《【電子書籍化】退屈王は婚約破棄を企てる》3.王は妄想する
フローラの翡翠の瞳がキラキラと輝く。
「ねぇ、婚約破棄なんて起きないかしら? 今流行っているのよ」
「婚約破棄が、でございますか?」
エルナは怪訝な顔で首をかしげ、それからフローラが手にする本に気付いて「あぁ」と頷いた。
「小説の話でしたか」
「そう。最近多いのよ、婚約破棄もの。ヒロインはたいてい平民や下級貴族の娘で、分の高い素敵な男とに落ちるの。ヒーローには格の悪い婚約者がいて、ヒロインをあの手この手で苛めるのよ……」
「ありがちでございますね」
「語の最大の見せ場は、なんと言っても婚約破棄のシーンよ! キラキラした舞踏會で、ヒーローはヒロインを背中に庇い、皆の前で悪役令嬢の悪事を華麗に暴いて、堂々と婚約破棄を宣言するの。ヒロインは晴れて分違いのを就させるのよ……」
「なんだか々と問題になりそうですけれど」
エルナの冷靜な合いの手にも挫けず、フローラは夢見るような表で続ける。
「あー、ドラマティックよね……。目の前で起きないかしら、婚約破棄」
「……姫様、小説は作り話でございますよ」
エルナの呆れ聲に、さすがのフローラもバツが悪そうな顔になる。
「わかっているわよ。でも退屈しのぎに妄想するのは自由でしょ?」
再びニッコリと笑顔を浮かべるフローラに、エルナは諦めの溜め息をついた。
「わたくしの周りでドラマティックな婚約破棄が起こるとしたら……。婚約破棄するヒーローは、分が高い殿方と相場が決まっているわ。王子様とかね。我が國の王子様と言ったらお兄様だけだけど……ダメね、お兄様には全く期待できないわ」
「なにせ、婚約者がおられませんからね」
フローラを諫めることを諦めたエルナは、主の妄想話に付き合うことにしたらしい。フローラは満足げに頷いた。
「そう、婚約者がいないのに婚約破棄をするのはさすがに不可能だわ。それに、お兄様にも次の婚約こそはうまくいってほしいし……」
フェルベルク王國の唯一の王子にして王太子であるルーカスは現在20歳だが、いまだ婚約者がいない。過去には2度婚約を結んだことがあるのだが、いずれも諸事により婚約解消となり、改めて選定し直しているという経緯があった。
「ねぇ、わたくし常々思っているのだけど、エルナがお兄様の婚約者になればいいのではないかしら?」
突然フローラの妄想の矛先を向けられ、エルナは目を瞬かせた。
「……姫様、ご冗談が過ぎますわ」
「あら、わたくしは本気なのだけど」
「王太子殿下と私では釣り合いが取れません」
「そんなことないわよ。伯爵家から王太子妃、ひいては王妃が出た例は、多くはないにしても、あったはずよ。リッシェ伯爵家は、今は経済的に苦しいかもしれないけど、伝統ある伯爵家だもの、家柄の點では問題ないと思うわ。それとも、エルナはお兄様のこと、嫌いかしら?」
「……この國に王太子殿下を嫌う娘などいないと思いますが」
他人事のように淡々とエルナは答える。
事実、ルーカスは未婚の令嬢達に絶大な人気を誇っていた。王太子という地位に加え、甘い容姿に常ににこやかな表、その上婚約者がいないとなれば、未婚の令嬢達の熱い視線を集めるのは必然と言えた。
もっとも、ルーカスは誰に対してもらかい態度で接する割に隙を見せず、王太子妃の座を狙って群がる令嬢達をやんわりとあしらっている様子だった。フローラが見る限り、特定の令嬢と親しくしている様子はない。
「嫌いでないならなんとかなると思うわ。王族や貴族の結婚なんてそんなものでしょう? それに、エルナはずっと王宮で働きたいのでしょ。ちょうどいいと思わない?」
「……王太子妃と侍を一緒にされては困ります。王太子妃は、それに相応しいを持つ方でなければ務まりませんわ」
「というなら、やっぱりエルナが相応しいと思うのよね。いつだって冷靜で々のことではじないし、真面目だし、実は優しいし、それに人だし」
フローラの脳裏に、王宮の夜會やお茶會で同席した令嬢達や、専屬侍を務めていた令嬢達の顔がよぎる。どのご令嬢も悪い娘とは思わなかったが、フローラへの過剰なお世辭にはげんなりさせられたし、そのくせルーカスが姿を見せようものならフローラそっちのけで黃い悲鳴を上げる姿には呆気に取られたものだった。
その點、エルナはわきまえている。不要なお世辭は口にしないし、ルーカスの姿を見ても頬を染めて仕事を疎かにするようなこともない。淡々とした口調は人に冷たい印象を與えることもあるが、本當は気配りができて優しい格であることもフローラは知っている。
それに、エルナは侍姿のせいか一見地味に見えるが、実は整った容姿をしている、とフローラは思っている。淡い金の髪は絹糸のようにらかだし、深い青の瞳は靜かな湖のようだ。スッと通った鼻筋と薄く形の良いは、17歳の彼を年齢より大人っぽく見せていた。
しく著飾れば王太子と並んでも見劣りしないはずだ、とフローラは想像するのだが、殘念なことに、エルナの実家の経済的事とエルナ自の無関心が相まって、未だにエルナがドレスアップした姿を見たことはない。
「姫様は私を買い被っておられます」
困ったように僅かに眉を下げるエルナに、フローラはニッコリと微笑んだ。
「エルナのそういう謙虛なところ、わたくし好きよ。本當に良い案だと思うのだけど……あまりエルナを困らせてはいけないわね」
そう言うと、小説を両手で持ち、目の前に掲げた。どうやら婚約破棄の妄想に戻るつもりらしい。
「お兄様には婚約破棄は無理となると、その次に地位の高い、若い獨貴族といえば……」
「バルツァー公爵家ご長男であらせられるユリウス様ですが」
「ユリウスならば、家柄、容姿ともに、婚約破棄もののヒーローとして申し分ないわね!」
翡翠の瞳を輝かせるフローラに、エルナは本日何度目か知れない深い溜息をついた。
「……申し上げたいことは々とございますが……とりあえず、ユリウス様が婚約破棄なさるのは事実上不可能ですわね」
「あら、なぜ?」
フローラは大きな目をパチクリさせてエルナを見る。
「婚約破棄というのは、一方的に行うものでございましょう? 地位が高い者から低い者に対してでないと、立しないのではありませんか?」
「言われてみればそうね」
「ユリウス様の婚約者はフローラ姫様ですわ。いかにバルツァー公爵家のユリウス様といえど、王家の姫君との婚約を一方的に破棄できるはずがございません」
「……婚約破棄って、意外と難しいのね」
溜息混じりにつぶやいて肩を落としたフローラだったが、「あ」と聲を上げると再び顔を輝かせた。エルナは嫌な予に僅かに眉を寄せる。
「そうだわ! だったら、わたくしから婚約破棄してみようかしら? 地位の問題は解決するわよ。あら、でも男が逆転してしまうわね。それってどうなのかしら……」
ブツブツと妄想にふけるフローラに、エルナは本日最大級の溜息をこぼす。
「姫様、ご冗談でもそのようなこと……」
妄想を暴走させるフローラを諫めねば、と表を引き締めたエルナだったが、東屋に近寄ってくる人を認めると素早く立ち上がった。
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