《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第三十一話:白の その2
クリスマスイヴから遡ること一週間前。
砂原は『飛行』を使って日本の首都である東京へと長駆していた。事前に飛行許可を取っているため、空戦部隊からは照合をけるだけで済む。照合を終えると、そのまま目的地のとある高層ビルへと向かった。
そのビルには、日本ES戦闘部隊監督部と呼ばれる部署が置かれている。防衛省の直轄組織の一つであり、文字通り日本の『ES能力者』達を監督するための部署だ。
部署を束ねるのは、日本の『ES能力者』達すらも束ねる『武神』、長谷川源次郎である。日本が誇る最強の空戦部隊『零戦』の初代部隊長である源次郎は、その功績と実力を買われて日本の『ES能力者』に対する統括者となっていた。
諸外國との政治的バランスを整えるために前線から外されたという“噂話”もあるが、監督部には『ES能力者』の部隊に対する指揮権も付與されており、『零戦』などは源次郎の直轄部隊である。砂原などは、源次郎が後進のために席を譲ったと見ていた。
砂原はビルの屋上に著地すると、ビルの護衛のために待機していたES能力者に自の攜帯電話を見せる。そこには『十二月十七日のヒトサンマルマル時に出頭するように』と書かれたメールが屆いており、それに従ったのだ。
案の従卒を付けられ、砂原はビルの中に足を踏みれる。何度か訪れたことがあるため迷うことはないが、すれ違う『ES能力者』や兵士の立ち姿を見て僅かに目を細めた。
(しばかり、たるんでいるな……)
全的に練度が下がっているように見える。一定の張を維持してはいるが、もしも砂原がこの場で兇行に及べば大慘事になるだろう。そう判斷できるほどには、練度の低下が見られた。もっとも、腕が立つ者は難易度の高い任務に駆り出されているため、このビルに詰めているのは砂原から見れば二線級レベルのES能力者ばかりなのだが。
「砂原空戦軍曹、出頭いたしました」
従卒に案された部屋で、椅子に座っていた人に対して敬禮をしながら砂原はそう告げる。それを聞いた人――源次郎は椅子から立ち上がると、答禮を返して口を開いた。
「久しいな、砂原大尉……いや、今は軍曹だったか。訓練校での教導はどうかね?」
そう言って、ニヤリと笑いかける源次郎。長は砂原とほぼ同じなのだが、そのにめた威圧によって実際よりもを大きく見せる。多びた黒髪をオールバックにまとめ、悍な顔立ちは四十代に差し掛かるかどうか、という印象を與えた。
「はっ。お久しぶりであります、長谷川中將閣下。その節は格別の高配を賜り、ありがとうございました。こうして、教として末席を汚しております」
砂原は直立不で答え、それを聞いた源次郎は口の端を吊り上げる。
「相変わらず固いな、軍曹。今日は他の高の目も耳もない。楽にしたまえ」
源次郎は來客用に設置されたソファーを示し、それをけた砂原は僅かに逡巡した後に座る。すると、案についていた従卒がコーヒーカップに注いだコーヒーを運び込み、テーブルへと置いた。そして、源次郎の視線をけて退室していく。
座った砂原の対面に源次郎も腰を下ろし、コーヒーに口をつける。僅かな沈黙が流れ、砂原は『零戦』に所屬していた頃に隊長を務めていた男の顔を見た。
源次郎は今年で九十歳になったが、外見はまだまだ若々しい。前線から退いてなお引き締まった軀は、源次郎が『ES能力者』としての鍛錬を欠かしていないことを窺わせる。
そもそも、このビルに二線級の『ES能力者』しか詰めていないのは源次郎がいるからだ。源次郎の護衛という側面があるはずなのに、実際には護衛される源次郎こそが最も強いという矛盾。そのことに心で苦笑すると、源次郎が口を開いた。
「このビルの兵士達はどうかね?」
その言葉の指す意味を正確に汲み取り、砂原は『もしや心を読まれたか』と苦笑する。
「以前來た時に比べ、多練度が落ちていますな。多気を引き締めた方が良いかと」
「そうか……腕が立つ者は任務で飛び回っているからな。“上”の意向で人員の代もある。今度“喝”をれるか」
喝をれると言って、模擬戦で叩きのめすような人だ。砂原は苦笑を深めた。
「ほどほどになさった方がよろしいかと。潰れかねません」
「なに、私もしはをかさんとな。デスクワークばかりではが鈍る」
軍人は余計な會話はしない質だが、源次郎達『ES能力者』は一般の軍人とは異なる。會話を軽いジャブにして、話を進めていく。
「そう言えば、君の擔當している生徒達の様子はどうかね?」
砂原が擔當している訓練生――正確には、沙織のことを聞きたいのだろう。しかし、特定の生徒を贔屓するわけにもいかないため、生徒達と括った源次郎に、砂原は笑みを浮かべた。
「活きの良いのがちらほらといますな。手を焼かされることもありますが、鍛えがいがあります」
源次郎に対しても、訓練生達の報は伝わっている。それでも教から直接話を聞きたいのだろうと、砂原は訓練生達の話をしていく。
「そうか……君ならば、適切な指導ができるだろう。期待している」
「恐であります」
話を聞いて、どこか安堵したような源次郎に頭を下げる砂原。源次郎はそんな砂原を見ると、コーヒーカップを片手に口の端を吊り上げる。
「だが、私としては君に『零戦』の隊長を務めてほしかったのだがね。教としても問題ないだろうが、々勿なく思う」
源次郎が『零戦』の部隊長から降りる際、砂原を次の部隊長に據えるつもりだった。しかし、砂原本人の希もあり、それは実現せずにいる。源次郎の言葉を聞いた砂原は、小さく肩を竦めた。
「非常に恐ですが、藤堂大佐の方が向いているでしょう。私は部隊長という柄ではありませんよ」
砂原はかつての同僚にして、『零戦』の現部隊長の名を口にする。砂原と共に源次郎の片腕として長年戦い抜いてきた人だが、友人にしてライバルという複雑な関係だ。
砂原が家族のために後方勤務を希し、源次郎としても様々な思からそれを許可している。それでも、時折原隊復帰をしないかと『零戦』の隊員達から乞われているのだが。
「そうか……また君と任務で暴れてみるのも良いと思ったんだが」
「“隊長殿”が前線に出られては、敵も尾を巻いて逃げましょう。多は後進の者達に譲るべきかと」
『零戦』時代の呼び名を口にして、砂原は再度苦笑を浮かべる。さすがは沙織の祖父と言うべきか、はたまた沙織こそがさすがは源次郎の孫と言うべきか、発言が騒だった。
『武神』が任務に、それも敵の『ES能力者』と対峙するような場に出てきたとなれば、相手は尾を巻いて逃げるだろう。あるいは、その武名を狙って挑んでくるかもしれないが、“文字通り”一刀両斷されかねない。それ以前に、諸外國からクレームがりそうだが。
「やれやれ、後方勤務など柄ではないのだがね……」
源次郎は頭を振ってそう言い、次いで、視線を鋭くする。
「さて、今日軍曹を呼んだ件についてだが」
視線だけでなく、源次郎が纏う雰囲気すら変貌した。砂原はその様子を見て、ここからが本番かと気を引き締める。
「近々、違法なES能力研究施設を一斉検挙する。その際、訓練生達に後詰を頼むことになるだろう」
「一斉検挙、でありますか。日時は?」
「十二月二十四日のヒトヨンマルマル時に、陸戦部隊が一斉に踏み込む。訓練生達は第三警戒網の構築に就いてもらう予定だ」
日付を聞き、砂原は僅かに眉を寄せた。
「意見をしてもよろしいでしょうか?」
「許可する」
「つい先日、小が擔當している訓練生が襲われたばかりです。この時期に任務を與えるというのは、指導教として賛しかねます。せめて、年が明けてからにすべきかと」
本來、軍人というのは上からの命令は拒否できない。しかし、砂原が擔當しているのは訓練生だ。対外的には“學生”となっているため、多の融通は利く。本來は十二月の頭に二回目の任務が行われる予定だったが、博孝と里香が敵の『ES能力者』に襲われたため、延期としているのだ。
「軍曹の懸念も尤もだ。しかし、“上”の連中がうるさくてな。『高い金を払っているのだから、その分は働け』だそうだ」
「……中々に、面白いことを仰る方がいるものですな」
源次郎が口にした言葉を聞いて、砂原の周辺の溫度が一気に下がる。聲には一切のが含まれていないが、源次郎には砂原の心が手に取るようにわかった。
「まったくだ。訓練生は“學生”で、任務は“課外実習”という位置づけになっている。その上、訓練生が襲われたばかりだというのに、平気で任務に出ろというのだからな……だが、これは正式な任務だ」
撤回はされないということを言外に告げると、砂原は無言のままに頷く。それと同時に、大きな違和を覚えた。
任務の伝達だけならば、わざわざ砂原を呼び出す必要はない。初回の任務の時は、“上”と折衝した大場に伝えられたのだ。そのことを考慮し、砂原は口を開く。
「――それで、小は何をすればよろしいのですか?」
つまり、砂原個人に用があることになる。砂原の言葉を聞いた源次郎は、楽しげに笑う。
「話が早くて助かるな。軍曹、君には極任務を與える」
階級こそ軍曹だが、砂原は『零戦』で中隊長を務めた練の『ES能力者』。単の『ES能力者』としては、この國でも指折りの優秀さを誇る。それこそ、源次郎が『零戦』部隊長の後継として據えたいと思うほどには優秀だ。
そんな砂原に教職への異を許可したのは、砂原の指導力を見込んでという部分もある。しかし、それ以上に、その実力と後方である程度自由にける立場を持たせることを目的としていた。
高い実力があり、訓練校の教という立場を隠れ蓑として極の任務を與えられる。それが、砂原の與えられた立場だ。その砂原を利用して、源次郎は極裏に多くの“手”をばしている。
そして、今回もその“手”の一つだ。
「対象施設では、人工の『ES能力者』を生み出す研究をしている。陸戦部隊は施設の破壊および研究者の捕縛を目的としているのだが……先日、人工の『ES能力者』を生み出すことに功したという報がった」
人工の『ES能力者』――その言葉を聞き、砂原は驚愕に目を見開く。報としては、極も極。軍の高位佐ですら知ることができるかどうか、というレベルだ。
「軍曹、君にはその人工『ES能力者』の確保を命じる。陸戦部隊にも、何人か手の者を潛ませている。彼らが“獲”を追い立て、君が捕獲だ」
もしも本當に人工の『ES能力者』が誕生したというのなら、世界勢を一変させかねない。ES國際法でも『ES能力者』のクローン作製等はじられているが、『ES能力者』が“増産”できるのならばと各國で極裏に研究がされていると砂原は聞いていた。もっとも、『ES能力者』のクローン作製などは倫理的な問題もあるが、何よりも技的な問題によって頓挫することがほとんどだ。
砂原は任務の重大さに眉を寄せるが、いくつか気になる點があったため口を開く。
「質問ですが、その報の確度は? 人工の『ES能力者』など、小には信じられません」
「かなり高い。何せ、“上”の一部が噛んでいるようだからな」
「……世も末ですな」
どこぞの腐敗した高が出資しており、それが見しそうになったため施設と関係者の口封じをんでいるのか。砂原はそう判斷した。それと同時に、可能ならば“功例”の確保も行いたいのだろう。
「まったくだよ。陸戦の上の方の連中も、人工『ES能力者』の確保を命じられているようだ。もっとも、現場の人間には人工『ES能力者』であることは伝わらんだろうがね。確保できれば、実験サンプルにでもするのだろう」
源次郎の話では、“上”に逆らいかねない容だ。しかし“上”――防衛省の上層部も一枚巖ではない。幸いと言うべきか、日本ES戦闘部隊監督部を管理する“上司”は源次郎の味方だが。
『ES能力者』を政治に利用したい人間からすれば、人工の『ES能力者』はから手が出るほどにしい存在だろう。『ES能力者』の數が、國際社會のバランスに直結する時代だ。一気に數を増やせれば、それだけ優位に立つことができ――そして、世界各國から危懼され、日本対世界という構図になりかねない。
困ったものだと源次郎は首を振り、一枚の寫真を取り出す。そこには、薄緑のが詰まった円柱形の巨大なガラスポッドにった真っ白なが映っており、それを見た砂原は不快そうに鼻を鳴らした。
「これが?」
「そうだ。數は不明だが、“完品”だと聞いている。人と変わらず、食事を取れば眠りもするらしい。『ES能力者』の細胞を使用したクローン、あるいは“オリジナル”のESに適合できるように“調整”された個だそうだ」
娘を持つとしては、糞悪いにもほどがある。砂原は怒気のこもった目で寫真を睨むが、すぐに視線を切った。
「陸戦部隊が先に確保した場合は?」
「さすがに、味方を攻撃するわけにもいかん。その場合はこちらでどうにかする」
「対象が暴れ、確保が困難な場合は?」
「可能な限り、無傷での確保に努めろ。多の攻撃は許可する」
「確保後の扱いは?」
砂原は次々に質問事項を口にする。そこまで聞いた源次郎は、僅かに口元を緩めた。
「検査用の病院を用意しておくので、そこに運べ。そのあとは、“人”として扱う。そのための戸籍も手配中だ……合法的に、な」
なくとも、源次郎は非人道的な扱いをけさせるつもりはないらしい。砂原はそのことに心でしだけ安堵すると、頷いて了解する。
「了解いたしました。訓練生の指揮を執りつつ、任務を行います」
「苦労を掛けるが、よろしく頼む」
最後に敬禮をわし合い、砂原は部屋を後にする。訓練生の任務だけでも大変だというのに、それに加えて極任務だ。だが、この極任務は今後の國の趨勢を左右しかねない。
源次郎のことだ、自分以外にも多くの“保険”を掛けてあるだろうと砂原は思う。それでも、獨自技能を持つ博孝の件だけでも頭が痛いというのに、人工の『ES能力者』まで出てくるとなれば神的に疲労もする。
砂原は小さくため息を吐くと、訓練校へと『飛行』で戻るため屋上を目指すのだった。
時を戻して、十二月二十四日の夜半。
砂原は例のの『構力』が落ち著いたことを確認してから気絶させ、袋に詰めてから源次郎が手配した『ES能力者』向けの病院へと駆け込んでいた。その後ろには第一小隊の姿もあり、『活化』を使用したことによる疲労で気を失った博孝は恭介が背負っている。
傍から砂原の姿を見れば、拐犯に見えたかもしれない。事実、恭介などは疑問符を浮かべながらも『教、拐犯みたいっす……』などと思っていた。
他の生徒達は、砂原以外にも引率としてついてきていた『ES能力者』達に任せ、訓練校へ戻っている。しかし、第一小隊だけは白いと戦しているため、様々な事から砂原に同道することになっていた。
案の兵士に従い、砂原達は病院の中でも奧にある治療室へと進んでいく。そして治療室にるなりを診察臺の上へと寢かせると、砂原は恭介の背中で眠る博孝へと歩み寄った。
「起きろ、河原崎」
そう言いつつ、砂原は軽く博孝の頬を叩く。すると、博孝は數秒経ってから目を開き、欠を零す。
「ふあぁ……なんで教が俺の部屋に……って、なにこの狀態!?」
まだ疲労が抜けていないのか、ぼんやりとした目で眼前の砂原を見る博孝。しかし、自分が恭介に背負われて眠っていたという事実に気づき、驚愕の聲を上げる。そんな博孝達の後ろでは、博孝が目を覚ましたことに里香が安堵の息を吐き、沙織は何か思うところがあるのか、無言のまま博孝を睨んでいた。
「調子はどうだ? 『構力』は回復しているか?」
「んー……七割、六割……いや、正直、五割弱ってところですかね。さすがに、あれだけ連続して『活化』を使ったのは初めてだったんで、かなり疲れが殘ってます」
恭介の背中から下り、肩を回しながら博孝が報告する。それを聞いた砂原は一つ頷くと、診察臺の上で眠るへ視線を向けた。
「すまんが、お前に限ってはまだ休ませるわけにはいかん。あの子がまたいつ『構力』を暴走させるかわからんからな」
「了解です。あ、小隊員は休ませても?」
「そうだな……」
砂原は沙織達を見ると、扉を示す。
「お前達は外に出ていろ。各自で休憩は取って構わんが、病院からは出るな」
「しかし、教……」
沙織がどこか不満そうに言うが、それを聞いた砂原は視線を鋭くするだけだ。
「おいおい長谷川、そこは素直に頷いてくれよ。狀況、わかるだろ?」
このままだと砂原が“指導”にりそうだったため、それを制するように博孝が言う。それを聞いた沙織はを引き結ぶと、不満を押し殺したように扉へと向かった。
「……アンタにも、々と聞きたいことがあるんだからね。覚悟しておきなさいよ」
「おお怖い。お手らかに頼むぜー。あ、それと里香。悪いんだけど、時間がかかるみたいだから、なんか食べを買ってきてくれないか?」
「う、うん。わかった」
沙織が聞きたいのは『活化』についてだろう。博孝はそうアタリをつけ、三人が扉から出て行ったのを確認してからため息を吐く。
「里香から説明してもらうわけにもいかないしなぁ……それで教、この子はどうしたんですか? 意識がないみたいですけど」
それでも意識を切り替えると、砂原へ質問を行う。『活化』を使ったことでの『構力』が安定したところまでは覚えているが、そこから先は記憶がない。
「『構力』が安定したのを確認して、気絶させた。裏に運ぶ必要があったから、暴れられるわけにもいかなかったからな」
「裏に、ですか。ああ、なんかまた、厄介ごとに巻き込まれたじがヒシヒシと……」
己のの不運を博孝が嘆いてみると、それに反応したのか診察臺の上に寢かせられたが僅かにぎをする。砂原はすぐさま反応し、いつでもけるよう僅かに前傾姿勢を取る。博孝は、砂原が傍にいるのだから、仮にが襲いかかってきても難なく制圧できるか、と気楽に構えた。
そして、が目を開く。何度か瞬きをすると、ゆっくりとを起こした。は診察臺の上で周囲の様子を窺うと、砂原から向けられる視線に気づき、不思議そうな顔をする――が、博孝の姿を見て、僅かに表を輝かせた。そして診察臺から飛び降りると、砂原を避けるようにして博孝の傍へと近づいた。
突然の行に、博孝はけない。これでに敵意や殺意があれば違った対応も取れただろうが、は無防備に博孝の傍まで近づくと、その腰にしがみ付き、砂原の視線から逃げるように博孝の背後に隠れた。
「えーっと……」
の行を不思議に思うものの、悪意はないらしい。は博孝の腰に両腕を回し、無表でしがみ付いている。博孝は困ったような視線を砂原に向けるが、砂原は興味深そうな視線をに向けるだけだ。博孝は意味もなく両手を上に上げ、助けを求める。
「きょ、教、ヘルプ、ヘルプです。助けてください。俺、このくらいの子に対してどう接すれば良いかわかりません」
博孝に兄弟はおらず、年下らしいに対してどう対応すれば良いかわからない。これでが何か喋ってくれれば対応もできるだろうが、は無表無な様子で博孝の腰元にしがみ付くだけだ。
「ん? いつも通り、セクハラ紛いの行をしてみたらどうだ?」
「いやいやいや! こんな小さな子にセクハラしたらただの犯罪者ですよね!? あと、誤解を招くようなことを言わないでくれますか! てか、教は俺をそんな目で見ていたんですね!?」
セクハラ自が犯罪なのだが、それは棚に上げる博孝。砂原はそんな博孝の抗議を意に介さず、の傍で膝をついた。
「君、言葉はわかるかね?」
「…………」
砂原が話しかけると、はのがない瞳で砂原を見る。それでも言葉を理解したのか、小さく頷いた。
「では、名前は?」
「……?」
今度は不思議そうに首を傾げる。名前という言葉を知らないのか、それともが自の名前を知らないのか――名前すらないのか。
もしかすると砂原を警戒して話さないだけという可能もあり、砂原は博孝に意味ありげな視線を向ける。その視線をけた博孝は、小さくため息を吐いてから腰元に回されたの手を優しく取り、自分のから離した後に砂原と同じように膝をついて視線の高さをと合わせた。そして、沙織あたりが見れば『胡散臭い』とでも言いそうな笑顔を浮かべる。
「やあ、お嬢さん。俺の名前は河原崎博孝。良かったら、お嬢さんの名前を教えてくれるかな?」
「な、まえ?」
「そうそう。名前だよ」
「なまえ……名前……」
博孝が繰り返して言うと、は『名前』という単語を繰り返し口にした。しかし、は自の名前を口にすることはなく、その代わりと言うべきか、腹部から『くぅ……』という可らしい音が鳴った。
「おっと、お腹が空いてるのかな? お腹が空いていたら、話せるものも話せないもんな。よし! ちょっとお兄さんに任せなさい。教、食べをあげても良いですかね?」
博孝が砂原に尋ねると、砂原は顎に手を當てて僅かに考え込む。砂原が確認したところ、は本當に人間と変わらない。軽く診斷してみても、骨格や臓は人間同様のものだ。それでも、普通の食事を與えて良いものかと疑問を覚える。
「し待て。この子には検査をけさせ、問題がないことを確認しなければならない」
「あー……そうなんですか。じゃあ仕方ないですね」
何か事があるのだろうと博孝は判斷し、を宥めるように頭をでた。
「もうちょっと待っててなー。検査が終わったら、お腹いっぱい食べさせてやるからなー」
「……ん」
博孝の言葉を理解したのか、は小さく頷く。砂原はの様子を観察しつつ、壁にかけられた時計を見て博孝へ指示を出すことにした。
「この様子ならば、『構力』を暴走させることもないだろう。河原崎、お前もし休憩を取ってこい」
「お、良いんですか? なら、お腹も減ってきたんで、軽く食べてきますよ」
そう言って博孝はの頭をもう一度で、あとは砂原に任せて治療室を出ようと歩き出す。里香に食べを買っておいてくれるよう頼んでいたため、何かしらあるだろう。
味の方には期待できないかな、と思い、扉まであと五歩というところで博孝は足を止めた。何やら後ろからは足音のようなものが聞こえており、博孝は後ろを見る――と、一メートルの距離を取ってついてきていると視線がぶつかった。
「……?」
博孝が見ていることに気付くと、は不思議そうな顔で首を傾げる。
(……いや、そんな反応をされても俺が困る)
とりあえず視線を外して再度歩き出す――と、ぺたぺたと足音がついてくる。
その足音は博孝が足を止めると同時に止まり、博孝は諦観と絶を等分にじながら背後へと目を向ける。
「……?」
自を見つめる無垢な視線とぶつかり、博孝は心の中で深いため息を吐いた。
「えーっと……俺に用でもあるのかな?」
「……ない、よ?」
「じゃあ、なんでついてくるのかな?」
「……?」
ついていったら駄目なの? と言わんばかりには首をかしげる。博孝は助けを求めて砂原を見るが、砂原はの行を見て何かを考え込んでいた――が、不意に顔を上げると、に纏う気配を一変させる。
「河原崎、第一小隊を呼び戻せ」
砂原は短くそれだけを指示すると、扉に向かって歩きながら攜帯でどこかに連絡を取り始める。砂原の様子が、まるで戦闘時のような鋭いものに変わったことを察した博孝は、何か起きたのかと『活化』を使いながら『探知』を発現した。すると、知覚できる範囲の中に、『構力』を持つ者の気配が集団で接近しているのをじ取る。
その數は、十二。距離は博孝の索敵可能範囲のギリギリである、五百メートルほど。そこから、中隊分の『ES能力者』が近づいてきているのだ。移の速度はそれほど速くなく、博孝も表を引き締めると、今度は『通話』で小隊員に連絡をれる。
『こちら河原崎。全員、休憩終了。三十秒以に治療室へ集合しろ』
『う、うんっ』
『ん? いきなりっすね?』
『……何かあったの?』
里香はすぐさま移を開始し、恭介も気楽な様子ながらも治療室に向かって駆け出す。沙織は疑問を覚えているようだが、博孝の聲に何かを察したのか、迫した様子だった。
『説明はあとだ。すぐに集まれ』
博孝がそう言うと、三人とも三十秒もかけずに治療室へ集まってくる。沙織は博孝の腰元に白いがしがみ付いているのを見ると怪訝そうな顔をするが、砂原や博孝の雰囲気を察してどこか期待するようなを浮かべた。
「もしかして、敵かしら?」
「さて、な。俺の『探知』の範囲に中隊分の『構力』がある。教、そちらは?」
電話を終えた砂原に博孝が問うと、砂原は厳しい表のままで口を開く。
「こちらも同じだ。數は十二。『隠形』を使っている者がいる可能を考慮すれば、最低で中隊規模だ。『構力』の規模からして、陸戦部隊の連中か……」
正規部隊が接近しているという報に、里香と恭介は顔を失う。目的はわからないが、中隊規模で迫るのならば何か重大な作戦目標があるのだろう。
(中隊規模、か……何をする気なのかわからないけど、可能が一番高いのは、この子に関して何か目的があるんだろうな)
博孝は現狀を考慮すると、外れていてほしいと思いながらも砂原に尋ねる。
「中隊規模、か。まさかとは思いますけど、これからドンパチやるってことはないですよね?」
里香と恭介の心を考えて、なるべく気軽な様子で言う。砂原は博孝の言葉を聞くと、安心させるように口の端を吊り上げた。
「心配するな、そんなことにはならない。お前達は、この治療室でその子の護衛をしていろ。俺が応対する」
「おっと、教が“おもてなし”をするんですか? そいつはまた、“お客さん”も大喜びしそうですね」
かつての砂原の偉業を野口から聞いたことがある博孝は、砂原の言葉に安心して冗談を口にした。
砂原が言うには、相手は陸戦の中隊。“何か”あっても、砂原ならば十分以上に対応できるのだろう。里香や恭介はそれでも不安が拭えないようだったが、沙織などは拍子抜けしたような顔をしていた。
博孝達がそうやって話している間にも、『構力』が病院へと近づいてくる。
「……どうか、したの?」
周囲の様子に疑問を覚えたのか、が尋ねた。それを聞いた博孝は、安心させるように笑顔を浮かべる。
「ちょいとお客さんが來るだけさ。でも、君は気にしなくて良い。何かあっても、俺達が守ってやるから」
そう言っての頭を優しくでると、はそれで納得したのか小さく頷く。
それでも博孝は、心でやれやれと呟きながら『構力』の向を確認する。接近しているだけで、目的地が違うのなら笑い話で済む。
僅かにそんな希をに抱き――中隊規模の『構力』は、一直線に病院へと踏み込んでくるのだった。
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