前回までのあらすじ

アニエス、帰る気ないってよ

ケビンがアニエスの生存を確認した翌月、予てより予定されていたブルゴー王國第二王エルミニアとの婚儀が執り行われた。

これで遂に王族の仲間りを果たした勇者ケビン・コンテスティではあったが、未だ彼の立場が微妙であることに変わりはなかった。

もとより彼は、その勇者の素質を見出されただけの平民出者でしかなく、魔王討伐の功とともに國王より恩賞として爵位を賜っただけなのだ。

もちろんそれはある有力貴族の養子にる形で実現したものなので、その貴族の力を慮ると表立ってケビンを批判する者はいないのだが、生粋の貴族の中には彼を馬鹿にしたり蔑む者も多かった。

そして妻になったエルミニアは王族なのでそれなりの地位と実権を持ってはいるが、それはあくまでも建前上でしかない。

彼が王國の第二王であるのは事実だが、彼は正妃の子ではなく側妃の子だからだ。

三人の我が子を殘して早世した正妃には一人の侍が付いていた。

エルミニアはその侍の子なのだ。

だから生まれとしては第二王で間違いないのだが、正妃の子である第一、第二王子、第一王とは明確に區別されて、王宮での立場も常に微妙で不安定だった。

そんな王が結婚をした。

夫はご存じの通り、昨年魔王討伐をし遂げた勇者ケビン・コンテスティだ。

この時代には珍しく彼らは相思相の結婚なので、その仲睦まじい二人の姿は結婚する前から多くの若い貴族たちの羨の眼差しを浴びていた。

特に十代中頃の年若い貴族の子からは理想の夫婦像として見られており、次代の王國を擔う若い貴族の人気もとても高いものだ。

そしてそんな彼らが気にらない者が多いのも事実だった。

特に第一王子セブリアン、第二王子イサンドロからはあからさまに煙たがられているし、貴族の中でも舊制の維持に努める年寄り連中は、人前でも仲の良さを隠そうともしない若夫婦の姿に眉を顰めている。

しかしそんな第二王夫妻の味方であることを隠そうともしない國王の手前、表立ってその二人を批判する者はいなかった。

それと同時期に、王宮ではアニエス生存の噂がかに流れ始めていた。

それは『人の口に戸は立てられぬ』と言う通り、誰かの口かられたのだろう。

そしてその噂は瞬く間に王宮中に広まっていったのだった。

――――

「おはようございます。お二人とも、もう朝でございます。早めにお支度をなさいませんと、陛下へのご挨拶が遅れてしまいますよ」

この言葉をもう何回繰り返しただろうか。

大きなベッドの中で仲良く眠る若夫婦の姿を見つめながら、エルミニア付きの侍は小さな溜息を吐いた。

結婚して夫婦になったとは言え、ケビンとエルミニアの寢室は別々だ。

とは言え、この二つの部屋は扉と渡り廊下で隔たれているだけなので、その気になれば直接互いの部屋を行き來出るのだが。

毎朝侍が起こしに行っても、エルミニアは決まって自分のベッドにはいなかった。

仕方なく渡り廊下の扉を開けてケビンの寢室にると、必ずそこに寢呆ける二人の姿を見ることになる。

もちろんそれがとても良いことなのは間違いない。

政略結婚が殆どの王侯貴族の結婚において子作りとはまさに義務でしかなく、互いに気が乗らなければ全くを合わせようとしない場合も多い。

しかし義務という言葉の通り、彼らはその直系の子――特に男子――を早い時期に儲けなければ離婚の理由にもなりうるので、それは非常にデリケートな問題ではあったのだ。

それが相思相の結婚として有名なこの二人においては全く當てはまらなかった。

新婚初夜から暫くは、事が済めば互いに遠慮をしてそれぞれの寢室で眠っていたが、それから一月も経たずにそのまま朝まで一緒に眠るようになったのだ。

それでも二人が毎朝きちんと起きてくれれば侍も苦労はないのだが、毎晩遅くまで仕事をしているケビンに合わせて深夜になってからを確かめ合う二人は、朝はとても弱かった。

とは言え、一般的な時間から言えば未だ早朝とも言える時間だし、侍も相當時間に余裕を持って起こしに來ているので実質的な問題はないのだが。

それでも侍が二人を起こしに行くとそこからまたイチャイチャと始まるので、彼も目のやり場に困ってしまう。

そして毎朝のように寢室から追い出されてしまうのだ。

そんなことが続いていたある日、いつものように侍が二人を起こしに行くと、ベッドの中に既に目を覚ました二人の姿があった。

そして彼らが真剣な顔で何やら話をしていることに気付くと、侍は遠慮がちな聲をかけた。

「あの……お邪魔でしょうか？　よろしければし後にもう一度參りますが――」

「おはよう、テレサ。今朝も早くからご苦労様だね。――そうだね、あと十分だけ時間をくれないか。――いや、大丈夫、今朝はもう済んだから」

「も、もう……恥ずかしいからおやめください。テレサだって困っているでしょう？　――おはよう、テレサ。ごめんなさい、主人が言う通り、あとでもう一度來てくれる？」

「畏まりました。それでは十分後にもう一度參ります。――失禮いたします」

侍が寢室から出て行ったのを確認すると、再びエルミニアが口を開く。

最の夫を前にしたその顔には生真面目な表が浮かんでおり、それを見つめるケビンの顔も同様だ。

その姿は、彼らが甘いピロートークを繰り広げているのではないことは明白だった。

「それではセブリアン兄さまが裏でいていると？」

「あぁ、そうらしい。ばば様に戻って來られると殿下も々と困るようだからな。特に宮廷魔師のイェルドにしてみれば死活問題だろう。自分の居場所がなくなってしまうのだから」

「そうですわね……兄さまにしてもせっかくご自の息のかかった者を宮廷魔師に據えることができたのですから、それを手放したくはないでしょう」

「まぁな。もっともばば様は、そんなゴタゴタに嫌気が差したから帰って來ないんだろうけど」

そう言ってケビンが妻の頬を掌で優しくでると、エルミニアがその手にキスをする。それからおしそうに頬ずりをした。

「確かにそう思う気持ちはわかりますわね。兄さまも兄さまでどっしりとお構えになればよろしいのに……　多のことがあったとしても、ご自分の王位継承は揺るぎないものなのだから――」

「エルもそう思うよな。俺だって王室の権力爭いには興味はないよ。でもそう思ってくれない人が大勢いるのだから仕方がない」

などと真面目な顔をしながらもケビンが怪しい手つきで妻のにれようとすると、彼は頬を膨らませながら夫の手をピシャリと叩いた。

「もうっ、おやめください。真面目な話をしているのに……　それで、ばば様を探し出してどうなさるおつもりなのかしら？」

恐らく彼はその答えを知っているのだろう。

それでもそれを確かめずにはいられずに、彼は夫の顔を見つめる。

その視線をけたケビンも、敢えてその答えを口にした。

「まぁ、暗殺だろうな。殿下はばば様を亡き者にしようとするはず。それはそれだけ殿下がばば様の力を恐れている証拠なのだろう――いや、正確に言えば、ばば様の力ではなく彼の持つ人脈とその影響力だろうな」

「そうですね。何やかや言いながら、ばば様の味方が多いのは事実ですしね。そしてそれは決して無視できない大きな力――　そんな彼がイサンドロ兄さまの味方をした日には目も當てられないのでしょう」

「ふぅ……　あのばば様がイサンドロ殿下の味方などするわけもないのに――セブリアン殿下は疑心暗鬼になってしまっているのかもしれないな。もっとご自に自信を持っていただければ……　おっと、これ以上は不敬だな、やめておこう」

顔を橫に向けると、ケビンは小さなあくびをらす。

そうしながらも左手をじわじわとエルミニアのに再度近づいていくと、そんな悪い手の甲をつねりながら妻が話を続けた。

「でも、ハサール王國という以外、アニエス様の居場所はわからないのでしょう？　どうやって探すのでしょう」

「いや、それは公にしていないだけであって、それを知っている者はいる」

「――それは誰なのです？」

「ギルドのハサール王國支部の幹部數名と、実際にばば様に接したギルド員の二人だ。だから本気でばば様の居場所を探そうと思えば、それは決して無理な話ではない」

今度は右手をエルミニアのネグリジェの中にれると、じわじわと下に下げていく。

しかし彼は最早(もはや)抵抗する気も失せたように、全の力を抜いて夫のしたいようにさせていた。

「くふぅ……　あ、あなたはご存じなのですか？　ばば様の居場所を」

「いや、俺は知らない。俺も含めて俺の周りで彼の居場所を知る者がいれば、即座に殿下に知られるところとなるだろう。人の口に戸は立てられないと言うからな。だから敢えて俺はそれを探ろうとは思わない」

「そ、そうですか……　うぅん……　それでは、そのギルド員とギルド幹部に注意をさせなければ……　はぁ……」

「あぁ、もうすでに知らせてある。彼らもそれは注意しているはずだ」

「そ、そうですか……　そ、それは良かった……　んあっ……」

ケビンとエルミニアの水面下での攻防は、遂に決著がついた。

それはもちろんケビンに軍配が上がったもので、これで彼の戦績は３４戦３４勝３４KO無敗となったのだ。

すでに夫の軍門に下った妻は、目を閉じて夢現(ゆめうつつ)の心持ちになっている。

そんな姿をおしそうに眺めていたケビンが妻を抱きしめようとしていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。

「お二人とも、そろそろお時間でございます。お著替えを――」

「すまない、テレサ。あと十分――いや、二十分くれないか？　ちょっと立て込んでいて――」

「……畏まりました。それでは二十分後に再度伺います――」

思わず最後に「ごゆっくり」と言いそうになる口を押さえつつ、エルミニア専屬侍のテレサは、小さな溜息を吐いたのだった。