《【書籍発売中】貓と週末とハーブティー》犬も歩けば……? 中編
「男ってなんスか。心當たりがないッス」
「はあ……だからあんたは相変わらず駄犬なのよ」
「子先輩は相変わらず毒舌ッス!」
「これは躾けよ」
「やっぱり犬扱いじゃないッスか!」
廊下の端に避けて、賑やかに言い合う善治と子。二人にとってはいたっていつもどおりのコミュニケーションである。
「それで、飲み會の參加の可否はどうするの? そろそろ返事をしないと幹事の人にもいい迷よ」
「佐藤さんとの會話聞いていたんスか……盜み聞きなんて悪趣味ッスよ!」
「あら、私にそんな口を叩いていいのかしら?」
子は窓橫の壁に背を預けて、微かに吹き込む風にショートカットの黒髪を遊ばせる。
そしてタイトスカートのポケットからスマホを取り出し、これみよがしにふりふりと犬飼の前で振って見せる。
「このスマホにはあんたにとってのお寶がいっぱい詰まっているわ。生意気なこと抜かしたら、この前の旅行で撮った早苗の寫真あげないわよ」
「俺は子先輩の忠実な犬ッス」
よろしいと満足気に口角をゆるめて、スマホを仕舞い直す子。
善治はからかわれている自覚はあったが、寫真は普通にしいので逆らわない方が得策だと判斷した。背に腹は代えられない。
そして子の言うように、飲み會の返事もそろそろしなくてはいけないこともわかっていた。
「でも俺、いまはハーブの勉強中でして……飲み會に參加するよりは、家でそっちに勵みたいというか……」
「ハーブ? あんたが? 急にどうしたのよ」
「……早苗先輩のまだ見ぬお相手が、ハーブティーを淹れるのが上手いらしいんス」
善治は年齢のわりにはい仕草で、ふんっとを尖らせる。
彼の片想い相手である足立早苗は、正式にお付き合いをしているわけではないものの、ハーブに詳しい植系男子となにやらいいじらしい。
それに対抗して、善治も本屋でハーブの本を買い、試しにホームセンターで一苗買って育ててみているところだ。
選んだハーブの種類は『バジル』。
理由は単純に「イタリアン料理で使うやつッスね!」と、ちょっとでも知っているものに食い付いたからと、たまたま傍にいた親切な人が「バジルは初心者でも育てやすいですよ」と教えてくれたからだ。
ノリと勢いもあって、なんとなくベランダで栽培中である。
「努力の方向が間違っている気がしなくもないけど、あんたのそのめげないは嫌いじゃないわよ。『フラれても諦めない』なんて、口で言うほど簡単じゃないからね」
「俺もさすがに絶対に諦めないなんて宣言はできないッスよ。ただ……」
善治は蛍燈の人工的なに目を眇めながら、なんとはなしに早苗を意識するようになったきっかけを思い返す。
――それは善治がまだ社したての頃。
教育擔當についたのが同課の先輩である早苗で、正直なところ第一印象はそこまでよくもなかった。
『わあ、この會社唯一の営業さんッスか。仕事できそうでカッコいいけど……ちょっとキツそうッスね。できれば仲良くやりたいんスけど……』
とういうのが、初対面での素直な善治の想だ。
早苗はツリ目でキリッとした雰囲気から、どうしても最初はとっつきにくさを覚えられてしまうタイプである。
だが彼は見た目に反して冗談も通じるし面倒見もよく、善治の指導も丁寧にしてくれて、すぐに善治の方も信頼を持って懐いた。
しかしながら、まだこの段階では、純粋に『尊敬する先輩』の枠を出ていなかったのだ。
それが変わったのは、ある事件から。
その日は善治にとって勝負の日だった。
善治が擔當する得意先の重役が、わざわざ會社を訪ねてきていて、まさに一押し商品を売り込む最大のチャンスだった。
ところが、そのチャンスを棒に振るように、ことを急いた善治が話を強引に進めすぎて、先方の激しいお怒りを買ってしまったのである。
バンッと先方は機を叩き、「君とは話にならない! 今後の付き合いも考えさせてもらう!」と吐き捨てて、打ち合わせ室から出ていった。
善治は呆然とした。
彼はこれまで、小用になんでもこなしてきて仕事上でミスらしいミスをしたことがなかったのだ。
それがここに來て……である。
叩かれた衝撃で機から落ちたボールペンが、コロコロと転がって善治の靴先に當たった。
それをぼんやりと見つめて「犬も歩けばペンに當たるッスかね……」とか面白くもない冗談が脳裏を過った。まず犬じゃないし歩いてないし、自分はなにも出來ずに応接室のソファに座り込んでいるだけだ。
『ちょっと、犬飼!? 先方が怒鳴って帰ったって聞いたけど、なにがあって……って、コラ! なにをぼうっとしているの!』
そこに騒ぎを聞き付けて、飛んできてくれてのは早苗だ。
先方は引き継ぐまでは早苗の擔當だったため、今日の犬飼のことも隨分と気にかけてくれていた。
『やっちゃったことは仕方ない。どうしようって悩んでいるうちに、まずは會って謝りに行くよ。私も一緒に行ってあげるから、止まる前に行! 後悔するのはそれから!』
けなく眉を垂れる善治の肩を叩き、早苗はそう勵ました。それからの彼の行は迅速で、ほぼほぼ早苗のおかげで善治の不祥事は免れたといってもいい。
そのときの早苗の姿がとってもとっても眩しくて。
それから善治は早苗のことを頻繁に目で追うようになった。
そうしたら、笑えばツリ目が和らいで存外あどけない顔になることや、周囲にさりげなく気を配って人をよく見ていること。かと思えば案外、抜けていたり鈍いとこもあったりすること。
そんないろんな面が見えてきて――気付けばすっかり、するわんこの出來上がりだ。
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