《星の海で遊ばせて》一月目の櫂(5)

「ごめんね」

「うん?」

「あの後、々言われたでしょ」

柚子は小さく笑った。柚子はもうわかっていた。水上君は、場の空気だったり、人のを全く気にしない人じゃない。そういうものが、わからない人でもない。言葉の數は多くはないけれど、語る言葉の一つ一つには、ちゃんと意味が込められている。まるで水上君の言葉や行は、海面に小さく突き出した氷山のようだと柚子は思うのだった。

「――でも本當に似合ってるよ。私もその髪型好き」

詩乃はそう言われて、咳き込んでしまった。

急に何を言うんだと思った。

詩乃が弁當箱を開ける。

黒茶の四角い漆の弁當箱。蓋には數枚の紅葉絵が施されている。中は、厚焼き玉子とソーセージとふりかけの袋、それに白米というシンプルさ。しかしその厚焼き玉子と白米のを柚子は知っている。厚焼き玉子は二種類の白出をブレンドしたもので、白米の方は、炊飯ではなく土鍋で炊いている。白米がたまに焼きそばやパスタの時もある。蕎麥をれたいんだけど水っぽくなってダメなんだよね、とそんなことも言っていた。お蕎麥好きなの? うん、味はよくわからないけど。――そんなやり取りを思い出して、柚子の頬は自然とほころぶのだった。

柚子も、リッケの赤蓋の弁當箱をあけた。ブロッコリーにソーセージ、半分に切ったゆで卵、ミートボール、大量の枝豆を散らしたご飯に、そして、厚焼き玉子。厚焼き玉子だけは、詩乃を見習って、毎日ちょっとずつ味付けを変えて楽しんでいる。たまにものすごく甘い厚焼き玉子が食べたいと詩乃が言ったので、三回に一回は砂糖たっぷりの厚焼き玉子を作ってきて、その時は詩乃にあげることにしている。今日は、前回の激甘厚焼き玉子から二回目の晝食なので、厚焼き玉子の試食會は開催されない。

「新見さんは、なんでも良いって言ってくれるけどさ……」

箸を手に、じいっと白米を見下ろしながら詩乃が言った。うん、と柚子は話の続きに邪魔にならないくらいの小さな相槌を打つ。

「自分の格好の事で、新見さんに恥ずかしい思いをさせたくないんだよね」

「それで、髪……?」

「うん。髪型とか服なんて、自分はどうでもいいんだけど――いつも部屋の中にいるから。でも……」

詩乃はそこまで言うと言葉を終わらせて、ソーセージを箸でつまんだ。

「水上君優しいなぁ」

「優しいのか、臆病なのか――」

詩乃はぽつりとつぶやいて、ソーセージを口の中に放り込む。

詩乃の獨り言のようなつぶやきを、柚子は聞き逃さない。詩乃は、ぽつりと會話の途中で、獨り言を言う時がある。それが、映畫や小説のタイトルだったり、それらのワンシーンを象徴する言葉だったり、や人の名前、何かの出來事というときもある。あるいはそれらとは全然関係ないことだったりもする。話はじめでも、話の途中でも、獨り言の一つの単語でも、詩乃の言葉の突飛さは、青天の霹靂のような驚きがある。それが柚子には、楽しかった。そういう言葉が詩乃の口から出てきた時には、柚子はいつも、よし來たぞ! と、思って目を輝かせる。

「臆病じゃないよ。どうして?」

「目の前で子供が、カッターか何かで切り付けられてたら、助けるでしょ?」

「うん。怖いよ」

「でももし、助けることができなかったら、どう思う」

けないとか?」

「そう。ただ子供が、切りつけられてるのを見てるだけ」

「嫌だよ、そんなの」

詩乃は頷きながら、白米を口に運んだ。柚子は、詩乃の出したシチュエーションを想像して、冷や冷やしてしまう。一次に、水上君は何を言うのだろうか。

「新見さんに全く不釣り合いな格好で隣にいたら、そうなるんだよ。新見さんが、視線とかで傷つけられる。でも、見てるしかない。それが嫌だから、ちょっと髪を切った。それは、優しいのか、臆病なのか」

「それは、優しいんだよ!」

柚子は、詩乃の例えに心しつつも、詩乃の誠実さに心打たれてそう言った。柚子の言葉があまりにも強かったので、詩乃は驚いてしまった。

「それを優しいと思える人が優しいんだと思う」

「難しいよ水上君!」

頭を抱えるポーズをして、柚子が笑う。そのジェスチャーに、詩乃も頬を緩ませる。

「――水上君は、私のために髪を切ってくれたんだね」

「うーん、たぶん、半分は……」

「ありがと」

言葉と一緒に、視線も投げかける。笑顔を向けられた詩乃は、弁當に集中して、それに気づかないふりをした。柚子の笑顔を見ていると、たまに、どうしてよいのかわからなくなる時が詩乃にはあった。そうなると、あとはもう、を結んで固まってしまうことしかできなくなる。それがけないので、そうなりそうなときは、詩乃はいつも、柚子を見ないようにしている。

「でも水上君、私別に、全然恥ずかしくなんてならないからね」

「え?」

「もし水上君が、すっごい格好で來ても」

でも?」

「それは恥ずかしいけど!」

柚子の反応をちらっと見て、詩乃は笑った。

「むしろ私が合わせる、水上君、何か好みの格好とかある?」

「明日は制服でしょ。學校の後だし」

「そうだけど! でも好みがあったら、それに著替える」

そこまでするんだと、詩乃は柚子の服裝に対する執念に舌を巻いてしまう。笑ってはいるが、柚子は本気でそう言っているのだと、詩乃にはわかった。しかし詩乃は、これがいい、と言えるほど、まだのファッションには通していなかった。小説のために、目下勉強中である。しかし勉強したところで、柚子に服裝を指定できるほどの男にはなれないと詩乃は悟っていた。

「新見さんは制服でも充分可いよ」

これも柚子にとっては、青天の霹靂のような一言だった。詩乃は、突然そういう言葉を言い放ってくる。柚子は顔を真っ赤にして、數秒は直してしまうのだった。

「じゃあ、制服に、しようかな」

「うん。自然でいいよ」

「水上君も、自然でいいよ」

「いやいや――」

詩乃は笑いながら首を振った。

「自分もしは訓練しないと。不自然にならないように」

そう言った詩乃の頬に、何か寂しさのようなものを柚子はじ取った。北風に窓がガタリと揺れた。柚子は口を開きかけたが、何を言うべきかわからずに、口を閉じた。

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