《【電子書籍化】神託のせいで修道やめて嫁ぐことになりました〜聡明なる王子様は実のところ超溺してくるお方です〜》第三十三話 ありがとう
が味しすぎたため、王城への帰り道、ニキータに見つからないよう何度か小さくげっぷをして胃から空気を抜いた。いきなりあんなに味しいものはちょっと胃に悪かった気がする。コーリャ青年が大口でギロピタを食べている姿がとても食をそそったせいだ、と私はぷんすか他人のせいにした。
それはさておき、私の手にはカラマラキア・ティガニタの包みがある。蝋引き紙を新聞紙で包んだ中に、サナシスの好がっているわけだけど、冷めないよう私はちょっとだけ早足でニキータを急かす。
「早く戻りましょう。サナシス様がお待ちかねです」
「ええ、そうですね。ギロピタは味しかったですか?」
「……とっても」
私が食堂(タベルナ)でギロピタをちまちま食べていたせいで時間がかかったのだ、と暗に指摘されてしまった気がする。私もそう思うけど、からかわれているのが分かるから、それに関してはノーコメントだ。
ニキータは白や青が基調のこの王都でものすごく目立つ真っ黒の服を著ているせいで、どう見ても不審な人にしか見えないらしく、途中で見回りの衛兵に二回捕まった。どちらもニキータの分証明である、王族が所持する黃金のステュクスの印を見て飛び上がって驚いていた。ニキータはそれをにやにや見ていたから、確信犯だと思う。王城の通用門を抜け、私はニキータに案されて、初めてサナシスの執務室にった。
一瞬、どこかの神殿に迷い込んだのか、と思うほどに、荘厳かつ広大な部屋だった。最奧の執務機は真っ白の大理石でできており、書類棚もことごとくが白で統一されている。応接用のソファは巧な金細工と白の革張り、そしてテーブルは私よりもずっと大きな長方形の磨りガラスと金メッキの流麗な金屬細工の足でできていた。部屋の天井は二階分はあるだろうか、吊り下げられたガラスの半円形のに、見たこともないる石と水が詰められ、全を日ののように明るく照らす。
いきなりやってきた私とニキータを見て、サナシスは驚きを隠さなかった。私は叱責される前に、サナシスの機に包みを置く。
「ニキータ様からうかがいました。サナシス様の好、カラマラキア・ティガニタです」
開けてみてください、と私は勧めた。サナシスは何も言わず、包みを開ける。
すると——揚げ、オリーブ油の匂いが鼻に到達した。それから私の嗅いだことのない匂い。のちにそれは、小さなイカ(カラマラキア)のものだと私は知る。海のないウラノス公國では、絶対に見られないものだった。
つまり、カラマラキア・ティガニタは、小さなイカの揚げだ。ステュクス王國では主菜、ときにおやつのように親しまれ、一口サイズでぽんぽん食べられる。カリカリの小麥のに、白いヨーグルトソース『ザジキ』がかかっている。とはまた違った、搦め手のような食のそそり方をする香りだった。海産に慣れていない私には、ちょっと癖が強い気がする。
サナシスは包みから目線を上げた。
「エレーニ、し待っていろ。ニキータ」
サナシスはニキータを睨みつけたけど、ニキータはまったくじない。それどころか先手を打った。
「何か? 散々王城を抜け出し放題だったアサナシオス王子殿下が、今日初めて王城を出ただけのエレーニ姫を責められるとはまったくもって思わないのだがね?」
「……お前、どの口でそんなことを」
二人の間で火花が散る。とはいえ、サナシスは無駄な時間を費やすつもりはない、とばかりに私へ向き直った。
「エレーニ!」
「は、はい」
「ああいう怪しい人間についていくのはやめろ。人攫いかもしれないぞ」
「え? サナシス様の部下は人攫いなのですか?」
「違う! だから、ニキータはああいう、人をからかって遊ぶところが」
「でも、サナシス様だって、最近私をからかうでしょう」
私はちょっとだけ、仕返しをした。最近、サナシスにはよくからかわれるから、このくらいでは主神ステュクスも神罰を下したりはしない。
むむむ、とサナシスは唸っていた。ひとしきり天井を見上げて、それから観念したかのように、こう言った。
「分かった、つまり、俺はお前にこう言うべきだな。エレーニ、ありがとう。わざわざ、俺のためにカラマラキア・ティガニタを買ってきてくれて」
私はぱあっと、自分の顔が無意識のうちに微笑んだことに気づいた。
だって、サナシスがありがとう、と言ってくれたのは、これが初めてではないだろうか。
私は、サナシスのために何かをできたのだ。そう考えると、萬の思いが込み上げてくる。あと、怒られなかったことで、私はこっそり安心した。よかった。
その様子を見て、ニキータはくっくとを鳴らして笑いを堪えていた。
「よかったですね、エレーニ姫」
「はい!」
「それはそうとニキータ、お前は今からでも仕事に戻れ。お前の部下たちが必死になって探していたぞ」
「ははは、それでは失禮を。エレーニ姫、またお會いしましょう」
ニキータは大仰に一禮をして、素早く立ち去った。あっさりと帰ったのは、私とサナシスに気遣ってくれているのだろう。王城では手にりにくいお金ももらったことだし、今度會ったら、ニキータにはちゃんとお禮をしなければ。
気を取り直して、サナシスは書イオエルを呼び出し、フォークを調達していた。私にも必要か、と尋ねてきたけど、海産は食べられる自信がないしお腹いっぱいだから、と遠慮しておいた。実際、何だか胃がもたれてきていた。食べ慣れないものを食べたからだろうか、ギロピタは革命的に味しかったけど、し後悔する。
金のフォークをけ取り、サナシスはついに、カラマラキア・ティガニタを一つ、口にした。
わずかに咀嚼音が聞こえる。イオエルが持ってきた冷水を一口飲み、サナシスは上品に食べる。どことなく、表が緩んでいるように見えるのは気のせいだろうか。でも、そこまで踏み込むのははしたない、もっと聞くべきことを聞こう。
「味しいですか?」
「……うん、味しい。昔と変わらない味だ」
「よかった。お言いつけくだされば、いつでも私が食堂(タベルナ)へ買いに行きます」
「お前がわざわざ行かずとも」
「私も、サナシス様のために仕事がしたいのです」
初めての、今の私がサナシスのためにできる數ないこと。子供のお使いも同然だ、と言われればそのとおりだけど、何事もまずは初めの一歩から。それに、サナシスに心配をかけることはしたくないから、まずはこの程度でいいのだ。
サナシスは、ちょっと困った顔をして、笑った。
「今度は、一緒に買いに行こう。ニキータに先を越されたのは癪だが、まあいい」
數秒、無言の間が空いた。
一緒に買いに行く。そこを理解するのに、私は時間を要した。
今日はニキータと一緒に買いに行った。でもそれは、ってくれたことと、案役としてだ。
それを、次はサナシスと行く?
私の混を見抜いたらしく、サナシスは言葉を付け加えた。
「エレーニ、意味は分かるか? 行くなと言っているんじゃない、俺(・)が(・)、お前と一緒に行きたいんだ。つまり、夫婦らしく、ともに出かけたい。ああ、思い返せば返すほど、ニキータに先を越されるんじゃなかったと思うな! あいつめ、俺より先にエレーニと外出するなど、腹が立ってきた」
そう言いながら、サナシスは揚げをぱくぱく口へ放り込む。
さらに數秒、私は考えた。その結果、こういう問いを発することとなった。
「私、聞いたことがあります」
「何をだ?」
「それは……俗世では、そう」
そう、それは——すなわち。
「デート、というものですね?」
私だってそのくらいの知識はある。
デート。仲の男が仲睦まじく、外へお出かけすることだ。
まさか自分がそれをできる日が來るとは、夢にも思わなかった。
ただ、サナシスはそっと指摘する。
「……神域アルケ・ト・アペイロン行きは、デートじゃなかったんだな」
「あ! あれもでしょうか!?」
「いや、まあ、あれは違うな。一応、王城の中ではあるから、うん、大丈夫、違うぞ」
そういうことだった。
私は、楽しみのあまり、思わず顔がにやけるのを抑えることができなかった。
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