晝下がりの庭園で、薔薇の葉がつやつやと輝いている。ほとんどの蕾はふっくらと膨らんでいるものの、その先端はいまだく閉じられたままだ。

「退屈だわ……」

両手で頬杖をつき、ゆるゆると遠くに視線を遊ばせながら、フローラはつぶやいた。

艶のある亜麻の髪は緩やかに両サイドで編み込まれ、ハーフアップに纏められている。にまとうドレスは、爽やかな空。首筋から肩にかけて大膽にを見せつつも元の出は抑えたデザインで、１５歳のを品良く大人びて見せていた。

王宮の庭園の隅に設えられた東屋は、支柱と屋に蔓薔薇が絡み、趣のある風を漂わせている。

蔓薔薇の葉の茂みが外からの目線を適度に遮ってくれる一方で、中にいる者は葉の隙間から周囲の様子を窺うことができる。ちょうどフローラの視線の先には、庭園の向こう、王宮のメインエントランスから謁見の間へと通じる廊下を人々が行きっているのを見ることができた。

ちょっとした隠れ家のようなこの東屋は、フェルベルク王國第４王フローラのお気にりの場所の１つだった。

東屋の中、が肘をつく円卓では、紅茶が湯気を立て、のお気にりのチョコレートがけのクッキーが甘い香りを放っている。紅茶やクッキーとし離れた位置には、栞が挾まれた本が置いてある。

フローラは左手で頬杖をついたまま、クッキーをポリポリと齧った。

「お行儀が悪うございますよ、姫様」

フローラからおよそ９０度の間を開けて座る侍姿のが、ティーカップを口に運ぶ手を途中で止め、呆れたような聲を出す。

「いいのよ。誰も見ていないもの」

のんびりと返された聲に、侍はやれやれと肩をすくめ、上品な仕草で紅茶を口に運んだ。

侍の名はエルナ。第４王専屬侍となって３年目となる彼は、リッシェ伯爵家の二であり、自も貴族階級の一員である。

フローラの専屬侍は、彼が子どもの頃から仕える年嵩の侍の他に、１５歳前後の貴族の令嬢が行儀見習いを兼ねて務めている。経歴に箔をつけて良縁を得ようと考える者、王族とお近付きになることをむ者、あわよくば王太子の目に留まらないものかと期待する者。様々な思を持つ令嬢達が、れ替わり立ち替わりフローラの侍が務めてきた。

その多くは、侍の仕事どころか自のの回りの世話さえ１人ではできないお嬢様であり、実家から自の侍を伴って王宮に參上する。そんなご令嬢達の仕事はというと、申し訳程度に本職の侍の手伝いをする他は、専ら王の話し相手を務めることであった。

そのようなわけだから、フローラの専屬侍は、長くても半年程度でれ替わる。その中にあって、侍として３年目を迎えるエルナは、極めて特殊な存在と言えた。

フローラは、エルナの侍生活が２年目にったころ、彼に問うたことがある。他の令嬢達のように侍の職を辭して結婚しないのか、と。

それに対しエルナは、穏やかな微笑を浮かべて答えた。

「姫様もご承知のように、恥ずかしながら我がリッシェ家は経済的にゆとりがあるとは申せません。私には姉と妹がおります。３人分の結婚資金を準備するのはおそらく難しいでしょう。私と致しましても、できることならば王宮侍の仕事を続けたいと思っております」

その言葉に偽りがないことは、エルナの働きぶりから明らかだった。エルナは自ら進んで本職の侍達に教えを請い、侍の仕事を１つ１つにつけていった。今では、フローラの専屬侍として必要な仕事は一通りこなせるようになり、本職の侍達からの信頼も得るに至っている。もちろん、実家から自分用の侍を連れて來るなどということもない。

そんなエルナであるから、フローラが他のお嬢様侍に対するようにお茶に同席するようっても、「仕事中でございますので」と遠慮するのが常だった。

しかし、フローラもそう簡単には引き下がらない。

「あら、わたくしはエルナを友人だと思っているのよ？　友人のいをむげに斷るなんて、ちょっと薄なのではないかしら」

フローラがわざとらしく頬を膨らませ、笑みを含んだ瞳でエルナを見つめれば、エルナは「姫様がそこまで仰るなら」と微苦笑を浮かべて席につく、というのが毎度繰り返されるお決まりのやり取りである。

どうせ最後には応じるのだから、最初から「うん」と言えばいいのに、などと思う一方で、エルナの生真面目な格を好ましく思い、この定番のやり取りを半ば楽しんでいるフローラである。エルナの方も、われたときには遠慮するものの、いざ席についてしまえば、フローラとのお茶を楽しんでいる様子だった。

「はぁあ、本當に退屈ね」

溜め息混じりにつぶやいて、フローラはさらにもう１つクッキーを口に放り込む。エルナはそんな主を見やって、苦笑にも似たかすかな微笑みを浮かべた。

「そういえば、姫様。本日は確か、ユリウス様が帰國されるご予定でしたね。ユリウス様がお戻りになられたら、姫様も退屈ではなくなりますわね？」

その聲にわずかなからかいのをじ取って、フローラはジトリとエルナを見る。それから、庭園の向こうの廊下に視線を戻した。

「でもまだ戻って來ないんだもの。やっぱり退屈だわ」

ユリウスはバルツァー公爵家の長男であり、フローラの婚約者である。歳はフローラより５歳上の２０歳。

代々、外面で國の中心を擔うバルツァー公爵家の慣例に倣い、ユリウスも１０代半ばから周辺各國に短期の留學をしていた。その最後の留學先として、３ヶ月前から西の大國アシャール王國に滯在していたが、本日帰國する予定となっていた。

「そんなにお暇でしたら、おサボりになった地理のお勉強に戻られたらよろしいのに」

「もうっ、そういうことではないの」

フローラは頬を膨らませるが、エルナは涼しい顔でティーカップに口をつけている。

ふとフローラは、頁を開かないまま置いていた本に手をばした。そして、翡翠の瞳をキラキラさせてエルナを見た。