《【書籍化】雑草聖の逃亡~出自を馬鹿にされ殺されかけたので隣國に亡命します~【コミカライズ】》旅の終わり 02
シェリルが経営する宿屋は、領都エスタの郊外にあった。
大きな庭と廄舎があって、宿のランクとしては中の上という印象だ。煉瓦(れんが)造りの建の壁面には蔦(つた)がひっしりと生い茂っていて、それがいい雰囲気になっている。
シェリルは廄舎の手前で荷馬車を停めると、マイアとルカを裏口にいざなった。
「従業員は全員うちの関係者だからある程度の事は知らせてる。でも、一般のお客さんもいるから、その人たちの目にれないように過ごしてしい」
シェリルはそう前置きしてから部屋へと案してくれた。
「マイアはここ、ルカはその隣を使って。マイアは今日は一日部屋から出ないように。その目のを隠せるようになるまでは大人しくこの中で過ごしてね。暇つぶしができそうなものは一応中に準備してあるわ」
そんな言葉と共に案された部屋は、こじんまりとしていたが最低限の家が揃っていて清潔だった。
建自は古いけれど、隅々まで掃除が行き屆いており、大切に使われてきたということが窺える。
部屋の中央に置かれた機には、見覚えのある裁箱が置かれていた。
ゲイルに貰った裁箱だ。開けてみると、中には普通の針と糸に混じって、魔布を作る為の専用の針と月晶糸が納められていた。
室の戸棚には本が、壁にはリュートが立てかけてあったが、どうせならルカやゲイルの為に何か作りたいと思ったのでマイアは裁箱に手をばした。
裁箱は二段に分かれていて、上の段には針や鋏(はさみ)などの道が、下の段には端切れととりどりの刺繍糸が詰め込まれている。
キリクの宿屋からそのまま持ってきてくれたようで、記憶通りの配置になっていた。
端切れで簡単に作れるもの、という事で真っ先に思い付いたのは守袋(まもりぶくろ)だった。
この國では兵士が出征する時には、近い関係のから守袋を贈るという風習がある。
ルカの分とゲイルの分と、二人分を同じ布で作れば、変な意図があるように捉えられることもないだろう。
袋の口に守りの魔式をい込んで魔布にしておけば、何かの時に役に立つかもしれない。
マイアはそんな事を考えながら、端切れのを始めた。
月晶糸の金が映えて、男が持っていても違和がなく、かつ汚れが目立ちにくくて長く使って貰えそうな――。
そう考えて、マイアが選んだのは深い紺の生地だった。
つるりとした生地はアストラシルクだろうか。上品な沢があってり心地がいい。
作るのは小さな守袋なので、布の裁斷よりも先に刺繍をれていく。
マイアは先を細く削った布用のチョークを手に取ると、裁斷の為の線と一緒に図案を書き込んでいった。
◆ ◆ ◆
マイアの部屋のドアがノックされたのは、一つ目の守袋の刺繍をれ終えた時だった。
最近は日が落ちるのが本當に早くなった。既に外は真っ暗になっていたが、室には魔燈が據え付けられていたので晝間とそう変わらない明るさが保たれている。
明かりを點ける為にしだけ魔力を使ったが、きっとしだけなので大丈夫だろう。調にも今のところ変化はない。
「シェリルよ。ってもいいかしら?」
「どうぞ」
外から聲をかけられたので許可を出すと、ドアが開きシェリルが顔を出した。
「刺繍をしていたの?」
「はい。ルカとゲイルには本當にお世話になったから、何かお禮をしたいなと思って」
「上手ね。私、お裁は駄目だから羨ましいわ」
シェリルはマイアの手元を覗き込んできた。
「若い頃は魔をに付けるのに必死だったのよね。大抵の貴種(ステルラ)がそうだと思うんだけど。の回りの事は皆使用人がやってくれるからつい甘えちゃうのよ」
「練習すればできるようになると思いますよ」
「ううん、遠慮しておくわ。最近老眼が進んじゃってね。近くのものが見え辛いのよ」
そう言いながらシェリルは肩をすくめて苦笑いした。
そして気を取り直したように息をつくと、マイアに向き直る。
「が汚れて気持ち悪くはない? 綺麗にするための魔を掛けに來たの」
「お願いします」
食いつき気味に返事をすると、シェリルはクスクスと笑いながら羽筆(クイル)を取り出し、《洗浄浄化》の魔をマイアに掛けてくれた。
「どう?」
「さっぱりしました」
「ごめんなさいね。一応浴設備もあるんだけど、今のあなたを他のお客さんに見られるのはまずいから」
シェリルは申し訳なさそうな顔をした。
「ここにはお風呂があるんですか?」
「ええ。國境からの街道沿いの街だからアストラからのお客さんが多いのよ。向こうではこちらと違って毎日浴する習慣があるから、この辺りの一定以上のランクの宿には浴室が付いているわ。魔力がしっかり回復して、目のが隠せるようになったらってみてね」
「はい。是非」
こくこくと頷くと、シェリルは微笑ましいものを見るように目を細めた。そして、室に據え付けられているクローゼットに向かう。
「この中は見た?」
「いいえ」
「あなたの好みかどうかわからないけど、アストラの服をれてあるの。良かったら著てみない?」
シェリルは言いながらクローゼットを開けた。すると、シェリルの言う通り、鮮やかなアストラの民族裝が何著もかかっている。
「いいんですか?」
「向こうに行ったら日常的に著ることになるだろうから、今から慣れておいた方が良いわ」
アストラの用の民族裝は、形としてはこちらのワンピースと大きく変わらないのだが、詰まった襟元と服の留めが特殊な飾り結びで作られているのが特徴だ。
そして大振りな刺繍が施されている。刺繍の技法自はこちらとそんなに変わらないのだが、彩覚には大きな違いがあって、向こうの刺繍はマイアの目には派手で華やかだった。
シェリルはクローゼットから何著かの服を取り出すと、楽しそうにマイアのに當ててくる。
「髪のが鮮やかだから濃いが似合うわね。こっちとこっちならどちらが好み?」
そう言いながらシェリルが勧めてきたのは、自分では決して選ばないような合いの裝だった。
一著目は明るいオレンジ、二著目は濃い紫のワンピースで、どちらにも大の花の刺繍が施されている。
だけど全が映る大きな鏡の前で見比べてみると、確かに髪や瞳のによく映えた。
マイアはしっかりと見比べてから、紫の服を指さした。
「こっちにします」
ゲイルがまだ戻ってきておらず、ネリー達の安否も気にかかる今、明るいの裝をに著ける気にはなれなかった。
「その服に合わせるならこのアクセサリーかしら」
マイアの気持ちをよそに、シェリルは戸棚のを始めた。そこには裝が収められているようだ。
マイアは後ろめたい気持ちを抱きながらも勧められるままに民族裝に手をばした。
「首が邪魔ね。【シーカー】が早く戻ってきたらいいのに」
著替えたマイアを見て、シェリルは眉間に眉を寄せた。
「ゲイルおじさまはまだ戻られていないんですか? 大丈夫でしょうか?」
「ついさっき通信魔の鳩が飛んできたから無事なのは確かよ。事後処理はほとんど終わったけれど、魔力が切れたから今日のところは城に潛伏するって」
シェリルはそう言いながら、マイアを力付けるように微笑んだ。
「シェリルさんはおじさまを信頼していらっしゃるんですね」
「研究者としても魔師としてもあの人は優秀だからね。魔師であるトリンガム侯爵さえ抑えてしまえば他は敵じゃないわ」
シェリルがそう斷言するのなら安心してもいいのかもしれない。マイアは心の中の不安がしだけ解消されたような気がした。
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