《【書籍化決定】読家、日々是好日〜慎ましく、天無に後宮を駆け抜けます〜》16.峠
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「良かった。雨、上がりましたね」
明渓は空を見ながら呟いた。薄雲はかかっているが、昨日までの土砂降りはもうないだろう。
「昨日の雨で伽藍堂を発つのが一日遅れたが、その分両親との時間はゆっくり持てただろう」
隣では白蓮か同じように空を見ている。本來なら昨日帰る予定だったが、朝から強い雨が降り続けたため、出発を一日遅らせたのだ。そのため、生家に二泊することができた。
「何を話したんだ」
「……私が侍だとバレました。そこに至る経緯と今の生活を掘り葉掘り聞かれ、お説教をたっぷりと」
「バレたのか! では実家に呼び戻されるのか?」
「いえ、そこは意外とあっさり、王都に戻って良いと言われました」
明渓は力なげに俯いた。その様子は子のようにシュンとしている。相當、絞られたようだ。そして、本當のところ、あっさりではない。向き合う気がないなら戻って婿をとれと迫られ、今に至る。だから、これ以上は聞かないでしい。
話題を変え雑談をしているうちに、出発の準備は整い一同は伽藍を出発した。今日の予定は山二つ向こうの街だ。
一刻ほど走ると馬は山道に差し掛かった。明渓が窓からを乗り出すと、細く曲がりくねった道を馬と馬車が連なっているのが見えた。
「梨珍さん、行きより人數が増えておりませんか?」
「仙都の刑部達が次の宿まで護衛に加わると申し出たようです。一番後方にいると思います」
「行きも思ったのですが、隊列は要人を真ん中に配するわけではないのですね」
明渓達の馬車は隊列の真ん中より前方に位置する。一番前が白蓮、次いで青周、明渓の順だ。
「いつもというわけではありません。ただ、盜賊などは背後や橫から奇襲攻撃を仕掛けてきますので、後ろ側に多く武を配するのは珍しいことではありません」
なるほど、と明渓は頷く。確かに正面から奇襲攻撃は考えにくい。というか奇襲の意味が半減する。
「武達の鎧の紐のが違うことには、お気遣いですか?」
「はい。赤は皇居の護衛の武様で白蓮様と私の素をご存知な方。緑は普段、皇居にも後宮にも出りされていない武様と聞いています」
そういえば來る時、緑の紐の武の前では妃嬪らしくするようにと青周に言われたことを今さらながら思い出した。
(概ね、できていたはず)
問題なかったと本人は思っている。
「護衛は前に、武は後ろに配置されています」
その言葉に明渓が窓からさらに顔を出そうとした時だ。窓の外を馬が二頭駆け抜けた。手綱を握っているの一人は春蕾だ。
「明渓様の従兄弟は刑部に所屬されているのですね」
梨珍も顔を出し、通りすぎた馬を見る。馬は青周の馬車と並走し、何やら告げている。青周の橫顔がちらりと見え、指示を出したのが分かった。
武を乗せた馬は向きを変え、山を伝って後方へもどっていった。春蕾の馬は引き続き青周の馬車と並走中だ。
武の姿が見えなくなったとたん、道は急に細くなり左右は山から崖に変わった。切り立った崖にも関わらず馬車は速度を緩めない。いや、むしろ早くなっている。
「明渓様、窓を閉めます。揺れるかも知れませんのでを屈め何かに捕まってください」
梨珍は座席の下に明渓を跪かせた。そして庇うように明渓の肩に手を置く。
「……もしかして、盜賊ですか?」
「この辺りで時折出ると聞いています」
落ち著いた聲だ。それに細い腕は震えることなく、もくなっていない。今までに何度も命を脅かす現場に立ち會ったことがあるのだろう。見かけによらず立派な腹の座り合だ。
「さすが青周様の母で……いえ、何でもありません」
梨珍の鋭い視線が刺さる。母と年齢は句のようだと悟った。
さらに馬車が早くなったと思うも束の間、山からガガガッと大きながり落ちてくる音がした。
後ろから武達の怒聲と馬のいななきが聞こえ、馬車は大きく揺れながら止まった。
「明渓様、扉から下がってください」
梨珍が懐から小刀を出す。
「梨珍さん、私の背後に」
明渓は座席の下から用の模造刀を持ち出した。
「母が強度をあげてくれました」
「……良いお母上をお持ちで」
今度は、山を馬が駆け降りてくる音がした。弓矢が窓を突き破り馬車の中にってくる。二人は慌てて、飛んでくる弓矢とは反対側の扉から飛び降りた。
「明渓、俺の背後に來い」
先に馬車から降りていた青周がぶ。手には青龍刀を持っている。その橫には白蓮が同じように柳葉刀を構える。
「白蓮様、剣を変えてください。そして私の後ろに」
「斷る。明渓こそ下がっていろ」
そう言われて引き下がる明渓ではない。模造刀を握り白蓮の隣に並ぶ。そんな二人を、背後に庇うように青周が前に立った。
明渓の乗っていた馬車のすぐ後ろには幾つも大きな丸太が転がり道を塞いでいた。最初に聞こえた音は、盜賊が丸太を隊列に投じた音のようだ。
護衛達はぐるりと皇族を囲むように並び、飛んでくる弓矢を剣で薙ぎ払っていた。それでも數本は明渓のいる場所まで飛んでくるので、素早く模造刀で払い落とす。
盜賊の數は四十人ほど。対して護衛は十人。多勢に無勢、しでも助けにと明渓が一歩前に出た時だ。ぐいっと腕を引っ張られ、が反転して鼻先が何かにぶつかった。ぶつかったところから薬草の匂いがする。
「じっとしていろ」
明渓の頭を自分の肩先に押し付けるようにして白蓮が言う。
「白蓮様、離してください」
腕の中でもがくも、背中と頭を強く抑え込まれ離れられない。いつの間にこんなに力が強くなったのかと思う。
「斷る。俺までが剣を振るわねばならなくなったら離す。だが、今はじっとしてくれ。お前には見せたくない」
その言葉に明渓のは強張った。剣が強いとはいえ、実際に人を切ったことはない。腕を切られ、腹からを流す人間を見たことはない。
男達の怒聲が四方八方から聞こえてくる。の匂いが辺りに充満し、どんどん濃くなっていく。
(あぁ。私はダメだ)
手が震え始めた。視界の端に肘から下だけの腕が転がっている。真っ赤な切り口からの斷面が見え、が滴り落ちて地面が赤黒く変わっていく。
(普段は偉そうに剣の指南をするくせに、土壇場で怖気付くなんて悔しい)
明渓が抵抗をやめたからだろう、背中から手が離れた。白蓮は左手で明渓の頭を自分の肩口に押し付け、もう片方で剣を構えた。
「心配ない。護衛は選りすぐりの者を連れてきた。それに、お前の従兄弟はかなりの手練れだな。もう八人は斬った。青周様さえまだ剣を振っていない。だから大丈夫、こちらが優勢だ」
明渓は思わず白蓮の袖を摑んだ。それは自分の不甲斐なさを悔いてのことだけれど、白蓮はそうは思わなかったらしい。頭を優しくでられた。
「殘りは十人ほど。すぐに終わる」
優しい響きにぎゅとを噛む。
白蓮の言う通り、間もなく怒聲はやみ、辺りは噓のように靜かになった。
「青周様、ありがとうございます」
白蓮が剣を鞘に収めながら禮をいう。明渓も小さく頭を下げた。
「何、俺は二人ほどしか相手しておらぬ。春蕾とか言ったな。あやつが一番の功労者だろう」
青周はそう言うと春蕾に向かって手招きをした。春蕾は、背後を振り返り手招きをされたのが自分だと気づくと、慌てて走り出した。それとれ違うようにして、白蓮は傷を負った護衛の元へと駆け寄って行く。
「かなりの腕前だ。奇襲に一番に気づいたのもお前だったな。何か褒をやろう、希はあるか」
春蕾は跪き、重ねた手に額をつける。敵を目の前にした時より明らかに張しているように見える。
「若輩者には勿無いお言葉です。でしたら、厚かましですが一つ頼みがございます」
「ほう、頼み、ときたか」
「はい、地方武はその土地で行われた武の試験にかった者がなります。戦があった時は、戦歴を重ねれば中央の武として新たに配屬されることもありましたが、平和な世となった今そのようなことはありません。毎年中央で武の試験が行われていますが、地方武はけることすらできないのが現狀です」
「その試験をけたいと。王都に來たい理由はあるのか?」
うっ、と言葉に詰まった春蕾を青周が鋭く目を細め見る。
「やはり、明渓の側にいたいのか」
「まさか! そんな奴……あっ、いえ。そ、それはありえません。あの、実は私は武に大変興味がございます。王都に行けば田舎では見ることができない武を見れ、あわよくばれることができるのでは、と。あ、も、勿論、私の力をより皇族の方々の近くで役立てたいと、そう思ってもおります。そちらの気持ちの方が強いです!」
珍しい武を見てりたいから王都の武になりたい。どこかで聞いたような話だと明渓は首を捻る。青周と梨珍が、じと目で自分を見ていることには気づいていないようだ。
「……理由はやはり明渓の従兄弟としか言えぬが、試験については確かにそうだな。その件については、即答はできぬが前向きに検討しよう。こちらとしても、能力のある武を手近に置きたい気持ちはある」
「ありがとうございます!」
春蕾は再び頭を深く下げた。明渓としても気楽に話せる従兄弟が王都にいるのは悪くない。結婚話さえなければ、気が合う良い話し相手なのだ。
「青周様、応急処置は終わりましたが、ここでは充分な手當ができない者もいます。道を塞いだ木は一本ではなく複數あるそうで、取り除き後方の武が追いつくのには時間がかかるそうです」
白蓮の後ろには服をで染めた護衛が數人いた。
「分かった、では先に麓まで降りよう。俺と明渓の馬車は使いにならん。お前の馬車に重傷者を乗せ同乗しろ。明渓、馬に乗れるか?」
「はい、ですがこの服では無理です。馬車から降りる際に荷を投げ下ろしましたゆえ、侍の服に著替えます。々お待ちください」
「分かった、……てどこでだ?」
明渓はそう言うと、の匂いがする方を見ないように壊れた馬車へと走っていく。そして、落ちている荷を拾い馬車の影に隠れた。
梨珍が慌ててその後を追う。
「明渓様、目隠しを作りますのでまだいではいけません!!」
半壊した馬車の脇から妃の服かはらりと舞う。春蕾は額を抑え、他の者は慌ててあらぬ方を向いた。
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