《星の海で遊ばせて》かさね目の炎(6)
「私も、紅葉になりたいな……」
「どういうこと?」
「綺麗だから」
「新見ちゃんだって綺麗じゃない。紅葉がうらやむよ」
柚子は微笑を浮かべて首を振った。
「私が葉っぱだったら、が変わる前に、風に飛ばされちゃうと思う」
「そんなことないんじゃない」
「ううん。私は……いてもいなくてもいいんじゃないかなって……」
明は、柚子の肩を抱き寄せた。
柚子は、ぱたりと、明の肩に頭を寄せた。
柚子は、小さな聲で言った。
「アナウンサーは、私にぴったりだと思ったの。他の人の意見を聞いたり、代弁したり、自分の意見は、必要とされないから。――でも、私は池アナウンサーの方が好き。ちゃんと自分の意見を持ってて、主張して……。私の代わりはいくらでもいるけど、池さんの変わりは、どこにもいないでしょ」
「そんなことないよ、俺は、新見ちゃんの方が好きだよ」
明は、柚子の肩を、子供をあやす様に、ぽんぽんと叩いた。
「私、どこに向かってるのかわからない……」
柚子は目を閉じ、明の肩に重をあずけた。
「俺も似たようなもんだよ」
明はため息ついてから、そう答えた。
「自分も、會社を立ち上げた時はね、自分でどんどん仕事をやって――俺は、需要を見抜く方が得意だったから、それを見て、仲間と一緒にソフト作って、売り出して。でも、會社が大きくなっていくとね、かす側になると、自分が、働かない方が良いんだ。部下にどんどん仕事を割り振る。適材適所を見抜いて、ざっくり、全の道筋だけを決めていく。でも最近は、その意思決定さえ、譲渡してる。――そこで思う時はあるよ。俺の存在って何なんだろうってね」
柚子は、明の話を、じっと見上げながら、目を見て聞いていた。
「明さんでも、そうなの?」
「うん、そうだよ」
明は、微笑を浮かべながら応えた。
「俺は會社を立ち上げたかもしれないけど、今じゃ……俺にしかできない仕事がどんどん減ってきてる。まぁ、組織としてはそれの方が良いんだけどね。そのうち俺は厄介者だよ。そうならないように、〈カリスマ〉なんてダサい肩書引っ提げて、営業したり、講演に出たりしている。〈ARリテラシーとは何か〉 、〈未來のIT規制はどうなるか〉とか……自分で考えろ馬鹿野郎って思うよ」
暴な言葉の結びに、柚子は笑った。
「そっか……そうなんだ」
柚子はそう呟くと再び目を閉じ、明の肩に頬を寄せた。
「まぁ俺は、功者らしく振舞うのは好きだから、今の立場を結構楽しんじゃってるよ。もったいぶってマイクを持って、偉そうに當たり前のことを言う。社會貢獻、人類の未來、次世代の倫理――なんて言葉を使うとそれっぽく聞こえるんだ。それを俺が言うと、拍手が起きる。その時の俺のしたり顔、気持ち悪いよ」
柚子は、明の自に聲を出して笑った。
「全部建前だよ。実績、才能、金持ちならその財力――何かを持ってる人間には、それに見合う人間とか、社會みたいなものを皆期待するんだ。だから俺は、大衆のむパフォーマンスをしてやってるだけ。――見損なった?」
柚子は笑みを浮かべたまま首を橫に振った。
「本當は、ただの好奇心と、ちょっとした野心だけだったよ。自分を試してみたかったっていうのと、あとは、俺は他の人間と違うんだって、そんな自己主張みたいな――遅れてきた反抗期だったんだと思う。需要を見つけて、使えそうなものがあったから、その需要にはまるような形の商品にして、売り込んだ。そしたら、たまたま上手くいった。ただそれだけ。社會に対してどうとか、SNSリテラシーがどうとか、そんなのは後付け。子供のいたずらと一緒かな。別に、立派な信念があったわけじゃないよ。でも、俺にそれをむ人間が多いから、そういうすさまじい志を持っていた、ということにしてる。じゃないと、皆納得しないから」
柚子は、し心が軽くなるのをじた。
この人とだったら、一緒にいても大丈夫かもしれない――柚子はそう思った。
「新見ちゃん」
明は、柚子の肩に軽くれながら言った。
「友達と思ってくれなんて言ったけど、もう一歩進むのは嫌かな?」
柚子は、じっと明の目を見つめた。
柚子も、いつかはこの時が來るのはわかっていた。明の自分に対する気持ちは、最初から気づいていた。そして自分も、その時が來たなら、流れにを任せたいと思っていた。だからこそ、デートを斷ったりはしなかった。
それなのに――なぜか柚子は、その場で即答できなかった。
うん、とただ一言言って、首を縦に振ればいい。
もうそれすら無しにして、もう一度明のに抱き付いてしまえば、それで先に進める。
それなのに、自分の中の何かがそうさせない。
柚子が答えを躊躇って作った沈黙は、そう長くはなかった。
しかし明にとっては、その時間が一つの答えだった。
「ごめんね、急かすようなこと言って」
へらへらと、明はいつものように笑う。
柚子は、ぱっと明のジャケットを微かに摑んだ。
がそう反応した後、柚子は、自分はなんてズルいなのだろうと思った。
「――十二月三日、新見ちゃん、誕生日だよね」
「うん……」
「夜、時間くれないかな。その時に改めて今の話をしようと思うんだけど」
柚子は、こくりと頷いた。
「良かった、ちょっと、焦りすぎたね。雰囲気に呑まれちゃったよ」
明るい調子で明が言う。
柚子は、両手を臍の前できゅっと握った。
明は頭を掻いた。
水曜日の〈晝いち!〉の放送が終わり、それぞれに二時間ほどの仕事をした後、柚子、奈、そして冬璃は揃って會社を出た。見駅まで歩き、そこでタクシーを拾い、冬璃を真ん中にして後部座席に乗り込む。奈が行先の住所を運転手に告げると、すぐに車はき出した。
冬璃は、二人の先輩に挾まれて、張していた。この三人だけで食事をするというのは、これが初めてだった。特に奈とは、半年ちょっと〈晝いち!〉で共演してきているにもかかわらず、仕事以外ではほとんどプライベートな會話もしたことがない。冬璃からすれば、売れっ子子アナの奈は、同じアナウンス部の同僚とはいえ、気安く聲をかけられる先輩ではなかった。奈は冬璃から見ても、他のアナウンサーとはし違う、タレントのようなオーラを放っている。
一方で柚子とは、冬璃はよく話をしていた。冬璃はまだ社二年目で、アナウンスのスキル的な問題と、それ以上に神的な不安を抱えていた。柚子は、そんな冬璃の相談を聞いたり、読み上げの指導をしたりしていた。
冬璃にとっては絶対的な先輩二人。そしてその二人の関係が、〈良好〉でないことも、冬璃は気づいていた。日頃から一緒に仕事をしていれば、すぐにわかる。奈は柚子に、常に臨戦態勢のような笑顔の仮面をかぶって接している。――つい最近まではそうだった。
「楽しみだね」
柚子が、ふわんとした聲で言った。
「ワインもいいのがあるみたいですよ。新見さん明日休みなんですから、今日は酔っぱらってくださいね」
「まだ夕方だよ」
「もう夜ですよ」
奈と柚子は、いかにも楽しそうな聲でそんなやり取りをする。冬璃は、今日の食事會の趣旨が、まだ摑めていなかった。放送用のネタ作りのためなのか、それとも、何か大事な話があるのか。はたまた、ただ普通の楽しい食事會なのか。しかしこの面子で、「普通の食事會」なんてありえるだろうか。
「椎名、張してるの?」
奈は、冬璃の立場やその心境を察していながら、あえて悪戯っぽくそう聞いた。
奈に見つめられて、冬璃はドキりとした。
奈の可さは、同の冬璃からすれば、それはそのまま恐怖にじられた。腕力や學歴や財力よりも、可さは即効がある。ただ見つめられただけで、勝敗が決してしまう。口を開くまでもなく、一方的に、一瞬で。
「……はい」
素直に、冬璃は頷いた。
けらけらと、奈は笑った。
「そりゃあそうだよね。私にわれたら――っていうか聞いてくださいよ新見さん。この子私がこの會った時、固まっちゃたんですよ。新見さんの名前出したらやっとき出して――」
「違います違います! 嫌とかじゃなかったんですよ! でも、驚いたんです。だって、今までそんなことなかったじゃないですか」
弁明する冬璃の目のふちは、早くも赤くなっていた。
自分は今日これから、一何を言われるのだろうか。
「今日の食事會、提案したの池さんなんだよ」
柚子が言った。
「そうなんですか?」
冬璃は、柚子の方を向いた。
「お店も、池さんが見つけてくれたんだ」
ありがとうね、と続くような気配をじて、奈はかさず口を開いた。
「まぁ、店は結構知ってますから」
「本當は私が決めるはずだったんだけどね。招待したかったお店、もう閉店しちゃってて。だから料理だけ決めたんだけど、なんか我が儘みたいになっちゃった」
「新見さんのお勧めのお店、行ってみたかったですよ」
「うん、私も殘念。特別な場所だったから」
二人のやり取りの間で、冬璃は悩んでしまった。
十月にったあたりから、確かに二人は――というより、池さんは、放送の前でも後でも柚子先輩と一緒にいる時は、やたらと柚子先輩に話しかけるようになっていた。何かあったのかな、と、そんな風に不思議がっているのは自分だけではない。けれど誰も、二人の仲についてはよく知らない。『好度のための仲良しアピールだろ』と、それが製作スタッフ陣の大方の見解だ。
タクシーは二十分とかからずに目的地に著いた。
築地某所、大通りに面した賃貸オフィスビル。そのビルを半周して裏手に回る。一方通行の小さな路地。その片隅に、小さなガス燈に照らされた、地下へ続く煉瓦造りの階段があった。それが何の口なのかは、階段の下を覗いて、その木製の扉の前に指揮者用譜面臺のようなメニュースタンドがあるのを確認しなければわからない。
その隠れ家的な地下の店が、奈が予約したレストランだった。口正面には付用のカウンターがあり、そこから廊下が三方向にびている。廊下の壁はごつごつした巖のようになっている。奈が付をすると、早速ウェイターが三人を部屋に案した。廊下は明るかったが、三人は、カタコンベやパリのマッシュルーム栽培庫や、モルドバの地下ワイン倉庫など、過去番組のどこかで観たり攜わったりしたコーナーの映像をそれぞれに思い出していた。
三人が案された個室はクリームの壁紙の、南部フランスをイメージして裝を施された部屋だった。壁にはモネを思わせるタッチの風景畫がかかっていて、その絵畫にも空の青や雲の白、木々の葉の緑がしく、アルプスの明るい自然をじられる。
五人で囲めるほどの円卓には水のテーブルクロスが敷かれている。しかし椅子は円卓を囲まず、片一方の円弧に三つ並ぶような形で配置されていた。間隔もかなり狹い。――これは、奈の注文だった。
ここでも冬璃は、柚子と奈の真ん中に座ることになった。
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