前回までのあらすじ

父ちゃん死んだってよ。

「いやぁー！！　フェルディナンド！！　死なないで！！　いやぁー！！」

ついに呼吸が止まった夫のを抱きしめて、エメが絶の悲鳴をあげた。

すでにくことも葉わなくなったフェルの顔に頬を寄せると、自のが塗れになるのにもかまわずに未だ溫かい夫の溫をそのにじようとしている。

しかしその時、妻に抱えられたままのフェルのがぎしたかと思うと、次の瞬間にはパチリと目を見開いたのだ。

そして不思議そうな顔で、縋りつく妻の顔を凝視した。

「……あれっ？　生きてる……？」

「えっ……！！」

一時はぐったりと全の力が抜けて呼吸まで止まったフェルだったが、気付けば再び目を開けて、妻の顔を凝視していた。

そして驚愕の表で見つめる妻と至近距離で目が合った。

どうやら自分は生きているらしい。

おまけに直前までじていた耐え難いほどの痛みがすっかりなくなっている。

いや、待て。

あれだけの酷い痛みが全くじられないということは、やはり自分は死んでいるのではないだろうか。

しかし妻は驚きの表で自分を見つめているし、彼の溫もじる。

――と言うことは、やはり自分は生きている？

怪訝に思ったフェルが何気に自分のを見下ろしてみると、そこには驚くべき景が広がっていたのだった。

あれだけ深く切り裂かれて溢れるようにを流していたが、まるで何事もなかったかのように傷が塞がり、も止まっていた。

袈裟懸けに斬り付けられた服は未だ裂けたままになっているが、そこから覗くには全く傷が見當たらないのだ。

試しに皮をってみても、あれだけ激しくを吹き出していた深い創傷が全く見當たらなくなっている。

「こ、これはいったい……」

「あ、あなた……傷が……消えてる――」

「あ、あぁ。もう痛くない。なにもじない……これは……」

茫然とした顔で傷があった場所を二人が眺めていると、その橫に必死な顔をして鎮座する小さなリタの姿に気が付いた。

彼は父親の足元に座り込むと、何やらぶつぶつと呟きながら両手をに翳している。

くらしいその顔の眉間に深いしわを刻んで、リタは決死の表で何かをしていた。

「リ、リタ……あなた、なにを――」

「リタ、お前――」

両親が揃って自分の顔を見つめているのに気が付くと、父親のに翳していた掌をリタはやっと離した。

その顔には一目でわかるほどの疲労が見て取れて、彼は疲れ切ったように大きなため息を吐く。

未だぼんやりと薄くを放つ掌と、疲れ切ったような娘の顔、そして完全に消え去った自分の傷跡。この三つに順番に視線を送ると、フェルの顔には次第に理解のが広がってくる。

虛ろな瞳でふらふらとを揺らす娘に手を添えながら、フェルが聲をかけた。

「リタ――もしかしてお前が……治してくれたのか？」

「リタ、あなたがフェルのを？」

「――うむぅ、本當にぎりぎりじゃったのぉ……　ほんに、間におうてよかった……」

ぼんやりと焦點の合わない瞳のまま、コクコクと頷きながら両親の問いに答えるリタ。

そのはフェルが支えていなければいまにも倒れてしまいそうなほどにフラついて、今度は彼の方が意識を失いそうになっている。

それでも気丈にも父親の合を気にする素振りを見せていたが、ついにそのから力が抜けると、こてん、とそのまま橫に倒れ込んでしまった。

「リ、リタ！！　大丈夫！？　しっかりして！！」

「リタ！？」

恐らく父親の回復した姿に安心したのだろう。

まるで眠るように気を失ったリタは、その顔に薄い微笑みを浮かべて、母親の腕の中で規則正しい寢息を立て始めたのだった。

死ぬ寸前の父親のに、リタは治癒魔法を使っていた。

それも、この小さなが耐えられるかわからないほどの大量の魔力を、一度に流し込んでいたのだ。

しかしあまりに大きな負荷に彼のいは耐えきれず、父親が息を吹き返した直後に彼は意識を失った。

彼の持つ魔力総量は前世とそう大きく変わっていなかったが、いまのこのでは一度に扱える魔力の量には限界がある。

そしてその限界値は、これまで裏庭で散々試してきたことからある程度わかっていた。

しかし目の前で命の燈を消しつつある父親の姿を見てしまったリタは、そんな己の限界などにかまっている余裕などはなかったのだ。

自分のを守るために魔力を制限すれば、恐らく父親の治療は間に合わない。

咄嗟にそう思った彼は、限界を超えた魔力を放出した。

その結果、確かにフェルは一命を取り留められたが、その代わりに限界を超えたリタのは悲鳴をあげたのだった。

「き、貴様ら、ただで済むと思うなよ！！　今回の件は領主様に報告させてもらうからな！！　全員捕縛してやるから、か、覚悟しておけ！！」

唯一の恐怖の対象だったリタが倒れた。

その様子に俄然息を吹き返したゲプハルトは、先ほどまでの勢いを取り戻すと突然大きな聲でび出す。

その顔には未だ怯えの表が殘ってはいるが、倒れてから一度も目を覚まさないリタを見て安心したのか、再び高圧的な口調が戻って來た。

それでも彼の口調は、何とも歯切れの悪いものだった。

護衛の騎士は二人とも重傷でけない。

馬車の者は無傷ではあるが、戦闘要員ではない。

とは言え、ゲプハルト本人も闘った経験などない。

そもそも馬車の乗り降りでさえ人の手を借りなければいけないほどの満では、凡(およ)そまともにけるとも思えない。

たとえ戦ったとしても、満足にけないゲプハルトは剣を持ったエメにすら勝てないだろう。

それは彼自もわかっているらしく、自分と者の二人だけではリタの家族を捕縛できないと判斷したゲプハルトは、その場からの撤退を決めたのだった。

「こ、今回は見逃してやるが、必ずまたやって來るからな！！　次に會う時は渉などは一切なしだ。端(はな)からお前らを犯罪者として捕縛してやる、覚悟しておけ！！」

そう捨て臺詞を吐いたクンツ・ゲプハルトは、唯一無傷で殘った部下である馬車の者に、怪我を負った騎士二名と殘った荷の回収を命じた。

そして者が帰り支度を済ませると、自も苦労して馬に乗り込んで、逃げるように去って行ったのだった。

うめき聲をあげながら馬の背に無理やり括り付けられた二人の騎士の姿が、エメにはとても気の毒に見えた。

自分たちと同じように、彼らとて家に帰れば妻も子もいるなのかもしれない。そうであればせめて無事に家まで帰りついてほしい。

それにしても、と、エメは思う。

家族を守るためとは言え、あれは自分の娘が負わせた怪我なのだ。

かと言ってあそこでリタが攻撃しなければ、自分たちはいまごろ殺されていただろう。

それを考えると、リタがしたことは決して責められるようなことではないが、母親としては自分の子供が人を傷つけたことに責任をじてしまうのも事実だ。

どんな理由があったとしても人様を傷つけてはいけない。

子供の時からそう言われて育てられてきたエメは、今更ながらリタのしたことに抵抗をじるのだ。

しかしこの世は弱強食の世界だ。

弱い者は大切な家族でさえ守ることができない。

弱いという、そのこと自が罪なのだ。

最の夫と娘の姿を見つめながら、これまで自分が教えられてきたことが所詮は理想でしかなかったことを、エメは痛切に思い知らされていた。

リタの捨ての治癒魔法のおかげで、表面上はフェルの怪我は治った。

だからと言って失われたがもとに戻ったわけではないので、すでに相當量の出を強いられていたフェルの狀態は未だ危険であることに変わりはない。

その証拠に今も彼は地面に橫になったまま、焦點の合わない目でぼんやりと宙を見つめている。

そしてエメの腕の中には、父親の回復を見屆けて満足そうな笑みを浮かべて眠るリタの姿がある。

今回は全て彼に助けられた形になったが、これからは自分たちが彼を守るのだ。

改めてそう誓うエメだった。

――――

ゲプハルト一行が去った後、ひとまずエメはフェルとリタを家の中に運び込んでベッドに寢かせた。

領主の元に戻って行ったゲプハルトが再びここに戻ってくるのに、往復で十日はかかるだろう。だからそれまでの間に二人をける狀態にしなければならないのだ。

次にゲプハルトがやって來る時は、大勢の仲間を引き連れてくるはずだ。

それだけ彼がリタの魔法を警戒している証拠なのだろうが、あの気位の塊のような男なのだから次は圧倒的な戦力を用意するだろう。

今回は騎士が二名だけだったので、我流の付け焼刃のようなリタの魔法が効いたのだろうが、次回はそうはいかない。

そもそも自分たちの運命を四歳の娘に頼ること自がおかしいのであって、本來彼は守られる方の立場なのだ。だからそんな圧倒的な戦力差の矢面に娘を立たせるなど、そんなことができるはずもなかった。

だからここは逃げの一手で行くべきだ。

そのためには可能な限りの短い期間でフェルとリタにはけるようになってもらわなければならないし、逃げる先やその経路も考えておかなければならない。

だからまずは夫のフェルに意識をはっきりさせてもらうべきだ。

がかなくても、せめて相談くらいはできるだろう。

家族の中でただ一人無事だったエメは、拳を固く握り締めて悲壯な覚悟を決めたのだった。