森から城壁に至るまでのエリアは一面の小麥畑になっていた。
気候が溫暖なこの辺りでは、小麥は秋に種をまいて初夏に収穫をする。
秋まきの冬小麥は、緑の芽をだし、鮮やかな芝生のように畑全に広がっていた。
途中、かなりの休息を挾みながらの移だったのだが、予定通りフェルン樹海を抜けられた事にマイアはほっとした。
道中は歩き慣れていない上に力のないマイアにはかなりきついものだった。
初日に刺(まめ)と靴れができて、足がまみれになっていたのは驚きだ。
聖の自己回復力のおかげで翌日にはなんともなくなっていたものの、そうでなければもっと大変な道程になっていたに違いない。
の疲れはさておき、蜻蛉型魔蟲との遭遇の後は幸運なことに平和だった。
――と、いっても全てはルカの魔の賜だ。
魔力を探知する魔で魔蟲を避けられたのが特に大きい。
途中二度ほど人とすれ違ったが、そちらも事前に魔で知したので、目くらまし効果のある結界を張ってやり過ごした。
ちなみに一度目はベースキャンプに引き上げる第一部隊の軍人で、二度目は魔蟲狩りの傭兵と思われるパーティだった。気溫が下がって魔蟲のきが衰えるこの時期は、魔蟲狩りを専門とする傭兵にとってもやりやすい時期なのである。
「ちょっと待って、マイア。街にいる仲間に連絡して迎えに來てもらう」
ルカはマイアを呼び止めると羽筆(クイル)を取り出して魔式を書いた。恐らく通信用の魔だろう。
魔が完すると魔力が鳩の姿を取ってルカの左手に留まった。
「ゲイル、久しぶり。事があって討伐隊を抜けてきた。悪いけど俺ともう一人、二十代のが街にれるように何か考えてしい。それと用の服も頼む。街の外で待ってる。ルカ・カートレット」
そう発言してから羽筆(クイル)で鳩をつつくと、鳩はまるで鸚鵡(おうむ)のようにルカの発言を復唱した。聲まで忠実に再現されている。
「よし、行け」
ルカが左手をばすと、鳩は羽ばたいて宙に舞い上がった。そしてローウェルの市街地に向かって飛んでいく。
鳩はこの國ではどこにでもいる野鳥だ。
ありふれた鳥の形を取るあたり、よく考えられている魔である。
比較的規模の大きな街はよそ者の出りに厳しい。
都市や村の役所が発行する旅券や通行証がなければ基本的にれて貰えない。
諜報員であるルカは何か持っているのかもしれないが、討伐遠征中だったマイアには何もない。
どうするのかと思いきや、街にいる仲間の手を借りるようだ。
「ここで待つの?」
「ああ、ゲイルが何かいいように考えてくれると思う。あ、ゲイルっていうのがあの街にいる俺の仲間なんだけど」
「アストラの諜報員仲間って事?」
「そう。見た目は神経質そうだからちょっと怖いかもしれないけど、は優しいおじさんだから心配しなくていい」
ルカはマイアに向かって微笑みかけると背嚢を地面に降ろして軽くびをした。
◆ ◆ ◆
「いた! おい、ルカ! 一どういう事なんだ!?」
その場で一時間半程度待っただろうか。
荒々しい足音と共に現れたのは痩せて顔の悪い五十代前後の男だった。
ルカの仲間だとすぐにわかった。確かに神経質そうな見た目のおじさんである。
服裝は小綺麗で、商家の主人という印象をけた。
「討伐隊抜けてきたって! しかも連れだと!?」
男はマイアを見た。そしてギョッと目を見開く。
「魔力保持者!?」
男の目は、マイアの瞳に向けられている。
「ゲイル、紹介する。彼は聖マイア。何か々あって殺されかけてたんで見過ごせなくって。助けついでにうちに引き抜こうと思って討伐隊抜けてきた。マイア、このおじさんがゲイルだ。アストラの諜報員仲間」
「よ、よろしくお願いします……」
「……よろしく」
男――ゲイルはマイアの挨拶に戸った表で挨拶を返した。
「第一部隊の聖……もしかしてマイア・モーランド嬢ですか?」
「はい。そうです。私の事をご存知でいらっしゃるんですか?」
「……マイア殿はその出自と治癒力の高さで有名な方でいらっしゃいますから」
ゲイルはマイアに答えると、小さく息をついてからルカに向き直った。
「ルカ、お前説明が雑すぎる。とりあえず下に荷馬車を置いてきたから移するぞ。話は道すがら聞く」
こうしてマイアはルカと一緒にゲイルの先導で森を出る事になった。
◆ ◆ ◆
「……なるほどな、ルカがマイア殿を助けた事はだいたいわかった。そういう事であれば『上』も納得するだろう」
馬車に向かう道すがら、ルカから事を聞いたゲイルは、どこか渋い表のままこめかみの辺りをみほぐした。そして大きく一つ息をついてからマイアに向き直ると、淡い微笑みを浮かべる。
「我が國は歓迎しますよ、マイア殿。聖は稀有な存在なのに、害するなんてあってはならない事です」
「ゲイルにそう言って貰えて良かった。旅券はどうなった?」
ルカの質問に、ゲイルは軽く肩をすくめた。
「マイア殿は俺の姪というで旅券を準備した。お前はその護衛だ。これが偽造旅券。一応『設定』の確認をするぞ」
言いながらゲイルはマイアとルカに旅券となる木片を手渡してきた。
マイアに渡されたものには、『リズ・クライン』という名前が書かれている。
「マイア殿、街にる時は、あなたにはその旅券に書いてある人……『リズ・クライン』になって頂きます。私の弟の娘という設定の人で、隣町から行儀見習いの為に伯父の私を尋ねてこちらにやってきたという事にしてあります。姪として扱わせて頂きますが、どうかご了承ください」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、伯父様」
「マイア……じゃなくてリズ、ゲイルはローウェルで糸を扱う商會を経営してるんだ。諜報員としての隠れ蓑って奴なんだけど」
補足説明をしたのはルカだった。
「ルカ、お前は護衛として雇われた傭兵、セシル・ディナンだ」
「了解。ありがとう、ゲイル。この短時間で用意するのは大変だったろ?」
「當たり前だ。もっと謝しろ」
ゲイルはルカに向かってチッと舌打ちをした。
「街にる前にリズとお前の瞳のをどうにかしないとな」
「リズにはこれを使ってもらおうかと思ってる」
そう言いながらルカがポケットから出したのは、ルカの髪と瞳のを変えていた魔の指だった。
「俺がこれ付けちゃうと傭兵ルクス・ティレルの見た目になっちゃうから。俺の目は魔薬で変えるよ」
「持ってんのか?」
「ある」
ルカは短く答えると、マイアに指を渡してきた。
◆ ◆ ◆
森を出ると幌付きの荷馬車が停まっていた。
ゲイルは馬車の荷臺から用の服を取り出すと、マイアに差し出してくる。
「俺たちは向こうを向いているから著替えて貰ってもいいかな? 髪と瞳のを変える指もはめておいてしい」
そう告げるゲイルの左手の中指にも、似たような指がはまっている。
「あの……ゲイルさん」
「伯父さんでいい。伯父と姪という設定だから」
「あ、はい。伯父様」
マイアは慌てて言い直した。
ルカと敬語はやめると約束した時と同じで、ゲイルも諜報員だからなのか切り替えが早い。
気を付けなければと肝に銘じてから、マイアはゲイルに尋ねた。
「あの、伯父様ももしかして魔師なんですか?」
「ああ。ルカみたいに丈夫じゃないから街中で活してるけどね」
頷くと、ゲイルは指を外して本來の髪と瞳のを見せてくれた。
茶の髪と瞳が瞬時に変化する。
髪のは灰がかった金で、瞳は郭が金がかった淡い水だった。青白い顔とあいまって幽霊みたいだ。
なるほど、彼の貧相にも思える細い格は魔師だったからなのだとマイアは納得する。
彼と比べると、細ながらも鍛えられた筋を持つルカはわずかに日焼けしていることもあって健康的で逞しい。
ゲイルは指をはめて髪と瞳のを元に戻すとし離れたルカの傍に移した。
二人揃ってこちらに背を向けるのを確認してから、マイアは幌馬車の奧の方にを隠し、ゲイルに渡された著替えを広げる。
襟ぐりが大きく開いたブラウスに、ボディスとスカートが一化したワンピースは、最近街のの子の間で流行っている日常著だ。
小柄なマイアにはし大きかったが、ボディスの前紐や腰のリボンで調節できたので、それまで著ていたルカの服より綺麗に著こなせた。
服を著替えたことで、これまで著ていたルカの服からはルカの匂いがしたんだな、と実して気恥ずかしくなる。マイアは慌ててぶんぶんと頭を振ると、更に上から外套を著込んだ。
最後にルカから借りた髪と瞳のを変える魔の指をに著ける。
ルカの中指サイズの魔の指はマイアにはかなり大きくて、親指にはめてもしぶかぶかだ。
髪のを摘みながら魔力を指に流すと、瞬時に赤茶から焦げ茶に合いが変わった。
鏡が手元にないため自分では確認できないが、瞳のも変わっているはずだ。
魔の指によく出來た偽造旅券。そしてこの國には數ない正を隠した魔師が二人。
それらから、マイアはルカとゲイルの異質さを実する。本當に本のアストラの諜報員なのだと信じてもいい気がした。
(きっと大丈夫、二人とも悪い人じゃない……はず)
この二人はマイアを新天地アストラに連れていってくれるはずだ。
マイアはゲイルからもらった偽造旅券をこっそりと握りしめた。
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