途端に、フローラは悪戯が見付かった子どものように肩をすくめた。

「あ、あれはほんの冗談よ。ただ……」

「なに？　ユリウスとの婚約に何か不満があるの？　もしや結婚に憧れてるとか？」

フローラの傍らの小説に目をやり、ルーカスが尋ねる。

「憧れがないと言ったら噓になるけれど……王族の結婚がどういうものかは、わたくしだって理解しているつもりよ。不満があるわけではないの。ただ、ユリウスはこれでいいのかしらって、時々ふと思うのよ……」

２人の婚約が結ばれたのは、フローラが５歳、ユリウスが１０歳のとき。

末娘を溺する國王夫妻が、フローラの嫁ぎ先は是が非でも國外ではなく國の貴族にと強く希し、家柄、年齢等の兼ね合いからバルツァー公爵家の後継者であるユリウスに白羽の矢が立ったというわけだ。

當時５歳だったフローラは、婚約が結ばれたときのことなどもちろん覚えていない。い日のフローラにとってユリウスは、「よくお城に遊びに來る、お兄様のお友達」であり、兄と３人でかくれんぼをして遊んだのがユリウスとの１番古い記憶だ。

「ユリウスはわたくしにとってお兄様のような存在よ。ユリウスだって、わたくしを妹のように思っているわ……」

フローラはわずかに目を伏せ、獨り言のように呟いた。

ルーカスとエルナは、無言で視線をわす。

ルーカスは「ふぅん」と首を傾げた。

「フローラがそんな風に考えているとは意外だったな……。まぁ、フローラの兄として、ユリウスの親友として、余計なことは言わないでおくけれど、とにかく２人でよく話すことだね」

兄からポンポンと頭をでられ、フローラは、知らぬ間に強張っていた肩の力が抜けるのをじた。それを確認するように頷いてから、ルーカスはにっこりと笑みを浮かべた。

「それはそうと、あれ、ユリウスじゃない？」

ルーカスの目線の先、庭園の向こうの廊下に、フローラは見慣れた黒髪を見つける。その瞬間、反的に立ち上がった。

「本當だわ！　ありがとう、お兄様！　あぁ、でもわたくしが１番に見つけたかったわ！」

フローラは肩に掛けていたショールを押し付けるようにエルナに手渡し、兄への禮もそこそこに東屋を駆け出した。エルナが足早にその後を追う。そんな２人を見送り、ルーカスは小さく微笑んで紅茶に口をつけた。

＊

普段は靜かな王宮の廊下に、フローラの靴音が軽やかに響く。

ドレスの裾を両手で摘み、かろうじて走っていないと言い張れる早歩きで廊下を進む。その姿は到底お淑やかとは言えないが、すれ違う文や衛兵達は、慣れた様子でそれを見送った。

勢いよく角を曲がったところで、廊下の先に探していた黒髪の後ろ姿を見つけ、フローラは顔を綻ばせた。し遠いが、呼びかければ屆く距離だ。

「ユリ……」

しかし、婚約者の名を呼びかけたフローラは、途中で口を噤み、足を止めた。ユリウスが１人ではなく、同行者を３人伴っていることに気付いたからだった。

そのの１人は、フローラもよく知る人、ユリウスの父、バルツァー公爵である。しかし、バルツァー公爵と並んで歩く壯年の男には見覚えがない。

そしてもう１人、見知らぬ若いがユリウスの隣を歩いていた。栗のかな髪をハーフアップに結い上げたが、背の高いユリウスを見上げ、何事かを口にする。ユリウスもまた彼に顔を向け、言葉を返す。その口元には笑みが浮かんでいる。久しぶりに見るユリウスの笑顔だった。

その裝いから、が上流階級に屬していることは明らかだ。そして、が著こなしている洗練されたドレスのデザインと、ちらりと見えたしい橫顔は、どことなくフェルベルクの者とは異なる雰囲気を纏っているようだった。

一行は、フローラには気付かないまま、謁見の間へと歩を進めていく。フローラはユリウス達の姿が見えなくなるまで、ぼんやりとその後ろ姿を見送った。

「……お綺麗な方。どなただったのかしら……」

ユリウスの消えた先を見つめたまま、誰にともなくフローラが呟く。それに答えるように、いつの間にか背後に控えていたエルナが、フローラの肩にそっとショールを掛けた。

「……姫様、東屋にお戻りになられますか？」

フローラは無言で頷くと、ゆっくりと踵を返した。