フローラは逃げるように王宮に戻った。いや、事実、逃げ出したのだ。

テラス席に背を向けていたエルナは、ユリウスとロズリーヌには気付かなかったらしく、突然顔を悪くして帰ると言い出したフローラに驚いたようだった。合が悪いのかと本気で心配する様子だったが、理由を口にすることは躊躇われた。

何か不手際があったかと青ざめるカフェのオーナーに、かろうじて笑みで応え、フローラは店舗橫手の出口からひっそりと馬車に乗り込んだ。明るいテラス席にいたユリウス達は、最奧の特別席のきには気付かなかっただろう。

王宮に戻ると、フローラは自室に引きこもった。

風邪を引いて寢付いたときを除けば初めて、家族との夕食會を欠席した。食などまるでじない。しでも食べを口にすれば吐きそうなくらい、が苦しかった。

心配する家族を代表して、兄のルーカスが部屋を訪ねてきたが、フローラは顔を見せなかった。酷い顔をしているのが自分でも分かっていたからだ。

エルナ達侍も、早々に下がらせた。エルナからの問いたげな視線をじたが、フローラは気付かないふりをした。

一瞬だけ、エルナに話を聞いて貰おうかという考えが頭をかすめたが、冷靜に話せる自信がなかった。人前で取りすことは、例え家族や侍の前であっても恥ずべきことだと、王としての矜恃が告げていたのだ。

そうしてようやく１人きりになると、フローラはベッドに突っ伏し、聲を殺して泣いた。

脳裏に焼き付いて離れないのは、ロズリーヌに向けられたユリウスの笑顔だった。

（わたくしと一緒のときには、あんな風に笑わなかった……）

フローラと共にホットチョコレートを飲んだとき、ユリウスはいつも、「甘いですね」と呟いて顔をしかめていたのだ。

（いいえ、ホットチョコレートを飲んだときだけじゃない。わたくしといるときは、いつだって……）

フローラは、ユリウスの笑顔を思い出そうとした。自に向けられた笑顔を。

けれど思い出すのは、仏頂面に浮かぶ眉間の皺ばかりだ。

これまでは気にしていなかった。それがユリウスの素の表だと思っていたから。

（だけど、好きなの前では違うのだわ……。ユリウスが本當に想っているのは……）

ユリウスの気持ちなど、改めて聞くまでもなかったのだ。

本當はとうに気付いていた。ユリウスがロズリーヌにアクアマリンのネックレスを贈ったと聞いたときから。気付いていたのに、フローラは気付かないふりをしていたのだ。

（だってアクアマリンは、ユリウスの瞳と同じだわ……）

フローラは泣いた。

一晩中、泣いた。

泣き続けると頭痛がするのだということを、フローラは生まれて初めて知った。

重く痛む頭でフローラは考え続け、そして決斷した。

（わたくしは、ユリウスとの婚約を破棄するわ）

いつかエルナが言ったとおりだ。

婚約破棄は、分が上の者から下の者に対してしかできない。

ユリウスがロズリーヌと想い合っていたとしても、そしてフローラとの婚約解消をんだとしても、ユリウスの側から言い出せるはずがないのだ。

（だから、わたくしから、ユリウスを解放する……）

ユリウスが本當にするのがロズリーヌであるなら、ユリウスにはロズリーヌと幸せになってしい。

ユリウスの幸せを願える自分でいたかった。

（……いいえ、違うわ。本當はそうじゃない。わたくしは、自分が傷つきたくないだけなのよ……）

婚約破棄しなければ、近い將來、フローラはユリウスと結婚することになる。

結婚すれば、ユリウスは時期公爵家當主として、元王であるフローラを丁重に扱ってくれることだろう。そして、公爵家のため、ロズリーヌとの結婚を諦めることになる。

けれど、ユリウスの中にあるロズリーヌへの想いを強制的に消すことなど、できはしないのだ。

いっそユリウスを嫌いになれたら、とフローラは思う。

けれど、長い年月をかけて、フローラ自すら気付かないほど慎重に育まれたユリウスへの想いは、そう簡単に消し去れるものではなかった。

ユリウスが本當にするのは他のだと知りながら平気な顔で側にいることも、ユリウスが仕事でアシャール王國へ行く度にかにロズリーヌと會っているのではないかと疑いながら過ごすことも、フローラには耐えられそうになかった。

そうして空が白みかけるころ、フローラはお茶會の招待狀を３通したためた。

招待客は兄のルーカス、ユリウス、そしてロズリーヌ。

日時は今日の午後、場所は薔薇園の東屋。

招待狀に封をし終えたとき、もうフローラの目に涙はなかった。