《【書籍6/1発売&コミカライズ配信中】辺境の貧乏伯爵に嫁ぐことになったので領地改革に勵みます》第34話 コルラード卿

「お父様……!」

モンタン公爵家の敷地に降り立つと、ドラゴンを見た侍たちが悲鳴を上げる中、アンジェリクは城の中に駆け込んだ。

「お嬢様!」

「フレデリク、お父様は?」

「幸い、峠は越えました。もう大丈夫だと、さっきお醫者様が……」

「本當に?」

はい、と隈の浮いた顔でフレデリクが頷く。

ほっとしたら、膝から崩れ落ちて厚い絨毯の上にしゃがみこんでしまった。

後から走り込んできたセルジュを見上げ「大丈夫ですって……」と言ったら涙が出た。

「よかった……」

ほっと息を吐いたセルジュに支えられて立ち上がる。

フレデリクが怪訝な顔で聞いた。

「あの……、お嬢様、ここまでどのように?」

「ドラゴンに乗ってきたの」

「ドラゴン……ですか?」

ラッセはすぐにブールに戻ってしまったので、フレデリクに見せることはできなかった。

「お父様に會える?」

「お醫者様がお部屋にいます。直接お聞きになってください」

「そうするわ。……フレデリク、あなたし休んだほうがいいわ。何かあったら聲をかけるから」

セルジュと一緒に父の私室に向かった。

「お姉様!」

寢室の手前の居間にマリーヌとフランシーヌがいた。

セルジュを見ると、目をぱちくりさせて、揃ってポッと頬を染める。

気づけば、壁際に控えている侍たちもアンジェリクの夫をチラチラと盜み見ていた。

(そうだった。この人、顔がいいんだった……)

本人は何も気づいていないようで、真剣な顔で寢室のほうを見ている。

妹たちや侍たちの様子から、どうやら本當に峠を越えたらしいとほっとでおろした。醫者の許可も下りて、そっと部屋にる。

その日は眠る父の顔を見ただけで、新居になるはずだった離れに下がった。

翌日になると、し話をしても構わないと醫者から許可が出た。

「ボルテール伯爵……」

「お初にお目にかかります」

ベッドに寢たまま父が右手を差し出した。

「アンジェリクは、ちゃんとやっていますか?」

「これ以上ないくらいに。公爵から學んだことを元に、領民のために盡くしてくれています」

コルラード卿は満足そうに微笑んだ。

アンジェリクの調を気遣い、ここまでの移はどうしたのかと聞いた。ドラゴンで來たというと、よくわからないという顔をした。

「私が油斷したばかりに、無理をさせたな」

「いいえ。お父様、犯人はつかまったの?」

「ああ。その場で、すぐにな。アギヨン牢獄にっているはずだ」

取り目的だろうと父は言ったが、アンジェリクは首を傾げた。

醫者からは、馬車を下りたところを一突きされたと聞いた。脇腹を深く刺されていて、出がひどく、一時は意識不明の重だった。

持ち直したのは本人の力のおかげだと言っていた。

取り目的の人が、そんなにタイミングよく刺せるかしら?」

「ん?」

「はじめから、お父様の命を狙ってたんじゃないの……?」

「なぜ、そう思う?」

「だって、よほど隙を突かれたんじゃなきゃ、お父様がこんな深手を負うことはないわ」

寶剣やカフス、指など、常に寶石をに著けている貴族は取りの標的になりやすい。狙われるとわかっていて対策をしないのは愚かだと言って、父は多の護に著けている。

油斷していて鞄やステッキを盜られることはあっても、刺されると思った瞬間、大けがを避けるように勝手にくくらいには鍛錬している。

ふつうなら子にはけさせないその手の訓練を、アンジェリクやマリーヌ、フランシーヌにさえけさせてきた。そのくらい用心深い父だ。

「お父様を、ただの取りが勢いで刺して、偶然、命にまで係わるほどの深手を負わせたなんて、信じるほうがおかしいわ」

「アンジェリク……」

「犯人に會いに行かなきゃ」

「會いに行ってどうする?」

「聞くのよ。誰に頼まれたのかって」

「なんだって?」

ベッドの上から驚いたように、父がアンジェリクを見た。

「刺したのは、たぶんプロよ。よく、その場で捕まえたわね」

父は、フレデリクが一緒だったと言った。

いつもは城にいるフレデリクが、その日はたまたま銀行に用事があり、馬車に同乗していた。者だけだったら逃げられていただろうと続ける。

「それは、とてもラッキーだったわ。フレデリクに特別手當をはずんであげて。たっぷりとね」

大変なお手柄だ、とアンジェリクは心の中で呟いた。

父の無事を確かめて安堵してから、アンジェリクの頭脳はしずつ本來の働きを取り戻していた。

ぼんやりとした郭しか浮かんでいなかったものに、明確な形が見えてくる。

真犯人はほかにいる。

必ずその人を突き止めるのだと、心で誓った。

そう、必ず……。

(絶対に、許さないから……)

アンジェリクは怒っていた。

ずっと、怒っていた。

本気で怒ると、いつも以上に平靜になる。表面上はほとんど変わらないように見えて、腹の底でメラメラと怒りの炎を燃やすのだ。

本気で怒ったアンジェリクの恐ろしさを知った者は、二度と彼の前に顔を出せなくなる。

うっかり道で出くわそうものなら、蛇に睨まれたカエルのようにき一つできずに嫌な汗をかくしかなくなるのだ。

それは、一生忘れることのできない凄まじいものだ。

滅多に怒らない彼を怒らせたらどうなるか。

優しさや慈に満ちた人間は、同じ振り幅で殘酷になれる。

そういう人間は、人の心の一番深い場所にあるものを知っているからだ。

真犯人の破滅の時は、刻々と迫っている。

もう逃げることはできない。

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