《【第二部完結】隠れ星は心を繋いで~婚約を解消した後の、味しいご飯とのお話~【書籍化・コミカライズ】》番外編 普通と特別《ラルス》
ジョエル・アインハルトは、人目を惹く容貌をしていた。
顔がいい。背も高い。剣の腕も立つ。無表なところも恰好いいだなんて、騎士団の演習を見に來る婦子がきゃあきゃあ騒ぐのも頷ける。
だが騎士団の面々が知っている彼はし違っていて。
不想に見えるけど、実は面倒見が良かったり。
髪を下ろして貓背でふらりと出掛けたり。
実際は俗な所だってある男だけれど、そんなところを知る者達はそれを外部にらすような事はなかった。
そうさせるだけ、この男は騎士団の面々に信頼されている。それはもちろん、同期で団したラルス・ヴォルツナーも彼に対して同じような気持ちを持っていた。
「お前も普通の男なのにな」
「いきなり何だ」
ラルスが騎士服の襟元を寛げると、僅かばかりに眉を寄せたアインハルトがすぐにその襟元を正させる。
騎士姿でなくなればアインハルトもだらけた格好をするのに、騎士である時間のこの男はどこまでも真面目で真っ直ぐだ。
そんなところもラルスは気にっていたけれど、それを口にする事はなかった。自分でも気持ち悪いと思うからだ。
「いや、ああやって羨の眼差しを向けられるわけじゃん? でもあの子達ってお前に【普通】を求めてはいないんだろうなぁって思って」
「そうだろうな」
ラルスは無表のまま頷くアインハルトから、周囲へと視線だけを巡らせた。騎士団詰所から図書館までのそう遠くはない道でも、アインハルトに気付いた達が足を止める。皆が一様に熱い視線を送っているにも関わらず、當の本人は無表だ。
アインハルトが誰かに笑いかける事も、誰かを気に掛ける事もない。
彼がそれをしてしまえば【特別】が出來てしまう。【特別】は攻撃されるという事を、アインハルトは分かっているのだろう。
だが──
「……お前さぁ、最近よく図書館に行くよな。なんかお目當てあったりする?」
「いや、特にないが」
その視線や聲を探っても、いつもと変わらない。
本當に何もないのだと、彼の言葉に間違いはなさそうだ──と、普通なら思うだろう。しかしラルスには自分の勘(・)に自信があった。
図書館で本以外のお目當てなんて、司書の面々以外にあるだろうか。
職員は多いけれど、いつもカウンターにいるのはクレンベラー嬢とブルーム嬢だ。そのどちらかがお目當てだとは思うのだが、どちらだとまだ判斷は出來ない。
ブルーム嬢は婚約者が居たはずだから、クレンベラー嬢なのか?
それとも、告げられない想いをにめているのか?
「……祿でもない事を考えているな」
「え? いやぁ、別にぃ?」
「お前の思っているような事は何もないぞ」
「何も思ってねぇって」
「顔に出ている」
いや、アインハルトほどの無表ではないが、ポーカーフェイスには自信がある。そう思いながら頬をると、夕星の瞳がほんのしだけ細められた。
やられた。
頬にれた手を下ろしながら苦笑いをするしかなかった。
* * *
そんな事を思い返しながら、ラルスは目の前で寢転ぶ夕星の騎士を見ていた。
騎士団宿舎のラルスの部屋。部屋の主を差し置いて、アインハルトはベッドに寢転んで本を読んでいる。
「やっぱり當たってたんじゃねぇか」
「何がだ」
騎士服をぎ、髪も下ろした姿のアインハルトは聲も幾分からかい。
一瞬だけラルスに顔を向けて、すぐにまた本へと目を落としてしまった。
座った椅子の腳一本だけに重をかけるよう、背憑れに背を預けてゆらゆらとを揺らしながら、ラルスはにやにやと笑ってしまった。
「図書館にお目當てがあるのかって話。お前、アリシアちゃんがお目當てだったんだろ」
栞を挾んだアインハルトが、本を閉じて起き上がる。ベッドに腰掛けたまま、長い足を床に投げ出した。
「別にどうこうなりたかったわけじゃないぞ。あの頃のアリシアには婚約者が居ただろ」
「お前ならいつだって、かっ攫えたじゃねぇか」
「バカかお前は。アリシアがそれに靡くとでも? 俺としても……アリシアが幸せになるならそれで良かったんだ」
そう口にするアインハルトの聲がひどく穏やかで、それが図書館に向けられていたあの頃(・・・)の視線に宿る溫度と重なったのが分かった。
手にれたい人ではなくて、幸せになってしい人。
それがなのか。
それがだというのか。
ラルスにはまだ分からなかった。
また背憑れにを預けて後ろに揺れる。ぎぃ、と耳障りな音が聞こえたその瞬間、ラルスのは盛大にひっくり返っていた。
派手な音に肩を竦めたアインハルトが、すぐに笑いだしたのをラルスは床から眺めていた。
「痛ってぇ!」
「何をやってんだ、お前は」
取り繕わず、表を隠す事もせず、アインハルトが笑っている。
それはこの騎士団の中だけだったものだけれど、きっとアリシア・ブルームもそれを見ているのだろう。
二人で仲良く笑い合う姿が容易に思い浮かぶ。自分でも意外なほどに、それを嬉しいと思ったのは緒にした方がよさそうだ。
「なぁアインハルト」
「ん?」
まだ床に転がったままのラルスに、アインハルトが手をばす。差し出されたそれを摑みながら、ラルスは嬉しそうに笑った。
「幸せにな」
「おう」
摑んだ手を借りて起き上がる。
厚い前髪の奧に夕星が煌めいている。いつもは凪いでいるその瞳が、アリシアに向けられる時は揺らめく事をこの男は自覚しているのだろうか。
「お前ってさ」
立ち上がったついでに倒れた椅子を起こしたら、腳が一本折れてしまっていた。これは後で怒られるかもしれない。
「本當に普通の男だよな」
心に激を隠した、ただの男だ。
特別な一人に心を傾ける、ただの男だ。
ラルスの言葉に、アインハルトは低く笑った。
「當たり前だろ」
それに気を良くしたラルスは、持っていた椅子を部屋の端に放り投げると棚へと向かった。ウィスキーの瓶とグラスを二つ手にしたラルスの姿を見て、アインハルトの笑みも深くなる。
何も言わずともベッドの側にテーブルを引き寄せたアインハルトの隣に、ラルスも腰を下ろした。
「ラルス、お前あとであの椅子直しとけよ」
「あんな折れ方したらもう直せねぇだろ。怒られる時には付き合ってくれ」
「何で俺が」
軽口を叩きながらグラスにウィスキーを注ぐ。半分ほど満たされたグラスをアインハルトに渡すと、それだけでスモーキーな香りがふわりと立ち上った。
「明日の予定は?」
「新居の準備」
「うわ、幸せな予定だ」
「おかげさまで」
笑いながらグラスを掲げて、ラルスは時間を確認した。
夜更けまでまだ時間はある。多飲み過ぎたって、アインハルトの明日に響く事はないだろう。予定のない自分は酔い潰れたって構わない。
幸せそうな友人の姿に、今日はひたすら飲んでやろうと心に決めた。
味い酒になりそうだ。
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