《無職転生 - 蛇足編 -》20 「剣神ジノ・ブリッツ」
剣神ジノ・ブリッツ。
彼は剣神史上最弱と言われている。
生涯に一度も剣の聖地から出たことはなく、強敵を倒したという逸話もない。
知名度は剣神の中で最も低く、後の世で彼は「世代代で剣神になっただけの存在」などと語られる。
実際に彼が最弱かどうかを確かめたものはない。
だが一つだけ確かな事実がある。
彼は歴代の剣神の中で、最も長生きした。
---
ジノ・ブリッツは剣の聖地で生まれた。
父親は剣帝、母親は剣神の妹である。
心がついたのは三歳の時だ。
ジノの最古の記憶は、素振りである。
子供用の木刀を持って、父に素振りの仕方を教わっていた。
その記憶に基づくように、子供時代のジノの日々は、剣に支配されていた。
朝起きて走りこみと素振りをして、朝ごはんを食べたら稽古、晝ごはんを食べたら稽古、夕暮れを過ぎたらし休憩を挾んだ後夕食を食べ、素振りをして寢る。
そんな生活だ。
とはいえ、ジノは、剣がさほど好きではなかった。
當然のように稽古を続けてはいたものの、あくまで親にやらせられたからやっていたに過ぎない。
自分の意思でやりたいと思ったことなど、一度もなかった。
小さい頃は、それでも良かった。
ジノの周囲には、剣をやる人間か、剣をやっていた人間しかいなかった。
他の子どもたちも當然のようにやっていたし、剣帝である己の父と、剣神の妹である母は、ジノが新しい技を學ぶと褒めてくれた。
今は引退した近所の爺さんだって、ジノが木刀を持って走り回っていると、心な子だねとほめてくれた。
何の疑問を挾む余地も無かった。
剣はジノにとって常識だったのだ。
だがジノが長し、年齢と級が上がるにつれて、周囲は変わってきた。
剣を持つだけで喜んでいた剣帝の父は、上級に上がる頃には厳しくなった。
相手より、強くなるために剣を振れ。
お前はまだ弱い、し才能に溢れるからといって増長するな。
と、ジノに教え、今まで以上に厳しい稽古を重ねた。
生まれ育った道場の大人たちも、最初は微笑ましくジノを見守ってくれたものの、ジノが中級、上級と順調に級を上げ、試合をして負けるようになると、骨に不快な目を向けてくるようになった。
その頃からジノにとって剣は、面白くないものへと変わった。
かといって、他にやりたいことがあるわけでもなかった。
あるいは他の國の子供であれば、冒険者になりたいだとか言い出したかもしれない。
しかしジノからは「家を出る」という発想が出てこなかった。
何故か。両親も、彼にそうしたことは教えなかった。教える必要もなかったからだ。
ジノは、ある一定の時期まで、剣の聖地の外に別の世界が広がっていることを知らなかった。
ジノにとって、剣の聖地こそが、世界の全てだった。
剣とはすなわち、空気を吸うとか、食べを食べるとか、そういうものと同列であった。
だから、剣は続けた。
そんな彼のなじみであるニナは、唯一の友人でもあった。
ニナは、剣神の娘だった。
剣の聖地では、聖級未満の者は、本道場にはれない。
上級以下は、子どもたちも含めて、自宅近くにある道場に放り込まれる。
ニナは剣神の娘だったが、例外ではなかった。
同世代の子供はニナだけではなかったが、剣の腕前がジノと同じぐらいなのはニナだけだった。
彼とは話が合った。
剣の聖地における子供の話題と言えば、もっぱら剣のことだ。
だが、ジノは剣が好きではないとはいえ一種の天才であり、その理論は子供時代から、やや突飛なものだった。
それについてこられるのは、同世代ではニナだけだった。
ニナはガキ大將だった。
同じぐらいの子供たちを集めて、自分がその頂點に立っていた。
同じ道場の子供たちだけではない。剣の聖地にある、全ての道場の子供たちの頂點だ。
剣神の娘ということもあったが、ニナにはその実力があった。子供たちの中で、最も剣が強かった。
剣の聖地の子供たちにとっては、剣の実力が全てを測る指標なのだ。
ニナは剣の訓練の合間をぬって子供たちをまとめ上げ、の組織を作り上げた。
子供だけの組織だ。
ジノはそんな中で、副隊長のような役割を任された。
二番目に強かったからのもあるが、ニナと最も話が合ったのもあるだろう。
ニナとジノ。
恐らく、この二人だけが、剣に対して見えているが、違ったのだ。
その証拠に、ニナが従えていた子供たちの中で、剣聖以上の階位を得た者は、ほとんどいなかった。
その組織は5年ほど続いたが、ニナが剣聖になると同時に、消滅した。
そう、ニナとジノは、ほぼ同時期に剣聖になった。
歴史上見ても、かなり早い部類であったと言える。
特にジノだ。
彼は12歳という異例の若さで剣聖となった。
ジノが剣聖になった時、周囲は「最年ではないのか!?」と驚きの聲を上げた。
父も母も諸手を上げて褒めてくれた。
だが、ジノは別に嬉しくもなんとも無かった。
言われたことをやっていたらなれたというじで、さして凄いこととは思っていなかったし、4つ年上のニナが自分より強いことを知っていたからだ。
ニナとジノは剣聖になり、本道場での稽古を許された。
といっても、変化は無かった。
毎日、毎日、剣の修行。
変わらない。
歳と実力が近いこともあり、稽古をするのはいつもニナと。
変わらない。
ニナは相変わらず、ジノを子分扱いして連れ回した。
変わらない。
ニナの周囲にいるのが、年上の剣士になったけど、ガキ大將であることは、変わらない。
変わったことと言えば、剣神が稽古を見てくれるようになったり、自宅から道場までの距離が増えたりと、その程度だ。
ああ、いや。
ニナの父、剣神ガル・ファリオンから教えをける機會が増えた。
彼は、ジノの父とはまったく違うことを言った。
「己のために剣を振るえ」
ガルの言葉を要約するとそんなじだった。
父は「強さのために剣を振るえ」とか、そんなじのことを夕食の席でよく口にしていた。
ジノはそのニュアンスの違いをなんとなく嗅ぎとったが、しかし詳細や、どっちが正しいのかまでは、イマイチよくわからなかった。
どちらに対しても、ピンと來なかった。
なんにせよ、與えられた稽古をこなしていれば、特に怒られることもなかった。
あとは、時折行われる模擬戦で負けすぎなければ、誰かに何かを言われることもない。
本道場に移することで模擬戦の勝率は落ちたが、ジノより10歳以上も上の大人との戦いだ。多負けた所で、咎められることはなかった。
変化はあったが……大きくは変わっていない。
そう思っていた。
大きな変化が起きたのは、やはりあの日だ。
彼が來た。
エリス・グレイラット。
---
エリスは剣の聖地にやってくるや否や、鮮烈なデビューを遂げた。
ジノを、そしてニナをあっと言う間に打ち倒し、その場にいた全員に強烈な印象を與えた。
完全敗北。
だが、それそのものは、ジノにとって大きな変化ではなかった。
ジノにとって、負けることなど日常茶飯事だ。
同世代で天才と嘯かれてはいたものの、ニナには負け続きである。
あのような不意打ちで負けたのは初めてだったが、父や剣神と剣を合わせることがあれば、似たような結果に終わる。
なら、どっちにしろ、同じようなものだ。
悔しい、という気持ちはないでもなかったが、剣神に「ジノの方が甘い」と斷言され、その日の晩に父にも叱られた結果、すぐに霧散した。
ああ、ああいうことをやってもいいんだ、と學んだだけだ。
學んだといっても、『道場では顰蹙を買うから控えよう』と思う程度には、ジノは分別があったが。
大きく変わったのは、ニナだ。
ニナは、ジノとは違った。
彼は痣の殘る顔を悔しさで真っ赤に染めて、その日は一度も喋らなかった。
道場での稽古が終わり、家に戻ってくると、裏庭で人知れず泣いた。
泣きながら、素振りをしていた。
許さない、許さない、許さないと繰り返し呟きつつ……。
ジノは彼に聲を掛けることが憚られた。
ニナにとって、同年代に負けるというのは初めての経験だったのだろう。
それも、ただ剣で負けたのではない。
ジノが後から聞いた話によると、鉄芯りの木刀まで使って負けたのだ。
綺麗に負けたわけでもない。
倒れ、上に乗られて延々と毆られて、恐怖と痛みで小便までらして負けた。
この上ないほど無様な負けだ。
そんなものを、生まれて初めて経験したのだ。
それから、ニナのエリスに対する攻撃が始まった。
最初、ニナは剣士たちと共謀して、エリスをハブにしようとした。
だが、エリスは最初から誰かとつるむ気はなかったため、失敗に終わった。
エリスは誰よりも純粋に、強さをしていた。
剣の聖地の部事など、知ったことではなかったのだ。
ニナは相手にされず、日頃からフラストレーションを溜めていた。
何かある度にエリスの悪口を吹聴し、時にはジノにも愚癡を言った。
ジノはそんなニナのことが、あまり好きではなかった。
ニナがガキ大將だった頃は、もっとカラッとしていた。
仲間で気にらない相手がいたとしても、仲間はずれにしなかった。
長い付き合いのあるジノから見ても、當時のニナは嫌な人間だった。
それが変わったのはある日のことだ。
ニナは、誰にも行き先を告げず、フラッといなくなったのだ。
無論、誰も心配する者はいなかった。
ニナは剣の聖地からほとんど出たことのない世間知らずだが、剣聖だ。
エリスに発され、自主的に武者修行に出たのかもしれない、なんて話になった。
心配するどころか、心する者が多かった。
ジノもまた父親に「お前もそろそろ外の世界を見てくるといいかもしれない。赤竜の一匹でも狩れば、お前のその緩んだ面構えも変わるかもしれん」なんて言われたぐらいだ。
ジノはいっそ本當にそうしてやろうと思ったが、実際には行しなかった。
今まで出たことのない外の世界に対して、大した興味も持っていなかったからだ。
ついでに言えば、し恐怖も抱いていた。
剣の聖地の大人は、大半が『外の世界』を知っている。
だが、せいぜい隣の國とか、自分の住んでいた國を知っている程度だ。
実験として、世界各地を回った人は、そう多くない。
たまに話をしてくれるが、大抵はどこでどんなヤツを、どんな風に倒したという武勇伝だ。
そんな中で、武勇伝より、むしろ失敗談を語ってくれた大人がいた。
ギレーヌ・デドルディア。
剣王ギレーヌだ。
彼は冒険者として世界を回ったが、あまりに馬鹿だったために各地で死にかけたと教えてくれた。
「世界は、どれだけ剣の腕に優れている人間でも殺せる。魔や算、せめて文字ぐらいは読めなければ、すぐに死ぬ」
ギレーヌは真面目くさった顔でそう語り、ジノはそれを信じた。
ジノも剣の聖地の子供たちと同様、文字は読めないし、魔も算も出來なかったからだ。
関心もなく、むしろ剣でどうにかならない恐怖ばかり。
行く気も起きなかった。
ともあれ、ジノはニナを追うこともなく、日々を過ごした。
ニナが戻ってきたのは、二ヶ月が経過した頃だ。
ジノは彼に、旅の容について尋ねたが、ニナは何も教えてくれなかった。
ただ、何か、あったのだろう。
その日から、ニナは変わった。
エリスに対する嫌がらせをやめて、剣に対してより真剣に、そして真摯になった。
剣士との付き合いがほとんど無くなり、傲慢な態度はなりを潛めた。
自由時間のほとんどを特訓に費やすようになった。
特訓といっても、ジノと実戦形式でひたすらに打ち合うだけだ。
子分であるのように付き合わされ、何度も何度も剣をえた。
特に會話もなく、ただ打ち合うだけ。
そんな日々が、続いた。
そして、ジノがニナに惹かれ始めたのは、その頃だった。
---
を自覚したのは、それから長い年月が流れてからだ。
それまでに、んなことがあった。
北帝オーベールがきたり、水神レイダがきたり。
ジノにとっては、どれも興味のない事だったが、ニナにとっては違った。
ニナはエリスに発され、めきめきと強くなった。
特訓に付き合わされていたジノもまた、それに引っ張られるように強くなった。
だが、次第にニナに勝てなくなっていった。
以前からあまり勝てなかったが、勝率はどんどん落ちていった。
いつしか、ニナとジノの間に、大きな差が出來ていたのだ。
ジノは、その事自には、別になんとも思わなかった。
ニナに勝てないのは、昔からそうだった。
5回に1回しか勝てないのが、10回に1回しか勝てない狀況に変わったところで、そう大きな変化ではない。
だが、なぜだろう。
なんとなく、置いて行かれた気持ちになっていた。
そんなある日、剣神ガル・ファリオンが、エリスと、ニナと、ジノの三人を呼んだ。
剣神は三人に「剣聖と、剣王と、剣帝の違い」について問いかけ、答えさせた。
ジノには、その答えがまったくわからなかった。
だが、エリスとニナは違った。
ニナは考えながらも答えを出し、エリスは間違いだと言われた答えを正しいと言い切った。
剣神はそれもまた良しとして、ニナとエリスの二人と戦わせた。
勝った方を剣王にすると宣言して。
そして、エリスが勝った。
エリスは剣王となり、ニナは泣いた。
泣いたニナを見て、ジノは不思議な気持ちになった。
無意識のに拳が握りしめられ、口元が引き締まった。
の正はわからない。
理由もわからない。
焦っていたのかもしれない。
悔しかったのかもしれない。
なぜ自分があそこに立っていないのか。
あの二人と戦う権利すらないのか。
このままだと、自分はどうなってしまうのか。
そんなを持ったのは、ジノにとって初めてのことだった。
同時に、気づいた。
剣神ガルがニナに問いかけた「ジノと結婚するのと、剣王になるのと、どっちか選べと言われたら、どっちを選ぶ?」という問い。
それを聞いて、自分の顔が熱くなるのをじて、否定の言葉が出てこないのをじて。
自分はどうやら、ニナが好きらしい、と。
---
それから、ジノはし変わった。
普段の行が変わったわけではない、父や剣神に與えられる稽古をこなし、ニナとの特訓を続けた。
エリスが剣の聖地を発っても、それは変わらない。
ニナとの試合容が、前よりも高度になっていたぐらいだ。
変わったのは、剣に対する心構えだ。
以前より積極的になった。
普段の稽古の意味や、技の一つ一つに対してよく考え、んなことを試すようになった。
効果は劇的だった。
あっと言う間に、ニナと互角ぐらいになったのだ。
おかしなことではない。
元々、ジノには才能があった。
ニナも変わった。
剣王となったニナは、エリスが剣の聖地から出て行った後、近くの村や町までよく行くようになった。
魔を狩ったり、大きな町にある道場に指導をしたり。
ニナは自分の剣の腕を向上させるだけでなく、そういったことも積極的に行っていた。
対するジノは相変わらず剣の聖地に引きこもりっぱなし。
もはや外の世界が怖いなどとは思わなかったが、しかし出て行く気にはならなかった。
理由はジノにもわからない。
あるいは理由など無いのかもしれない。
しかし、無いと言えば、外に出て行く理由も無かった。
彼はニナがいない時でも勤勉に稽古をし、時に父である剣帝を相手に訓練を重ねた。
だが、今一歩、上にはあがれなかった。
剣帝である父には及ばなかった。
剣神ガルには、剣王の認可はもうすぐ與えると言われたが、それだけだった。
技的には、すでに父に追いついていた。
ニナもそうだ。
きっと、同じ剣王であるギレーヌやエリスもそうだろう。
でも勝てない。
あと一歩、何かが足りない。
それはわかっていた。
ついでに言えば、何をどうすれば勝てるかもわかっていた。
でも、行には結びつかなかった。
前向きにはなったものの、自分から苦しい環境に飛び込んでいくのは控えていた。
いや、苦しい環境にを置こうとしたことはある。
その度に彼は思ったのだ。
なぜ辛い思いをしてまで、こんなことをしなければならないのか、と。
その答えが出ないまま、月日が流れた。
---
そんなある日、アスラ王國の戴冠式を見に行ったニナが帰ってきて、言った。
「ねぇジノ。私達も結婚しない?」
その問いに、ジノは頷いた。
特に考えて頷いたわけではなかった。
ただ、なんとなく、いつかそんな事になるんじゃないかなという予はあった。
ニナの事も好きだったし、ニナがほかの男とそういう仲になる気配もなかったからだ。
ニナは持ち前の急さでジノを己の部屋へと連れ込み、即座に行為に至った。
互いに初めてであり、々と至らぬ點は多かった。
だが、なくとも一晩沒頭する程度には、相は良かった。
めくるめく快の中で、ジノは思った。
もっとこれがしい、と。
思えば、ジノが人生において何かを強くしたのは、これが初めてだったのかもしれない。
その翌日。
ジノはニナを引き連れて剣神の所に赴いた。
ニナがジノを、でなく、ジノがニナを、だ。
結婚したい、という旨を伝えるために。
ジノがこうして自主的にくのは、珍しいことであった。
「ダメだ」
が、剣神は即答した。
今まで、娘の教育方針について何も言わなかった剣神が、初めてNOといった。
理由は単純だ。
剣神から見て、ジノに魅力が無かったのだ。
自主の欠片もなく、冒険心も、野もない。
言われたことに従うだけの置のような男。
すでに行為に至ったことまでは剣神はまだ知らなかったが、どうせ結婚のことだって、ニナから言い出したことだろうとアタリを付けていた。
ジノという男は、自分で何一つしていないのだ。
何も手にれようとしていないのだ。
なのに結婚?
笑わせるな、と。
だが、同時に、こうも思った。
悪い流れではないな、と。
「結婚してえんだったら、俺様を倒してみろよ。そうすりゃ許してやる」
剣神としては発破を掛けただけのつもりだった。
何か障害を與えることで、ジノにしでもやる気を出させれば、と思ったのだ。
「……!」
しかし、そこでジノは理解した。
カチリと何かがハマったような覚を得た。
理解した。
ああ、そういうことだったのだ。
剣神が常々言っていた事。
自分に足りないもの。
『なぜ?』の正。
これだったのだ。
こんな簡単なことだったのだ。
ジノは目の前が晴れていくのをじた。
今まで生きてきて、よくわからなかったことが、氷解した。
彼は手にれた。
最後の一つ、自分に足りない一歩。
『目的』だ。
「わかりました!」
あとは、簡単だった。
---
ジノは変わった。
完全に変わった。
人が変わった。
今まで命じられていた全ての稽古をしなくなった。
ニナと続けていた特訓もしなくなった。
サボっていたのか?
まさか。彼は一人で訓練を開始したのだ。
その訓練に、相手は必要無かった。
ニナとの特訓や、父との稽古、その他數々の模擬試合で、すでに十分すぎるほどの対戦経験は積んでいた。
勝つための理論はあった。
ジノは、剣神流の剣士なら、確実に勝利出來るビジョンを持っていた。
ただ、そのビジョンに到達するのは、並外れた努力が必要だった。苦しく、辛い日々を乗り越えなければいけなかった。
ゆえに、今までやらなかった。
やる理由がなかった。
悔しさとか焦燥とか、そういうだけでは、到底耐え切れないものだった。
だが、今は違う。ジノは目的を手にれた。
今はニナがしい、どうしてもしい。苦しい思いをしてでもしい。
その目的は苦しさと辛さを、楽しさや期待に変えた。
あとは、研ぎ澄ませるだけだった。
己のを鍛え、剣の速度と重さを増す。
己の理論を実証するためには、それが必要だった。
訓練、特訓、稽古。
様々な言い方があるが、どれもそれには當てはまらない。
當てはまる単語を探すなら……そう、『作業』だ。
ジノは淡々と、己のすべきことをした。
己のを剣神に勝てるように改造すべく、日々、完璧に作業をこなした。
ジノは己の限界ピッタリになるように作業を続けた。
常人なら音を上げるか、あるいはを壊してしまう作業だ。
ジノには、それが出來た。
元々、そういう才能もあった。
モチベーションと、長い時間を掛けて考えられた理論、完璧な作業。
それらをコントロールできる、元々の才能。
4つが合わさり、ジノの剣は研ぎ澄まされた。
★ ★ ★
そして、運命の日がやってきた。
その日、ジノは朝起きると、隣に住む馴染みの所へと出かけ、改めてプロポーズをした。
互いに木刀を構えて相対し、ニナを叩きのめした後、自分のものになれと言い放った。
それがけれられて後、剣神の所に向かった。
時刻は午後、本道場では丁度模擬戦が行われていた。
剣の聖地で、定期的に行われる、実戦稽古だ。
己の技がどれだけ上達したのかを見せる場でもあるが、格上に対して二人がかりで挑むことも許されている。
そんな稽古の場に、ジノはふらりと戻ってきた。
剣王であるジノの相手は、剣聖二人か、あるいは同格であるニナか、あるいは剣帝にニナと二人で挑みかかるか、である。
ニナは欠席。
であれば、おのずと剣聖二人が相手となるのが通例だった。
だが、ジノは道場の真ん中に進み出るや否や、木刀を剣神へと向けた。
道場は一瞬、シンと靜まり返った。
「ジノォ! 貴様、何をしとるかぁ!」
真っ先に立ち上がったのは、ジノの父。剣帝ティモシー・ブリッツだった。
彼は己の脇に置いた木刀を持ち上げ、ジノに打ちかかった。
いや、打ちかかろうとした。
だが、片膝をついて立ち上がろうとした所で、前につきだした膝が砕けた。
同時に、剣を握った手もへし折られ、木刀は床へと落ちた。
剣帝ティモシー・ブリッツは驚愕に目を見開いた。
痛みには慣れている。
苦悶の表を作ることはない。
だが、それでも流れ出る脂汗。
彼の瞳には、剣を振り終えたジノの姿があった。
ジノは父に一瞥をくれた後、剣神へと振り返った。
「剣神様、ニナをもらいにきました」
先ほどと同じように、木刀を向けて、言い放つ。
剣神ガル・ファリオンは、その剣を見て、獰猛に笑った。
「いいぜ、かか――」
ってきな。
と言い終わる前に、ジノはいていた。
だが、同時にガルもいていた。
むしろ、ガルの方が早かった。
なぜなら、ガルはすでに構えをとっていたからだ。
剣帝が倒された時にすでに木刀を拾い上げ、腰を浮かし、居合の構えをとっていたのだ。
不利な姿勢だが、ガルにとっては不利にならない。
このような不利な勢でも、相手を凌駕した剣速を誇るからこそ、剣神なのだ。
だが、ジノをまでは凌駕しなかった。
ジノは、剣神とほぼ同等の速度でいた。
とはいえ、ほぼ互角の速度でく二つの木刀は、ややジノ寄りの位置で打ち合わされた。
すなわち剣神の速度が、優っていたことになる。
そして、剣神の方が、より速度の乗った剣を叩き込んだことになる。
剣神が違和をじたのは、その瞬間だった。
今の一合は、剣神にとってほぼ完璧といえるものだ。
一撃をモットーとする剣神流にとって、相手に剣を止められるというのは、悪手である。
が、この初手で確実に相手の勢を崩し、次の一撃で確実に仕留める、という理念もある。
今までそうだった。
初手で優位を取った剣神ガル・ファリオンが、返されることはない。
と、思ったが、ジノの剣は今までガルがじた、どの剣よりも重かった。
ジノの勢は崩れない。
無論、ガルとて崩されたわけではない。
五分だった。
ガルにとって久しい、五分の初太刀だった。
より深くに打ち込んだガルが、五分だった。
となれば、次の一手は違う。
ガルの剣はびきり、戻すまでに時間がかかる。
ジノの剣は違う。ガルの剣をけ止めつつも、すぐに戻せる位置にある。
互いに勢を崩したわけでもなし。
時間にしても、ほんのわずかな差である。
だがジノは、この僅かな差を、確実に己で作り上げたのだ。
剣神ガル・ファリオンに確実に勝つための、針のを刺すような、決定的な差を。
ガル・ファリオンは、二太刀目を振れなかった。
その日、ジノはしかったもの全てを手にれた。
---
剣神ジノ・ブリッツ。
彼はしかったものを、全て手にれた。
ニナ・ファリオン。
それが、彼のしかったものの全てだ。
最強の剣士たる「剣神」の稱號など、オマケにすぎない。
彼は生涯、剣の聖地から出てこなかったという。
ゆえに彼の知名度は剣神の中で最も低く、史上最弱の剣神とまで噂された。
先代の剣神に師事していた剣聖たちからも疎まれた。
だが、彼がそれを厭うことはない。
噂など、意味のないことであった。
なぜなら、彼は挑んできた敵を倒したからだ。
敵とは、すなわち次代の剣神になろうという剣士。
あるいは「最弱の剣神」という噂を聞いてやってきた挑戦者である。
ジノは、その全てを撃破した。
剣神になって後、無敗。
それが、ジノ・ブリッツの戦績である。
あるいは、剣の聖地の外に出れば、水神レイダや死神ランドルフといった猛者を打倒することも可能だっただろう。
だが、彼はそうしなかった。
彼にとって剣の聖地こそが、世界の全てであった。
最初から最後まで、外の世界にしいものなど、なかったのだ。
しかしながら、剣神になってから、彼の世界は間違いなく広がったと言えよう。
敵以外にも、剣神ジノ・ブリッツと友好を深めようと訪ねてくる者は大勢いたからだ。
彼らは戦うことはしなかったが、時にジノに剣の教えを請い、時にジノと商取引を行った。
ルーデウス・グレイラットも、そのの一人だった。
そう、彼はある日突然やってきたのだ。
ジノとも関わり深い、狂剣王エリスを傍らに。
さらに北神カールマン三世と、そして龍神オルステッドを引き連れて……。
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