《無職転生 - 蛇足編 -》11 「人形の歩いた日 中編」
その日、エリナリーゼは息子と一緒にお買いに出かけていた。
息子のクライブと手をつないでのお買い。
既に何人も子供を産み、育てているエリナリーゼであったが、やはり自分の子供と手を繋いで出かけるのは楽しかった。
特に、クライブは夫であるクリフによく似ていた。
クリフによく似た髪に、クリフによく似た口元。
何の拠もなく自分が一番であると思っているところなんかも、そっくりだ。
彼といると出會ったばかりの頃のクリフを思い出して、エリナリーゼの口元に自然とよだれ……もとい、笑みが浮かんだ。
「おかーさん、カボチャ! カボチャ買おう! カボチャ!」
「あら、そうですわね。この時期のカボチャは味しいですものね……」
「そうじゃない! カボチャを食べるとね、背がびるんだよ!」
「そんなこと、誰に教えてもらったの?」
「ルーシーちゃん!」
エリナリーゼの息子であるクライブは、年であった。
特に、目元や郭などはエリナリーゼによく似ており、將來は人族のみならず、長耳族の子にもモテるだろうことは間違いなかった。
ただ、殘念ながら背丈の方は父親に似ており、平均より低かった。
クライブはそのことにしコンプレックスを抱いているようで、家の中でも事あるごとに大きくなりたいと話していた。
「そんなに大きくなってどうするのかしら?」
「!」
やや顔を赤らめながら言うクライブ。
だが、エリナリーゼはすでにその理由を知っていた。
ルーシーだ。
クライブは二つ年上のルーシーにをしていた。
背丈が高くなりたいのは、ルーシーにかっこいいと思われたいからだ。
「はやく大きくなると良いですわね」
エリナリーゼは、息子のそうした男の子らしい部分を見るのが好きだった。
「あら?」
と、そこでエリナリーゼの長い耳が、聞き覚えのある聲を拾った。
(おいおい、相手に一つ何かをしてもらったら、何か一つしてあげるのが世の中の常識だぜぇ?)
(俺っちも教えてほしいなぁ、オネーちゃんがどんな聲で鳴くのか)
聲のする方は路地裏。
そちらを見ると、酒場の裏で一人のが、二人の男に手を摑まれていた。
見覚えのある人。
それもエリナリーゼにしては珍しいことに、憶えがあったのは男の方ではなかった。
「聲と言われましても、このような聲です」
「と、思うだろぉ? でも、人間ってのは実はもっと良い聲が出たりするんだよなぁ」
「ほら、すぐそこの宿で聞かせてくれよ、な? いいだろ? な?」
の方は嫌がっている風ではなかったが、
しかしエリナリーゼの知る限り、こうしたおいを好むタイプでもなかった。
表には出ていないものの、困っているのだろう。
「お待ちなさいな」
エリナリーゼは買い袋をその場に置いて聲を掛ける。
即座に男たちが振り返った。
「なんだお前は?」
「その方、ルーデウスの知り合いですわ。ナンパは別の人にしておいた方がよろしくてよ」
男二人の視線が、エリナリーゼの頭から足先までを舐めた。
「別の人ってのは……例えば、お姉さん、あんたとかか?」
「ヘッ、小せぇ弟と一緒にいるってのに、なこったぜ」
「あら、弟だなんて、お上手ですわね」
頬に手を當てて、恥ずかしげに微笑むエリナリーゼ。
ふざけた態度を取る彼だったが、すでにこの二人が余所者であることに気づいていた。
恐らく流れの冒険者であろう、と。
この町の人間であれば、ルーデウスの名前を聞いて引き下がらないわけがないのだ。
「あなたがたは……あら?」
そんな彼の前に、顔を真っ赤にしたクライブが前に出た。
どこで拾ってきたのか、木の棒まで持っている。
「お母さんに手を出すな!」
「クライブ、気持ちは嬉しいですけど、お母さん、この程度の相手なら大丈夫ですわ。下がっていなさい」
「うわっ……」
クライブはひょいと持ち上げられて、エリナリーゼの後ろへと搬送された。
エリナリーゼは後でクライブを目一杯褒めてあげようと思いつつ、腰の剣に手をやった。
「この程度? ……俺ら、これでもAランクだぜ?」
「あら……すごい、その歳でAランクだなんて、よほど才能がおありなのですね」
「ヒュー、余裕だぜ。よほど腕に自信があるみてぇだな」
「いいえ、あいにくと、凡人ですわ」
男たちが剣を抜く。
使い込まれた剣だ。
エリナリーゼも護用として剣は持ってきているが、殘念ながら使い慣れた盾はない。
相手の力量次第だが、二一では分の悪い戦いになりかねない。
「安心しろよ。ちょっと痛めつけたらいい目見せてやるから」
剣を抜かないエリナリーゼ。
さては怯えたのかと考えた二人は、下卑た顔をしながらゆっくりとエリナリーゼに近づいていく。
二人がから離れたのを見て、エリナリーゼは一杯に空気を吸った。
「キャアアァァァァ! 助けてぇぇぇ! 人さらいですわぁぁぁぁ!」
悲鳴が路地裏にこだまする。
その大聲にギョっとする二人。
「うおっ!」
「ひ、人さらいじゃねえし……!」
が、エリナリーゼの聲は、むなしく響き渡っただけだった。
エリナリーゼたちのきた道から誰かが來るわけでもなく、裏路地はシンと靜まり返った。
「……ヘッ、驚かせやがって。誰もくるわきゃねえよ。晝間の酒場の裏だぜ?」
「悲鳴ならベッドの上でいくらでもあげさせて……」
と、その時だ。
突然、周囲の建の扉が音を立てて開いた。
バン、バン、バンと時間差で開いていく扉。
そこから出てきたのは、男たちだ。
漆黒のコートを著た、むくじゃらの男たちだ。
彼らのコートの背中には、黃い虎……のように見えなくもない紋章が描かれていた。
ルード傭兵団である。
彼らは傭兵団の仕事で、酒場が夜に売る酒の搬を手伝っていたのだ。
「エリナリーゼの姉!」
「てめぇら、誰に手ぇ出してやがる!」
「ルード傭兵団に喧嘩売ってんのかコラァ!」
「ウチらに上等かオラァ!」
普段は禮儀正しく、地域の平和を守っている彼らだが、無法者とを害する者に対しては途端にガラが悪くなる。
その上、ルード傭兵団の數は総勢で10名を軽く超えていた。
ルーデウスなら恫喝された時點で謝ってしまうだろう。
いや、あるいは彼なら窓や扉が開いた時點で謝っていただろう。
「…………あ、すいませんでした」
「そんな偉いお方とはつゆ知らず……自分ら、ここに昨日きたばっかりなんで」
直していた男たちが剣を投げ捨てて謝ったのは、2秒ほど後だった。
おめでとう、ルーデウスの名譽は守られた。
ルーデウスは臆病者のチキン野郎ではなかったのだ。
そうとも、建から大量のむくじゃらが出てきたら、誰だって謝ってしまうだろう。
「姉、どうしますか?」
「まだ何もされてませんから、ほどほどに。この辺りのことでも教えてあげてくださいな」
「ヘイ! よし、じゃあお前ら、ちょっとこい」
「いや、でも俺ら、その」
「いいからこい」
「これから、ちょっと約束が」
「いいからはよこんかい!」
二人の冒険者が獣族たちによって酒場へと連行されるのを見屆けた後、エリナリーゼはへと近づいた。
「ナナホシ、お久しぶりですわね……もうお目覚めの日でしたかしら?」
は、ナナホシであった。
彼はなんてことのない顔をしつつ、こくりと頷いた。
「目覚めたのは、昨晩です」
「そうですの……ま、こんな所にいてもつまらないですわ。さっさと出ましょう」
エリナリーゼはそう言って、ナナホシの手を握った。
そこで、ふと違和に気づいた。
「あら、ナナホシ……あなた、いつ髪切りましたの?」
エリナリーゼの記憶では、ナナホシの髪型はロングだった。
それがうなじあたりで切りそろえられたショートカットに変わっている。
そのことに、エリナリーゼは首をかしげた。
ナナホシと呼ばれたはその問いに、口元を上げて、にこりと微笑んだ。
それは何か、歪な笑みであった。
困ったような、言い難いことを笑みで誤魔化すような、あるいは何かを企んでいるような……。
察しのいいエリナリーゼは、それを見てすぐに察した。
「何か訳ありですのね……わたくしでよかったら話を聞きますわよ。今、お暇?」
「重要な任務はありません」
「じゃあ、そこの喫茶店にでもりましょうか」
エリナリーゼはしむくれたクライブの手をとり、買い袋を拾い上げた。
「クライブ? あら、なにをむくれていますの? なに? 守れなかったのが悔しいの? もう、お母さんなんかじゃなくて、好きな子を守っておやりなさいな……ほら、ナナホシ、なにをしていますの? ついていらっしゃい?」
そしてナナホシを従えると、近くの喫茶店へと向かったのだった。
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「それにしても、危ない所でしたわね。酒場の裏でよかったですわ。すぐ人が來るから」
數分後、二人は喫茶店で向かい合っていた。
二人の前には、果実のジュースが置かれている。
同じものだ。
エリナリーゼの注文を、ナナホシが真似したのだ。
ちなみに、クライブの前にはし灑落たお菓子が置かれている。
最近、この辺りで砂糖が比較的安価で出回るようになったことで作られるようになった、フルーツの砂糖漬けだ。
ナナホシはこの店にくるのは初めてなのか、キョロキョロと首や目玉をかしていた。
「それで、何があったんですの?」
「多くの事例があり、一つに絞るのが困難です。質問容を厳選してください」
「……あなた、そんな喋り方でしたっけ?」
エリナリーゼは首をかしげつつも、
しかし何か辛い事があった人間が、口調を変えるのはよくあることだ、と自己解釈した。
人は、頑なになると、口調もくなるものだ。
「じゃあ、最初から話してくださいまし」
「最初から、ですか?」
「そう、一番最初から」
ナナホシは首を目を二度ほど瞬かせたのち、語り始めた。
「私は昨晩、目覚めました。目覚めた時、ザノバ様とルーデウス様がおいででした」
「あら、乙の寢室に立ちるなんて、彼らもなってませんわね」
「お二方は、類をにつけていない私のボディを見て、非常に嬉しそうな顔をしておりました」
「は……?」
「その後、彼らは私に手足を開かせたりをったりしての隅々までチェックをしました。その後、私を使う・使わないについて議論を始め、ひと通り満足したら私を捨てると結論を出し、私を寢臺に寢かせ、放置してお眠りになりました」
さしものエリナリーゼも、ここで一瞬、思考が途切れた。
彼の脳に浮かんだ映像は、下卑た顔をしたルーデウスとザノバが、寢ている間にナナホシの類を剝ぎ取り、無理やり目覚めさせてからエロいことをしているものだった。
そういう男たちを何人も見てきたエリナリーゼにとって、容易な想像である。
「て、抵抗はしなかったんですの?」
「抵抗は無意味です」
「そうですわね、ルーデウスとザノバですものね……ペルギウス様方はいらっしゃらなかったんですの?」
「お二方のみでした」
エリナリーゼはあまりペルギウスの普段の生活をしらない。
だが、ペルギウスとて城を留守にすることぐらいあるだろう。
「そ、それは、今回は初めてですの?」
「はい。ですが、ザノバ様とルーデウス様はかねてより計畫し、準備を進めていたようですので――」
「過去から狙っていた可能はある、と」
彼らなら、ペルギウスが外出する日を知ることは容易だろう。
そして、運良くペルギウスが外出する日と、ナナホシの目覚める日が重なっているタイミングも簡単に知れる。
「……」
エリナリーゼは冷靜なである。
膨大な経験から余裕を持った思考を展開し、咄嗟の事態にも混なく行できるである。
しかし、そんな彼とて、信じていた者に裏切られれば、揺ぐらいはする。
まさかルーデウスが。
あまりモテなさそうなザノバはともかく、
日頃から妻と子供たちに囲まれ、され、していたルーデウスが。
家族を守るために、決死の覚悟でオルステッドに挑んだルーデウスが。
夜のベッドでシルフィやロキシーにあんなことやこんなことまでさせていたルーデウスが。
夜のベッドでエリスにあんなことやこんなことをさせられていたルーデウスが。
まさか、ナナホシを。
必死に故郷に帰る方法を探していたナナホシを。
そんな馬鹿な、と思う部分はある。
何かの間違いだろう。
ルーデウスは、懸命な彼を真摯に手伝っていたではないか。
シルフィに嫉妬されながらも、ナナホシを手伝うことはやめなかったではないか。
彼を救うために魔大陸に行き、魔王アトーフェとも戦ったではないか。
だが、見ろ、ナナホシの表を。
先ほどの違和のある笑いを除けば、ずっと人形のような無表を貫いている。
笑いもせず、泣きもしない。
髪だって、短くなっている。肩口でバッサリだ。
ナナホシはあれでいて頭髪の手れはそれなりにしていた。
それが、今は若干、ガサついている。
エリナリーゼはナナホシと特別に仲がよかったわけではない。
それでも付き合い自はそれなりに長い。
彼とそれなりに流をして、どんな顔をする人かは知っているつもりだ。
こんなにショックをけているナナホシは、見たこともない。
ナナホシの狂言という可能は、流石にないだろう。
何が真実かはわからない。
もしかすると、ルーデウスとザノバを陥れるための、何者かの罠かもしれない。
そうだ。
魔力付與品には、己の見た目を変えるものなども數多く存在する。
とはいえ、それを使ったとしても、空中城塞の奧深くに侵し、ナナホシをどうこうすることは不可能だ。
それが出來るのは、ペルギウスの行がある程度わかり、空中城塞の出りがほぼフリーとなっている者だけだ。
該當者はない。
混だ。
エリナリーゼは、ここ數年で味わったことのないほどに混していた。
何がどうなっているのか。事の真相はなんなのか……。
ただわかることはあった。
「辛かったですわね」
エリナリーゼは立ち上がり、ナナホシの隣に移すると、そのをギュっと抱きしめた。
彼にわかるのは、目の前のが心にダメージを負っているということだ。
「エリナリーゼ様、話はまだ……」
「大丈夫。もう十分ですわ。
辛いことを、よく話してくれましたわね。
ちょっと信じられませんけど……ううん。
信頼を裏切るなんて、許されないことですわ。わたくしが、ちゃんとルーデウス達に罰を與えますわ」
ゆえにエリナリーゼは、ひとまず真実の追求は後回しにして傷心のナナホシをめることにした。
「ルーデウス様は、何か罪を犯したのですか?」
「ええ、とっても悪いことをしましたわ」
「それは、どんな?」
「あなたを、傷つけましたわ。いいえ、あなただけじゃありませんわね。場合によっては彼の奧さん……シルフィやロキシー、エリスも傷つきますわ」
「私は無傷です」
「いいえ、心が傷ついていますのよ」
「心……」
エリナリーゼはナナホシを抱きしめながら、しかしふと違和を抱いた。
なんとなく、抱き心地がおかしかった。
人間を多く抱いてきたエリナリーゼだからこそわかるが、
こんな抱き心地の人間は、今までいなかった。
的な違和をあげることは出來ないが、でも、まるで人間ではないような……。
「見つけたぞ!」
と、その時である、靜かな喫茶店に大聲が響いた。
り口を見ると、ねずみのローブをきた男が、エリナリーゼたちに向けて指をさしていた。
ルーデウスである。
そのすぐ後ろにはザノバもいた。
二人だけではない、ルード傭兵団の面々もいる。
「捕まえろ!」
ルーデウスのびに、エリナリーゼは抱きしめる力を強めつつ、ちょっと待ちなさいとびかけた。
だが、その前に自分の腕の中にいた人がいた。
彼は、エリナリーゼが想像もしていなかった力で腕を振りほどくと、
信じられないほどのスピードでテーブルをひっくり返し、近くにあった窓へと飛び込んだ。
ガシャンと音を立て、ナナホシの姿が消える。
凄まじいスピードだった。
聖級剣士もかくやと言えるスピード。
その場にいた誰も、ついていくことは出來なかった。
ルード傭兵団の面々も、そのスピードには呆気に取られたようだ。
「會長、ザノバ様……速すぎます。あれには追いつけません」
「で、あろう。師匠の作り出した自人形のボディだ。パワーもスピードも、並の戦士では足元にも及ぶまいて」
「及ぶまいてじゃないよ……とりあえず、隠行はまだ出來ないみたいだから、人を使って探してくれ。居場所さえわかれば、俺とザノバでなんとかして捕まえるから」
ルーデウスは疲れた顔でそう指示しつつ、エリナリーゼの方へと近づいてきた。
目を丸くしてフォークだけ手にしているクライブの頭をポンとで、怪我がないことを確認。
エリナリーゼに向かって手を差しべた。
「すいませんエリナリーゼさん。大丈夫でしたか? 何もされていませんか?」
「……ええ、もちろん」
エリナリーゼはその手を握りながら立ち上がった。
「それで、何があったんですの?」
「ええ、話せば短いことですが……」
何が起こったのかを知り、エリナリーゼはしほっとした。
ああ、やっぱり自分はなにか、勘違いをしていたのだ、と。
■
エリスの家での仕事は、レオと子どもたちを散歩に連れて行くことだ。
もちろん、子どもたちに剣を教えたり、學校で一部の生徒に剣を教えたりはする。
でも『家の仕事』となると、エリスの仕事は散歩だけである。
特に用事がなければ、散歩に出かけるのは晝下がりだ。
流石に全員を連れ出すのは危ないから、大抵は2~3人。
レオが散歩に出るとなるとララが當然のようにその背中に乗るため、エリスが面倒を見るのは実質一人か二人である。
この日は、ララとジークがレオの背に乗り、まだいリリがエリスの肩に乗った。
そうして、町中を歩き、適當な所で子どもたちが遊ぶのを眺めるのが、エリスの日課である。
し前までは、これがルーシー、ララ、アルスの三人で、時にクライブが一緒だった。
あの頃のララはよく近所の男の子に髪を引っ張られ、ルーシーが止めていた。
だが、最近はララもエリスに鍛えられたせいか、よくやり返すようになった。
ちょっと目を離すと、顔に傷を作り、鼻を流しながら立っているのだ。
近くには、喧嘩したであろう男の子がしゃがんで泣いている。
ララはエリスと目があうと、ふてぶてしい無表のまま、指を二本立てて、ブイっと勝利を宣言する。
エリスはその様子を見て、し迷う。
自分がの頃、喧嘩をして相手を泣かせた時は、よく叱られた。
貴族の娘が喧嘩などもっての他だ、相手に何かを言われたら、口で言い返しなさい、と。
自分も叱るべきか、と一瞬迷う。
が、大抵は褒めてしまう。
ララはあまり喋らない子だ。
そんな子が、自分にを守るために敵を倒して、誇らしげにしているのだ。
よくやったわ、さすが私の娘ね、と褒めなくてどうするのか。
もちろん、これが自分より明らかに格下の、それこそジークあたりを泣かせていたらエリスとて怒るだろう。
が真っ赤になるまで叩くだろう。
けど、男の子はララより大きく、年上だ。
なら、やっぱり褒めるのが正解だ、とエリスは思う。
ララが來年から學校に行くことを考えると、褒めるだけではダメだと思う所だが、エリスはそこまでは考えないのだ。
とはいえ、今回はよく行く公園ではなく、別の場所へと赴くことにした。
喧嘩も無いだろう。
行き先に意味などない、ただの気分だ。
「あんまり遠くに行っちゃダメよ!」
というわけで、本日は郊外の川まで遊びにきた。
になって川で遊ぶララとジーク、それに混じって遊ぶレオ。
エリスはというと、リリを見ていた。
最近ようやくよちよち歩きを始めたリリ。
彼は川が珍しいのか、おっかなびっくりというじで水にれ、その冷たさにキャッキャと聲を上げてエリスに抱きつく、というのを繰り返していた。
「キャァ! ママー! ママー!」
「何よ、水が怖いの?」
「冷たい!」
答えになっていない答えに、エリスはクスリと笑いながら、リリの頭をでた。
リリはララとよく似た容姿をしているが、ララよりしおとなしい。
しかし、好奇心はララ以上なようで、新しいもの、初めてみるものには強い興味を示した。
と、そんなリリが何かを見つけたようだ。
「ママ! キラキラ!」
「……キラキラ?」
「キラキラしてる!」
指差す方向を見ると、川の反の中で、さらにキラリとるものが見えた。
魚だ。
中指ほどの大きさの小魚が、ゆらゆらと泳いでいるのだ。
「魚ね」
「さかなで!」
「逆でじゃないわ。魚よ。お魚。言ってみなさい。お、さ、か、な」
「おさかな! ねえママ、取って! おさかな取って!」
「はいはい……見てなさい」
エリスは腕まくりをして、川をじっと見る。
數秒後、ヒュンと音がして、川の表面がパンとはじけた。
と、気づいた時には、魚はエリスの手の中だ。
魚は何が起こったかわからないのか、目を丸くしてパクパクと口をかしていた。
「はい」
「わっ! わっ!」
エリスがリリの手の平に魚を乗せてあげる。
すると、そこで魚も非常事態に気づいたのか、ビチビチとを跳ねさせた。
魚はリリの手からするりと抜け、川にぽちゃんと落ちてしまった。
「にげちゃった……」
「フフ、逃げちゃったわね……ん?」
そんなやりとりの中、ふとエリスは、何者かの気配をじて振り返った。
「……何か來るわね」
何かが、町の方からこちらへと近づいてきている。
かなりのスピードだ。
魔導鎧『二式改』をにつけたルーデウスか、あるいは自分と同程度かもしれない。
「レオ。二人を上がらせなさい! 服も著させて」
エリスがぶと、レオも気づいたのか、ウォンと吠えてララの背中を押した。
ララは素直だった。
彼はレオと會話できるため、すぐに事を理解したのだろう。
ジークはまだ遊びたいとしグズったが、ララが手をひっぱるとしぶしぶといったじで川に上り、持ってきた布でを拭き始めた。
「ララ、ジークに服を著せるの、手伝ってあげなさい!」
だが、ジークはまだ自分一人で服を著れるようになったばかりだ。
ボタン一つ掛けるのにももたついており、誰かが手伝ってあげなければ時間がかかるだろう。
エリスはし焦った。
近づいてくる何者かから敵意はじないものの、子供たちを連れて逃げるには、相手が々速すぎる。
敵だとしても勝てる相手ではあろうが、でも子供たちは逃がしたほうがいい。
レオの背に三人を乗せて、自分が敵を食い止める。
この近くにはオルステッドの事務所もある。
北神カールマン三世と龍神オルステッドが滯在している場所だ。
そこまで行けば安全なのは間違いないが……。
「……って、なんだ」
しかし、近づいてくる者の姿を見て、ホッと息をらした。
知っている顔だったからだ。
黒髪を持つ、一人の。
ナナホシだ。
「ナナホシじゃないの」
ナナホシはそのまま走り抜けていこうとしたが、
名前を呼ばれたことでキッと止まり、エリスの方を見た。
「おはようございます。失禮ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「エリスよ。何、忘れたの?」
「エリス様。憶えました」
エリスは何か違和を覚えた。
髪が短い、足が速い、口調がいつもと違う。
だが、エリスはナナホシと特別仲が良いというわけでもなく、自分に対してはこんなもんだろう、という覚もあった。
まあ、それ以前に細かいことを気にする格でもなかったが。
「どうしたのよ、すごい勢いで走って、誰かに追われてるの?」
「はい……いえ、訂正します。逃げ切ったようです」
ナナホシは背後を振り返りつつ、そう答えた。
彼の後ろには、広い平原があるだけだった。
「ママ! ママ! すごい!」
ふと見ると、ナナホシの足元に、リリがまとわりついていた。
彼はナナホシのふくらはぎをペタペタとって、目をキラキラとらせていた。
「キャァ!」
ナナホシは彼を両手で持ち上げると、リリは嬉しそうな悲鳴を上げ、笑った。
「おはようございます」
「キャッキャ!」
リリは笑いながらナナホシの髪を摑み、引っ張ったり頬に手を當てたり、鼻をでさすった。
エリスは、なぜリリがそこまでナナホシになつくのかわからなかったが、
ともあれあまり失禮なのもよくないだろうと考え、ナナホシからリリをけ取り、己の肩に載せた。
「やーあー。ママ、あれ取ってー」
「ダメよ。失禮でしょ」
リリは不満の聲を上げたが、エリスは彼を下ろすことはなかった。
その様子を見て、ナナホシは髪を一房持ち上げた。
「これがしいのですか?」
「……うん」
リリが控えめに頷くや否や、ナナホシは髪を數本引きちぎり、リリへと差し出した。
「どうぞ」
「わぁ!」
リリはそれをけ取ると、また嬉しそうな顔をした。
エリスは、なぜリリがそれで嬉しがるのかわからなかったが……ひとまず、黒髪が珍しいのだろうと結論づけた。
「エリス様、質問をしてもよろしいでしょうか」
と、そこでナナホシがエリスの方を見て、そう言った。
「何よ?」
「エリス様はルーデウス様の奧方のエリス様ですか?」
「そうよ」
奧方と言われ、エリスはを張ってそう答えた。
改めて言われると、やはり誇らしかった。
長男を産み、こうして子供たちの面倒を見る自分は、間違いなく奧方である自信があった。
「エリス様は、私の存在が知れるとルーデウス様をお怒りになりますか?」
「存在……? いるだけなら別に怒らないわ」
質問の意図がわからなかったが、エリスはひとまずそう答えた。
ナナホシはルーデウスの友人だ。話したぐらいで怒ることは無い。
ルーデウスがナナホシに手を出した、とか、四人目の妻に迎える、となったらしは怒るかもしれないが……。
「では、シルフィ様とロキシー様はどうでしょうか」
「別に怒らないと……あ、でも」
と、そこでエリスは、ふとシルフィの昔話を思い出した。
「前に、シルフィが言ってたわね。ナナホシもっていうのは、なんか納得できないって」
「納得、でありますか? それは、どういった納得でしょうか」
「わからないわ。けど、あの子はルーデウスのことがホントに好きだから、思う所があるんじゃないの?」
ルーデウスのことをしていると公言してはばからないエリスであるが、シルフィの獻は認めるところである。
シルフィは、ルーデウスのためであるなら、自分を殺してでも我慢する事がある。
もちろん、エリスとて、戦いにおいては死んでもルーデウスを守る覚悟がある。
が、それはあくまで自分のやりたいことだ。
エリスは自分が絶対にやりたくないことに対しては、あまり我慢できないだろう。
例えそれがルーデウスのためであってもだ。
でもシルフィはやるのだ。ルーデウスのために我慢するのだ。
シルフィのそういった所を、エリスは認めていた。
「了解しました。シルフィ様にお話を聞きたいのですが、彼はどこにおいででしょうか」
「今日は家にいると思うわ」
「かしこまりました。質問に答えていただき、ありがとうございます」
ナナホシは頭を下げ、口元を歪めて笑うと、くるりと背を向け、町の方へと歩いて行った。
「結局、なんだったのかしらね」
エリスは腕を組み、足を肩幅に開いて、フンと鼻息をついた。
最近、アルスがよく真似するポーズである。
「……ママ」
エリスが振り返ると、レオの後ろから青と緑の髪が覗いていた。
ララとジークだ。
思えば、知り合いがきたというのに、二人に挨拶をさせなかった。
よくなかっただろうか。
普段ならレオが率先して前に出てきてくれるから、そのついでに挨拶もさせるのだが、今回はずっと二人を前に出そうとはしなかった。
エリスがそんなことを疑問に思っていると、ララがポツリと言った。
「……今の人、ナナホシさんじゃない」
エリスがその言葉に言い知れぬ不安を覚え、口元をギュっと結んだ。
その肩の上で、リリがナナホシからもらった髪のをびよんびよんとばしていた。
「…………」
不安の正がわからない。すぐさま家に戻るべきだ。
そう思ったエリスだが、しかし子どもたちを見て、考えを改めた。
「これから事務所にいくわ。二人ともレオに乗りなさい」
ひとまず子どもたちを安全な所に屆けてから自宅に戻る。
そう決めたエリスは子供たちをレオの背へと乗せ、事務所への道を歩き始めた。
---
エリスが事務所に到著すると、なんだか々しい気配が広がっていた。
エリスも見覚えのあるルード傭兵団の面々が、事務所の前にたむろしていたのだ。
ルード傭兵団だけではなく、ザノバやジュリ、エリナリーゼにクライブ、北神カールマン三世アレクサンダーといった人の姿も見える。
しかし、いつもじる不快な覚はない。
どうやら、オルステッドは留守のようだ。
「エリス! どうしてここに!?」
と、そんな集団の中から、ルーデウスが飛び出してきた。
エリスはその姿に安堵した。
と同時に、どうやら先ほどじた不安のがここにありそうだと確信を持った。
「散歩の途中で変なのに會ったわ」
質問に答えずにそう言うと、ルーデウスの瞳に剣呑さが宿った。
「どんな奴だった?」
「ナナホシによく似た奴ね」
ルーデウスの表が、そいつがルパ○だとでもいいたげに変化した。
すぐにどこにいったのか、どうなったのかを聞きたかったろう。
だが、それよりも目の前の人を心配した。
「そうか……それで、何かされた? 誰も怪我とかしてないよね?」
「子供たちは無事よ」
ルーデウスが心配そうな表で、子供たちを見た。
ララに、ジーク、髪のをびよんびよんさせるリリ。
「エリスは? 怪我とかない?」
子供たちが無傷であることを確認した後、ルーデウスはエリスのに傷などが無いかを確かめはじめた。
足先から頭の先まで見て、顔にれて、肩を摑んで振り向かせ、の膨らみをモニュっとした所で、ルーデウスの顎は拳にて砕かれた。
「大丈夫よ! そのぐらい見ればわかるでしょ!」
「ひゃい……」
「別に何もされなかったけど、レオが偽だって気づいたから、ひとまずここに避難しにきたのよ」
エリスはそう言って、レオを見る。
すると、なぜかララが得意げな顔をしていた。むふーと鼻を広げている。
エリスはララの頭をぽんぽんとでると、ルーデウスへと向き直った。
「で、なんなのあれ?」
「えっと……」
ルーデウスも経緯を説明した。
ザノバと一緒に作っていた自人形が逃げ出してしまった。
ひとまず、転移魔法陣付近に足あとが殘っていたため、魔法都市シャリーアにいると斷定。
魔法陣に乗り、工房で惰眠を貪っていたジュリを起こし、ルード傭兵団を使って町中を探索。
エリナリーゼの騒をきっかけに一度発見したものの見失う。
その後、町の外に向かった、という報を得て、城壁から千里眼を使って見渡した所、事務所の方角に向かっていることを確認。
目的地は事務所だとアタリを付けて先回り。
千里眼で人形が來るであろう方向を見ていると、エリスがやってきた、と。
「そんなに悪い奴には見えなかったけど?」
「今のところはね。でも、はやく見つけないと何が起こるか……」
ルーデウスは斷固たる口調でそう言った。
彼は人形が欠陥を持っていることを確信していた。
自人形のコアには、ある原則が刻まれている。
人間への安全、命令への服従、自己防衛。
いわゆるロボット三原則だ。
だが、人形は命令を無視して逃げた。
ということは、なくとも『命令への服従』に関する項目に欠陥があるということだ。
ひとまず、エリナリーゼともエリスとも會話をしただけだ。
今のところ被害は無いようだが、それを『人間への安全』の原則が働いているからと考えるのは、希的観測にすぎないだろう。
『人間への安全』の原則が働いていないとすると、何のきっかけから殺戮を開始するか、わかったものではない。
「エリス、どんな會話をしたのか、もうちょっと詳しく教えてくれないか?」
「どんなって、別に、ただの世間話よ……確か――」
エリスは自分が人形とどんな會話をしていたかを思い出しつつ、答えた。
だが、その容が進むにつれて、ルーデウスの顔がみるみる強張っていった。
自分たちの會話、エリナリーゼとの會話、そしてエリスの會話。
それらから総合すると、人形の行に、一つの仮説が浮かび上がってきたからだ。
エリナリーゼとの會話において、人形はしきりにルーデウスの妻について質問を繰り返したという。
昨晩、ルーデウスは妻が怒るから廃棄する、と言った。
あの人形はそれを聞いていた。
命令への服従の原則は機能していないようだ。
だが、『自己防衛の原則』は働いている、と考えれば、防衛行を行うと考えるのはおかしくない。
この場合の防衛行とは何か。
すなわち、自分の存在を排除しようとする存在の排除だ。
自分の存在を排除しようとする者。
すなわちルーデウスの妻だ。
実行犯は寢ているザノバとルーデウスだが、彼らを攻撃対象としなかったのは、事前にマスター登録をしたからかもしれない。
矛盾にも取れるが、バグが発生しているのなら、矛盾した行をとってもおかしくはない。
ゆえに人形は、ルーデウスの妻が誰かを特定し、発見。
その人を抹殺しようと考えているのではないか、と。
とはいえ、排除対象であるはずのエリスとは會話しただけであった。
なら、仮説ははずれたのか。
いいや、違う。
人形のエリスへの質問容を鑑みるに、人形は妻たちの誰を排除すべきかを味しているようにも思えた。
つまり、誰が一番、自分という存在にとって邪魔となるか、だ。
おそらく、一番邪魔な存在から片付けていこうと考えているのだろう。
そして、エリスとの會話で、一番邪魔なのが誰か明らかになった。
「最後にシルフィの所に話を聞きにいくって言って、町に戻っていったわ」
その言葉で、ルーデウスの顔が真っ青になった。
「シルフィが危ない!」
ルーデウスはバタバタと家の方向へと走り始め、しかしすぐに反転、事務所の前に戻ってきた。
そして、事務所の前で深呼吸を一つ。
冷靜になれと自分に言い聞かせつつ、周囲を見た。
ルード傭兵団に、ザノバ、ジュリ、アレク、エリナリーゼとクライブ、そして自分の子供たち。
ルーデウスはまず、集団の中で暇そうにしていたアレクに、頭を下げた。
「アレク、子供たちとジュリをここに置いていく。任せていいか」
「ええ、いいですよ」
まずは子供の安全の確保。
オルステッドがいれば、オルステッドに頼み込んでアレクには別のきをしてもらったかもしれないが、留守だから仕方がない。
ひとまず、アレクに守ってもらえるなら、安全だろう。
工房で寢ているところを素通りされたから大丈夫だとは思うが、事務所での會話ではジュリも反対するといった容を話した気もするため、ここに待機してもらう。
「エリスとエリナリーゼさんは、學校の方に行ってほしい。
もしかするとだけど、ロキシーの方に行ってるかもしれない。
傭兵団の一部も學校に行ってるから、それと合流して」
「わかったわ」
「わかりましたわ」
學校の方には、リニア率いる一団が捜索に向かった。
人形はシルフィの方に向かったと言ったが、そもそも何をするかわからないのだ。
萬が一のために援軍を送っておくのがベターだろう。
「傭兵団の半分は、一度アイシャたちの所に戻って、経過報告をしてくれ。
萬が一の時には、ペルギウス様に助力を願うかもしれない、と伝えてしい」
「オス!」
ペルギウスの力を借りることができれば、アルマンフィあたりが人形を一瞬で捕まえてくれるだろう。
ここまで大事になると思っていなかったから、自宅に連絡をれるのを含め、各所への連絡が遅れてしまったのが悔やまれる。
まあ、ペルギウスが手伝ってくれるとは限らないが。
「傭兵団の殘り半分は、ザノバの工房に戻ってほしい」
「わかりました」
人形はあちらこちらへといているが、その全てはで、あくまでルーデウスから逃げ切ることが本當の目的かもしれない。
自分が來た道からアスラへとり、そのまま野へと逃げ延びようとする可能もある。
危険な存在なら逃がしてしまっても構わないと思うところだが……自分の作ったものだ。責任は持って最後まで対処しなければならない。
「ザノバは、俺と一緒に自宅に行って、シルフィたちの安全を確保だ」
「承知しました」
「よし、じゃあ全員、行開始!」
ルーデウスの號令で、全員が散っていった。
---
最後に、事務所には子供たちとレオ、ジュリ。
そしてアレクが殘った。
「さぁ、君たちのお父さんが帰ってくるまで、お兄さんが遊んであげましょう」
あっという間に親がいなくなり、不安そうな顔をする彼らに、
アレクはにこやかな顔で話しかけるのだった。
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