《12ハロンの閑話道【書籍化】》白い丸の仔
チクショー道になる前に書いてたプロトタイプの頃の話です。
クローヌはうちの牧場で生まれた初めてのG1馬。まだあたしが小學生のころに生まれた。難産で母馬が結構危なくて、獣醫さんとみんなでてんやわんやしたのを覚えてる。
生まれてきたクローヌは大人しい仔で、小さい頃は臆病なくらいだったけど、が大きくなったころにはやんちゃになって、でも暴じゃない優しい仔に育った。
その頃はうちの仕事の事とか、なんとなくでしか分かってなくて、クローヌはそんなあたしが初めて競走馬として意識した仔だった。
牧場に居るころから、なんというか走る姿がとっても優雅。訓練では群れで走ってるはずなのに、いつのまにか先頭を走っていて本人が慌てている姿をよく見かけた。(馬はよっぽど気が強い馬じゃない限り群れの先頭を走りたがらない)
お父さんに聞いたら、持って生まれた速さが違うせいで、彼が軽く走っただけで他の仔たちは追いつけないんだって。それって競走馬としてはとっても凄いことなんじゃないの? ってきいたら、お父さんはニッコリ笑って眩しそうにクローヌのことを見つめてた。
クローヌはお父さんの知り合いのちょっと怖いおじさん、セルゲイさんがオーナーになって競走馬として走り始めた。それまではうちで生まれた仔が走るって聞いたときだけレースとかお話とか聞いてたんだけど、クローヌの時は次に出るレースが決まってからずっと様子を聞いたりしてた。あたしが本格的に生産の道を志したのはこの頃だった。
うちの牧場は他所のところみたいに何百年と続いたようなのじゃなくて、お祖父ちゃんの代から開業した、比較的若い世代の牧場なんだって。それにしたってもう50年くらいまえらしいからあたしにはちょっと想像つかないや。
だからお父さんはうちの仕事を継がなくてもいいなんて言ってたけど、あたしがやりたいことなんだから余計な気を回しすぎだと思う。
それでクローヌは勝ったり負けたり々あったけど、引退レースに決めていたムーラン・ド・ロンシャン賞で大勝利をもぎ取ってうちの牧場に帰って來た。
今更だけど、クローヌはの子。だからあたしはこれから沢山生まれるクローヌの子供たちを育てることが出來る。たのしみだなぁ。
中距離レースを重視したいってセルゲイ希で、ストームなんとかってアメリカの馬の種をつけることになった。お馬さんのアレって普段は隠れてるけど「する」時はびっくりするくらい出てくるんだよねぇ。
クローヌがデビューする前から、もしもクローヌが子供を産んだらあたしが面倒を見るって約束をお父さんとはしてたの。勿論まだ學生のあたしが全部差配できるわけ無いって分かってはいるけど、「あたしの馬」ってことにしてくれるってお父さんは約束してくれた。お父さん大好きって抱きついたらまんざらでもない顔してた。ちょろいね!
そして生まれたのがあの仔。まん丸(セルクル)の白い斑點が額にあるちょっと変わった仔。
セルクルは好奇心旺盛っていうか、元気いっぱいというか? とにかく何かを見かければ駆け寄ってくるサラブレッドにしては結構珍しい人懐っこい格をしてる。あたしが學校から帰ってくると柵の側までやってきて首を突き出してくるし、放っておくといつまでも走り回っているから、遊んでいるところを呼ぶと遠くからでも駆けつける。時々馬っていうより犬を相手にしているような気分になる。
あと、セルクルはとっても頭がいい。いつの間にそんなことを覚えたのかは分からないけど、鍵の閉まってない馬房の扉を自力で開けちゃうの。帰りが遅くなって夜に馬房の前を通ったら、普通にセルクルが歩いていて凄くビックリしたことがある。何度か走するものだから頭にきて怒鳴りながら頭を叩いたら、それ以來馬房から走することは無くなった。怒られたって分かったんだと思う。
他にも似たようなところで、放牧地の閂を空けて自分が柵を超えたら閉めて見せたり(他所の牧場の人に言っても信じてもらえない。ちなみにセルクルがいたころは放す柵には全部鍵をつけた)そうするとそれにめげずに今度は単純に柵を飛び越えるようになった。そりゃ飛び越えようと思えばサラブレッドにとっては飛び越えられる高さだけど、普通そんなことをしようとする仔はいない。帰ってきてセルクルがお出迎えしてくれた時はもういっそ笑ってしまった。
結局、柵や馬房から出はするけれど、うちの敷地を出て遠くに逃げたり危ないことをしたりする訳でもなかったから、自由にさせることになった。というよりセルクルは何が危なくて何をしてはいけないのか分かってるような気がする。車がきたら脇に避けるし、他の馬がいる放牧地に勝手にったりしない。積んである干草を勝手に食べないし、廄舎の掃除や作業をしてる人には近づかないでちょっと離れてじーっと見てる。ああでも何故か新聞を持ってる人がいると妙に近づいていく。文字が模様に見えて面白いのかな?
そうすると牧場の人とれ合う時間が長くなるから、セルクルはみんなに可がられていた。でも、セルクルに一番懐かれてるのはあたしだ。自信ある。お出迎えまでしてくれたのはあたしにだけだったもん。
セルクルが競走馬として強い馬なのかどうかは、まだ素人のあたしにはよくわかんない。ただ、が凄くらかい(馬房でよく耳の裏を足で掻いてる)からなのか、左右の方向転換が他の仔に比べるとものすごい自由で、お父さんにそのことを聞いたらなくとも乗馬としては優れた素質だって言っていた。たしかにセルクルに乗るとあたしも楽しい。それはあんまり関係ないかな?
活躍できなかった競走馬は、乗馬になるかその……可哀そうだけど殺処分になるかくらいしか道が無いから、乗馬になれるなら、なくともセルクルと一緒に居られる分あたしにとっては嬉しい要素だと思う。
頑張ってしいな。無事にデビューに漕ぎ著けたらゴール板の一番前で応援しよう。
それでこの仔が一番に駆けて來るのを見守るんだ。それが大きなレースでもそうでなくても一杯褒めてあげよう。もし負けちゃっても褒めてあげよう。頑張ったね、偉かったよって。
「セルクル。辛いこともあるかもだけど、元気でやるんだよ」
気付けば聲に出してしまった。セルクルはきょとんとした顔であたしを見て、額をぐりぐり押し付けてきた。この仔が甘える時の癖だ。かわいい。
はあ。こんな可いセルクルとお別れかぁ。寂しいな。あたし大丈夫かな。
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