《傭兵と壊れた世界》第四十話:こぼれた溫度
乾いた銃聲が聞こえた。
ナターシャは一瞬訝しみ、そして銃聲が何故鳴ったのかに気付き、はじかれたように顔を上げた。普通ならば、戦場で鳴り響いた銃聲をいちいち気に留めたりはしない。だが高い場所から狙撃をしていたナターシャには、そ(・)の(・)銃(・)聲(・)が(・)明(・)ら(・)か(・)に(・)お(・)か(・)し(・)な(・)場(・)所(・)で(・)鳴(・)っ(・)た(・)ことに気が付いた。
「――ミシャ、ごめん、先に行く……!」
「――は? 待って、獨斷専行はダメ」
「――悪いけどあとで怒られるから!」
銃聲が鳴った。戦闘が起きた。傭兵と、ローレンシア兵が戦っているはずだ。ソロモンとイヴァンは東の戦場に向かった。ミシャは背後にいる。ならば、今しがた前方で鳴った銃聲は一誰が撃ったものか。
答えは一つしかない。第一九〇小隊の生き殘りがローレンシア兵と接敵したのだ。
ナターシャは敵小隊の生き殘りを撃ち殺しながら走った。結晶銃が軽くて良かったと心底思う。耳元の通信機からミシャの怒聲が聞こえたが、きっと気のせいだろう。だってミシャはこんなに大きな聲を出さないから。
數回、銃聲が鳴った。窓ガラスが割れる音、聞いたことがあるび聲。
「あそこね……!」
音の出所は廃教會だ。祭壇に繋がる側廊の扉から中へった。足を踏みれた瞬間、火薬の匂いと生暖かな空気がをでる。戦闘が起きた形跡だ。
結晶銃を背中に擔ぎ、銃を構えて進んだ。敵が見えたらすぐ撃てるように引き金へ指をそえておく。
(足音がしない……立ち去ったか、それとも待ち伏せか……うん?)
ふと、誰かのび聲が聞こえた。間違えようがない。イグニチャフの聲だ。容までは聞き取れないが、助けを求めるような、切羽詰まった雰囲気がじられる。
ナターシャは嫌な予がした。嫌な、なんてものではない。と硝煙の匂いに混じって、嗅いだことのある誰かの香りがする。あぁ、これは一緒にソファーで眠った香りだ。共に飲み明かしてガラクタの海に飛び込んだ、彼の香りなのだ。
罠の可能もお構いなしにナターシャは飛び出した。
祭壇場の前に二人の傭兵がいる。の方はを流して橫たわり、隣の男は相方の腹を押さえて止しようとしていた。
「……リリィ?」
ありえなかった。敵の狙いは第二〇小隊のはずだ。もはや籠城する傭兵を狙う価値はなく、だからこそローレンシアは最大戦力をイヴァンにぶつけた。
だから、リリィがを流して倒れているなんて、ありえないのだ。
思考が止まった。つねに考え続けてきたナターシャの脳が、理解をやめた。それほどに目の前の景は衝撃的であり、け止められない現実が濁ったを生み、彼の心は黒水のように真っ暗な場所へ落ちていく。
イグニチャフが顔をあげた。必死に助けようとしたのだろう、両腕から顔にかけて、リリィの返りで真っ赤になっている。彼はナターシャがいることに一瞬驚いたあと、顔をくしゃくしゃに歪めた。
「ごめんっ、ナターシャ……俺、なにもできなかった……撃つこともっ、守ることもっ、なにも……ごめん、俺は……どうしたら良いか、わからなかった……」
何に対して謝っているのかもわからずに、イグニチャフは泣いた。彼の手にはおびただしい量のがついており、今もなおの傷口からはどす黒いが流れている。蔵が傷ついており、助からないのは一目瞭然だ。
ナターシャはの手をにぎった。しでも弾が逸れていたら、救う方法はあるのに。たった一発。指先ほどしかない鉄の塊が全てを奪ってしまう。
リリィはうっすらと目をあけて、「あぁ……」と安心したような聲を出しながらナターシャを見上げた。
「……しくじっちゃったよ、ナターシャ。あたしらしくないね。こんなことなら、城から出なければ、よかった……」
熱がこぼれていく。とれだけ強く握りしめても、失われた熱は戻らない。リリィの瞳には恐怖があった。いつも飄々としていたリリィが、命を奪う寒気に怯えていた。
「大丈夫……大丈夫だから」
気休めなのはわかっていながらも、ナターシャは大丈夫だと繰り返す。そうしなければ、芯まで凍るような冷たさに、手を離してしまいそうだ。
「敵を、捕虜にしようと、したんだけど……あたし、どうしても許せなくて、撃っちゃった」
リリィの言葉がだんだんと途切れ途切れになる。弱々しくて震えた聲が、彼殘された時間を示している。ナターシャは掛ける言葉が思いつかず、自分はここにいるのだ、と手を握ることしか出來なかった。
「ねぇ、ナターシャ。傭兵になった理由、男漁りは、口実だったの」
「口実?」
「うん。故郷を、飛び出す口実。どうしても、外に出たかった。自由に生きてみたかった。あなたも、そうなんでしょ?」
「えぇ、そうね。そうだったわ」
「へへ、あたしは、何でもお見通しなんだ」
リリィの目がらかく下がった。笑ったように見えたが、まぶたが閉じかけているようにも見える。握った手は冷たいまま。は雪のように白くなる。
「良い、おんなは、早く逝くって……商業國の、言い伝え」
「そんなもん、でたらめよ」
「でたらめ、なら良かったなぁ……」
「あなたは良いよ。でも言い伝えはでたらめ。大丈夫、何も、問題ないから」
ナターシャはそう言って抱きしめた。赤黒いが彼のコートに染み込む。リリィのが重い。自らを支える力が殘されていないのであろう。
(ナターシャ、そこにいる? イグニチャフは? みんな、どこにいるの?)
リリィは寒さをじた。ナターシャが抱きしめてくれているのに、どうしようもなく寒い。自分のから大切なものが抜けていくような覚だ。深く、重く、二度と戻れぬ湖の底へ、の意識は沈んでいく。
ナターシャは「大丈夫」と何度も呟いた。それしかできない自分の無力さを呪った。世の中は地獄で、世界はくそったれで、そして自分はダメな人間だ。どれほど銃の腕を磨こうとも友人の一人すら救えない。急げば間に合ったのか。選択肢を間違えなければリリィを救えたか。自己嫌悪と後悔、それらを覆いつくす怒りが込み上げる。
やがて、腕の中からぬくもりが消えた。
冷たくなった友人は後悔せずに眠れただろうか。
分からない。殘されたナターシャには何も分からないが、彼の中で何かが変わった。
「……敵兵は?」
「に、逃げた」
「そう。じゃあ追わないとね」
自分は優しい人間ではない。ずっと優しい人間に憧れていた。ヌークポウで暮らすよりも前、両親に移都市で捨てられた日から、彼はずっと優しい人間であろうとした。
優しい人間。優しい大人。優しい、世界。
(……反吐がでるわ)
この悲しみは本だ。この怒りは自分だけのものだ。されど、友の死に涙を流しつつ、もう一人の自分が敵兵を追う算段をたてている。
傭兵は冷靜であれ。合理で考え、誇りをもって戦え。いつの間にかナターシャは立派な傭兵のに染まっていた。自分はまだまだ傭兵に相応しくないと思っていたが、はとっくに傭兵という憧れの姿にれていた。なのに、虛しさが心を埋める。荒れ狂う激を抑え込み、任務の最優先條項を考慮し、そのうえで、戦場に散った友のために銃を握る。
白金のは立ち上がった。赤黒いコートを羽織り、目立つ髪はフードで隠した。やるべきことが殘っている。ナターシャの想いに応えるように、結晶銃が一瞬だけ青く輝いた。
「リリィをお願いね。すぐに救援が來るから、イグニチャフは船に戻って」
顔をあげると、名も知らぬ神像と目があった。森の教會でも似たような像があったが、やはり神は人に興味を示さない。神がかぬならば自分でくしかない
「おっ、俺もいく……! リリィの仇を討たせてくれ……!」
「駄目よ。あなたは救援対象なの」
「だが……!」
「駄目」
彼は強く言い切った。二人を分かつように、冷たい風が吹いた。窓から抜けた風は結晶屑を巻き上げながら、寒気立った空に飛んでいく。
「私はもう間違えたくないの」
二人の間には明確な境界線があった。傭兵と、傭兵にりきれない者の壁である。ナターシャの瞳には決意が宿っていた。覚悟と呼んでもいい。その力強さにイグニチャフは気圧された。同期と笑うナターシャではなく、戦場に立つ彼を初めて見た瞬間だった。
(なんだよ、その顔)
同じ新兵の顔ではない。一人前の傭兵だ。針のように鋭い殺気と、にじみ出る怒り、そして押せば崩れてしまいそうな危うさ。それらを傭兵としての責務が抑えている。
ナターシャも仇を討ちたくて仕方がない。しかし冷靜さを失っていない。あくまでも救援任務であり、リリィとイグニチャフを助けるのが目標だった。私怨でローレンシア兵を襲うのは命令違反。
「これは任務。えぇ、任務のためよ」
だから彼は言い訳を重ねる。イグニチャフが今度こそ無事に逃げられるよう時間を稼ぎ、その過程でしでも多くのローレンシア兵を撃ち抜こう。任務のため。仲間のため。私怨ではなく責務として。
ナターシャは背を向けた。道半ばで果てた友人の誇りは、生き殘った者が引き継ぐのだ。
○
戦場の空気が塗り変わる。
第二〇小隊の隊員やホルクス、イサークといった練の戦士はじた。自分たちの知らない場所で、何かが起きた。東の戦場で勝敗が決まるという、終わりの見えた戦いに新たな流れが生まれた。
「……なんだぁ?」
ホルクスは首をかしげる。これほどの雰囲気をもつ者が、なぜ今まで隠れていたのだろうか。出し惜しみをする理由がないはずだ。この戦い、シザーランドも早期決戦をんでいたはず。
最初はミシャかと思った。すでに西の部隊は壊滅したと聞いているからだ。しかし、を刺すような覇気はミシャのものではない。荒々しいミシャに対し、この覇気は繊細で鋭かった。
「ちっ、流石に放置できねぇか」
ホルクスは部隊の一部に指示をだし、新たな敵の対処にまわした。これでイヴァンを包囲していた陣形が崩れることになる。兵の犠牲が無駄になるが、背に腹は代えられない。
「――イサーク、お前も警戒しておけ」
「――ソロモンを相手にしつつですか? 流石に二人同時は厳しいですよ」
「――そんなもん気合いだろ! お前の目は何のためについている? 敵を見つけて狙撃するためだ!」
「――私は目が悪いのですよ」
無茶を言われるイサーク。通信機の向こうからため息のようなものが聞こえた。
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