《【書籍化決定】読家、日々是好日〜慎ましく、天無に後宮を駆け抜けます〜》父親の誤解
馬車は王都を出て東へ向かった。立派な馬車が三臺、大きな二臺にそれぞれ青周と白蓮。それよりし小振りな馬車には明渓が乗っている。その後ろには護衛や侍が乗った馬車が続く。韋弦は重の香麗妃のためにと、東宮が手放さず今回は不參加だ。
馬車から見る景が見覚えのあるものに変わり、明渓は窓をあけ顔を出した。馬車の中には七が置かれ暖かいが、窓の外には雪が薄ら積もっている。にあたる冷たい風と一緒に枯草の匂いがした。
「東の都、仙都。こちらが明渓様の故郷ですか」
ゆったりとした仕草で耳に髪をかけるのは梨珍(リゼン)。以前梅(メイルー)の宮に行く時に化粧を施してくれた侍だ。今回は明渓の侍として同行している。
「それにしても、梨珍さん、青龍宮の侍だったのですね。びっくりしました」
「香麗(シャンリー)妃が話されていると思っていました。自己紹介が遅れ申し訳ありません。それから明渓様、また呼び方が梨珍さん(・・)となっておりました。敬稱は不要ですよ」
「そうでした。でもやっぱり慣れません」
自分はとことん妃に向いていないと思う。
仙都と呼ばれてはいるが、広さは王都の三分の一、人口は十分の一以下の小さな田舎街だ。名ばかりの大通り(メインストリート)にはポツポツと呉服屋や飲食店が並ぶ。しかし大半は庶民向けの中規模店。一本路地にればさらに小さな店と民家が連なる。
馬車はそんな見慣れた街並みを通りすぎ山道を登り始めた。まず見えたのは総門、そこからさらに山道を登ると山門が見えた。
し褪せた朱の総門をくぐると四方を渡り廊下でぐるりと囲まれた寅の伽藍に辿り著いた。四辺のうち、手前一辺の中央に山門がありそこがり口となっている。馬車はその前で停まった。
そこそこの長旅だった。その間、慣れない妃嬪の裝で過ごした明渓は、馬車を降りると大きくびをする。先に降りていた青周がその様子を見て近づいてきた。
「やっと會えたか。同じ馬車でも良かったものの」
「妃嬪と帝以外の男が二人きりになるのは問題ですよ」
「それぐらい、俺の力でみ消せる」
間違いなくみ消せる。だから冗談でも言わないでしい。
白蓮は初めて見る伽藍の大きさにポカンと口を開けている。
「立派な山門だな。門の上がさらに二階建てになっているのか」
門の上には樓閣が乗っており、深い緑の瓦屋が二重になっている。山門の向こうに仏殿、その向こうに法殿が一例に続く。建の高さは手前の山門が一番高く、次に仏殿、法殿となる。広さとしては法殿が一番大きいけれど高さはない。法殿のすぐ後ろは山になっており、山に沿って墓石が並んでいる。
白蓮達が泊まるのは、法殿の右隣、四角形の右奧角にあたる大堂。こちらは十年ほど前に新たに作られた堂で見た目も他よりし新しい。明渓が泊まるのは左奧角にある正覚堂だ。
ピュッと冷たい風が吹いた。明渓は著慣れない皮の外套に顔を埋める。帝が今回の里帰りを聞き、賢妃を殺した犯人を見つけた褒にくれたものだ。かまくらだけでは不十分だと思ったらしい。
一行を出迎えに伽藍の人間が數人現れた。
三人は顔を見合わせると、それぞれがそれぞれの仮面をつけた。
その夜、ささやかな宴が開かれた。到著したのは夕方だったので正式な宴は明日開かれるらしい。場所は大堂から山門に向かう渡り廊下の途中にある茶宴室。
天井にある見事な梁が特徴的で、よく使いこまれ手れされた床板は鈍くっている。真ん中にあるのはさらに年季のった一枚板の大きな長卓(テーブル)。落ち著いた濃い茶をしたそれと同じの椅子は六腳用意されている。
青周、白蓮と明渓が一例に並び、その向かいに従兄弟の子豪(ズーハオ)と子空(ズーア)、明渓の父親である音(オンソウ)が座る。あとはお酌をする侍數名が部屋の中を行き來している。
「では明渓は後宮の事件を解いた褒として、里帰りが許されたのですか」
ほっとした表で呟くのは音。
文の割に引き締まったをしている四十代の男は、し後退し始めた生え際に浮かぶ汗を手の甲で拭う。
娘を溺している父親は、明渓が後宮の本を読みたいからすると言い出した時、心では強く反対していた。それでも娘が言うならと送り出したけれど、可い娘が帝に気にられたらどうしようと不安だったのだ。
対して子豪と子空は殘念そうな顔をした。明渓が上級妃になれば親戚として何かおこぼれがあると期待していたのだろう。
「最近は新たに誰かを上級妃にすることはない。そのため位は當時とかわらないが、その働きには一目を置いている」
「それは大変ありがたいお言葉でございます」
明らかに安堵したその顔を見てお酌をしていた梨珍がくすっと笑う。
「音様、後宮に出りできるのは帝だけではございません。こちらにいらっしゃる青周様、白蓮様はまだ正妻を娶っておりません」
音がパッと目を見開き、青周、白蓮を見る。二人は僅かにの端をあげる。
それを見て、今度は青ざめた顔で明渓を見る。明渓は簪が落ちるほど頭を振る。
「そうだな、帝も最近は口やかましくなってきた。いい加減本腰をいれて探さねばなるまいな。どう思う明渓」
「……青周様でしたら選びたい放題だと存じます。娘を持つ高が聞いたら、山のように姿絵が送られてくるのではないでしょうか」
「それはすでに日々送られているが、む絵姿が中々屆かなくてな」
にやりと笑いながら口元に杯を運ぶ。まったく何をしても絵になる男だ。
(誰の絵姿を待っているのだろう)
聞けない。聞いてはいけない。
「俺も元服したしそろそろを固めたいと思っているが、これが案外難しい。明渓何か良い案はないか」
「……白蓮様はまだお若いではありませんか。焦らず待っていればそのうち相応しい方が出てくると思います」
「それがのんびりと構えてもいれなくてな」
軽く口の端を上げる澄ました笑いは見事に皇族の顔をしている。
(嫁探しの前に常識を學んでしい)
言えない。この場では言えない。
(私の服を勝手に預かり、挙句のはて……いや、それ以上は記憶から抹消しよう)
三人の間に流れる微妙な空気に気付かないほど、目の前の男達は鈍くない。なぜ二人の皇族が明渓と一緒にこの伽藍を訪れたのか。彼らの頭の中で仮説が出來上がっていく。
もちろん、本當のところは空燕の逃亡と東宮の溺のせいだけれど、それを説明できるものは誰もいない。
その空気に耐えられなくなったかのように音が顔を上げた。
「そ、そうだ! 明渓。後宮の事件も解いたなら、兄が殘した謎も解けないか?」
「叔父さんが殘した謎……?」
話題を変えたくてひねり出した言葉に明渓は眉を顰める。椅子に座りながら用に後退していった。
「ここ數年、この辺りに盜賊が出てな。兄は産をどこかに隠したようなんだが、その場所を言わずにポックリ逝ってしまって。お前は祭祀に関わらないから暇だろう? 探してみてはどうか」
(なんだ、この流れは)
頬をひきつかせる明渓を見ながら、青周と白蓮は笑いを噛み殺している。
「そうだ! 見つけたなら褒をやろう。お前、蛇酒を飲みたがっていただろう。良いが手にったのだ。但し儂以外と一緒に飲むなよ」
「昨年青周様に頂いたから要りません」
「「「なっ!!?」」」
向かいの席に座っている男三人の視線が青周に集まる。音の眥がぴくぴくと引きつる。
「青周様、それはどういうことでしょうか?」
「いや、それは……」
音は次いで明渓を見る。今度は眉を下げ潤んだ瞳で(否定してくれ)と懇願しているようだ。
「明渓、一緒に飲んだのかい?」
「はい」
明渓はし目をうっとりとして答える。あれは味だったと頬に手をあてる。その姿を見た音の口がわなわなと震え始めた。
その様子に、たまらず青周は隣の白蓮に話を振る。
「は、白蓮も飲んだよな?」
「明渓に勧められ一度だけですが」
「……そう言えば白蓮様、あの夜のこと覚えていますか?」
小首を傾げ、明渓は今宵最大級の弾を投下した。
「白蓮、詳しく聞こうか?」
青周の額に青筋が浮かぶのを見て、白蓮はひたすら首をふり無実を訴え始めた。
音は長卓越しに飛びかからんばかりの勢いで二人と相対し、小豪と子空は今宵の部屋割りについて確認をし始める。
そんな中、明渓だけは熱燗に舌鼓を打っていた。
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