《星の海で遊ばせて》一月目の櫂(1)
十一月も第三日曜日になると、寒さもひとしおで、改札を出てゆく人たちも、通り抜ける北風に肩をすぼめている。吉祥寺駅の北口、サンロードの商店街も、今はコロナ危機前の活気を取り戻しつつある。駅から町に繰り出してゆく人たちの、寒さにを丸めながらも、うきうきとした背中に、自然と柚子も、気持ちが弾んでくるのだった。
「柚子」
背中から、柚子に聲をかけたのは紗枝だった。落ち著いたさくらのダッフルコートに、上品なフレアの黒いスカート。赤い手袋に、ふかふかした白いファーマフラーをつけている。紗枝の外見と相まって、小のような可さがある。學校にはいつも、紺のダッフルを著てきているが、こっちの裝いも似合うのだから、學校にもこのピンクのダッフルで來ればいいのにと柚子はいつも思うのだった。ちなみにマフラーのほうは、年上の馴染の男にもらったもので、こっちは學校にも欠かさずつけてきている。最近になって、その馴染の兄ちゃんこそが、紗枝の片想い中の相手だと柚子は知らされたのだった。
「紗枝ちゃん、かわいい!」
柚子の初めて見る黒スカートである。ピンクと黒の合いも可らしくまとまっている。
「スカート――」
と、褒めようとする柚子をさえぎって、紗枝が言った。
「コート!」
紗枝は、自分が褒められている事よりも、柚子の新しいコートの方が衝撃的だった。一目で、良いものだということがわかる。ミルクティーのような優しいのトレンチコート。それに、黒のガウチョ、ショートブーツ。ニューヨークを闊歩していそうなクールな裝いだ。
「お姉ちゃん!?」
「ううん、これは、買ったの」
「いつ!?」
「昨日……」
はにかみ笑顔で答える柚子。
そこへ、二人の後ろから、もう一人のの子がやってきた。大人しい――というよりは、地味な裝にを包んだ子高生――雨森千代。
「ごめんごめん、お待たせ―」
二人は千代に視線を向けた。その裝いに、紗枝は目を真ん丸にして驚き、柚子は笑った。
「なっ、え、なんで!? どうしたの千代、眼鏡だったっけ?」
紗枝と千代は、最近友人になったばかりだが、すでに隨分と親になっていて、柚子抜きでも一度遊びに出かけている。その時は、紗枝が淺草を案したのだ。二週間前の出來事である。その時の千代は、やんちゃなデニムファッションだった。紗枝はてっきり、それが千代のスタンダートスタイルだと思っていた。それがどうして、こうなったのだろうか。紗枝はお世辭にも、可い、とか、格好いい、とか、何が似合っている、とか、言えなくなってしまうのだった。
そんな紗枝の困、驚きを見て、千代は口角を上げてにこっと笑った。その笑顔だけは、いつもの千代である。
「私結構ね、この、地味系ファッション好きなの。このメンツだったら絶対被らないし、一週回っていいでしょ、眼鏡子」
思わず、柚子が笑い聲をあげる。
柚子は、千代がそうやって、ファッションスタイルの系統を変えて遊ぶのを知っていた。これ以外にもかなりのストックが千代にはある。被らない、というのが千代の中では、ファッションの大原則らしく、柚子も毎回楽しませてもらっていた。ある時はクルエラのようなセレブスタイル、ある時は――もうちょっと暖かい時期なら、エクステに膝上丈のワンピースやタイとスカートをあわせたギャルスタイル。
「みっくんとデート行くときとか、あと柚子と二人で買い行くときとかも、結構この格好するんだよね」
にやりと、千代は笑みを浮かべる。
「びっくりだよ」
「紗枝はそういう可いの似合うからいいよね。私なんて、絶対無理だもん。素材の差だ、悔しい」
「いやいや……」
紗枝からすると、千代は充分羨ましい〈素材〉だった。すらっとした手足、シャープな頬、全的に大人っぽい雰囲気。千代は、紗枝のダッフルコートやその合いの組み合わせにも言及して褒めた後、それで――と、あえて冷ややかな聲で柚子に迫った。
「そのポールスミスはお姉さんから?」
さすが千代、と柚子は思った、一目でこのコートのブランドを言い當てる。実は古著屋で買ったもので、柚子も、このコートの詳しいことは知らなかった。ただ、家の近くの古著屋にしばらく飾ってあって、いいなぁと思っていたのだ。古著にしては高価だったので、昨日まで買うのを躊躇っていた。というよりも、本來買う予定はなかったものだ。
「昨日買って來たんだ、古著屋さんで」
「え、柚子が、自分で!?」
「買うよ! 全部お姉ちゃんのお下がりじゃないんだから」
ごめんごめんと、千代は笑う。紗枝も釣られて笑う。
紗枝も千代も、柚子とは一年生からの付き合いで、その服の手先についてもよく知っていた。たまに柚子は、見るからに良さそうな裝飾品をつけてくることがある。バックだったり、靴だったり、コートだったり。そのたびに、その価値を知る生徒は、口に出すか出さないかは別にして、驚かされている。しかし紗枝も千代も、柚子自は、そんなに高い買いをしないのを知っていた。それどころか、ブランドにはあまり興味が無いらしい、ということも。柚子のに著けているブランドは、ほとんどすべて、柚子の姉からのプレゼントかお下がりなのだ。
そんな柚子が、ポールスミスのトレンチコート。
柚子に対しては、紗枝も千代も、わざわざ似合ってるだとか、可いだとか、そんなことを普段から言わなかった。むしろ、いじる隙を探すのが、柚子を相手にする時の作法だということを、二人は知している。
「買ってもらったんじゃなくて、柚子が買ったの?」
千代が念押しする。柚子は頷く。
「どういう風の吹き回し?」
紗枝が質問する。
それほど、柚子が自分で気合のった買いをするのは珍しかった。柚子は頬の緩むのを隠すように俯いた。千代と紗枝は顔を見合わせる。
「何かいいことあったんでしょ?」
と、千代が質問した。
柚子は笑みを抑え込みながら答えた。
「べ、別にないよ」
「柚子噓つくとき耳がくんだよね」
紗枝が言うと、柚子は真にけて、慌てて耳を抑えた。
その反応に、紗枝と千代は聲を上げて笑った。
「そんな、噓つくと耳く人って、妖怪だよ」
笑いながら、千代が言った。
「柚子、ホント面白い」
紗枝もそう言う。
「は、図ったな――」
柚子、顔を赤くしながら言った。
「で、どんないいこと?」
千代は興味津々である。
もう仕方が無いと、柚子も観念して口を開いた。
「……水上君に、でられちゃって」
え? と紗枝と千代は目を點にした。
「どこを!?」
千代が、弾かれたように質問する。
一瞬遅れて、千代の言葉に紗枝が噴き出す。
「どこって何よ、千代、おかしいよ!」
「え、だって、頭?」
「うん……」
恥ずかしそうに、柚子が頷く。
「そりゃそうでしょ!」
紗枝にそう言われ、千代もケラケラ笑った。
「え、頭でてもらって、それでおニューのコート?」
「う、うん……」
かあっと、顔を赤らめる柚子。
見ている紗枝と千代の方が恥ずかしくなってしまった。どれだけ初心なんだと、二人は心柚子に突っ込みをれる。そんなことでコートを買っていたら、一月で破産してしまう。
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