《【書籍版8/2発売】S級學園の自稱「普通」、可すぎる彼たちにグイグイ來られてバレバレです。》30 〝先輩〟の涙、俺が拭う
アルバイト開始から1週間――。
接客、清掃、レジ打ち、その他諸々に慣れてきた頃のことだ。
出勤して休憩室で著替えをしていると、メイド服に著替えた鮎川がってきた。
「キャッ!!」
俺の上半を見るなり、ドアを閉めて出て行ってしまった。
シャツを著ながら、ドアごしに呼びかける。
「この場合、悲鳴をあげる権利は俺のほうにあると思うんだが」
「うっ、うっさい! こんなとこで著替えてるあんたが悪い!」
「しかたないだろ。更室は子専用なんだから。――ほら、もういいぞ」
ゆっくりドアが開き、彼がおずおずとってきた。
「うう。ううううう。ばか。ばか。ばかぁぁあ」
「何唸ってるんだ?」
「知らないしっ!」
ぷいとそっぽを向いて、ソファに腰掛ける。頬が真っ赤だ。
壁の鏡を見ながらネクタイを結んでいると、チラチラこちらを窺う気配をじる。
「どうかしたか?」
「……や。えーと……その、さぁ」
言いづらそうに視線をさまよわせている。
「……さっきの背中、傷だらけだったけど……怪我? それとも事故?」
「ああ。昔ちょっと」
そんな風に濁した。
の子に話すようなことじゃない。話しても楽しくないし、思い出しても楽しくない。封印しておきたい過去である。
「あと、すごい筋だった。太いワイヤーを何本も束ねたみたい。ただゴツイっていうんじゃなくて、なんか……その」
「なんだ?」
「ヤバかった!」
語彙力を消失したようだ。
「昔、ちょっと鍛えてたんだ」
「筋トレとか、部活とか? そのくらいであんな風になるの? 男のひとのって」
「…………」
興味しんしんのようだ。
これ以上探られたくないので、ちょっと意地悪な言い方をしてみた。
「男のに、興味があるの?」
赤かった顔がさらに赤くなった。
「ばっ、みっ、見慣れてるわよ!! あーしを誰だと思ってんの!? (ラブ)マスター、彩加様よっ? か、彼氏とひと通りは済ませちゃってるんだからね!」
「……そうだった」
即座に反省した。経験富な彼にとって、的外れなジョークだった。プライドを傷つけてしまったようだ。
どうも俺、ジョークのセンスに欠けてるよな……。
「普通」への道のりは遠い。
「ごめん。鮎川。機嫌直してくれ」
「やーですー。ぷいっ」
「そう言わずに。この通り。なんでもするから」
「ふん。じゃあ冷たい麥茶を持ってまいれっ」
「畏まりました。先輩」
鮎川は愉快そうに噴き出した。
教室で、こんな笑顔は見たことがない。
いつもあのブタさんや友達とおしゃべりして笑ってたけど、あれは聲だけで笑ってるっていうか。
こんな風に、ソファを転がりながら笑うなんて、ありえなかったもんな。
おかげでメイド服のスカート、めくれてるんだけど……。
この笑顔をしばらく見ていたいから、黙っておこう。
◆
ランチタイムが終わる、午後2時。
開店からずっと満席だったテーブルにぽつぽつ空きが出始めた。
店長が晝飯を食べに出て行って、俺と鮎川の二人きりで店を回していると――。
「ちょっと、やめてください、お客様……」
聲のほうに視線を向けると、7番テーブルで鮎川が困り果てた顔をしていた。
図の大きな3人の男たちが、にやにやと笑っている。一様に黒いTシャツとジャージ姿。背中には「帝開大學空手部」とプリントされている。半袖の腕からは、これみよがしに瘤のような筋が覗いていた。
「だからぁ、言ってるじゃん。注文はキミだって」
一番の大きな角刈りの男が、鮎川の細い腕をつかんでいた。彼が振りほどこうとしても、いやらしい笑みを浮かべるだけ。むしろ、その抵抗を楽しんでいるようだ。
他の2人も下心丸出しだ。ウエストを絞るデザインによって強調された元や、ミニスカとニーソックスに挾まれた白い太ももを舐めるように見つめている。
「キミ、超かわいいね。JK? ここ何時に終わるの?」
「オレら、クルマだからさ。ドライブいかね? 海いこうぜ海」
なんか、ベッタベタなこと言ってるなあ……。
冗談にしちゃタチが悪い。こいつらに比べれば、俺のジョークのほうがマシ……いや、トントンくらい? 普通なら周りから冷たい視線が突き刺さるところだが、なにしろこいつらはデカくてゴツイ。業務用の巨大冷蔵庫が三つ、テーブルに並んでいるようなじ。周りの客も怖がって目を背けるばかり。後ろの八番テーブルの中年男も、うつむいたままじろぎしなかった。
すぐにヘルプしようとした俺だが、思いとどまった。
休憩室のやり取りが頭をよぎったのだ。
男客のナンパなんて、鮎川くらい可ければしょっちゅうだろう。あしらい方も心得ているはずだ。
余計な橫槍をれると、逆に叱られる可能もある。
ここはひとつ、彼の華麗なテクニックを拝んで勉強させてもらうとしよう。
さあ、鮎川先輩。マスターの真価を今こそ――。
「あのっ、あうっ、こまっ、あぅ……こまり、ますっ……あぅぅ……っ」
――あ、あれっ?
なんか赤ちゃんみたいにあぅあぅ言ってるんだけど……。
油斷させてから蹴散らす作戦か? とも思ったが、そんなことをするメリットは何もない。
弱々しい彼の仕草に、3人のバカ男はさらに調子づいていく。
「なー、オレら空手やってんの。わかる? 空手」
「瓦なら十枚くらい、かるーくイケちゃうぜ」
「この瓶とかもさぁ、手で切れんだよ手で。試してやろうか?」
角刈り男が、サイダーの空瓶をつかんで目の前に持ってきた。空手の高等演武「瓶斬り」をやる気だ。
「見てろよ?」
ふしゅうう、と大げさに息を吐き出した。
手刀を振った。
瓶は真橫に吹っ飛んで、俺のところまで飛んできた。
片手でけ止める。
どこも、切れていない。
「ひゃはは。なにやってんだよ角田」
「サイダーで酔ったかよ?」
「うるせえ! ――おい、ガキ。それ持ってこい。もう一度だ」
俺は瓶を持ってテーブルへ歩み寄っていった。
鮎川のプライドを尊重しようと思ったが、もう、その段階にないことは明白だ。上手く手加減できるかどうかわからないが、やるしかない。
「す、鈴木っ」
彼が小聲で呼んだ。
目つきで、俺に語りかけてくる。
助けを求めていると思いきや――違った。
彼のまなざしは、「來るな」と言っていたのだ。
(……え?)
俺は意外さに打たれて彼を見返した。
誰が見ても、どう見ても、青ざめて怯えきった顔だ。それでも、をぎゅっと引き結んで首を振り、涙の浮かぶ目で「來ないで」と訴えかけている。
――大丈夫だから。
――あーし、先輩だから。
――このくらい、へーき……。
その健気な仕草を、醜い顔がさえぎった。
「次はちゃんと斬るからよぉ。なあ? 見ててくれよぉ。……へへへ」
角刈り男が、彼のスカートをめくりあげようとした。
「……イヤッ……」
鮎川の目に大粒の涙があふれて、零れそうになる。
その涙――。
零れる前に、俺が拭う。
「あ? なんだ、お前――」
男の聲を無視して、俺は瓶をテーブルに置いた。
手刀を構えて、「ひゅッ」と鋭く息を吸いこむ。
これが、本の〝呼気〟。
手刀一閃。
サイダー瓶の細い飲み口、その先が綺麗になくなっていた。
斬り飛ばされたそれは、廚房側の壁にぶつかって、その下にあるゴミ箱の中に落ちた。
店、靜寂。
続いて――客たちの歓聲に包まれた。
「あの執事、すげえ!」
「本當に手で斬れるんだ、初めて見た!」
口々に褒め稱えてくれる。さっきうつむいていた八番テーブルの男も心したように拍手している。
今まで黙っていたくせに現金なものだが――まぁ、良しとしよう。
俺のくだらないパフォーマンスに気を取られて、メイドのスカートの中は誰も見ていないのだから。
「…………」
そのメイドさんはといえば、ぽかんと俺を見つめている。
いっぽう、メンツ丸つぶれの3バカは怒り心頭。
「てめえ、このガキ!」
「なにナマイキしてんだコラァ!」
「瓶斬れたからって、強ぇわけじゃねえぞ!」
さすがにこれには呆れた。當たり前だろそんなの。
俺は右手の拳を握り、人差し指の第2関節を折り曲げて突き出させた。いわゆる「一本拳」である。
狙いは、。
最大限手加減して、致命傷を負わせないよう注意に注意を重ねつつ――その一本拳を3バカのに叩き込んでいった。まるで隙だらけ。瓶斬りよりよほど容易い。サイダー瓶>>>3バカ。
「店は、お靜かに願います」
そう注意したが、いらぬ世話だったかもしれない。彼らはもう騒げない。聲が出せないのだ。ひゅうひゅう、苦しげな吐息をらすばかり。まあ、ひと晩寢れば元通りになるだろう。……多分。手加減できていれば。
俺を見る3バカの濁った目には、怯えのが浮かんでいた。
すなわち、恐怖。
「お帰りは、あちらでございます」
禮儀正しく、出口のドアを指し示した。
「お代は結構です。そのの謝料として、私のバイト代から出しておきますので。――二度と來るな。二度と彼にれるなよ。いいな!?」
3バカはを押さえながら、首が千切れんばかりに頷く。
店からは、再び拍手が起きた。
さて、と――。
「鮎川」
突っ立ったままの彼の肩を叩いた。
「このテーブルは俺が片付けるから、レジ打ち頼む」
「……あ、あ、うん……」
まだ、ショックから抜け出せてないようだ。
軽く彼の肩を抱き寄せて、ささやいた。
「よく頑張ったな。かっこよかったぞ。〝先輩〟」
「…………ばかぁ。かっこつけんなぁっ」
ぽふ、と拳で俺の腹を叩く。
そのままを預けてきた。
「鮎川?」
「ばか。後輩のくせに。あんな無茶して。ばかぁっ……」
ずっと気を張っていたのだろう。しなだれかかるように、俺のに顔を埋めた。
お客さんたちからまたもや歓聲が巻き起こる。今度は黃い歓聲。「おしあわせに!」なんて茶化す聲まで聞こえてきて――。
やれやれ。
鮎川の彼氏さん。申し訳ない。
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