《星の海で遊ばせて》それでも息はできるから(1)

休日の間に月が変わり、二月にった。

月曜日、詩乃はいつもの通り、授業の始まる直前に教室にった。その時に一瞬、詩乃は柚子と目が合ったが、それも束の間、気まずそうに、柚子が目を伏せてしまった。詩乃はその瞬間、柚子の気持ちを察して、その日は一時間目が終わると、殘りを全部自主休校にして學校を後にした。

詩乃は、柚子が自分に対して申し訳ないと思っているその気持ちが、いたいほど良くわかった。なんで新見さんが、そんな卑屈な態度をとらなければいけないのかと詩乃は思い、そして次の瞬間には、そうさせてしまっている自分の存在に腹が立った。自分がいなかったら、新見さんは幾分か、気持ちも楽になるだろうと、そう考えたのだった。

その上、詩乃には実際、用事もあった。

ムーミンバレーでにょろにょろを買って帰って來たものの、よく考えれば、2ペンスのお禮ににょろにょろはおかしい。やっぱり、鳩でなければならない。そこで詩乃の頭に浮かんだのは、鳩を象った小のプレゼントだった。柚子にプレゼントするのにしっくりくる鳩の何か、小を探す――三月の後期テストの勉強よりも何よりも、詩乃にとっては今一番優先すべきは、それだった。授業の方は、どの科目も、進級に必要な出席數はすでに満たしている。だからといって平気で授業をサボる生徒は二年A組でも詩乃くらいだったが、詩乃は、授業に出ないことを、特別なことだとはそもそも思っていなかった。

しかし柚子の方は、詩乃の思など知る由もない。調はすでに良くなっていた柚子は、この日の晝休みに、詩乃に謝ろうと思っていた。詩乃の帰宅は、そんな柚子の出鼻をくじいた。

「――すぐ謝った方がいいかもね」

二時間目と三時間目の間の中休み、紗枝は柚子に助言した。先週の金曜日何があったかは、紗枝は柚子から聞いて、すでに知っていた。晝休みが始まるや否や、柚子はスマホを手に階段を上がり、屋上に出た。まだ誰もいない屋上の隅で、柚子は詩乃に電話をかけた。

取ってくれなかったらどうしよう、出なかったらどうしよう――。

そんな不安の中、4コール目の途中で、電話はあっさりと繋がった。

「水上君、あの、新見です」

『あぁ、うん、新見さん』

「水上君、先週の事、ごめんなさい! 私、全然、言うつもりじゃないことたくさん言っちゃって――」

『あぁ、うん。気にしてないよ』

スピーカー越しに聞こえてくる詩乃の聲に、柚子はゆっくりと目を開けた。

この場で別れを切り出されるかもしれないと思っていたのだ。

「でも……私……」

『大丈夫』

「ごめんなさい……」

『いいって。調はもういいの?』

「うん」

し間があって、詩乃の言葉が返ってきた。

『星は、また今度行こうよ』

柚子は混してしまった。聞いたじでは、詩乃の聲は、本當に優しい。だけど、怒っていないなら、どうして今、水上君は學校にいないのだろうか。そのことが、柚子にとっては最大の疑問だった。そしてその疑問の答えは、ほとんど一つだと、柚子は思った。

――本當は怒っているけど、隠している。

柚子は、安心したのも束の間、電話をかける前以上の不安がに迫ってきた。

「本當に、ごめん――」

『謝らないでよ』

そう言われると、それ以上、もう一歩も踏み込めないのを柚子は気づいた。まだ、怒ってる、傷ついたと言われた方が良い。それならまだ、謝る余地がある。許してもらう余地が。けれど、そもそも、許していると噓を言われてしまったら、もうそれ以上、何も言うことはできない。詩乃の「大丈夫」「気にしていない」は、柚子にとっては「もう許すことはない」ということと同じ意味になっていた。

『謝らないで』というのは、「許しているから謝る必要はないよ」ではなく、「何を言われても許さないから、謝ることは無意味だよ」ということなのだと、柚子は解釈した。

「水上君……」

震える聲で、柚子は詩乃の名前を呼んだ。

「なんでもするから、許して……」

柚子は、思わずつぶやく。

柚子の頬に、涙が零れる。

『気にしてないよ。もう謝るのは無しね』

「嫌だ……」

『え?』

「嫌だ、私、水上君と離れるの嫌だ!」

電話の奧にいる詩乃は、実はその時、高尾の方にある鳥グッズ専門店にいた。二階建ての、広いドーム型の店で、鳥好家用達の、界隈では有名な店である。々な鳥の、可らしいアイテムに囲まれていた詩乃は、柚子の急な、駄々っ子のような言葉に驚いてしまった。

「學校でまた會えるよ」

詩乃は、眉を寄せた表で答えた。

『そうじゃないよ! なんで、私、どうしたらいい? 私……』

電話越しに、泣いているのかなと、詩乃は思った。涙聲のように聞こえる。さもなければ、風邪か。いずれにしても、新見さんはまだ、心ともに本調子じゃないようだと詩乃は思った。きっと今ここで、々言えば言うほど、新見さんは後々、そのことを思い出して傷つく羽目になる。本當はもうし話していたいけど、本當の優しさはそうじゃないと思い、詩乃は口を開いた。

「どうもしなくていいよ。話は、落ち著いてからにしよう。たぶん今は、良くないから」

『私、水上君の事、好きだよ……?』

「うん。わかってる」

詩乃はそう答え、それから言った。

「じゃあ、電話切るよ。本當に、気にしないでね」

詩乃はそう言うと、電話を切った。

一方的に電話を切られてしまった柚子は、目を瞑り、握ったスマホを額に當てた。水上君を、本當に怒らせてしまった。『水上君に私の事なんて――』、確かに、そう言ってしまった。なんであんなことを言ってしまったのか、柚子は全くわからなかった。私は水上君のことがまだわかっていないけれど、水上君はたぶん、私のことを、私よりも良く知っている。いつも、そう思っている。私の知らない私をぽんと出して、いつも私を驚かせてくれる。

それなのに、どうして――。

悔やんでも悔やみきれない後悔を抱えたまま、柚子は教室に戻った。柚子の顔を見て、紗枝は、聲をかけることもできなかった。こんなに憔悴した柚子の顔は、紗枝も初めてだった。

教室ではまだ、柚子と詩乃が學校の前からタクシーに乗るところを見た、ということに関する話題で盛り上がっているグループがあった。紗枝は思わず立ち上がり、そんなグループの一つに聲を上げた。

「べちゃくちゃ下世話な話で盛り上がってんじゃないわよ! その話聞きたくないから、黙るか、出ていくかにしてちょうだい」

一瞬靜まり返る教室。

しかし、紗枝に揺はない。それどころか、二年A組の教室の晝食グループをぐるりと見渡した。その目の圧力に、子はもちろんの事、男子も黙り込んでしまった。本気で怒った紗枝は怖いと聞いていた生徒たちは、この時初めて、その意味を理解したのだった。一年の最初に、紗枝はクラスを叱り飛ばしたことがあったが、紗枝のこの剣幕は、その時以來だった。ヒステリックにはじない張りのある聲――空手の踏み込みや剣道の打ち込みに通じる、裂ぱくの気合を帯びたその聲には、誰も歯向かってゆく勇気はなかった。その日の晝休みは、授業が始まるまで、お通夜のような狀態で、この晝休みに居合わせた生徒たちは、この日だけは、四時間目が有り難いと思ったのだった。

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