《【書籍化】語完結後の世界線で「やっぱり君を聖にする」と神様から告げられた悪役令嬢の華麗なる大逆転劇》聖の決意
「……私が、皇位継承権を?」
ルビー眼を溢れんばかりに見開いたイリスが、驚きに震える。その手を握り支えながら、話を聞いていたメフィストが問い掛けた。
「イリス、大丈夫か?」
「ええ。……し驚いただけよ。でも、これはチャンスかもしれないわ」
イリスの言葉に宰相も頷いた。
「イリスの言う通り、これはまたとないチャンスだ。イリスが正當な皇族の筋だと判明すれば、全てを覆せる。皇帝陛下と皇太子殿下を排除する大義名分が立つ」
「……イリスの筋を証明する方法はあるのだろうか」
メフィストが問えば、宰相は考え込んだ。
「皇族の筋を証明する方法は……あるにはありますが、現実的ではありませんな。しかし、イリスは聖として名高く、ある程度の拠さえ示すことができれば、議會や國民も納得しましょう。まずは、ウルフメア伯爵家について調査し、イリスの母の出自について確認するのが先でしょうな」
早速部下に指示を出した宰相は、改めてイリスを見やった。
「もし仮に……そなたの筋が証明され、陛下とエドガー殿下の排斥が葉えば、そなたはこの國の帝として即位することになる。皇太子妃、皇后になる教育をけてきたそなたは聡明で才覚もあるが、帝となればまた別であろう。覚悟はできるか?」
「それは……」
言い淀むイリスに、宰相は強い目を向けた。
「今はまだ、準備に時間が必要だ。しかし、その時が來れば否応なく決斷を迫られよう。そなたに半端な覚悟しかなければ、我等の計畫も臺無しになる。來るべき時に備え、よくよく考えるのだ」
まだドキドキとなる鼓をじながらも、イリスは己の役割を理解し、宰相の言葉の意味を呑み込んだ。そして宰相に向けて頷いたのだった。
イリスのまだ僅かに揺れるルビー眼を見て取りながらも、宰相は話題を変えた。
「それはそうと、エドガー殿下から幻覚剤の痕跡が見つかった。現在殿下は……メフィスト殿下に負わされた怪我により意識が朦朧とされている。回復を待ち話を聞く予定だが、自分の所業については記憶があるようだ。こんなことを聞かされても困るだろうが、イリス。殿下は朦朧としながらも譫言でそなたへの謝罪を口にしているようだ」
「謝罪、ですって……?」
いくら幻覚剤にわされていたとは言え、あんなことをしでかしておいて何を今更、とイリスの眉間に皺が寄る。
そこに作為的な何かがあろうと、罪は消えない。……そこまで考えて、イリスはふと父のことを思った。
父もまた、幻覚剤にわされて取り返しのつかないことをしようとした。真相はまだ分からないが、父のしたことが罪であることもまた、変わりはないのだ。
「それと、侍従長の品から、新たな証拠が見つかった。高位貴族家への脅迫文と、特定の領地へミーナの聖としての力を高値で売り付けていた証拠書類の數々。これでミーナに罪狀を上乗せすることもできよう」
ずっと離宮に幽閉したままだったミーナは、そのうち新たな罪狀を突き付けて斷罪する予定だった。その為の証拠集めもまた、侍従長の周辺を探ることで必然的に可能となった。
「ミーナの件については、そのまま進めて下さい。私は……しだけ、休んでもいいでしょうか」
疲労が溜まったイリスの青い顔を見て、宰相は頷いた。
「そうだな。そなたには、考える時間も必要であろう。雑事はずっと引き篭もっていた私が引きけるので、休んできなさい。メフィスト殿下、イリスをお願いできますでしょうか」
「ああ。イリス、行こうか」
メフィストに手を引かれ、イリスは自室ではなく彼の部屋へと向かった。
「ごめんなさい。自分の部屋に戻るのは、まだし怖くて」
エドガーに押さえ付けられた恐怖は、そう簡単には消えていなかった。そんなイリスの様子を汲んだメフィストは、溫かな紅茶をイリスに淹れながら、優しい笑みを浮かべた。
「何を言うんだ。君と一緒にいれるなら、僕にとっては嬉しいだけだよ」
茶目っ気を乗せたその視線に、イリスはホッとして肩の力を抜いた。
「メフィスト、私……本當は怖いの。皇后になることは、エドガーの婚約者時代に想像したことがあったわ。でも、私自が帝になるだなんて。……無理よ。できないわ」
「君は大丈夫だよ」
宰相の前では言えなかった本音をイリスが吐すると、メフィストはその手を握って力強く言い切った。
「僕がいる。ルフランチェ侯爵も、ベンジャミン神も。君は獨りじゃない。君ばかりが無理をする必要はない。それに……君は聡明で、善良な人だ。きっと上手くいく。考えてみてごらん。君の側に僕がいるだけで、君はサタンフォードを手にしているようなものだ。そう思えば、何も怖くはないだろう?」
握られた手を見下ろして、イリスは観念した。思えば、不安な時にいつもメフィストが手を握ってくれた。それはもう癖のように、イリスは心が揺れいた時に彼の手を探すようになってしまった。
この手を失ってしまえば、イリスはきっと、立っていることすらままならない。それが何よりも怖かった。
「本當に、一緒にいてくれるの? この件が片付いたら……あなたはサタンフォードに帰るんじゃないの? ただでさえずっと帝國にいるもの。大公の跡継ぎが、こんなところにずっといていいわけないじゃない」
あまり考えないようにしてきたことをイリスが問えば、メフィストはそのエメラルドの瞳を優しげに細めて微笑んだ。
「言っただろう? 僕は、君をしている。サタンフォードの人間は深くて一途なんだ。そして運命の相手を自分で決める。君の側にいることが、僕の使命だ。それに……サタンフォードの帰屬問題は、大公家の悲願でもある。それを解決する為に僕はこの國に來たんだ。僕は一個人としても、サタンフォードの大公子としても、君と共に在るべきだと思ってる」
メフィストが見せてくれる、ブレない想いや溫かい言葉は、イリスにとって砂漠に降る雨のように甘く、全ての味方を失い孤獨だった日々を塗り替えてくれる程に熱烈で、まるで奇跡のようなものだった。
恵まれていたはずのイリスの人生は理不盡に奪われ、ドン底まで落とされた。
家族も名譽も何もかもを失い、牢獄で泣いていたイリスをずっと勵まして、牢獄を出てからは隣で支えてくれたメフィスト。イリスは、既に自分の中に芽生え、長し続けている想いに気付いていた。
エドガーと婚約していた頃にすらじたことのない、甘くらかく、しの痛みを伴うそのを、イリスは寶のように大切にしたいと思った。
「ねえ、メフィスト。今はまだ、言えそうにないの。でも、全てが終わったら……あなたに聞いてしい言葉があるのだけど、待っていてくれる?」
イリスのルビー眼と、メフィストのエメラルドの瞳が合わさる。ふ、と優しく微笑んだメフィストは、いつかと同じようにイリスの髪の先を掬い上げ、そこにそっと口付けを落とした。
「ああ、勿論だ。君の為なら、『百年も千年もディアベルの見る一時の夢』だよ」
イリスの好きな詩集を引用して笑うメフィストに、イリスは何の気負いもなく衒いもなく、ただただ素直な気持ちで、目の前の貌の青年を"好き"だと思った。
「あなたのおで覚悟を決めたわ」
そう言ったイリスは、知らないうちに笑顔を浮かべていた。
その笑顔を見て、メフィストもまた想いを新たにする。強く握られた黒手袋の手を見下ろして、イリスはふと思った。
「そう言えば、神殿で初代大公の瞳のを気にしていたわね」
「ああ。あれは……大公家にある肖像畫では、初代大公の瞳は紫だったんだ。だから気になってね。"呪われし者"が紅い眼をしていたのなら、初代もそうなのかと思ったんだけど。まあ、僕も紅い眼ではないしね。神殿の記録に齟齬があったのかもしれない」
「……あなたの呪い。解く方法はないの?」
「なくはない、けれど。今はまだこのままでいいんだ。特に困らないから。寧ろ、君に危害を加える相手をボコボコにできるだろう?」
「ふふ、それはそうだけど。ちなみに、どうやったら解けるの?」
イリスの問いに、メフィストは視線を巡らせて、悪戯っぽく微笑んだ。
「いつか教えてあげるよ。……と言っても、期待しないでくれ。とても古典的で普遍的な方法だから」
「意地悪ね」
メフィストの意味深な笑みに、イリスは態とらしく口を尖らせたのだった。
その夜、イリスは久しぶりに夢の中でウサギに會った。
『やっとここまで來たな。君が全てを知るまで、もどかしい思いをしたぞ』
『……ウサギ様。隨分とお久しぶりですわね。ああ、そうでもないかしら。エドガーに襲われた際に起こして下さいましたものね。本音を言いますと、もうし助けて下さっても良かったんじゃないかと思うのですが』
でろと額を押し付けてくるウサギをでながら、イリスが不満を呟くと。ウサギはゴニョゴニョと弁明した。
『あの時はすまなかった。我にはあれが一杯だったのだ。何でもかんでも君を助けていては、不文律に反してしまう』
『不文律……ですか?』
『左様。神にも神の制約があるのだ。それが無ければ最初から、ミーナがヒロインとして不適格と分かった時點で君を聖にしていた。それができず元の語が滅茶苦茶になり一応の完結を迎えた一瞬の隙をついて、何とか君を聖にしたのだ。あれは謂わば法度すれすれのじ手であった』
小さなウサギの手ぶりで必死に説明する神に、イリスは諦めたように首を振った。
『そうでしたか。もういいです。それより、私の夢に出てくるということは、また何か私に言いたいことがあるのですか?』
イリスが胡な目を向けると、ウサギは小さな鼻をモフモフとかして慇懃に頷いた。
『君が知るべきことを知ったので、語の大筋を伝えに來たのだ。その先はまだ言えないこともあるが、今の君に話せるところまで話しておこうと思ってな』
『語の大筋……ですか?』
『そうだ。まずこの語は、ヒロインであるミーナと、その人エドガー、悪役令嬢のイリス、そして隣國の大公子メフィストが登場し、次第に結託して帝國を揺るがす黒幕である皇帝の思を阻止する、という容であった』
ウサギの言葉に、イリスは呆気に取られた。
『ミーナとエドガーと、私とメフィストが、結託……?』
『信じられぬのも無理はない。何せ、四人を結び付ける大事な役割を果たすはずのミーナが、我の思い描いた語とは真逆の行を繰り返し、結果的に皇帝側につくという、何とも愚かなことをしでかしてくれたからな』
怒ったように後ろ腳を床に叩きつけるウサギは、開いた口が塞がらないイリスへと更に続きを話した。
『そなたは悪役令嬢として、ミーナとエドガーの仲に嫉妬し最初は攻撃的な姿勢を見せるが、ミーナの人柄により態度を化させ、タランチュラン公爵の反の後は命を救ったミーナと無二の親友になるはずだった。まあ、君はそもそもミーナへの攻撃もしない、大人しい悪役令嬢だったが』
『私とミーナが、親友ですって……?』
あまりにもあり得ないその狀況を想像して、イリスはワナワナと震えた。牢獄の前でイリスを罵倒したあのと、自分が親友になるだなんて。考えただけでも頭にが昇る。
『そうしてメフィストもまた、ミーナに牢獄へ追いやられるようなことはなく、メフィストの話を聞いたミーナと、エドガー、イリスと共に、サタンフォードの平和的帰屬について協力し合う関係になるのだ』
とても今とは違う話の流れを口にするウサギは、その紅い眼をキョロリとイリスに向けた。
『そうして絆を深め、侍従長や大神と渡り合う中で、イリス。君の出自が明らかになる。君は間違いなく、皇帝の姪であり、皇位継承権者だ。このことを知った四人は、エドガーとイリスの二人を立役者として皇帝に反旗を翻し、見事勝利を勝ち取るのだ。それが……ミーナをヒロインである聖にしたばかりに、全ての計畫が狂ってしまった』
『ちょっと待って下さい……私達が四人で皇帝に? とてもじゃないですが、ミーナはともかく、エドガーは使いになりませんわ。何故そんな出鱈目な語を作ったのです?』
『エドガーは化されやすい。気高いミーナに化され、高貴な振る舞いをする予定だったのだ。……あれもこれも、全てはミーナが清らかさに欠け、強な所為で歯車が狂った。この我の憤りが君に分かるか?』
『……』
イリスは、何も答えなかった。正直に言って、神の怒りなど知ったことではなかったが、反論したところで相手は神。とてもじゃないが、不満をぶつけるだけ無駄だった。
『この先についてだが、イリスよ。君の出自についての証明は何とかなろう。それよりも、一つだけ忠告していく』
いつものように言いたいことだけを言い、去っていこうとするウサギは、純白のを黃金にらせた。
『君は聖だ。ミーナが聖として破綻した一番の理由は、罪なき者に罪を著せたため。君は決して、罪なき者に罪を押し付けてはいけない』
『それは……どういう意味ですか?』
『いずれ解ろう。我が言えるのはここまで。この先は、君の采配次第だ。我が思い描く通りの結末を見せてくれ』
無責任なウサギは、それだけ言い殘すと消えてしまったのだった。
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