半ば拐されるような形で、クラリスはハラルドに早馬へと乗せられる。半日以上、馬が走り続け、到著したのは森の中にある山荘だった。

コテージに似た外観の山荘は王族の持ちにしては地味だ。だが建てられて日が淺いのか、山荘の中へ足を踏みれると、木材の匂いが鼻腔を擽った。

「ここはどこなのですか？」

「アルト領の魔の森、そこに建てた俺の別荘だ」

「なぜこんな危険な場所に？」

「魔相手に剣の腕を磨くためだ。だが野宿はしたくないだろ。修行の拠點として使っていたのだ」

ハラルドは腰から剣を抜いて、舞ってみせる。かつて披された時より流麗さに磨きがかかっていた。

「この別荘は俺の個人的な金で建てたからな。五月蠅い大臣どもに見つかる心配もない。肩の荷を下ろせるマイホームだ」

ハラルドは國庫から資金を提供されているが、そのすべてを裏に使えるわけではない。大規模な施設の建設や、國家事業をやる場合は、予算を組まなければならない。つまりは國王と大臣の承認が必要なのだ。

しかし額の買いなら話は別だ。住み手のいない魔の森に山荘を建てるくらいの金なら、ハラルドの裁量で処理できる。

「覚えておけ。大臣たちは敵だ。俺とクラリスの婚約に反対しているのだ」

「あ、あの、私はアルト様と結婚を――」

「しかぁし！　があればどんな困難も乗り越えられる！　クラリス、これからはずっと一緒だ。この別荘で生涯を共にしよう」

ハラルドは聞く耳を持たない。思い込んだら一直線の格は昔から変わっていなかった。

「あの、私はアルト様のお屋敷へと帰りたいのですが」

「クラリスの不安は分かるぞ」

「私の想いが伝わったのですねっ」

「うむ。確かに貴族の屋敷に帰りたい気持ちは分かる。なにせこの別荘は狹くて、繁華街までも距離があるからな。だが心配するな。食料は俺が魔を狩ってきてやるし、服もクラリスのために用意してある。こっちの部屋へと付いてこい」

話が斜め上に広がる展開に戸いながらも、ハラルドに腕を引かれ、廊下の突き當りの一室へと案される。

扉を開けて、広がった視界に驚かされる。部屋の裝や置かれている調度品のデザインがリーシャの自室と瓜二つで、既視を覚えたからだ。

「この部屋は……」

「リーシャからクラリスの好みを聞いてな。特別に用意したのだ。さらに部屋だけではないぞ。この裝棚を見てくれ。俺の妃となるに相応しいドレスを集めたのだ」

絹で編まれたドレスに、シルバータイガーの皮を素材としたコートが並び、どれも高級品だと分かる。

だがクラリスの表は晴れない。悲しげに瞼を伏せていると、ハラルドは心配そうに焦りを態度に示す。

「もしかして腹が空いたのか。なら高級菓子を用意してあるぞ」

「いいえ、お腹は一杯です」

「なら寂しいのか？　それも問題ない。なにせ俺がいるからな」

「…………」

「ふふふ、どうだ、俺は優しいだろ。こんな優しい夫は、王國中を探しても他にいないぞ。この幸せ者めっ」

ハラルドは無邪気に笑う。彼は良くも悪くも純粋で、心が子供のまましていないのだ。

を我慢しないし、怒りを抑えようともしない。玩を與えられないからと駄々をねる子と同じなのだ。

クラリスとの婚約を破棄した時もそうだ。噂話を鵜呑みにして、彼が悪だと信じた。理のある大人なら報の査をするが、彼は純粋が故に、裏切られたと思い込み、怒りを彼へとぶつけたのだ。

い心は周囲からの影響をけやすく、汚れるのも早い。クラリスと際していた時は、彼の優しさにれることで、ハラルドも仁義に厚い人格者として振舞っていた。

しかしリーシャと婚約してからは違う。彼の悪い部分を吸収し、かつての善良さを失ってしまった。子供は親の背中を見て育つように、悪魔たちが彼を悪黨へと長させたのだ。

「ハラルド様、あなたは可哀そうな人です」

「俺は王子だぞ。王國一の幸せ者だ」

「ハラルド様も本當は自覚しているはずです。なにせ私とあなたは似ていますから……」

ハラルドが子供のまま長できないのは、王子という立場があるからだ。

子供の頃から臣下たちから丁重に扱われ、しいはめば何でも手にる。

だがそれは本當に幸せなのだろうか。多忙な両親と接することなく、大人たちに頭を下げられる毎日を過ごす。これはある意味で孤獨ではないか。

家族から嫌悪されてきたクラリスもまた孤獨だった。人にされたことがなかったからこそ、欠けたピースを埋め合うように、ハラルドに惹かれたのだ。

だが婚約破棄により道は違えた。ハラルドにもしっかりと伝わるように、彼の眼を真っ直ぐに見據える。

「ハラルド様、私はアルト様の婚約者です。だからあなたと結婚することはできません」

「クラリス、何を言っている！　俺たちは生涯を誓いあった仲ではないか」

「誓いはすでに破られました。私は――アルト様をしているのです！」

「――――ッ」

ハラルドが拳をギュッと握りしめる。噛み締めた下からはが溢れていた。

「どうして、あんな男に……かつてはあれほど醜い男だったのだぞ。また呪いが再発したらどうする？」

「それでもアルト様をします」

「なら名譽と金はどうだ！？　俺は將來國王になる男だ。だがあいつは公爵。所詮は王家の家臣でしかない」

「ハラルド様……私は顔でも、お金でも、名譽でもなく、アルト様の面を好きになったのです」

「……っ……俺があいつより劣っているというのかっ！」

ハラルドは大聲で怒鳴りつけるが、クラリスが怯えることはない。アルトと共に過ごした時間が彼を神的に長させたのだ。

彼もそれを理解し、怒りでは解決しないと知る。縋るように潤んだ瞳を向けた。

「な、なぁ、生涯で最後の頼みだ。今度は間違えない。絶対にクラリスだけをする。だから一度だけチャンスをくれ。頼む。この通りだ」

プライドの高いハラルドが頭を下げる。はらりと舞う髪と、ジッと答えを待つ迫した空気が、彼の頼みが真剣なのだと伝えてくる。

しかしクラリスの答えは決まっている。ここでハラルドの頼みをけれることは、アルトを切り捨てることに繋がる。一途に盡くしてくれた彼を裏切ることはできない。

「ハラルド様。何度頼まれても私はあなたと結婚できません」

「……っ……そ、そうか……そうだよな。やはり無理だよな……」

ハラルドは頭を上げる。浮かび上がってきた顔は先ほどまでの彼とは違っていた。覚悟を決めた暗い瞳がクラリスを見據える。悪寒が彼の背中に冷たい汗を流させた。

「やはりバーレン男爵から聞いた通り、アルトの奴に洗脳されているようだな」

「え？」

「だが時間がきっと解決してくれる。この別荘でアルトとの接を斷てば、以前のクラリスに戻ることができる」

「な、何を言って……」

「クラリス、しているぞ。だから……しばらくはここにいてくれ」

部屋にクラリス一人を殘して、ハラルドはその場を後にする。ガチャリと鍵が掛けられ、採用の窓も背が屆かないほど高い位置にある。

監された狀態でクラリスは扉を叩く。だがハラルドが反応することはない。彼は信じる理想の彼を取り戻すため、狂気に囚われたのだった。

本作もいつの間にやら十萬文字を突破しました！！

ここまで読んでいただき、ありがとうございました！