《【書籍化】雑草聖の逃亡~出自を馬鹿にされ殺されかけたので隣國に亡命します~【コミカライズ】》街へ 03
ルカが出ていくと、ゲイルもまた食事室を出て行った。
アルナは臺所へと向かい、夕食の準備を始めたようだ。食べのいい匂いが漂ってくる。
食事室の暖爐の前に一人殘されたマイアはしだけ気持ちが楽になるのをじた。
初めての場所で初めて出會った人々に囲まれて張していたようだ。
マイアは小さく息をつくと、パチパチとぜる暖爐の赤い火を見つめた。
「さっきは悪かったな」
ゲイルが戻ってきたのは、出て行ってから十分程度が経過した時だった。
ゲイルは手にしていた持ち手が付いた木箱をテーブルに置くと、マイアの方へと押しやった。
「ここにいる間の手みに使うといい。旅の準備やら本國への報告やらで何日間かはここに泊まる事になるだろうから」
草木の模様が彫刻された綺麗な箱だった。
「……開けてもいいですか?」
「ああ」
ゲイルの許しが出たので箱の蓋を開けると、箱は二重になっており、上の段には鋏(はさみ)や針、刺繍枠といった裁道がっていた。
その段を避けると、今度は端切れやリボン、そしてとりどりの刺繍糸が出てくる。
しかもその糸はアストラ製の絹糸だった。
隣國は絹の産地としてだけでなく、魔を応用した染技に優れている事でも有名だ。
絹は綿や麻に比べると経年劣化しやすい繊維だが、アストラの絹は違う。
綿に匹敵する強度と耐久を備え、かつ絹糸の艶や沢をそのまま保っているというまさに夢のような繊維なのだ。これは染の際に施される魔的処置が影響していると噂されていて大変高価だ。
「あんたは刺繍を嗜むって聞いた。うちの商品で悪いが良かったらそれで暇を潰すといい」
「……ありがとうございます」
きっとルカから聞いたのだろう。森を抜ける時に聞かれるがままに趣味とか城での生活などを話したから。
その中でマイアも、同じ歳くらいと思っていたルカが本當は二十八で、傭兵としてこちらに潛伏して五年になる事を聞いた。若く見えるせいで舐められる事が多いから、自分の顔立ちはあまり好きではないらしい。
マイアは裁箱に視線を落とすと、刺繍糸を一束手に取ってみた。つやつやで凄くいい手りだった。
◆ ◆ ◆
ルカが浴を終えると早めの夕食となった。
さすがに何もせずお客さんでいるのは申し訳なかったので、マイアは臺所に向かって食事を運ぶ手伝いを申し出た。
「聖様にこんな事をさせるなんて申し訳ないわ」
既に事を聞いたのだろう。アルナには恐した様子で言われてしまった。
「私、今無一文なので。これくらいはさせてください」
本當はかなりの給金の貯金があって、首都の両替商に預けていたのだが、今の狀況では引き出すのは無理だ。
あのお金はきっと失蹤からの死亡扱いとなっていずれ國に沒収されるに違いない。それを思うとムカムカした。
こんな事になると知っていたら、溜め込まずに散財したのに。
「……本當の髪と目のはそんなだったのね。瞳は《貴種(ステルラ)》だから當然としても、髪のも紅茶みたいでとっても綺麗だわ」
ささくれだった気持ちはアルナに褒められた事で一気に霧散する。自分では煉瓦みたいと思っている髪のを、高級品の紅茶に例えられると何だか面映ゆい。
「隠さなきゃいけないのが勿ないわね。その髪と瞳のなら華やかな服も著こなせそうなのに。でも楽しみだわ。明日はあなたに似合いそうな服を探しに行きましょうね」
そう告げるアルナは酷く楽しそうで、マイアはなんだかくすぐったくなった。
夕食には菜がたくさんったスープにキッシュ、ライ麥の混ざった素樸なパンなどが出てきた。
久し振りに人間らしい食事を摂った気がする。
一般的な家庭料理で城の料理と比べると庶民的だけど、アルナの料理の腕は確かだったのでとても味しかった。
ゲイルは靜かで神経質そうな見た目そのままに、エールを飲んで騒ぐのではなく、度數の高い蒸留酒をしずつ飲みながら、靜かに酒を楽しむタイプだった。
ルカは甘い果実酒をお供に付き合わされている。
「セシルは可いお酒を飲むのね」
「こいつは味覚がお子様なんだよ。どんなに飲んでも潰れない癖に強い酒も苦い酒も嫌いなんだってさ」
「エールと蒸留酒の何が味しいのか俺にはわからない」
からかうようなゲイルにルカはむすっとしながら反論した。
なお、お酒が飲めないマイアはアルナにハーブティーを淹れてもらっている。
緑茶も紅茶も富裕層の飲みで、庶民はハーブや豆などを煮出して作ったものをお茶と呼んで飲んでいる。
だけどアルナが出してくれたハーブティーは、下手な高級茶よりも味しかった。
顔をほんのり赤く染めたゲイルはルカに気持ちよさそうに絡み出した。
「眠そうね、リズ。酔っ払いは放っておいて眠ってきたら?」
目をこすったマイアを見かねてか、アルナが聲をかけてきた。
夜明けと共にき出し、日のりと共に眠る生活をずっと続けていたせいで眠気が限界だった。
「ごめんなさい。先に下がらせてもらいます」
マイアはアルナの勧めに従って、先に自分に宛てがわれた寢室に行かせてもらう。
ゲイルとアルナは二階の部屋をマイアとルカに一部屋ずつ提供してくれていた。
ベッドにクローゼット、そして小さなテーブルがあるだけの狹い部屋だが、個室で眠れるのは純粋にありがたい。
ゲイルもアルナも今のところ悪い人には思えないけれど、見知らぬ人に囲まれるのはし疲れる。
マイアは深く息をつくとテーブルの上のオイルランプの明かりを消してベッドに潛り込んだ。
周囲に怪しまれないよう、ゲイルもアルナも風呂を除けば魔には頼らない生活をしているらしい。
ベッドはしかったが寢心地は悪くなかった。
庶民のベッドといえば藁に布を被せたものが定番だが、ここのベッドは綿が詰められたちゃんとしたベッドだ。
諜報員という背景の賜なのか、この店が儲かっているのか一どちらだろう。
そんな事を考えているうちに、マイアの意識は遠のいていった。
◆ ◆ ◆
次の日の朝はゲイルもルカもなかなか起きて來なかった。
「ゲイルは二日酔いよ。セシルは普通に疲れて寢てるんじゃないかしら? 昨日は相當遅くまで飲んでたから」
そう推測したのは朝食を運んできたアルナだ。
今朝のメニューは、昨日のだくさんの野菜スープに麥とチーズを加えてトロトロに炊いたお粥と、林檎の砂糖煮が添えられたヨーグルトだった。
「久し振りにセシルが訪ねてきて嬉しかったんでしょうね。あの人、仕事とは別に普通にセシルの事が可いみたいだから」
アルナは苦笑いしながらマイアの前の席についた。
「伯父様とセシルはそんなに深い付き合いなんですか?」
「そうみたいね。ほんの小さな頃から知っている仲らしいわ。だから息子みたいに思ってるのかも。私もゲイルも子供は持てなかったから」
食事を摂りながらアルナはそう告げた。
「えっと……伯母様たちは本當のご夫婦では……」
「ないわ。あくまでも仕事上のパートナー。《貴種(ステルラ)》であるゲイルには年回りの合う《平民(オリジン)》のパートナーが必要だったの。街で生活するなら既婚者の方が怪しまれないし、何よりゲイルが異國で魔を極力使わない生活をする為には、街の暮らしを知っている《平民(オリジン)》が必要だったのよ」
そう言ってアルナは苦笑いした。
「……困ったわね。このままゲイルが起きて來なかったら店番をする人がいないから、リズの服を買いに行けないわ」
眉を下げたアルナにマイアは慌てた。
「そんな、急がないので……」
「……そうね。一週間程度はここで暮らす事になりそうだものね」
「えっ……」
目を見張ったマイアに、アルナは軽く肩をすくめた。
「だって旅の準備に二、三日はかかるでしょう? 今の月齢は二十五だから、かなり月が痩せてしまうわ」
「あ……」
確かにその通りだ。月齢の事をすっかり忘れていた。
「セシルはあまり月の影響をけない魔師だけどあなたは違うんじゃない? ゲイルを見ていたらわかるから、遠慮せずにゆっくりしていってね」
「……ありがとうございます」
アルナの指摘通り、確かに新月の日は不安が押し寄せて苛々するしが重くなる。これでも癥狀は魔力保持者の中では軽い方なのだが、新月が近付いていると思うと憂鬱になった。
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