「マイア、もういい。そいつ、起きてる」

ルカに聲を掛けられ、マイアはトリンガム侯爵の治療をやめた。

「どうしてわかるの？」

「呼吸音やのきをよく観察すればわかる」

返事をするルカの目は冷たくて、マイアの治癒の魔力で一旦は落ち著いたはずなのにやっぱり別の人のように見えた。

「ルカ、目をこじ開けてくれ」

隣で魔式を準備していたゲイルがルカに聲をかけた。

「わかった」

ルカは頷くと、トリンガム侯爵の頭を暴に摑んでし上に持ち上げてから目蓋に手をかけた。

邪魔にならないように離れた方が良さそうだ。マイアはゆっくりとした作で立ち上がった。

その瞬間、目の前がくらりとした。

これは魔力切れの前兆だ。

トリンガム侯爵の治療に思ったよりも魔力を持っていかれた。ルカが毆った部位は頭だった。これだけの魔力を消耗したということは、脳が損傷していたのかもしれない。

「マイア、顔が悪い。魔力を使いすぎたんじゃ……」

ルカは目ざとい。マイアの様子にすぐに気付いて駆け寄ってきた。

ゲイルによるトリンガム侯爵への尋問の魔はどうやら安定したようだ。

「ここの魔陣をどうにかしたら出するからし座って休んでて」

ルカはボロボロになったマントを外して床に敷いた。

「ごめん、こんなになって汚いけど」

そう前置きしてからルカはマイアをその場に強引に座らせた。そして、腰のベルトに固定したれから水薬(ポーション)のった瓶を取り出し、マイアに差し出してくる。

「ゲイルが調合した魔薬だ。魔力を回復させる効果がある。あんまり味しくないけど飲めばしマシになるはずだ」

「ありがとう」

マイアは水薬(ポーション)の瓶をけ取ると、蓋を開けてまず匂いを嗅いでみた。

青臭い。味しくないと予告されていることもあって、マイアは躊躇(ちゅうちょ)する。

「そこまで警戒しなくても大丈夫だよ」

苦笑いするルカの姿にしだけほっとした。いつもの優しくて紳士的なルカが戻ってきた気がした。

思い切って瓶に口を付け、中のを口に含んでみた。

確かに味しくない。かといってまずい訳でもない、薄い林檎水に人工的な甘みと塩味を足したような不思議な味がした。

「ルカ、助けに來てくれてありがとう」

落ち著くと、まだちゃんと正式にお禮を言っていない事を思い出した。

謝の気持ちを伝えると、何故かルカはバツが悪そうな顔をする。

「……本當はずっと近くにいたんだ」

「えっ……」

「マイアに渡していた婚姻腕は魔で……位置を知する式が埋め込まれてたから、はぐれてすぐにマイアが裏社會の連中に攫われたってわかった。でも『上』の命令ですぐに助けに行けなかった。怖い思いをさせてごめん」

ルカの発言に心臓が嫌な音を立てた。

「……どういう事なの」

「やっぱり不愉快だよな。無斷で魔式を仕込んだ腕を渡してたんだから……」

「それもだけど。ずっと近くにいたって……『上』の命令って何……？」

「アストラの國境の街でもキリクと同じように子供の拐事件が発生していて……それに関連があるかもしれないから、売られる先を見極めろという命令が出た」

それを聞いた瞬間裏切られたような気持になった。

（ううん、こんな事考えちゃ駄目だ）

位置を把握するような魔をそれと知らされず渡されていたのは、貴重な聖を逃がさない為だろうけど、マイアを守るという意味もあったはずで、結果的にそのおかげでマイアは助かった。

それにルカは國に屬する諜報員なのだ。國からの命令に逆らえないのは當然の事だ。

だから、腕は信頼されていない証だとか、どうしてもっと早く助けてくれなかったのと考えて、嫌な気持ちになるのは間違っている。

「元々、魔蟲討伐の時、欠損を治すティアラ・トリンガムが現れた時に、エマリア・ルーシェンのに手を出した不屆き者がいるんじゃないかって疑いは持っていたんだ。あの魔は極めて強力な治癒力だけじゃなく、かけられた人間の神を侵す邪法だ。あのの治療をけた人間は、まるで信者みたいになっていたし……。マイアの行先がトリンガム侯爵領だった事で疑いは確信に変わった」

「伝説の大聖が本當は魔だったというのは、そちらの國では有名な話なの？」

アストラが隠蔽したのだとトリンガム侯爵は言っていた。

「一部の魔師の間では。俺やゲイルが知っていたのは、二人とも元々魔研究所に縁があるからだ。ゲイルは元々研究畑の人間だし、俺も質が特殊だから」

そこまで言うと、ルカは小さく息をついた。そしてもう一度マイアに向き直り、真摯な表で謝罪する。

「本當にごめん。マイアが怒る気持ちはわかる。本當は俺だってすぐに助けに行きたかった」

「……怒ってない。こうして助けに來てくれただけで充分だから。ルカ、ありがとう」

マイアが微笑みかけると、ルカは痛ましいものを見るような目をこちらに向けてきた。

その顔を見て、マイアの中のわだかまりが溶けていく。罪の意識をじてくれているなら充分だ。ルカはなくともマイアを搾取するばかりだったこの國(イルダーナ)の上層部とは違う。

「マイア、々と悪かった。俺たちも國に仕えるだから、『上』の意向には逆らえなかったんだ」

し離れた場所から聲をかけてきたのはゲイルだった。尋問のための魔式が消えているから、必要な事は聞き出せたのだと思われる。

「大丈夫。ちゃんとわかってるから。おじさまもありがとう」

どうしてゲイルまで可哀想な子を見る目を向けてくるのだろう。

「の合は？」

「そっちも大丈夫。魔力を使いすぎただけだから、し休めば良くなるわ。聖の自己回復力が高いのは知ってるでしょ？」

マイアの答えにゲイルは小さく息をつくと、決まり悪そうに頭に手をやった。そしてルカに向き直る。

「ルカ、悪いけどここの魔陣だけ壊してくれ。それが終わったらマイアを連れて先に出しろ。後始末は俺がやっとく」

「エマリアの魔書のありかはわかったのか？」

「侯爵の私室の中らしい。城の移は単獨の方が楽だ」

二人の間で話が進んでいく。

「後始末って何をするつもりなの？」

マイアは二人の間に割り込んだ。

「この魔陣を壊してエマリアの魔書は燃やす。マイアにもわかるだろ？　この魔は存在してはいけないものだ」

「それとマイアの存在の隠蔽工作だな」

「私みたいに攫われた人たちはどうなるの……？」

「トリンガム侯爵とそこの若いのに暗示の魔をかけて解放させる。この街の自警団にマイアを攫った連中を引き渡しているから、そっちと辻褄が合うような形にするように命じるつもりだ」

「人攫いたちは捕まえたの……？」

「マイアに危害を加えたんだ。相応の報復はしておいた」

さらりと告げたゲイルにマイアは目を瞬(しばたた)かせた。

「報復って……」

「あんな連中の事、マイアが一々気にする必要はない」

ルカもゲイルも答えてくれそうにない。マイアは詮索を諦めた。

「マイアには腹立たしいかもしれないが、隣國に売り飛ばされる所だった人々を、領主であるこいつらが助けた、という筋書きにするつもりだ」

「そんな暗示をこの人たちにかけて大丈夫なの？」

「かなり強力な神作をかけることになるから魔が切れた時に正気を保てるかは運だな。……俺を軽蔑するか？」

マイアはふるふると首を振った。

「暗示をかけないとおじさまやルカのも危なくなる。それに侯爵は犯罪者だから……」

だから仕方ない。いや、これくらいの報いがあってもいい。そう思ってしまう自分が汚い人間になったような気がした。