《星の海で遊ばせて》二人キャンプ(1)
茶ノ原高校では、毎年四月の末から五月にかけて、一、二年生は林間學校を行う。新しいクラスメイトとの親睦を深めるのを目的とした二泊三日の合宿。一年生は四月末、昭和の日を最終日とした三日間。二年生は、憲法記念日から始まる三日間で行う。これの事前準備として、クラスごとに五人から六人組の班を作り、行予定などを班ごとに決めておく。
二年A組、新見柚子は、二年連続の學級委員長となり、そして六班の班長にもなった。頼まれると斷れない格は、自分でも自覚していた。そんな格の良い柚子は、自然と人もあり、結果的に、林間學校の始まる前にはすでに、2年A組は、クラスとしてしっかりまとまっていた。
しかし柚子にも、不満が無いわけではなかった。
A組六班――つまり、柚子の班には、柚子の苦手なタイプの男子生徒がいた。班ごとに決めるオリエンテーションは何にするか、晝食作り、夕食作りの分擔はどうするか、そういうことを意見を出し合いながら決めていきたいのに、その男子生徒――水上詩乃は、常に我関せず、他人事という態度で、話し合いに全く參加しなかった。
勝手に決めたり、役割を押し付けるようなことはしたくない柚子は、何とか詩乃の考えややりたい仕事などを聞き出そうと、班會議のたびに詩乃に尋ねたが、詩乃は結局最後まで、意見らしい意見を言わなかった。
水上詩乃という男子生徒は、文蕓部で、人と話すのが得意なタイプではないことは、第一印象からしても明らかだったが、だからといって、そんなに頑なに話し合いを拒否しなくてもいいのに、と柚子にしては珍しく、し腹を立てていた。
ともあれ、林間學校の一日目は、大きな問題もなく全スケジュールを終えた。キャンプファイヤーの燈火を囲んで、男ペアを代えながらダンスを踴り、晝間作った餅と、施設からは豚がふるまわれ、ダンスの後は焚火や星を見ながら、新しくできた友達と親睦を深める。その後は浴の時間となり、班長は擔任をえた軽い班長會をして、十時に就寢となる。
もっとも、スケジュール上では「十時就寢」と書かれているが、高校二年生の林間學校で、生徒が本當に十時就寢のはずはなかった。
長野県の某所にある『青年緑の家』は、ホテルのような施設ではない。工蕓験室や事務室などを備えた、育館を二つ並べたよりもし大きいくらいの立派な本館があり、その周辺に『ロッジ』と呼ばれるログハウスの三つ、四つ集まった集落のような宿泊エリアが點在している。ログハウスは一軒につき二十人ほど宿泊でき、生徒たちは、B組男子は甲ロッジ、B組子は乙ロッジというように、ログハウスごとに宿泊場所を割り振られている。ロッジのあるエリアの外は本當の真っ暗闇の森で、そのことが一層、皆を興させた。
林間學校の規則では一応、他のロッジに遊びに行かないこと、というルールがあったが、このルールは、まるでそれを破るために定められているようなものだった。教師もそのあたりは暗黙の了解で、十一時頃までは、わざわざロッジを見回るような野暮はしないのが伝統だった。2年A組の男子が宿泊するカモシカロッジにも、一日目の夜には早速、同じ組の子がやってきていた。
トランプ組、ウノ組、その他雑談組、男子の敷いた布団の上で、子たちも各々羽をばす。男子生徒にとっては、風呂上がりの子の姿、様子というのは堪らないものがあった。そして子は、そんな男子の反応を、実は楽しむために、男子のロッジにやってきている節があった。また、施設から往復四十分ほどのコンビニから、駄菓子を買って戻ってきた買い出し擔當の生徒は英雄的な扱いをけた。これは一年生にはできない蕓當である。しかしさすがに、同じ部屋で男が寢るということは、まずもって教師が許さず、十一時になるとしっかり教師たちも見回りを始める。その気配を察知した生徒が教員襲來の報を部屋に持ってきて、そこで、一日目の夜の親睦會はお開きとなった。
今年も楽しい林間學校になって良かったと、班長であり級長の柚子は、人一倍その幸福をかみしめて、二日目を迎えた。ほとんど99パーセント上手くいっている林間學校。しかし殘りの1パーセントが、柚子の小さな悩みだった。――水上詩乃である。昨日の班活でも、そして夜のカモシカロッジでの親睦會でも、詩乃は一人でいた。聲をかけられるのを避けるかのように、明らかに、それとわかる距離を誰からも取っている。
高校生なんだから、もうそんな奴ほっとけばいいのよ、というのは柚子の學時からの親友、多田紗枝の弁である。わざわざ、皆で仲良くする必要はない。一人がいい人は一人でいればいい、確かにそうだ。しかし、やはり気になるものは気になる柚子だった。同じ班というのが余計に、柚子の、柚子なりの正義、優しさを煽り立てた。
二日のA組六班のオリエンテーションは、午前は野鳥観察、午後はや植、蟲の標本などの観察だった。一言二言、柚子は詩乃と話したが、會話らしい會話はできなかった。もう放っておきなよ、キャに構うと疲れるよ、と紗枝は柚子にアドバイスを與えた。それもそうなのかな、と柚子も思うことにして、午後のオリエンテーションのあとは、無理に詩乃に話しかけるのはやめるようにした。
事件が起こったのは、その後、夕食のカレーを作っている時だった。
施設にいくつかある炊事場の一つを陣取って、A組は十七時半頃から夕食の準備を始めた。事前に決めた分擔通り、六班の面々も、野菜を切ったり、調理用の準備をしたりと、テキパキといている。普段不真面目な男子さえ、子に良いところを見せようと、皆しっかり働いている。そんな中にあって、水上詩乃は、仕事らしい仕事は全くしていなかった。炊事場の橫には屋付きの食事場があり、詩乃はそこの背もたれのない木造の固定長ベンチに座り、作業開始時からずっと、何をするでもなく、ぼーっとしていた。野菜を切るという擔當の仕事がありながら、その仕事を完全に、放ってしまっている。
「あいつ、私がとっちめてこよっか?」
紗枝は、しかめた顔を隠すことなく、柚子に言った。紗枝は、どんな意見でも言うべきことがあればそれを言える子だった。衝突を恐れない。そういうの子だから、気を抜くと、男子との間に軋轢を生んでしまう。柚子は、紗枝のそういう所が好きだったが、できることなら、衝突しないで済むようにしたいと思っていた。
水上君は確かに、非協力的で困った男子だけど、班員だし、クラスの一員ということに変わりはない。仲良くはできなかったとしても、嫌い、嫌われるというような関係になってしまうのは殘念だ。
仕方ない、と柚子は詩乃のもとに向かった。班長として、一言水上君に言っておけば、紗枝ちゃんもひとまずは、気持ちを落ち著けてくれるだろう。
「水上君、野菜切ってよー」
笑顔で、あくまでフレンドリーに、柚子は詩乃に話しかけた。詩乃は、頬杖をついていて、柚子に聲をかけられると、うーんと、目をつむった。
「合でも悪いの?」
「いや……。もう野菜、全部終わってるから」
柚子は振り返り、調理の進捗を確認する。確かに、すでに六班の野菜を切る作業は全て完了していた。今はもう、切った野菜を煮込み始めている。どの班も進み合は同じ様子で、炊事場には湯気が漂い始めていた。
「でもさ、一応皆でやってるんだから、水上君も手伝ってよ」
そう言う柚子の聲は気で、批難のが無い。表も笑顔。
なんでこんなに頑張れるのだろうかと、詩乃は不思議でならなかった。
「皆で作った方が、カレーもおいしいよ!」
詩乃は俯いたまま、思ったことを口にした。
「新見さんは、優しいね」
「え?」
「でも、放っておいていいよ。別に、辛くないから」
柚子は詩乃にそう言われて、とぼとぼと紗枝のもとに戻った。特別何かを言われたわけではない。それなのに、どうしてこんなに心が痛いのだろうか。柚子は、やっぱり水上君は苦手だと思った。
「あんなクラ、柚子が相手にすることないでしょ」
詩乃にまで聞こえるような聲で、紗枝が言った。実際その聲は、詩乃に屆いていた。詩乃はしかし、頬杖をついたまま、炊事場を眺めるだけだった。
「よーし、完!」
すべての班が、同じようなタイミングで飯炊きを終えた。カレーはすでに、全ての鍋で出來上がっていた。香辛料の良い香りが、空腹の生徒たちの鼻と腹を刺激した。ご飯をよそい始める。紗枝は、詩乃にはよそってやらないかな、と思っていた。
「じゃあ私はカレーを――」
柚子はカレーの蓋を開けようとした。ところがその時、柚子は誤って取っ手のゴムカバーの無い部分を左手でってしまった。柚子は反的に左手を引っ込めた。その瞬間、急にいたせいでおたまが柚子のエプロンにひっかかった。ひっかかったおたまは、カレーの鍋を傾けた。そして――。
「あっ……!」
ガシャーン。
六班のカレーが、鍋ごとひっくり返った。
紗枝が短い悲鳴を発し、炊事場がしんと靜まりかえった。
もわっと、石の床にぶちまけられたカレーから、湯気が上がる。
「柚子、だいじょ――」
紗枝が、立ち盡くす柚子に駆け寄ろうとするより早く、その言葉をさえぎって、柚子の手を取った生徒がいた。
水上詩乃だった。詩乃は、柚子の右肩と左の手首を後ろから摑んで、ひっくり返した鍋とカレーから遠ざけ、流し臺の蛇口を捻り、水を出した。それより數瞬遅れて、擔任やクラスの生徒たちが、柚子の事故現場に駆け寄ってくる。詩乃は柚子の左手を蛇口の流水にあてさせた。
「火傷は、手だけ?」
「う、うん……」
「どこ? あ、ここ?」
詩乃は、柚子の人差し指の付けが赤くなっているのに気づいた。柚子は震えながら頷いた。火傷の痛みなんかよりも、申し訳なさでいっぱいだった。今自分がしでかしてしまった大失敗を、頭の中で整理しきれていなかった。パニック狀態は他の生徒たちも一緒で、ただおろおろしている。
その間に詩乃は、柚子の左手にラップを巻いて、そしてまた、流水をかけた。
「ごめん、皆……」
ぽつりと、柚子が言う。
近くにいた紗枝は、全然大丈夫だから、全然気にしなくていいよ、と明るく元気づける。それに皆、同調する。詩乃は柚子のの気の引いた顔を見て取り、擔任に言った。
「本館の、保健室に行ってきます」
「あ、あぁ、頼む」
「多田さん、一緒に來て」
「わかった」
詩乃は自分のポーチを肩にかけると、泣き出しそうな柚子と、急な出來事に表を強張らせている紗枝を連れて、施設本館の救護室にやってきた。炊事場から本館までは歩いて一分とかからない距離だが、本館は、炊事場のにぎやかさが噓のように、靜かだった。トン、トンと、普段は気にしないような素足の足音が、耳に響く。ドクン、ドクンと、柚子は、自分の心臓の鼓がはっきりわかった。
救護室は施設の一階にあり、詩乃は柚子を流し臺の近くに座らせると、先ほどまでのように、巻いたラップの上から、人差し指に流水を當てさせた。
「紗枝ちゃん、ごめん……私、どうしよう……」
この世の終わりのような暗い顔をして、柚子が言った。
「全然大丈夫だよ! カレー、他の班のもあるし! それより、柚子、火傷――」
「ごめんね……」
じわっと、柚子の目に涙がにじむ。
それを見ると、紗枝の方が泣けてきてしまった。紗枝は、この林間學校に臨む柚子の貢獻を一番近くで見てきたのだ。柚子のおかげで、この林間學校ができたと言っても過言ではないと、紗枝はそこまで思っていた。柚子の気持ちを考えると、紗枝はいたたまれなくなってしまう。
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