《【電子書籍化】神託のせいで修道やめて嫁ぐことになりました〜聡明なる王子様は実のところ超溺してくるお方です〜》第三十五話 胃が痛い
胃が痛い。
朝起きてから、私はとても胃が痛かった。それをやってきたメイドに伝えると、大騒になった。
「大変です! 醫師の診察を! 溫かいものを、胃に優しい飲みをご用意いたします、廚房に連絡を! アサナシオス様にも」
「サ、サナシス様には言わなくていいです……心配されてしまいます」
「その心配をすでにかけておられるのですよ! だめです!」
各所で話を聞くに、私に配屬されているメイドたちは、この王城でも特に優秀かつ世話好きなメイドたちらしく、行は迅速かつ適切だった。すぐさま私はうつ伏せに寢かされ、布に包まれて、らかい湯たんぽを鳩尾に抱えることとなった。醫師もいつでも出できる制だったらしく、數分でやってきた。
「胃が痛いとなると、何か思い當たることはありますか? 食べや心労など、考えられることはそう多くありません」
「……食べ、ああ、あれかもしれません。昨日食べた、おのギロピタ」
「それですね。すぐにお薬をお出ししますね、至急飲んでください」
醫師の口調は、何だか呆れを含んでいた。私も言わんとするところは分かる。でも、サナシスが慌ててやってきて、その目の前でこう言われるとは思わなかった。
「今まで食に慣れ、王城に來てからも臓に優しいものばかり食べているあなたが、いきなり庶民のファストフードの代表とも言えるギロピタを——それも一口じゃないでしょう、そんなものを食べたら當然胃を壊しますよ」
まったくもってそのとおりで、私は恥ずかしいやら申し訳ないやらの気持ちがいっぱいになり、ぎゅっと枕に顔を埋めた。馬鹿なことをしたのは私だ。そのせいであちこち方々に多大な心配を迷をかけているのだから、サナシスにも會わせる顔がない。
味しさに目が眩んで胃を痛めた馬鹿な所業について、これはさすがにサナシスのお怒りが降ってきそうだ。いや、來るに違いない。主神ステュクスよ、あなたの寵するサナシスをこんな些事で怒らせないためにも何とかなだめてください。お願いします。
私は構えた。構えてじっと待ち——すると、意外な言葉が降ってきた。
「を食べた? お前が?」
素っ頓狂な、驚きの満載したその聲には、怒りはじられなかった。私はちょっとだけ顔を上げて、サナシスをちらっと見る。私のベッドの橫で、やはり、驚いた顔をしていた。
「食べられたのか……味かったか?」
「は、はい、とても。今は胃が痛くて後悔しています」
「ああ、だろうな」
「エレーニ様、下剤も出しておきますから、トイレに間に合うようご注意ください」
「今それを言わないでください」
醫師の空気を読まない助言がひどい。その下剤を今から私は飲むし、乙としてそのことをサナシスに知られたくはなかった。大いにがっかりだ。
ところがサナシスは、肩を震わせ、笑いを堪えていた。
「サナシス様、そんなに愉快なことでしょうか」
「いや、子供じみていて、ふふっ」
その笑いを誤魔化すように、サナシスは私の頭を軽くでた。
「まあ、腹に気をつけて寢ていろ」
「言わないでくださいー……」
ぷいっと、私はサナシスから顔を逸らした。本當に、言わないでほしかった。
胃薬と下剤を飲んで、サナシスに笑われて、踏んだり蹴ったりだ。今度からは控えることにする。そうしよう。
エレーニの部屋を出て、思い出し笑いをしながら執務室へと戻ろうとするサナシスのもとへ、書イオエルが駆け足でやってきた。サナシスは足を止め、瞬時に顔を引き締める。何事かあったのだ。気持ちを切り替え、イオエルに発言を許す。
「殿下、ステュクス神殿の神長から、新たな神託が降ったと報告がありました」
「容は?」
「こちらです」
書イオエルは素早く一枚の羊皮紙を差し出す。サナシスはけ取り、墨と膠の混ざった確たる文字を読み上げた。
「ステュクス王國においてもっとも聡明な青年、王子アサナシオス・シプニマス。汝の妻エレーニ・アサナシア・シプニモは忘卻の神レテの加護をけ、ウラノスの名をこの大陸の記憶から消すであろう。舊きウラノスの民に新たな名と生を與えよ、ステュクスの民とならしめよ」
どういうことか、と書イオエルが目で訴えている。
確かに、常人ならばこの意味は理解できないだろう。ウラノス公國の名を大陸から消す、それもエレーニがやる。サナシスにはその補佐として、滅ぶウラノス公國の民をけれステュクス王國に定著させるべし、そういう神託だ。
だが、サナシスには、主神ステュクスの意図が読めた。
「そうか。それが神意とあらば」
サナシスは極々、冷靜だった。一つ頷き、書イオエルへ、ステュクス神殿に領の旨を伝えておくよう指示を出す。
恭しく一禮をした書イオエルが、ステュクス神殿への伝達のため立ち去る。サナシスは王城の廊下の壁、半分以上を占める飾り窓から果てなき蒼穹を仰いだ。
すでに主神ステュクスの神託は降った。おおよそ、人知の及ばぬ神の意思によるものではあるが、それはすべて、ただ一人のためを思っての、慈悲だ。
主神ステュクスのみは、そう——。
「それが、エレーニのむ復讐なのだな」
サナシスはそう確信した。
ただ一人のために、俺は主神ステュクスの神意とともに謀ろう。世界に刻まれるべき正しき歴史よりも、俺はエレーニが大事なのだから。
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