《傭兵と壊れた世界》第三十二話:戦闘前夜はゴムの味

リリィとイグニチャフを乗せた機船が結晶の大地を進む。船には第一九〇(ひときゅうまる)小隊の文字が刻まれており、通常よりも広い船には大量の火が積まれていた。輸送先である商業國パルグリムまでは片道だけでも十日以上かかる長旅だ。

「……味しくない」

歯ごたえのありすぎる干しをモサモサと食べながら、リリィは退廃的な景を眺めた。シザーランドに住んでいると忘れてしまいがちだが、渓谷都市の外は結晶化現象(エトーシス)によって崩壊した街が広がっている。現に船は建よりも大きな結晶の上を進んでおり、長い時間をかけて大化した結晶が、七の大地を形していた。

の隣に男が立った。星天教のシンボルを下げた男、神父崩れのイグニチャフだ。

「隨分と面白い顔をしているじゃないか」

「味のない干しを食べていると、人間をやめてしまったような気分になるね」

「贅沢を言うなよ。飯が食えるだけ幸せってもんだ」

イグニチャフが教會にいた頃は孤児の相手をしていた。彼自も、裕福な暮らしはしていなかった。そんなイグニチャフだからこそ、食べに対する謝は人一倍持っている。

「もちろんそうだけどさぁ、保存食の改善は必要だよ。見てこれ。まるでゴムみたいじゃん」

「香辛料が買えるぐらい偉くなるしかねーな。それとも玉の輿を狙うとかどうだ」

「玉の輿かぁ。この任務で商業國の素敵な王子様に出會えないかな」

「ハハッ、夢見るって年齢じゃないだろ」

「あ?」

殺気が飛んだ。

イグニチャフは無言で顔を背ける。そこには確かに般若がいた。

実際のところ、保存食に文句を言う傭兵はなくない。むしろ不満だらけだ。食事とは生活を彩る花のようなもであり、時には戦場に向かうこともある傭兵が、不味い飯のせいで死んだとなれば報われない。

最後の晩餐がいつになるかは分からない。干しが最後になる可能だってあるのだ。

「リリィは、聞いたか?」

「なにを?」

「その、第三三小隊……いや、ナターシャのことを」

「ローレンシア軍の奇襲をけて、それらを全て皆殺しにしたってやつだね」

「知っていたのか……」

イグニチャフは難しい顔をした。飲んだくれではなく、神父の顔だ。

「俺は、人を撃ったことがない」

「人殺しの神父なんて嫌だよ」

「俺だって嫌だ。だが祈っても腹はふくれない。傭兵である以上、避けられない道なのは分かっているが、こう、簡単には割り切れないだろ?」

「分かっているなら割り切るしかないよ。文句を言っても聞きれてくれる人なんていないんだから。覚悟の上で傭兵になったんでしょ?」

「そうだがよぉ」

イグニチャフは込みをしていた。いざ戦場に立ったとき、人を撃つ自分の姿が想像できない。元々爭いが嫌いだった。本當は傭兵になるつもりだってなかったのだ。信條のために他の宗派とぶつかり、気付けば國を追い出され、國籍のない放浪者(ノーマッド)をれてくれるのはシザーランドのみ。覚悟を決められない神父崩れだ。

リリィは干しを噛み千切った。味がしない。だが、栄養はある。

「割りきれなくても、その時が來たら引き金を絞りなよ。じゃないと仲間が殺されるんだ」

「リリィは撃てるのか?」

「撃つよ」

遠くで、結晶の柱が崩れ落ちた。機船にまで音が聞こえるほど大きな塊だ。自重に耐えられなくなった結晶が木々をなぎ倒し、土煙をあげながら他の結晶を潰していく。ひとつが崩れれば簡単に瓦解するのだ。小さな歪みが崩壊をまねく。

「まだ理想の相手を見つけていないもん」

は存外、強かった。弱いのは神父だけ。

商業國(パルグリム)の國境近くに、ローレンシア軍の駐屯基地があった。基地本部ではシモン軍団長とホルクス軍団長が打ち合わせをしている。會議には信頼のおける部下が同席しており、軍団長らの會話を聞き逃すまいと必死であった。

注目を集める軍団長の一人。老將シモンは地図を広げた。

「私はこれより商業國パルグリムに潛する。部隊は三つに分けて、まずは金融都市カップルフルトに向かう予定だ。貴様はどうする?」

「俺は南側をぐるっと回るぜ。適當に走ればどっかでぶつかるだろ」

「策無しかね」

「いんや、俺の嗅覚がじとったのさ。傭兵とぶつかるのは、ここ、古城跡の西辺りだな」

「ふん、大層なことじゃ。どうせ鳩でも飛ばしたんじゃろう」

シモンは鼻で笑ったが、ホルクスの部下たちは彼の言葉を信頼していた。一度でもホルクスの部隊で戦えば嫌でも分かるのだ。頭の回転、戦況を読む力、そして狼のごとき嗅覚。こと戦場において必要な覚を全て兼ね備えている。

故に、ホルクスの部下は直立したまま、上を侮辱された悔しさを我慢するように拳を握りしめた。

ホルクスは素行が悪い。しかし、そんな彼だからこそ従う者も多い。綺麗事だけでは語れぬ世界、自分を貫くホルクスの姿はある意味で輝いていた。

「そっちこそヘマしても助けねーからな」

「若者に心配されるほど耄碌(もうろく)しておらんわ。それに、今回の目的はあくまでも偵察。たとえ見つかっても知らぬ存ぜぬを通せば向こうも追求できん」

「おいおい、珍しく適當だなじいさん」

「この任務を遠足だと揶揄したのは貴様だろうに。私は価値の薄い任務に部下を失いたくないからな」

遠回しに、あえて戦おうとするホルクスを非難する言葉だ。「意地の悪いじいさんだな」と笑いながらホルクスは続けた。

「俺の心配をしているのか?」

「貴様の失敗で閣下の顔に泥をぬらないか心配なのじゃ」

「ハハッ、そりゃ杞憂ってもんだぜ。今回の目標はどれも小だからな。強いて言うなら傭兵どもの輸送船くらいだろうさ」

ホルクスは獨自の報筋から輸送ルートを調べていた。どうやら火の発注先は弱小國や都市國家がほとんどであり、たとえば北の列島諸國や東の原初國家は靜観しているようだ。つまり、標的は満足な護衛も付けずに餌をぶら下げて運んでいる。

ただ一點。シザーランドの輸送船だけは話が別だ。標的の中で唯一警戒すべき相手である。

「傭兵がいたら真っ先に潰す。いなかったら適當に潰す。そうしたら俺は楽しめるし、上も満足するだろ」

シモンは何か言いたげな表を浮かべたが、やがて諦めたようにため息を吐いた。地図に印をつけながら部下に命令を出していく。

ホルクスはその様子をしばらく眺めた後、興味を失ったように立ち上がった。彼にとってシモンのきはどうでもいいのだ。商業國の思も、アーノルフ閣下の命令も、シモンの忠心も世界の向も関係ない。いかに輸送船(おもちゃ)を見つけるかが重要である。

「じゃあなじいさん。お互い頑張ろうぜ」

「ふん、くれぐれも捕まるな」

「誰に言ってんだか」

ホルクスは會議室を出た。部下が後ろについてくる。

ちなみに、ホルクスは部下に會議の出席を命じてはいない。むしろ邪魔だから來るなと言ったのだが、示しがつかないからと彼らは勝手に出席した。それだけ忠義の厚い兵士たちなのだ。

ホルクスは部下の中に一人、若い男が混じっているのに気が付いた。薄茶の髪を短く切り揃えた年だ。

「おいディエゴ、何でお前も居るんだ?」

「無理やり連れてこられた――」

「んんっ」

「……同席させていただきました」

ヌークポウの出であり、ナターシャの行方を探して金融都市から流れ著いた年ディエゴである。彼は大國の報網を使って馴染を探そうと考えていた。それが何の因果かホルクス軍団長の隊にり、愚直さと正直さを気にられ、あれよこれよとしている間に気付けば戦場だ。

「またイサークの獨斷か。好きにやればいいが、無意味な會議に參加する必要はないぞ」

「俺もそう思います」

「んんんっ!!」

ディエゴの隣を歩く男が一際大きく咳払いをした。彼が件のイサークだ。縁の薄い眼鏡が神経質そうな印象を與え、ホルクスの部下には似合わないほど綺麗に軍服を著ていた。

「作戦會議には軍団長と部隊長が參加する決まりです」

「あのじいさんが決まりなんて気にするかよ。取り巻きは騒ぐかもしれねーがな」

「規則は絶対です。我々の士気に関わりますので」

「本音は?」

「じじいにびる山猿どもに笑われたくありません」

イサークも大概、口が悪かった。

彼の言葉につられて周りの部下たちも笑った。

決して両軍団長の仲は悪くない。しかし、シモンとホルクスは比較されることが多く、その影響もあって彼らの部下は事あるごとに衝突していた。そんな二人が同じ作戦に參加するとなれば、當然ながら両陣営の空気はピリピリとひりつく。

ディエゴは居心地が悪そうに口を開いた。

「規則が絶対なら、部隊長じゃない俺はむしろ出席しちゃ駄目じゃねーの?」

「何事にも例外があります。それと上には敬語を使いなさい」

「でも俺は作戦とかよく分からないぜ?」

「敬語を使いなさい」

ディエゴにとってイサークは直屬の上にあたる。カップルフルトから流れ著いたディエゴを拾い上げ、軍人として叩き上げたのも彼だ。故に、イサークには逆らえない。ホルクスが狼ならば、ディエゴは牙の取れた子犬のようであった。

イサークの小言は彼らのキャンプ地に到著するまで続いた。

「それぐらいにしてやれイサーク。ディエゴがお前みたいになったら吐き気がするぜ」

「しかし軍団長、いくら我々でも態度はわきまえるべきです。それがけじめというものでしょう」

「他人に押し付けられたけじめに価値はねーよ。そんなもん見栄と変わらねぇ。自分で決めて律するから覚悟が宿るんだ」

なおも居心地が悪そうなディエゴ。それを見た軍団長は背中を向けた。

ディエゴは若い。ホルクス軍の中でも特に若手だ。同時に、部隊長たちが期待を寄せる若者でもある。故郷である移都市・ヌークポウを出て、一人で大國の地を踏み、馬鹿げた考えだと理解していながらも銃を握る年。ホルクスたちは、そんな馬鹿が大好きなのだ。

いつの間にかホルクスの周囲には多くの兵が集まっていた。戦いの匂いが充満する。火薬を詰める音。銃を整備する音。酔わない程度に酒を楽しむ男。心震わす戦場が地響きを上げながら迫ってくる。

ホルクスは聲を張り上げた。夜空に住まう神々にまで屆きそうな聲だ。

「いいかお前らァ! 戦爭を経験してきた俺たちにとって、明日の戦いは遊びに過ぎない。だが、一匹足りとも逃がすな! お前らが見逃した銃が、いつか仲間を撃ち抜くと思え! 戦場に慈悲はいらず、商人どもに優しさはない! の通わぬ悪魔に銃弾の雨を降り注げ!」

「うぉぉオオ!!」

狼が吠える。かの言葉は兵士たちの心を震わせ、呼応するように誰もが大聲を上げた。ホルクス萬歳、ローレンシア萬歳。狼の熱にあてられた男たち。悪魔のごとき形相を浮かべながら腕を振り上げた。

「……野蠻じゃのう」

彼らの雄びは離れた場所にいるシモン軍団長にまで屆き、呆れたようにため息を吐く。老將は心昂(たかぶ)らず。自らの使命を全うすべく、著実に準備を進める。老いた戦士にホルクスの言葉は若すぎた。彼らの波に乗るにはいささか腰が重いのだ。

しかし、しだけ。勘違いしそうなほどしだけ、狼の言葉に心が沸いた。

戦いの予に大地が揺れる。勝つのはローレンシアか。それともパルグリムの商人たちか。もしくは――。

「家族の皆、元気にしてるかなぁー」

「やっぱり手土産を買っておいた方がいいか?」

「何でイグニチャフもついてくる気なのさ」

自分たちの運ぶ品が爭いを呼ぶとも知らず、傭兵たちは船に乗る。

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