《【書籍化】語完結後の世界線で「やっぱり君を聖にする」と神様から告げられた悪役令嬢の華麗なる大逆転劇》祖母の形見
「……聖様とサタンフォードの大公子殿下がお呼びと伺い參りました。しがない神の一人でしかない私に、何用でしょうか」
イリスとメフィストが初めて會った神ベンジャミンは、いたって普通の男だった。
「宰相閣下に伺いましたの。あなたは神殿の中で最も善良な心を持っていらっしゃる神だと。私達の話を聞いて頂けないかしら」
「…………」
「ベンジャミン神?」
何も言わない彼に不安になり問い掛けたイリスへ向けて、ベンジャミンは唐突に跪いた。
「聖様が西部のラナークに雨を降らせて下さったおで、數多くの命が救われました。その奇跡は領民の心の支えとなっております。幸運にもお會いできた際には、謝を述べたいとずっと思っておりました。本當にありがとうございました」
深々と頭を下げられて戸いつつも、イリスはメフィストと目を見合わせて咳払いをした。
「そ、そうですか。それは何よりでしたわ。私の力がお役に立てたのならば、それ以上のことはありません。あの、どうかお顔を上げてくださいませ?」
それでも頑なに頭を下げ続けるベンジャミンに、見兼ねたメフィストが聲を掛けた。
「イリスに謝していると言うのなら、我々の話を聞いて頂けないだろうか」
「……聖様のおみとあれば」
メフィストの言葉に漸く顔を上げたベンジャミンへ、イリスは改めて話を始めた。
「宰相閣下が一目置くあなたを見込んでお話しします。今この時も、皇帝陛下はサタンフォード大公國との戦爭を考えておいでです。しかし、衰退を続ける帝國に勝ち目はありません。このままでは、國が滅びかねない危機に陥ります。私は聖としてこの事態を打開すべく、宰相閣下と、ここにいらっしゃるサタンフォード大公國のメフィスト大公子殿下と共に、皇帝陛下へ廃位を求めたいと思っています」
イリスの言葉を引き継いだメフィストが、サタンフォード側の大公子として話し出す。
「我々サタンフォードは、帝國と和解し平和的に帰屬する用意がある。しかし、一方的な奪略に屈するつもりはない。帝國が戦爭を仕掛けてくれば、自國民の生活を守る為に徹底的に応戦するだろう。そうならないよう、何としても戦爭を推し進めようとする皇帝の思を阻止する必要がある」
立ち上がったイリスは、眉間に皺を寄せるベンジャミンへとルビー眼を向ける。
「皇帝陛下の支持基盤となっている神殿は、今やその機能を保てているのでしょうか。宰相閣下のお話によると、幻覚剤の製造と日常的な使用が行われていると聞きました」
イリスに続きメフィストも、そのエメラルドの瞳に真剣さを乗せてベンジャミンを見た。
「腐敗した大神や高位神を排斥し、貴殿が新たな大神となって我々に協力する気はないだろうか」
ここまで黙して聞いていた神ベンジャミンは、イリスとメフィストに向かって複雑な顔をする。
「確かに。現在の神殿の在り方は、酷いものです。大神を始めとした神の殆どは満足に聖力を扱えず、幻覚剤と過去の権威にのみ頼ってその地位を維持しています。私はそれに反発してきましたが、だからといって、他者から無理矢理何かを奪おうとは思えません。悪人だからと言って、その者から何もかもを簒奪していいことにはならないのです」
暗に大神からその座を奪う気はないと言うベンジャミンへ、イリスは尚も畳み掛けた。
「あなたは西部で飢えと渇きに苦しむ人々を見たはずですわ。他にも、帝國のあちこちで砂漠が増え、困窮している人が大勢いる。それを助けられるチャンスなのです。サタンフォードを奪うのではなくて、平和的に統合すれば、苦しむ人達が救われます。あなたがあなたの信念を持つのは悪いことではありませんが、それを捨て立ち上がることによって救われる命があるのです」
ジッと黙考するベンジャミンへ、イリスは最後にルビー眼を向けた。
「ベンジャミン神。どうか、あなたの力を貸して頂戴」
正面からそのルビー眼を見たベンジャミンは、聖の切実な願いに腹を括った。
「…………分かりました。それが聖様のお言葉であり、民を救う手立てとなるのなら。私にできることは、お手伝い致します。下位神の大半は、現在の神殿の在り方と大神猊下に対する不信を抱いています。彼らを説得し、高位の神達を幻覚剤製造と使用の件で糾弾すれば、神殿の立て直しは可能でしょう。この命を賭して問題を解決し、二方のご期待に添えるよう進致します」
「頼りにしています、ベンジャミン神」
話が纏まり空気が穏やかになったところで、イリスの視界の端に白い影が飛び出してきた。
「フランチェスカテリウム。大人しくしていなさい」
ベンジャミンが抱き上げたその白い影の正は、一匹の貓だった。
「その貓は……?」
「神殿で保護した貓です。何故か私に懐いておりまして。驚かせてしまい申し訳ございません」
「構いません。ですが、その……」
「はい。この白い並みと、紅い眼。この彩により、神殿でこの貓を保護したのです」
イリスは、神殿の壁畫に描かれているウサギへと目を向けた。真っ白な並みと、紅い眼。夢の中で會ったあのウサギそのものの姿。そして、その周囲にはメフィストの手にある呪詛紋と似た古代文字。
「ベンジャミン神、お聞きしても宜しいかしら? あのウサギは……神のお遣いですのよね?」
「神の遣い、若しくは神自が下界に降りる際の仮初の姿、とも言われております。百年前に現れた最初の聖様は、ウサギに導かれて聖なる力を得たそうです。あの壁畫は建國時に描かれたものだと伝わっておりますが、やはり白い並みと紅い眼を持ったウサギが描かれています。神と関係があるのは間違いないでしょう」
「……聖のルビー眼は、あのウサギの紅い眼に関係がある、と聞いたことがありますわ」
「古い伝承ですが、よくご存知ですね。左様でございます。神に見染められた印として発現するルビー眼は、確かにあのウサギの眼の力を分け與えられた証拠と言われております。……百年前まで、紅い眼を持つ選ばれし者の代名詞と言えば、サタンフォード大公でしたが」
そこで一度、ベンジャミンはメフィストに目を向けた。
「サタンフォード大公國が獨立すると同時に、その伝統もなくなりました」
それを聞いて幾分か驚いたように、メフィストがベンジャミンに問い掛けた。
「獨立以前の歴代のサタンフォード大公は、紅い眼をしていたのか?」
「はい。神殿の記録にはそうあります。ルビー眼のような煌めきはなかったようですが、のように深い紅が特徴だったと」
「…………」
「メフィスト? どうかしたの?」
「いや。し気になってね。……ベンジャミン神、それは、大公國獨立時の初代大公の瞳も紅だったということだろうか」
「ええ。記録では、百年前のルシフェル・サタンフォード大公殿下も歴代のサタンフォード大公と同様に紅い眼をしていたとあります」
「そうか……」
考え込むメフィストが気になり橫を向いていたイリスは、聲を掛けようとしたところで正面に座るベンジャミンの狼狽えた聲を聞きそちらに目をやった。
「どうした、フランチェスカテリウム?」
「にゃー」
ベンジャミンの膝から降りた貓が、トコトコとイリスの前に來たかと思うと、小さな口を開けて何かをイリスに訴える。
「え? どうしたの?」
「にゃん」
でてしいのかと思い手を翳せば、スッと避けられる。それでも貓は、再びイリスに寄ってきては何かを訴えるように鳴いた。
そして白貓は部屋の外へ消えて行ったかと思うと、直ぐに戻ってきた。驚くことに、その口にはイリスにとって見覚えのあるペンダントが咥えられていた。
「このペンダントを、いったいどこで……!?」
真っ直ぐにイリスの前に來た貓からペンダントをけ取ったイリスが涙ぐむ。
イリスの手の中に戻ってきたのは、あの日、最後に母から渡されたロケットペンダントだった。
「イリス、大丈夫か?」
涙を流すイリスを気遣うメフィストにを寄せて、イリスは皇后毒殺の罪を著せられた際に取り上げられた、そのペンダントを強く握り締めた。
「……これは、母が祖母からけ継いだ形見なの。もう二度と、手にできないと思ってた」
「……そうだったのか」
「そのペンダントは……大神猊下が侍従長から押収したものです」
ベンジャミンがそう言えば、イリスは申し訳なさそうにベンジャミンを見た。
「ベンジャミン神、あの……」
「どうぞ何も仰らないで下さい。全ては貓のフランチェスカテリウムの仕業です。大神猊下はお忙しく、押収品の管理を怠ったのでしょう。そのペンダントが神殿から消え、あるべき場所に戻ったからと言って、責められるべきは猊下です」
「……ありがとう」
メフィストに支えられて立ち上がったイリスは、ベンジャミンとフランチェスカテリウムに心から謝した。
「どうやら説得に功したようだな」
皇宮に戻ったイリスとメフィストは、宰相の執務室へと向かった。その表を見て悟った宰相が満足げに頷き二人を出迎えた。
「はい。ベンジャミン神の協力を得られました。直に神殿も本來の清廉さを取り戻すでしょう」
「それは何よりだ。して、今後についてなのだが……」
と、そこで。宰相の目が、イリスの首に掛かるロケットペンダントに留まった。
「おじ様?」
「イ、イリス、そのペンダントはどうしたのだ?」
掠れた宰相の聲を疑問に思いつつ、イリスは何の気負いもなく話した。
「これは母から最後に託されたものです。母が祖母からけ継いだ形見だと大切に仕舞っていたものです。先程、神殿で偶然見つかり私の手元に戻ってきたのです。どうかしたのですか?」
宰相は、まじまじとイリスのペンダントに見っていた。
「……アーノルドの妻、そなたの母君ライザ・タランチュラン公爵夫人は、確かウルフメア伯爵家の出だったね?」
「はい。ウルフメア家には他に後継者がいなかったので、祖父母が亡くなった後は母が領地と財産を継いでいました」
イリスが答えると、宰相は顎に手をあて考え込んだ。
「……ウルフメア伯爵夫人は、故皇太后陛下……現皇帝陛下の母堂にあたる方の侍を務められていたはずだ」
「そうなのですか? ……お恥ずかしながら、母の家門のことはあまりよく知らないのです。私が生まれる前に祖父母は他界しましたから」
宰相は、改めてイリスを見た。そして、記憶の中にあるイリスの母の姿を思い浮かべる。タランチュラン公爵も整った顔立ちをしていたが、イリスのその貌は間違いなく母譲りだ。しかし宰相には、もう一人だけ。その面影を殘す者に心當たりがあった。
「……私は、そのペンダントに描かれている紋様、嵌められているルビー、それと全く同じを、かつて皇宮で見たことがある」
「皇宮で……?」
宰相の聲音が徐々に熱を帯びていく。
「限られた者にしか知られていないのだが。皇帝陛下のご弟妹は全て亡くなられたことになっているが、末の妹君だけは……実は、亡くなったのではなく、赤子の頃に拐われたのだ。そして行方不明のまま數年が経ち、亡骸のないまま葬儀が行われた。つまり、皇帝陛下の実の妹君……幻の皇様が、皇宮の外で生き延びている可能があった。私はそれをずっと探っていた。もし、皇様がご存命であれば、陛下を廃位させる何よりの旗印となるだろうと」
何故急に、宰相がイリスのペンダントを見てその話を始めたのか。結び付かないようでいて、繋がりつつあるその事実に気が付いて、イリスはまさかと思いながらも悸がした。
「このロケットペンダントは、皇太后陛下が生前お持ちだっただ」
イリスは、自の首に掛かるロケットペンダントを驚愕の表で見下ろした。
「これは、推測の域を出ないのだが……。聖でもあった皇太后陛下は、皇室の塗られた政爭を嫌悪されておられた。皇位に就いた勝者が敗者を粛清する慣例がある中で、い末娘の行く末を案じて侍であったウルフメア伯爵夫人に皇を託した、というのは充分にあり得る話だ。」
ぐるぐると、イリスの中で宰相の言葉が回る。心臓がドキドキして痛い程だった。
「イリス、そなたの母君は……幻の皇族、エリザベート皇殿下であった可能が高い。これが事実なら、そのを引くそなたは存命している三人目の皇族であり、現皇帝陛下の姪であり、皇位継承権第二位の保有者だ」
宰相の言葉に、イリスはルビー眼を見開いて絶句したのだった。
読んで頂きありがとうございます!
この語には1ミリも関係ないシリーズですが、神殿の白貓フランチェスカテリウムは、とても賢くて綺麗で大人しい貓です。
そういう貓は貴族の間で大変人気があります。
フランチェスカテリウムの子孫は、周辺諸國の貴族に貰われていきました。
フランチェスカテリウムの子孫が気になる方は、ぜひ短編『転生王子は悪役令嬢を溺するのに忙しい』と『モフモフ好きの令嬢がモフモフをモフモフしてただけなのに、いつの間にか王妃になってしまった話』をお暇潰しにどうぞ!
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